表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第二章 旅立ち編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

78/217

昔話③【化け物親子】

 ――長い、永い夢を、見ていたようだった。

 それは酷く楽しくて、恐ろしい程に楽しすぎて、まるで悪夢のような夢だった。



「ふぁ……」


 穏やかな春の昼下がり。

 ぽかぽか陽気に眠気を誘われ、平原の真ん中で彼女は小さな欠伸を零す。

 腰かける石は温かくて、吹きわたる風はどこまでも優しい。

 女は大きく伸びをすると、不意に目の前を横切った蝶々を目で追いかけた。

 ひらひらと、ひらひらと。蝶々は飛んでいく。

 そして、辿り着いた先は――。

 

「アルファ」


 女は美しい翡翠の瞳を優しく細めると、蝶々を頭に乗せる愛し子の名を呼んだ。

 自身と同じ銀糸の髪に、翡翠の瞳。その容姿は幼いながらも美しく、一目で彼らが親子だという事を印象付ける。


「う?」


 名を呼ばれた幼子はキョトンとした顔で振り返り、その手に持っていた花を口へと含んだ。

 その様子に、女は「あらあら」と困った様な笑みを浮かべて、腰を上げる。


「それは食べ物じゃないわよ?アルファは食いしん坊さんねぇ。ふふふ」


 女は我が子のもとへと近付くと、あむあむと動く口をくすぐって、涎だらけの花を取り出す。

 それから、再び空へと飛んで行ってしまった蝶々を二人で見送り、女はアルファを抱き上げた。

 

「おかしゃん」


 自身を包む母の胸にしがみ付き、顔を摺り寄せて甘えるアルファ。

 ああ、温かい。何て愛おしい子だろうか。

 女は、その温かな体温に心を和ませながら、アルファの頭に頬擦りをした。


 広大な平原に2人、私とこの子だけの世界――。

 何て、――満たされた世界だろう。


「アルファ。愛しいアルファ。……私の、宝物」


 アルファを包み込みながらそう囁く彼女の声色は、どこまでも愛に満ちていて。

 痛々しい程に、優しかった。




*****


 それから数年の時が過ぎ。

 女は小屋の前に置かれた椅子に腰かけながら、草木と一人戯れる我が子を見つめていた。

 相変わらずの、自分と息子だけの世界。

 そしてそれは、相変わらずの満たされた世界。……である筈なのに。


 女はその顔に微笑みを浮かべながらも、その胸の内には不安が絶えず蠢いていた。


「……アルファ」


 名を呼ばれ、「なぁに、お母さん?」と、土弄りを止めて振り向くアルファ。

 その地面には、枝で書かれた文字らしきものが刻まれていた。


「……何でもないわ」

「そう?」


 アルファは不思議そうに首を傾げると、直ぐに手元の本へと視線を移し、再び見様見真似で文字を書き始める。


「……」


 女は無言で微笑んだ。悲哀の籠った瞳で。

 思えば、アルファが生まれてから拙いながらも小屋を建て、この場所で6度目の春を迎えた。

 静かな森林で、慎ましやかに暮らす日々。

 森を出れば広大な平原が広がっていて、時折2人で遊びに行ったりもする。

 ただ遠くを見つめ、夜になれば星空を。

 木々に邪魔される事のない広い空は、世界は、どこまでも壮大で美しい。

 そしてアルファは、そんな広い世界が好きだった。

 森の外に広がる大平原は、幼い頃からずっと、アルファのお気に入りである。


「お母さんお母さん」

「どうしたの?」


 不意に、アルファが本を持って母へと駆け寄る。

 

「これ、何て読むの?」

「……これは、“チェ”よ」

「これは?」

「“ヴァ”」

「じゃあ、これは?」

「……ごめんなさい。これはお母さんにも分からないわ……」

「そっか……。なら、いつか分かったら、今度は僕が教えてあげるね!」

「ふふ、ありがとう。楽しみにしているわね」


 母の微笑みに、アルファは嬉しそうに頷くと、先程の場所へと戻っていく。

 ただ、それだけのことなのに、僅かに遠ざかる我が子の背中が、何だかとてつもなく遠いものに思えて。

 アルファが文字を一つ覚える度に、言い知れぬ不安感と、寂しさとが彼女を襲った。


「……アルファ」

「んー、なぁに?」


 今度は生返事のみをして、先程覚えた文字の練習に夢中になるアルファ。

 こちらを振り返らない、我が子。


「……」


 女は、押し黙る。

 ただ、それだけのことなのに。


「……お母さん?」


 名前だけを読んで、続きを話さない母を不思議に思い、アルファは振り返る。

 母は変わらずの笑みを湛えていた。


「……お勉強、楽しい?」

「うん!」

「そう……。アルファは偉いわね」

「えへへ」


 照れくさそうに笑って、その視線は再び地面へ。

 女は、寂しさに顔を歪ませた。

 子供というものは、いつか親の元から巣立つもの。

 理解していたことだけれど、自分達だけは違うとも思っていた。

 人に交じっては生きられぬ、自分達だけは違うのだと……。

 けれどアルファは、“外”の世界に興味を持った。

 平原で遠くを見つめるその瞳には、まだ見ぬ世界への夢と希望とが溢れていて。

 そんな中、森にある洞穴で一冊の本を見つけてきた。

 土に埋もれる様にして残された、人間の忘れ物。

 旅人のものか、大平原に住んでいた村民のものかは知らないが、この近辺に今や人間など住んでいないし、そもそも近寄らない。

 ということは、この本は捨て置かれてから、少なくとも6年以上は経過している。

 土で汚れてはいたが、雨風や日光に曝される事は無かった為、比較的状態はいい。

 今ではすっかり、アルファの興味を引き付けてしまっている。


(……いつか、世界を見てみたいと言い出すのかしら。私から、……離れていくのかしら)


 そうしたら、私はまた独り……。

 女は眉を顰め、俯いた。

 あとどれだけの年数で、アルファは私を必要としなくなるのだろう。

 そう思うと、女はどうしようもなく怖かった。

 何万、あるいは何億か。

 本人すらも分からない程の時を、女は生きてきた。


(まだ、たった6年よ……)


 あまりに、短い。

 あと10年もしないうちに、アルファはきっと世界を知る。

 やりたいことを、自分の力だけで成し遂げるようになる。

 母を見て、己の能力を理解して、世界を旅するようになるかもしれない。

 そしたら私は、……どうすればいいのだろう?


「……っ」


 不安が、込み上げる。


(ああ、ダメだわ……)


 ――これでは、駄目だ。

 女は悲しそうな表情で首を振る。

 そして、アルファの小さな背中を見つめた。


(アルファにも、同年代の遊び相手がいれば……)


 アルファの世界には、私だけ。

 それで、いいのだろうか。

 ……いや、駄目だ。

 だからこそアルファは、他の世界に興味を持ったのではなかろうか。

 母以外の存在に。母以外の世界に。


 そこで、女は気が付いた。

 そして、思う。


(そうだ。創ればいいんだわ)


 遊び相手がいないなら、兄弟を創ればいい。

 化け物が二人しかいないならば、もっと増やせばいい。

 子供が巣だっていくならば、次の子供を創ればいい。


「……ふふ」


 女は笑んだ。

 そして、自身の影を引っ張り上げて創った繭を腕の中に抱き、愛おしそうに頬を摺り寄せる。


 ――ああ、自分が寂しいからといって、母が子の自由を縛る事などあってはならない。

 ならば、子が大きくなるたびに、私は再び子を創ろう――。

 

 赤子の産声が森に響くのは、それから僅か数秒後。

 初めて聞くその声に、アルファは驚き振り返る。


「……お母さん?」


 その日、美しき原初の化け物は、3人目の化け物をこの世に生み出した。




******


 それから4年の時が過ぎ、当然のことながら、化け物の子らは元気に育っていった。

 母にベッタリだった幼子達が、いつしか自分達だけで遊びに出かける。

 兄弟で遊ぶ彼らを遠目で一人見つめながら、彼女は子の成長にまたもや寂しさを感じていた。

 とはいえ、やはりまだまだ幼い二人。

 遊びから帰って来て、母の姿を見つけるなり満面の笑みで駆け寄って来る様は、何とも愛らしい。


「ただいま、お母さん!」

「ただいまー!」

「ふふ。おかえりなさい、アルファ。カイル」


 女は2人を優しく抱きとめて、その頭を優しく撫でた。

 そして、しがみ付いたまま離れようとしないカイルを抱き上げて、今日の報告を喜々として始めるアルファの話に相槌を打ちながら、3人で小屋へと入っていく。


「――それでね、昨日よりももっと高い所まで木を登ってね」

「そう。それはすごいわね」

「ぼくも登ったんだよ!」

「カイルは少しだったじゃないか。一本目の枝までだったろ?でも兄さんは7本目!」


 兄の言葉に、頬を膨らませるカイル。

 アルファは苦笑すると、直ぐさま「ごめんごめん」と謝った。


「ふふ。カイルもアルファも凄いわ。さぁ、お腹が空いたでしょう?ご飯にしましょうか」

「うん!ぼく、いっぱい食べるよ!」

「今日はお肉?お魚?」

「さぁ、どっちかしらね?」

「あー!お肉だ!」

「あらら。見つかっちゃった。正解よ」

「カイルずるしたー!」

「ふふふ」


 賑やかで楽しい毎日。

 女は、こんな日々がこれからもずっと続いていくことを、心から願った。

 



 けれどある日、事件は起こる。

 アルファが能力に目覚めた事が、その発端である。


「カイル!見ててごらん?」

「なぁに、兄さん」


 いつものように、2人で森で遊んでいた時。

 唐突に、アルファが自慢げな表情で弟を呼んだ。

 振り返るカイルだったが、そこには何故か兄の姿がない。


「……兄さん?」


 不安そうに顔を顰め、周囲を見回すカイル。


「ばぁ!!」

「わっ!?」


 そこで、自分の影から兄が姿を現した。

 カイルは驚いて、勢いよく尻餅をつく。


「兄さん!もう、びっくりしたぁ!」

「あはは!ごめんごめん!」


 頬を膨らます弟の頭を笑いながら撫でる。

 ドッキリの成功に、アルファは内心ほくそ笑んだ。


「さっきの、お母さんと同じだね。兄さんも出来るの?」

「うん。昨夜出来るようになったんだ。でも、お母さんにはまだ内緒」

「どうして?」

「一面、花が咲き乱れる場所が、ここじゃないどこかにはあるらしくってね。そこを見つけて、花をいっぱい摘んで、お母さんをびっくりさせようと思って」

「お花なら、森にも咲いてるよ?」

「あんなのじゃなくって!もっと、もっと凄いんだ!見渡す限りの花々が……って、本には書いてあった。多分、平原全部を花畑にした感じじゃないかなぁ?」

「平原全部を!?うわぁ、すごいなぁ!お母さんも喜ぶね!」


 弟の賛同に、アルファは満足気に頷くと、脇に抱えていた本を開く。

 まだ分からない文字もあるけれど、前後の文字の並びから自分で解読出来たものもあって、今ではほとんど読むことが可能である。


「ほら、これ!“砂漠を超えた先には、見渡す限りの花々が一面に咲き乱れていた”だって!」

「砂漠って?」

「砂しかない場所」

「えー、なにそれぇ。あはは!」


 兄の話に笑いを零しながらも、見た事も無い不思議な場所の数々に、カイルは瞳を輝かせた。


「他にも、水しかない“海”って場所とか、雪と氷の大地とか、炎で燃え続ける山だとか……!世界って、凄いだろう!?」

「わぁ!想像も出来ないや!どんなとこなんだろう?」

「それをこっそり見てくるんだよ。それで花畑を見つけて、お母さんに見た事も無い綺麗な花をいっぱい贈るんだ。見てきた世界の話と一緒にね。お母さん、きっと喜んでくれるよ」

「でも、あまり遠くには行っちゃダメって言ってたよ?時々様子見に来るし、いなくなったら直ぐバレちゃうよ」

「ちょっと行って、直ぐ戻って来るから大丈夫だよ。一瞬だもん。心配なら、カイルはここに残ってればいいよ」

「……やだ。ぼくも行きたい」


 親の言いつけを破る事に罪悪感を感じつつも、カイルは首を振る。

 アルファは、「決まりだな!」と笑うと、さっそく弟の手を握り、影の中へと消えていった。


 この日、人間も魔物も死に絶えた地より、二人の幼き化け物が解き放たれた。

 彼らはまだ知らない。

 自分達が化け物であるという事を。

 そして、今まで親子のみで暮らしてきた、――その意味を。



 

 日々、彼らは闇転移を繰り返す。

 幼き兄弟は世界の広さを知り、更なる憧れを胸に抱いた。

 多くの景色を見て、多くの人間達に出会った。

 人間達は、可愛らしい彼らを見て笑みを浮かべ、優しく接してくれた。

 2人は、外の世界がより好きになった。


「「ただいま、お母さん!」」

「おかえりなさい。今日も楽しかった?」

「「うん!!」」

「ふふ。でも、何があったのかは秘密なのね」

「もう少ししたら教えるよ!楽しみにしててね!」

「楽しみにしてて!」

「あらあら。何を企んでるのかしら。ふふふ」


 女は幸せそうに微笑んだ。

 こそこそと、二人で何か隠し事をしているのは気付いていた。

 けれど、お昼やおやつの時間などに子を見に行く際、危ない事をしている様子はない。

 万が一何かあったとしても、不死の子等が死ぬ事はない。

 ならば、ある程度の自由は許すべきだろう。

 束縛か、自由か。

 その狭間で葛藤していたが故に、彼女は選択を誤った。




*******


 ――ある日。

 正体のバレた幼き化け物達は、憎悪に塗れた人間達に捕まった。

 闇転移を使えたアルファは逃げ出せたが、カイルまでは無理だった。

 直ぐに母へと助けを求め、カイルのもとへと戻る。

 

 そこで見た光景は、アルファが今まで抱いていた世界の美しさを、黒く染めてしまう程に悪意に満ちたものだった。

 アルファは知った。これもまた、世界の一部だという事を。

 カイルは、大勢の人間の前に曝されて、体を切り刻まれながら泣き叫んでいた。

 僅かな時間であったとはいえ、幼子に恐怖と痛みを植え付けるのには十分だったろう。

 初めて見る、人間達の歪んだ表情。

 けれど、何故だろうか。アルファはその光景に、既視感のようなものを感じていた。


(これが、人間……)


 アルファは目を見開いて涙を流す。

 そして、母の言いつけを破った、己の愚かさを嘆いた。


 女はその惨状に目を見開いて涙を流す。

 そして、子に何も教えてこなかった、己の愚かさを嘆いた。


(ああ、眩暈がする……)


 そこで、頭が真っ白になって、女の意識は途切れた。



 気が付くと、一面に広がるは血の海。

 女は、泣き叫んでいた。

 猟奇的な器具と、人間の肉片とが転がる血の海に膝を汚し、力なく嗚咽を零すカイルを抱きしめる。

 背後には、涙を流しながら「ごめんなさい」と謝罪の言葉を繰り返すアルファ。


(ああ、またこの夢)


 ふわふわとした意識の中、泣き叫ぶ己の悲鳴を聞きながら、自分の意識が戻って来るのを感じていた。


(……いいえ、夢ではないわ。覚えている)


 ――これは、私がやったのね。


 女は泣きじゃくり、カイルの頭に顔を寄せて包み込む。

 楽しい悪夢は、全て現実。

 そんなこと、全て分かっている。


「カイル……!!う、あ、ああ……!!」


 カイルを強く抱きしめて、女は暫くの間、泣き続けた。

 膝に感じるは、血の温かさ。

 けれどその心に、先程殺めた人間達への罪悪感は微塵もなかった。 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ