愛しい君に、もう一度。
「……どういう状況?」
ブルーノから薬を手に入れた私は、クロのもとへと転移した。
するとどうでしょう。
物が散乱する部屋の中、トーマスとクロの熱い抱擁現場に遭遇したではありませんか!
……いや、変な意味ではなく。
事の経緯が分からず、状況の整理をしようと暫く無言で立ち尽くしていたのだが、埒が明かなかったので、私はとうとう首を傾げて言葉を掛けた。
「……っ!!?レ、レオ様!?」
「うん、お取り込み中ごめんね。お邪魔だったかな?何だったら出直すけど……」
「とんでも御座いませんよ!?」
顔を赤くし、片手をぶんぶん振るトーマス。
「そう?何か部屋が散らかってるけど……、親子喧嘩的な、そういう何かをしたのかな?」
「えっと、……まぁ、遠からずな感じですかね。後ほど御説明させて頂きます」
「いや、大まかな事でいいよ?だってほら……、君達の問題な訳だしさ。他人がどうこう首を突っ込むものでもないでしょ?」
「そ、そうですか?……えっと、とりあえずは。……クロード、そろそろ立ちなさい。めそめそめそめそと、いつまでそうしているつもりですか。レオ様に失礼ですよ」
トーマスは、自身の胸にしがみ付いて泣くクロを無理矢理引き離そうとするが、逆にクロはトーマスの背中に手を回して激しく抵抗。
何だか急に仲良くなったね?
「ちょ、……いい加減にしなさいクロード!!」
「やめろぉぉおお!!こんな格好悪い姿、お嬢に見られたくないっっ!!」
トーマスの胸に顔を埋めて離そうとしないクロと、それを引き剝がそうとするトーマスの攻防戦。
そんな熱い戦いを見つめながら、私は思う。
……クロが格好良い時とか、あったっけ?
腕を組んで首を傾げながら記憶を辿った。
――結果。
「クロはいつも格好悪いよ?」
目をパチクリさせながら、脳内で導き出した答えを発表。
「……え」
同じく目をパチクリさせながら、漸く顔を上げてこちらを見るクロ。
赤い目が更に赤くなり、凄い事になっていた。
そうして暫く見つめ合った後――。
「……お、お嬢酷いっ!!」
「え、だって事実だもの」
「俺だって、俺だって……!」
「あるの?格好良いところ」
「……」
「ねぇ、あるの?」
「……」
早く教えてよ。気になるじゃないか。
考え込むように視線を彷徨わせるクロに近付いて、私は「ねぇねぇ」と催促して急かし出す。
別に追い打ちをかけている訳ではない。
唯の、純粋な知的好奇心である。
「どう?どう?あった?ねぇねぇ、クロ。ねぇねぇ」
もう一度言う。これは追い打ちをかけている訳では決してない。
唯の、純粋な、知的好奇心である。
「……~~っ!!こ、これから、……格好良くなるんだよ!!見てろよ!?」
「ふふ、そう。……頑張ってね?」
「っ!!……お、お嬢~」
「あはは。服が汚れる」
再び涙と鼻水を垂れ流して、今度は私に抱き着こうとしてくるクロ。
もちろん、影で防御した。
トーマスの無残な服の二の舞にはなりたくない。
「迷惑かけて悪かったね、トーマス」
「いえ、その……、申し訳御座いません」
「ん?何が?」
立ち上がり、急に深々と頭を下げ出すトーマスに、私は目を瞬かせた。
「何と言いますか……、その、色々ありまして、……クロードの腹部を蹴り飛ばしてしまいました。お客様の奴隷に対してこの暴挙。奴隷商の者として、決して許される事では御座いません。賠償の方は勿論の事、何かご要望があれば何なりとお申し付け下さい。可能な限り、償わせて頂きます」
「ああ、そういう事か。でも別に、その程度どうでもいいよ?内臓が破裂してる訳でもないんでしょ?」
私はクロの方へと顔を向け、「内臓、破裂してる?」と首を傾げて問いかけた。
ブンブンと力強く首を振るクロ。
元気そうでなにより。
「だってさ?」
「そ、そうですか……」
「まぁ、色々あったんなら仕方ないよ。詳しくは聞かないけど、色々あったんでしょう?男同士だものね。そりゃ、色々あるだろうさ。女の私は首を突っ込まず、生温かく察する程度に留めておくとするよ」
「……えっと、何か、変な勘違いはされておりませんよね?」
「ん?どんな?」
何故か笑みを引き攣らせるトーマス。
変な、とはどういう意味だろうか。
男同士って、熱い殴り合いとかするものなんでしょ?
そうやって、友情やら何やらを深めていく生き物なんでしょ?
この解釈、おかしかっただろうか……。
「いえ!されてないなら良いのです!」
「そう?それじゃ、私達はそろそろ帰るよ。長居させて悪かったね。……えーっと、ただいまクロ。行こうか」
「……っ!!うん!おかえり、お嬢!!」
いつもとは逆の言葉を交わし合い、クロは口元を緩ませながら私の傍へと寄って来る。
「多分また来る事になるとは思うけど、その時はよろしくね?」
「はい。もちろんで御座います。……それと、予想以上にクロードが御迷惑お掛けしている様で、……申し訳御座いません」
トーマスは膝を折って顔を私へと近付けると、小声で囁いた。
それから、小さく溜息。
「ふふ。君こそ気苦労が絶えないようで、大変だね?」
「滅相も御座いません」
そう言って、トーマスは苦笑しながら緩く首を振ると、静かに立ち上がって、「お気を付けて行ってらっしゃいませ。またの御来店、心よりお待ち申し上げております」と頭を下げた。
それから私は、クロと一緒に転移をして、漸く宿へと戻った訳なんだけど。
……その先で、私は思い知らされる事になる。
世の中、何が起こるか分かったものではない――と。
まさか、まさか、エルとシロがあんな事になっていようとは……。
くぅ……。
今思い返しても、無理にでも連れて行くべきだったと、後悔ばかりが胸を締め付ける。
――ごめんね、エル。
*******
窓から朝日が差し込む寝室で、ブルーノは一人ベッドに腰かけ、力なく項垂れていた。
そして、嘆く。
己の意志の弱さを。
「はぁ……。これでは、公爵様に顔向けできんな」
はは、と乾いた笑いを零して、先程の出来事を思い出す。
言葉巧みに人を唆す悪魔の様に、エレオノーラに持ち掛けられた甘い囁きの数々を――。
『――取引、ですか』
『ふふ。……ブルーノ。君は私に、聞きたいことがある筈だ』
『……!!』
『それに、答えよう。薬をくれる度に、何でも一つだけ』
『な、何を……』
『そうだな……。とりあえず今日は、――死後の世界について、……私の考えを話そうか。ふふふ。君が以前、私に聞いてきたことだよね?』
『……!!』
――その微笑みは、愛らしくも悪魔の様で。
その一言一言が、ブルーノの心の一番弱い部分を、巧みに突いた。
「全く、天使の様で、……悪魔の様なお方だ」
深く溜息を吐いて、ブルーノは心痛な表情を浮かべた。
その心情はまるで、悪魔に魂を売り渡した愚者である。
……無理もない。
あながち間違ってもいないのだから。
エレオノーラの甘言に耳を貸し、結果、乗ってしまった。
薬を、……渡してしまったのだから。
家に戻れと説教を垂れておきながら、この始末。
大人としてのプライドも、医者としても信条も、正にズタボロである。
「けれど、これで真理に辿り着ける」
長年追い求めていた、死という真理。
……今回は、まだ詳しく聞けなかったけれど。
『――薬、ありがとう。それじゃ、約束通り教えるね?死後の世界はね、……ないと思うよ?天国、地獄っていう意味の話なら、だけど。……ふふ、今日はここまでかな』
それだけ言うとエレオノーラは影に潜り、『また来るね?』と去って行った。
「はぁ……。死後の世界は、ない――か。それが本当にエレオノーラ様の唯の推論なのか、或いは……」
ブルーノは顎肉を揉みながら、考え込む。
公爵様には、自分が来たことを伝えてもいいと言っていたが、……言える筈がない。
自分の欲に負けて薬を渡し、再び旅立たせてしまったのだから。
これでは、失踪に手を貸した共犯だ。
……けれど、それよりも。
「報告してしまえば、もう話を聞くことが出来なくなってしまう……」
アルバートに告げ口すれば、当然ブルーノの傍には、エレオノーラがいつ来てもいいように、隠れて見張りが置かれる事になるだろう。
そうなれば、もうエレオノーラは来なくなってしまう。確実に。
「はぁ……」
ブルーノはもう一度大きく息を吐きだすと、エレオノーラの失踪で心を痛めているであろうカーティス家の面々を想って、胸を押さえた。
言われるがままに薬を出すなど、医者として失格。
自分の欲に負けて幼子の過ちを黙認するなど、大人として失格。
最大とも言える重要な情報を知っているにも拘らず知らない振りをして、愛し子の帰りを願う親の心を踏み躙るなど、人間として失格。
失格、失格、失格。
悪魔の誘惑に負けた者は皆こういう心情なのだろうかと、ブルーノは頭を押さえて項垂れる。
「本当、己の弱さが憎らしい……」
――でも、申し訳ない、公爵様。
それでも私は、後悔はしておりません。
私には何を犠牲にしようとも、果たしたい願いがあるのです。
貴方様が、我が子に会いたいと切望する様に。
私にも、切望し、恋い焦がれ、会いたい人がいるのです。
唯、もう一度、……会いたいのです。
ブルーノとしてでなくてもいい。
この世界でなくてもいい。
どんな形でもいいから、私は、もう一度……。
「フローラ……。君に、会いたい……」
祈る様に組んだ手に額を乗せて、ブルーノは、震える声で呟いた。
天国というものがあるのなら、死ねばまた会える。
それは、何て美しい希望だろう。
何て愛おしい光だろう。
けれど、もし、……そうでなかったら?
聖書の言葉を鵜吞みにし、死後の世界で再びまた会えるのだと、そう信じて安穏と生き続け、結果、……違ったら?
そんな考えが過ったら、もう、どうしようもなかった。
怖くて怖くて、仕方が無かった。
死後の考え方など、宗教によって、国によって、文化によって、それぞれ。
自分の宗教の考え方が絶対的に正しいと、どう証明出来ようか?
だからこそブルーノは、探した。
様々な文献を読み漁り、世界中の死についての価値観、考え方についてを調べ始めた。
けれど、知れば知る程、当然の事ながら真実からは遠ざかる。
どれが正しいのかが余計に分からなくなっていた。
そんな中、遠い東の地で考えられている輪廻転生という死生観と、転生者と宣うバッカスの症例に辿り着く。
けれど、そのバッカスという少年は既に故人。
ブルーノは落胆した。
――が。
それから十数年の時を経て、バッカスと同じ症例を持つエレオノーラが現れた。
この好機を逃せば恐らくは、……永遠に次はない。
人の寿命は短い。
ブルーノには、もう時間が無いのだ。
死の真理に辿り着いたところで、愛しい人に会える訳ではない。
知って、そこからどうすればいいか。
また調べ直し、そして、考えなければならないのだ。
――会うための方法を。
「必ず、必ずまた……、君に」
会いたい。愛しい君に、もう一度だけ。
そしてどうか、叶うなら。
「――伝えたいことが、あるんだよ。……フローラ。唯、一言でいい。どうか、どうか……」
零れた涙は朝日に輝き。
縋る様に、祈る様に。
ブルーノは唯ひたすらに、愛しい人を想い描いた。




