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公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第二章 旅立ち編

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昔話①【原初の吸血鬼】

ここから、ちょいちょい昔話を挟んでいきます。

 遠い遠い昔の話。

 世界がいつ生まれたのかなど誰も知らない様に、その女もまた、いつからいたのか誰も知らない。

 それは、彼女自身もまた然り。

 気付けば、……いたのだ。

 人間だったのか、魔族だったのかさえ分からない。

 彼女は突如として世界に現れて、人智を超えた凄まじい力を以って人々に恐れられた。

 そして彼女自身もまた、その強大過ぎる力に恐怖し、己を嘆いていた。


「化け物が。……気持ち悪い」

「死ねよ!ほら、死ねよ!ぎゃはははははははは!!」


 温かい言葉など、知らない。

 優しい笑顔など、向けられたこともない。

 彼女が知る世界は、黒く、黒く染まった悪意ある言葉達と、歪み切った恐ろしい笑顔のみ。


「……一人で、生きなくては」


 化け物は、人と共には生きられない。

 彼女が人間との決別を決意するのに、そう時間は掛からなかった。

 元より人里から離れて暮らしてはいたが、次の住処は更に遠くへ。

 食べ物も衣服も何もかもを、人に頼らない生活を彼女は選んだ。……いや、選ばざるを得なかった。

 人のいない住処を求めて、魔物が跋扈する危険な場所を、身一つで彷徨った。

 そして何度も魔物に殺されかけながらも漸く見つけた場所は、人跡未踏の小さな森林。

 泉もあるし、何とか生活は出来そうである。

 彼女は漸く見つけた自分だけの居場所に、嬉しそうに微笑んだ。


 けれど暫くして。

 悪意ある生き物達が、彼女の住処を見つけ出す。

 そして再び始まった、……迫害。

 彼らは許せなかったのだ。

 彼女という化け物が、同じ世界に生きているという事実が。


「う、……ぐ、おえぇぇ……」


 ある日、住処の近くにあった泉に、毒が混ぜられた。


「あ゛あ゛ぁぁぁあああっ!!!熱い熱い熱い熱い熱いっっ!!」


 またある日、やっとの思いで建てた小さなボロ小屋に、火が投げ込まれた。


「……げほっ!!……開けて!開けて!!助けてっ!!!」


 急いで外へ出ようにも、戸は塞がれていて開かない。

 戸を掻きむしり、爪が剝がれるのも気に留めず、必死で叫んだ。

 けれど当然、助けなどなく。


「助けてっ!!助けてっ!!……たす、けて。お願い……」


 漸く外に出れたのは、炎で戸が焼かれ、崩れてからだった。

 これで熱さと苦しみから解放されると、戸が崩れゆく様を呆然と見つめながら彼女は思う。

 けれど絶望は、終わらない。

 外に出て見た風景は、一面の火の海と、火の森。


「あ、ああ……」


 炎は、熱かった。

 煙は、苦しかった。

 けれど、それよりも、漸く見つけた自分の住処が、家が、……灰となっていく。

 全てが一瞬で、消えていく。

 その喪失感が、彼女は一番辛かった。


 力ない足取りながらも、何とか彼女は炎の森を抜けだして。

 それから泣く泣く住処を離れ、再び彷徨い出す。

 泥水を啜り、木の根を齧って飢えを凌ぐ日々。

 執拗に彼女を追う、悪意ある生き物達からの迫害に、耐え続ける日々。

 普通なら、死んでいる。

 けれど彼女は、死ななかった。

 魔物に殺されかけようと、迫害で殺されかけようと、彼女は死ななかった。

 どんな致命傷も一瞬で再生し、どんな病も薬が無くとも自然と癒える。

 飢えと渇きにどれだけ苦しもうとも、体が勝手に周囲の魔力を吸収し始め、生命エネルギーに置き換える。

 いつからだったか、歳も全く取らなくなってしまった。



 彼女は唯々、孤独だった。

 人間からも、魔族からも虐げられる日々。

 長い年月を、気の遠くなる程の時を、悪意に満ちた世界で、たった一人で生き続けた。生き続けざるを得なかった。

 

 彼女は唯々、耐え続けた。

 孤独に。苦痛に。悲しさに。

 気が狂う程の辛い感情を押し込めて、悪意に満ちた世界で、たった一人で耐え続けた。耐えなくてもいいのに、耐え続けた。

 彼女は、一切の力を振るわなかったのだ。

 その気になれば、身を守る事も、周囲の全てを殺すことも出来たにも拘わらず。


 彼女は唯々、恐ろしかった。

 未知の生き物である自分自身が。

 自分でもさえもよく分かっていない、この未知の力が。

 だからこそ、化け物である自分がこの力を使ってしまえば、止まらなくなるかもしれない。

 きっと人を、世界を、殺してしまう。

 そんな、確信めいた予感が、彼女の中にはあった。


 彼女は唯々、優しかった。

 望めば全てを破壊できる程の力があるにも拘わらず、何かを壊してしまう事を何より恐れた。

 死なない体を持つからこそ、生ある生き物たちを慈しんだ。

 悪いのは彼らではない。化け物の自分が悪いのだ。だから誰も殺してはいけない。

 己を責め、己を律し、己に言い聞かせる。

 それをひたすら繰り返し、繰り返し……。

 孤独も、苦痛も、悲しさも、恐怖も、全てを優しいが故に押し込めて、耐え続けた。

 花を手折る様に、息をする様に、彼女にとって誰かを殺すことはあまりに容易い。

 けれど彼女は、だからこそ彼女は、――。

 

 ある日、彼女はふと思った。

 私は、いつか死ぬのだろうか。

 この苦しみも、孤独も、痛みも、全てが終わる時が来るのだろうか。

 

「……」


 答えは、出なかった。

 永遠に続く事への恐怖に、彼女は身を震わす。

 

「――死にたい」


 けれど、その願いは叶わない。

 そんな確信が、彼女の精神を更に磨り減らす。


「終わらない終わらない終わらない終わらない終わらない」


 次第に、彼女の精神は病んでいった。


 そしてついには、――壊れた。


 長い永い、時の中で。

 終わりの見えない未来と、向けられ続ける悪意に、彼女の精神は崩壊した。

 死への渇望と、他者へ向けるべき憎悪と破壊衝動とが混ざり合い、彼女はその感情のままに自身の血肉に喰らい付く。

 それでも、治癒し続ける体。

 彼女は、哂う。嗤う。喰らう。

 そして、気付いた。

 苦痛や悲しさと一緒に、自身の内に押し込めていたとある感情に。

 憎悪を超えた、説明のしようがない、黒く、黒く染まった名も無い感情。

 それに敢えて名を付けるとしたならば、“狂気”という名が相応しい。

 全てに耐え続けていた彼女は。力を振るう事を恐れていた彼女は。

 ――唯、その感情に、気付かぬ振りをしていたかっただけだった。


「あははははははははははははっ!!きゃはははははははははははははははははははは!!!!」


 彼女は唯々、楽しかった。

 憎悪など微塵もない。

 唯々、心から楽しかった。心から、笑った。

 いつもの如くやって来るやって来る悪意ある生き物達を、笑いながら殺戮した。

 そして、喰らう。

 死体に歯を突き刺して、血を啜る。

 生温かい血が、彼女の乾いた心を潤した。

 抉った肉片に歯を突き刺して、噛み千切る。

 生温かい肉が、彼女の飢えた心を満たしていった。

 そして不思議と、心がほんのり温かくなる。

 彼女はその悦に浸った。

 血肉の味に、食感に、温かさに、彼女は溺れていった。

 生き物を殺して喰らう事で、彼女は独りではなくなったのだ。

 自分は皆と一つになれたのだと、彼女は血を啜りながら幸せそうに微笑んだ。

 自分の中には、喰らった者の多くの命が宿っている。

 私はもう、一人じゃない。孤独じゃない。

 


 彼女はいつしか『吸血鬼』と呼ばれ、畏怖の対象となった。

 彼女を迫害する者は誰もいなくなり、それどころか近付きすらしなくなった。

 だが、そんな抵抗に意味はない。

 彼女は人を求めて、闇を彷徨い出す。

 闇から闇へと移動して、人間を、魔族を、そこにある全ての生命を喰らう。

 魔王でさえも例外ではなかった。

 もう誰も、彼女を止められなどしない。

 彼女は、災厄と同義である。

 遭遇すれば、命は無い。



 時は経ち、孤独ではなくなった彼女に、更なる欲が出来た。

 ――家族が、欲しい。

 それは、狂気の末に辿り着いた、狂気の発想。

 故に、自身の能力さえ把握しきれていないにも拘わらず、それを成し得た。

 彼女は、笑みを湛えながら子を創った。

 出来る出来ないではなく、何も考えず、狂気のままに子を創った。

 想像して、創造した。

 自分の家族であるならば、自分と同じ化け物でなければならないと、能力も分け与えた。

 結果、化け物がもう一人、世界に誕生した。


「……あはっ♪」


 出来た出来た。

 子供が、出来た。

 家族が、出来た。

 彼女は笑んで、その赤子を胸に抱いた。

 そして、自身の分身ともいえるその赤子の顔を、歪んだ笑みで覗き込んだ。


「……ふっ、……あ、あー」

「……」


 赤子を見つめ、赤子に見つめられ。

 初めて見る、悪意のない眼差し。

 初めて見る、悪意のない笑顔。

 彼女は唯、……愛おしいと感じた。


「なんて可愛い、……私の赤ちゃん」


 今までに感じた事のない、温かな感情。

 苦痛を感じなくなった彼女の心に、ほんわかとした色が帯びる。

 孤独では無くなったと思っていた彼女の心に、ぽかぽかとした光が広がる。

 そして溢れる、涙。


「これが、誰かを抱きしめる温もり……」


 赤子の陽だまりの様な温かさを肌に実感する程に、心もまた温もりに包まれた。


「これが、笑顔……」


 赤子の陽だまりの様な優しい笑顔を見る度に、心に優しさが戻っていった。


「これが、……孤独ではなくなるということ」


 自分の指を、小さな手で握りしめる赤子。

 ああ、私は、誰かと繋がる事が出来た……。


「……っ!」


 涙が溢れ、零れ、落ちていく。

 愛おしい。愛おしい。私の子供。私の家族。

 彼女は、初めて愛する感情を覚えた。

 彼女は、本当の幸せに、顔を綻ばせた。


「そう、だわ。名前……。確か親は、子に名前を贈るのよね」


 生まれてきた子に、親が最初に贈るもの。

 そんな人間達の風習をふと思い出し、彼女は頭を悩ませた。

 名前の付け方なんて、知らない。

 どうしようか……。


「……あ」


 少しして、ある言葉が頭に浮かぶ。

 コツンと、自分の額を赤子のおでこにくっつけて、彼女は微笑みながらその言葉を口にした。


「ふふ、“アルファ”。あなたは、アルファよ。……私の初めての、大切な宝物。私の最初の、愛しい子供。これから、よろしくね?」


 彼女は、笑う。笑う。笑う。

 幸せそうな、愛おしそうな、心からの優しい笑みを湛えながら。



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