第80話 喧騒の余韻と、煉獄への道しるべ
「はあ……本当に疲れるわね」
私は講堂の重厚な扉を抜け、外の空気に触れた瞬間、肺に溜まっていた澱をすべて吐き出すように、深いため息を漏らした。
春の陽気を含んだ風が、火照った頬を優しく撫でていく。
本来なら心地よいはずのその風も、今の私には、嵐の後の静けさのようにしか感じられなかった。
先ほどの、ルートスの演説。
あれを聞いた瞬間、私の心臓は止まるかと思ってしまった。
――いや、止まるどころの話ではない。
早鐘を打つ鼓動は、肋骨を内側から叩き折らんばかりに、暴れ狂っていたのだから。
『この王国随一の、偉大な錬金術師』
あの言葉が、今も耳の奥でリフレインしている。
それくらい、あの瞬間の会場の熱気は凄まじかった。
物理的な圧力となって、私の肌をびりびりと刺してきたのだ。
やはり、不治の病とされた公爵家の令息、ルートス・レイ・ラスールを救ったという「救世主」の存在は、これほどまでに注目を集めるものなのか。
新入生たちの興味は、その正体不明の学生――つまり、私という一点に注がれていたと言っていい。
ばれてない、わよね?
私は思わず、フードを目深にかぶり直したくなる衝動に駆られた。
もちろん、今日はフードなんて被っていないし、誰も私がその「錬金術師」だなんて気づいていないはずだ。
今のところは、ただの没落貴族の娘として、風景に溶け込んでいる……はず。
「てか、あの子めっちゃ睨んでたな……」
ふと、脳裏に焼き付いた光景を思い出す。
ルートスの前に登壇し、最初に演説を行った少女。
宰相アルバ公爵の愛娘、ソフィア・ラーザ・アルバ。
まさか、あんなに近い場所で、アルバ公爵家の人間を見ることになるなんて。
遠目に見ても、彼女の容姿は際立っていた。
美しい赤髪、その中で妖しく輝く、最高級のルビーを埋め込んだような赤い瞳。
身にまとった深紅のドレスは、彼女の傲慢さと気高さを、これ以上ないほどに主張していた。
本来ならば、私のような「名ばかり伯爵家」の人間とは、生涯交わることのない、雲の上の存在だ。
ソフィアの演説は、完璧だった。
貴族としての責務、国への忠誠、そして偉大なる父への賛美。
隙のない、優等生の模範解答のようなスピーチ。
だけど――。
ルートスが口を開き、会場の空気を一変させた瞬間。
彼女の表情は、見るも無残に崩れ去っていた。
話題をすべて持っていかれたことへの屈辱か。
それとも、ライバルであるラスール家に遅れを取ったことへの焦りか。
彼女は、酷く苛立ちを募らせているように見えた。
その端整な顔立ちには、隠しきれない自尊心の傷と、煮えたぎるような激情が、べたりと張り付いていたのだ。
まるで、精巧に作られた陶磁器の仮面に、ピキリとヒビが入ったように。
まあ、それは仕方ないわよね。
私は少しだけ同情しつつも、冷静に分析する。
だって、ルートスの演説は、ソフィアのそれを遥かに上回っていたのだから。
形式ばった言葉ではなく、死の淵から生還した者だけが持つ、命の重みと感謝の言葉。
それが、人々の心を打ったのだ。
とはいえ、あのソフィアという少女。
あの燃えるような赤い瞳で、壇上のルートスを睨みつけていた姿は、決して忘れてはいけない気がする。
彼女もまた、この学園で私が乗り越えるべき、大きな壁の一つになるだろうから。
「……さてと」
私は、頭を振って余計な思考を追い払うと、周囲を見渡した。
入学式が終わり、講堂からは次々と新入生たちが吐き出されてくる。
皆、これからの学園生活に胸を躍らせ、新しい友人と楽しげに会話を交わしている。
その喧騒の中にいると、少しだけ孤独を感じてしまうけれど、今は感傷に浸っている場合じゃない。
「次は、指定されたクラスに行かないと」
【作者からのお願いです】
・面白い!
・続きが読みたい!
・更新応援してる!
と、少しでも思ってくださった方は、
【広告下の☆☆☆☆☆をタップして★★★★★にしていただけると嬉しいです!】
皆様の応援が作者の原動力になります!
何卒よろしくお願いします!




