喰種事件。―2
本日3話目。
一度大通りに出て、騒めく人混みを掻き分け走る。
けれど、人が邪魔で思う様に距離が詰めれず、再び男が路地裏に入ったところで完全に見失ってしまった。
「チッ。どこ行きやがった」
ガルドは周囲を見回すが、裏道を知り尽くしているのであろう男の姿は、やはりどこにもなかった。
しかし、あんな台詞を吐いた後で、「ごめん、見失っちった☆」では格好が付かないというもの。
「あー、もう!!」
ガルドは、両脇に並ぶ家の壁を足場に、左右に跳んで屋根へと上った。
「どこだ、あの糞野郎」
弓を使うだけあって、視力は人並み以上にいい。
ガルドは瞳を細めて、入り組む路地裏へと視線を落とす。
「……いた」
悪い顔で笑みを浮かべ、屋根の上にあった木片を手に取る。
そしてそのまま、目標目掛けて思いっ切り投げつけた。
「……っし!!当たり♪」
頭に木片が見事命中し、その場に倒れる男の姿を確認。
ガルドは満足気に拳を握ると、屋根の上を軽々と走りながら、男へと近付いて行った。
「あっ!?もう起きやがった!!加減し過ぎたか、クソッ!!」
ガルドが追い付くよりも早く、男は頭を押さえながらよろよろと立ち上がると、より足を速めて奥の道へと進んでいく。
しかも上を警戒してなのか、屋根上からでも死角になるような、更に薄暗い道である。
「あんの野郎!!」
屋根から飛び降り、ガルドもまた男が入って行った細道へ。
距離はかなり詰めた。
もう見失う事はないだろうと、前を走る男の後を追う。
「くっそ!!しつこいっ!!」
「諦めろ、糞野郎がっ!!ガキから金を巻き上げてんじゃねぇよ!!」
「金のある奴から盗って何が悪い!!串肉如きにあんな大量の金を出すガキだぞ!!それにこの腕輪!!黒星石だ!金の使い方も知らねぇガキの分際で!!」
「だからって盗っていい理由にはならんだろうが!!馬鹿かテメーは!!」
男もブーストをかけているのか、思った以上に足が速い。
どうやら唯の雑魚ではないらしい。
けれど、それでも距離は縮まりつつあり、涼し気な顔のガルドと比べ、男の息は酷く乱れていた。
これはもう時間の問題だろうと、ガルドが冷めた瞳で息を吐いた時――。
「テ、テメーは!!」
男が何かに反応した。
釣られてガルドも、男の視線を追う。
「な……!?クロード!!待ってろって言ったじゃねぇか!!」
男が走る道の先に、フードとサングラスで顔を隠す、小柄な少年の姿。
絶不調のその身体で何をするつもりだと、ガルドの頬を冷や汗が伝った。
クロードはガルドの叫びなど耳に入っていないようで、ゆらりと身体を揺らしながら、一歩、一歩と男へと歩み寄る。
「ひゃっはー!!いいとこに来やがった、ガキが!!テメーを人質にでもすれば、あいつも手が出せねぇ!!」
懐から取り出したナイフを手に、ゲスい笑みを浮かべながら男は真っ直ぐに道を進む。
「……せよ。返せよ、それ。汚ねぇ手で、俺の、俺が、貰った、お嬢からの、腕輪に――」
「ああ?」
ゆらり、ゆらりと揺れながら、何やらボソボソと呟く少年。
男は怪訝そうに顔を顰めながらも、まぁいいかと舌なめずり。
そして、歪み切った満面の笑みを顔に刻みながら、クロード目掛けて腕を伸ばす。
「ひゃはははははははははは!!!」
男の手の平がクロードの首に届き、男は不快な笑い声を響かせながら、その細い首筋を強く掴んだ……筈だった。
「――触ってんじゃねぇぞ、肉が」
「ごふ……っ!?」
何が起きたのか、男にも、ガルドにも分からなかった。
男は確かにクロードの首を掴んだ筈なのだが、何故かそこにはいなくて。
気付けば、いつの間にかしゃがんでいたクロードに、腹を殴り飛ばされていた。
(残像……?)
姿が、二重に見えていた。
認識がワンテンポ遅れたような感覚。
(謎の多いレオちゃんの仲間なだけはあるな……)
ガルドは口元を引き攣らせながら、腹を押さえて悶え苦しむ男を蹴り上げるクロードのもとへと急いだ。
「まぁ落ち着けって。盗られたもんはあったのか?」
「……」
「おい、そろそろやめろ」
「チッ……」
クロードの腕を引いて、男から離す。
最後に入れられた蹴りが鳩尾に決まったのか、男の苦悶に満ちた声が零れた。
「糞が。……汚ねぇな。汚れたじゃねぇか。肉の臭い付けやがって」
取り返した腕輪をマントで丁寧に拭き取りながら、クロードの暴言は続く。
終いには、靴についた血を、男を踏み付けながら拭う始末。
サングラス越しであっても、その瞳は冷たいものであろうことが読み取れた。
(こいつって、キレたらこうなるんか……)
ははは、と苦笑い。
ちょっと、恐いなと思わなくも――いや、思ってない思ってない!ガキ相手に!
ガルドは頭を左右に振ると、気を持ち直す。
「それ、大事な物なのか?……まぁ、黒星石なら当然か」
「お前には関係ない」
「……可愛くねぇガキだな」
不機嫌そうに腕輪をつけるクロードを見つめながら、ガルドは溜息を吐いた。
その姿は、大事な物を取られて癇癪を起こす子供そのもの。
本当、知れば知る程ガキだなと、何故だか小さな笑いが零れた。
「んじゃ、さっさとこいつを警備隊にでも引き渡すか。……って、おい?」
「うぅ……」
急に頭を押さえ、地に手をつくクロード。
「大丈夫か?やっぱり無理してたんじゃねぇか」
「……」
応える余裕もないのか、クロードは朦朧とする意識の中、必死に呼吸を繰り返す。
けれどその呼吸も、酷く弱々しいもので。
「お、おい、しっかりしろ!!」
冷たい身体から、大量の汗を流すクロード。
目は視点が定まっておらず、あまり見えていないのか、目の前で手を振っても反応は無かった。
男を捕まえるのも大事だが、今はこちらの方が先か。
出来れば逃げられない様に縛っておきたかったが、周囲に縄なんてものはなく。
ガルドは悔し気に腹を押さえて蹲る男を流し見ながら、クロードを背負おうと肩に手を掛けた。
けれど、その手は直ぐに払われて。
「お前なぁ!!意地を張るのもいい加減にしろよ!!」
「……いい。場所を、変えようが、……同じ事だ」
「はぁ?医者にでも診てもらった方がいいに決まってんだろ」
「……もう、いいから。……放っておけ」
強情なクロードに、ガルドは頭に血を昇らせた。
もう、こうなったら無理矢理にでも抱えていってやると、強引に腕を掴み背負おうとしたその時。
「こんの、糞ガキがぁぁあああ!!!」
「……!?」
クロードを背負おうと、ガルドが中腰になった瞬間の出来事だった。
涎を撒き散らしながら、怒りに我を忘れた男が、ナイフを手に迫りくる。
男に背を向け、クロードを中途半端に背負ったこの態勢で、ガルドに反撃など出来よう筈もなく。
いや、それよりも、無防備に背負われたクロードは、正に隙だらけの肉壁状態。
「チィッ!!」
ガルドは咄嗟にクロ―ドの腕を離し、突き飛ばそうと肘に力を込めた。
ナイフで刺されても、自分ならば急所を躱せる自信はある。
けれど、クロードはほとんど意識が無い状態で。
(ったく、世話が焼ける……!!)
上半身を捩じり、そのままの勢いでクロードの腹に肘を――。
「は……!?」
けれど、その場にクロードの姿は無い。
あったのに、空振った。
(残像かよ……!!)
ならばどこにいるのかと、視線を男の方に戻す。
歪んだ笑みを浮かべながら、クロードの残像の方へと意識を向け、ナイフを高らかに振り上げる男。
そして、ガルドが肘鉄を空振らせた事でそれが残像だと目で捉えるも、それを理解し切る間もなく、男の喉元から血が噴き出た。
「な、にが……」
何が、起こったのか。
ゆらりと、いつの間にか男の隣に現れたクロードが、静かに、ゆっくりと、ナイフで男の喉を切り裂いた。
それは、あまりにゆっくりな動きで。
けれど、男は避けられなかった。
(いや、違う。……ゆっくりに見えただけ。全てが、時間そのものが、まるで止まったかの様な……)
ガルドは冷や汗が背筋を伝うのを感じながら、生唾を飲み込んだ。
何が起こったのかと、状況を把握できていないのだろう。男は目を瞬かせながら首元を手で押さえると、逃げる様に数歩後ろへと後退り、そのまま倒れた。
「殺し、ちゃったぁ……」
ヒュー、ヒュー、と空気を漏らしながら呼吸をする男を見下ろし、クロードは放心したように呟いた。
「だ、大丈夫だ!まだ死んでねぇ!!急いで治癒魔法が使える奴のとこに連れていけば、助けられる!!」
人を殺しかけた事に気を病んでいるのだろうと、ガルドは励ましの言葉を掛ける。
とは言え、既に男は瀕死の状態。
この場に腕の立つヒーラーでもいれば何とかなったのだろうが、果たして、今から医者、あるいはニックのもとへと連れて行っても、間に合うかどうかはかなり厳しいところであった。
(正直、これはもう……)
裂けた傷口を押さえ、空気を貪るように必死に呼吸をする男。
どくどくと流れ出す血は瞬く間に地面を赤く染め上げ、この様子では数分ともたずに死ぬだろう。
ガルドは男を流し見て、次いでクロードへと視線を戻す。
男が死ねば、この少年はきっと、人を殺した業に苦しむ事となる。
非はないとはいえ、それでも人殺しは人殺し。
けれどそれは、14歳の少年が背負うにしてはあまりに大き過ぎるもので……。
(ならば、今はまだ背負わせねぇ)
この男の死を、クロードには知らせない。
男の傍に寄り、未だ座り込んだままのクロードを見つめながら、ガルドは決意を固めた。
「おい、大丈夫だって!気にすんな!正当防衛だ、正当防衛!!後は俺に任せて、お前は宿にでも帰ってろ。なぁに、これぐらいじゃ死なねぇよ。ニックなら余裕だ余裕」
「……」
けれど、クロードに反応はなし。
唯、空虚な瞳で、男を見つめ続けていた。
何となく、嫌な予感がガルドの胸を過ぎる。
「クロード?」
ガルドの呼びかけに答えることは無く、クロードは無言でサングラスを外し、懐の中へ。
それから腕輪を外し、これもまた、懐の中へ。
その行動はまるで、宝物を何かから守るかのような、そんな、慈愛に満ちたものだった。
「お、おい……」
恐い想像が脳内を巡り、ガルドの笑みは引き攣った。
まさか、そんな……。
「クロード……ッ!!」
目を、見開く。
駆け出そうと脚に力を込めながら、咄嗟にクロードへと手を伸ばす。
けれど、ガルドが止めるよりも早く、クロードは男の喉元に再びナイフを刺し入れて、完全に息の根を止めてしまった。
「……」
間に合わず、宙を切った腕。
ガルドは虚しく、その手を下げた。
「何故、殺した……?」
別に殺しが駄目だとは言わない。
刃物を持った相手だったのだ。
殺してしまっても文句は言えまい。
でも、それでも……。
「止めまで刺す必要が、どこにあったよ……?」
「……」
人を殺した、少年。
致命傷を負わせ、結果的に殺してしまっただとか、そんな意味ではなく。
殺す意図を持ち、その手で、止めを刺して殺したのだ。
出来れば、殺させたくはなかった……。
ガルドは悲しそうに言葉を零し、クロードを見た。
クロードは、……無表情に涙を流していた。
「……なぁ、おい。泣いてんじゃねぇよ。泣くぐらいなら、殺しなんてしてんじゃねぇよ。……なぁ、おい!!!」
唇を噛み締め、クロードを睨む。
けれど、クロードの表情は何も変わらない。
「何とか言えよ!!胸糞悪ぃなおい!!無駄な殺しをしやがって!!」
「……」
横目で、ガルドを捉えるクロード。
赤い目から流れる、赤い涙。
涙と返り血とが混ざり合ったそれは、まるで血の涙のようだった。
「……っておい!!何する気だ!!やめろ!!」
僅かにガルドと見つめ合った後、クロードはゆっくりと顔を男に近付ける。
そして、――喰らった。
ガルドは背筋が凍る様な感覚を味わいながらも目を見開き、口元を押さえる。
「う……っ、ぐ……」
地に伏せる死体に、獣の様に喰らい付くクロード。
手で、歯で、肉を乱暴に引き千切り、口内に含んで噛み砕く。
その光景は、正に化け物そのもので。
ぐちゃぐちゃと生肉を噛むその音は、唯ひたすらに悍ましい。
ガルドは込み上げる吐き気を飲み込みながら、目を逸らした。
そして、今更ながら理解する。
彼は、喰種なのだという事を。
そして自分は、その意味を真に分かっていなかったのだという事を。
「ふふ。……頑張ったね、クロ」
「……!?」
突如響く、その場に不釣り合いな子供の声。
後ろを振り向くと、そこには、優し気な笑みを浮かべるレオの姿があった。




