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公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第二章 旅立ち編

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悪魔の取引。

 やれやれ。

 やはりまた、ここに来ることになってしまったか。

 私は小さく溜息を吐きながら、周囲を軽く見回した。


「とりあえず、クロ。朝ご飯に、人肉でも食べてきな?ふふ」

「……分かった」


 私の言葉に物言いたげな視線を送るも、クロは素直に頷いて、テントの奥へと入って行く。

 結構限界だったろうし、漸く食べられる餌を前にして、無駄口を叩く余裕もないんだろうね。

 クロの人肉不足からくる体調の変化には、当然気付いていた。

 けれど、敢えて放っておいた。

 その内ヤバくなったら自分で何か行動を起こすんじゃないかと、そう期待して観察していたのだ。

 でもまぁ、やはりそう上手くはいかない訳で。

 死体なんて頻繁に転がってるものではないし、だからといって、生きた人間に手を出すのはクロには無理。

 今まで何だかんだ大事に育てられてきた温室育ちの喰種には、厳しい問題であろう。

 人間だって、肉を食べる為に動物を殺すところからやってみろと言われれば、無茶振りに感じる人が大半ではなかろうか。

 ましてや、クロの場合は相手が人間だ。

 同じ人語を話し、高知能で感情豊かな生き物を相手にするのだから、唯の動物を食い殺すとは比べ物にならない程の精神的ダメージ。

 全く、喰種って大変だねぇ?

 早足に駆けていくクロの後姿を見送りながら、私はくつくつと笑いを零した。


「もう、いらっしゃらないかと思っておりました……」


 クロが奥へと消えたのを確認し、トーマスがボソリと呟く。


「悪いね。私も出来ればそうしたかったのだけど、やはり無理だったよ。これでも、ギリギリまで粘ってはみたんだけどね?……まぁ、死体の提供は、クロを購入する際の契約内容だった訳だし、困った時は遠慮なく利用させてもらうよ」


 本当は、もうちょっと粘ってみるつもりではあったんだけど、クロの体温が異常な程下がっているのを、昨日のリヒト達との食事の時に気付いてしまった。

 ガルドの視線から遠ざける為に、クロとエルの席を替えた際、半泣きのクロにしがみ付かれた場面を思い出してみて欲しい。

 ……そう。あの時である。

 冷たかった。というか、寒かった。

 そして、これ以上は限界だろうと悟ったのと同時に、こうなっても尚、行動を起こせないクロの現状を理解した。

 放置し過ぎてたかなーっと、罪悪感を感じているような気がしなくもないかなって思わなくもない。

 ――てな訳で、困った時のトマえもん。

 ここは有効活用させてもらいましょうか。


「はい、もちろんで御座います。……御配慮、痛み入ります。クロードが御迷惑をお掛けし、申し訳御座いません」

「ん?何故トーマスが謝る?君はちゃんと約束を守ってくれているじゃないか。クロに付き合って一々ここに来るのが面倒だから、出来ればクロには自分で何とかして欲しいと思っているのだけど……、それは私の勝手な都合だからね。心の準備をさせる暇も与えずに、邸を出る事の意味も、旅の目的さえも教えずに、私は唯々、自分の都合でこの国を飛び出させた。それなのに、旅立ってからたった数日で、自分の食事ぐらい何とかしろよと突き放すのは、無茶振りにも程がある。もちろん、行く行くは自分で解決させるつもりではあるけれど、今はまだ、クロのペースに任せておくさ。……ふふふ。何せ彼の面倒は、飼い主である私の義務だからね」


 別にクロだけを転移させる事は出来るので、私まで付き添う必要は実はない。

 けれど、邸に居た時にこの事をクロに提案したら、激しく拒否された。

 それはもう、親に捨てられる子供の様に、不安と悲壮感とで満ち溢れた顔だった。

 ちゃんと迎えに行くからと言っても、聞きやしない。

 あんな必死に懇願されれば、流石の私でも提案を下げるしかあるまいよ。

 ……というか、幼児に縋りつく事に対して、何ら思う処はないんだろうか。

 プライドとか、……無いか。無かったな、そういえば。

 クロと出会った時の事を思い出しながら、私は遠い目で空を見つめた。


「……色々と、気苦労お掛けします。立ち話もお疲れでしょうし、どうぞ中へ。大した持て成しは出来ませんが、朝食がまだでしたら何か用意をさせましょう」

「いや。お気遣い痛み入るけれど、今日は結構だよ。ちょっと他にも寄る所があってね。私が戻るまで、クロを頼んでもいいかな?といっても、本当に直ぐ戻るけれど」

「畏まりました。……では、お急ぎのところ申し訳ないですが、一つ御報告を」

「ん?」


 トーマスは、この広場へと続く一本の裏道へと視線を向け、瞳を細めた。


「……丁度、レオ様と入れ替わるようにして、先程までオズワルド様がこちらにいらしておりました」

「オズワルドが?……へぇ。入れ違いとは、何とも運のない男だねぇ。……それか、私の運が良かったのかな?ふふふ」


 突然姿を消したからね。

 あの父様のことだから、私兵団を使って捜索とかしてるだろうなとは予想していたけれど、……哀れ哉、オズワルド。

 あとちょっと遅めに来るか、長く居座っていれば私と出会えたものを。


「それと、どうやら私兵団の方々は、国を出て世界各地にまで捜索の手を広げるそうです。配置場所までは存じませんが、十分お気を付け下さいませ」

「そう、か。……懸賞金でも掛けて、ギルドなんかに捜索依頼を出した方が遥かに効率的だろうに。まさか直々に捜索部隊を派遣するとはね……。教えてくれてありがとう。トーマスも、私と関わったばかりに迷惑を掛けてしまったね」

「とんでもありません。御迷惑をお掛けしているのは、寧ろこちらの方。私兵団の方には、今日の事を含め、元より何も話すつもりは御座いませんので、御安心下さいませ」

「おや。話しても別に構わないよ?父様に情報を提供すれば、王族に次ぐ権力者に恩を売れる事になる。そちらの方が、よっぽど君の益になるだろう。それに私も、その程度で癇癪を起こして君の敵になる程、幼稚なガキではないつもりだ」

「それでも、話しません。アルバート様よりも、私はレオ様との関係を維持し続ける事に益を見出します故。それに私は、……エレオノーラ様に関する報告はすると言いましたが、レオ様に関する報告をするとは言っていませんので」


 悪戯をする子供の様な無邪気な笑みを浮かべるトーマスを見上げながら、私は数回瞬いた。


「ふふ!トーマスでも、そんな冗談を言うのだね。でも、……確かにそうだ。私はもう、カーティス家の御令嬢エレオノーラではないのだから。……私はレオ。唯の、レオだ」

「存じております」

「……さて、少々長話が過ぎたね。私は次の用事を済ませに行くよ。少しの間、クロをよろしくね」

「はい。お気を付けて行ってらっしゃいませ」

「うん、行ってくるよ」


 トーマスが優雅に頭を垂れるのを見届けて、私は影へと身を沈ませた。

 けれど、直ぐに目的の場所へは転移せず、闇だけの空間の中でちょっと一息。

 この暗闇、結構落ち着くのだ。

 足場が無いから変な感じもするけれど。

 私は先程のトーマスの話を思い返しながら、闇の中をフヨフヨと漂った。

 そして、溜息。


 ――全く、父様も無茶をするなぁ。

 世界各地に私兵団を派遣するとなると、かなりの人数を割かなければならない。

 どこまでのエリアに部隊を送るのかは知らないが、かなりの手練れでなければ命を落とす様な場所もある。

 皆が皆、無事に帰って来る保証はないだろうね。

 カーティス家の守りも薄くなるし……って、私にはどうでもいいことか。

 元凶が私とはいえ、その選択をしたのは父様なのだから。

 私が気にするのも馬鹿馬鹿しい話だ。


「家族大好きな父様のそういうところ、素晴らしいとは思うけど……。家族に執着しすぎるのも、考えものだねぇ?それに付き合わされる私兵団の、何と哀れな事か」


 私はくつくつと肩を震わせて笑いながら、目的の人物のもとへと漸く転移を再開した。

 



*******


「おはよっ!起きててくれて助かったよ。久しぶりだねぇ、――ブルーノ?」

「……ふがっ!!?」


 寝間着姿で大きく伸びをしていたブルーノ。

 そんなところに私が突然現れたものだから、驚いた拍子に欠伸の空気を飲み込んで、変な呼吸音が零れた。

 トーマスはもうすっかり驚かなくなってしまったから、久しぶりにこういう反応が見れてちょっと嬉しい。


「ん、な、……エレオノーラ様!?」

「ふふ。そんなに驚かないでくれ。照れてしまうだろう?」

「今までどちらに!?というか、今どうやって……!!」

「落ち着け」


 やれやれ。驚いてくれるのは結構な事だが、落ち着かせるまでが面倒臭い。

 朝っぱらから声を荒げるなよ。騒々しい。


「な、何故ここへ?何故、邸を出て行かれたのです」

「はぁ……。何故何故と、質問ばかりだね君は。全てを話すのは面倒臭いから割愛させてもらうけれど、ここへ来た理由だけは教えるね?……コホン。エルの薬が切れたから、ちょーだい☆……以上だ。あ、もちろんお金は払うよ?」


 茶目っ気たっぷりに微笑んで、首を傾げる。

 忘れられがちな設定だけど、あれでもエルは身体が弱い。

 戦闘などの激しい運動の際は、心臓を魔力で覆い保護しなければ直ぐに発作が起こってしまう程に。

 まぁ、私としては、そんな緻密な魔力コントロールを熟せてしまうエルに驚きではあるのだが。

 魔法に長けたエルフ族とはいえ、かなりの努力が必要だったに違いない。

 とはいえ、運動時の発作は防げても、エルは疲労に弱く体調を崩しやすい。

 それに、魔力で心臓を保護するのにも限度はある。

 だからこそ、ブルーノの定期的な診療と薬の処方は、正直かなり助かっていた。

 心臓を魔力で保護しなくても、ある程度の運動が可能な程にまで回復したからね。流石はブルーノである。


「薬、ですか」

「ん?ここには無いのかい?出来れば多めに貰えると助かるのだけど……」

「あの扉を隔てた隣室に、予備がいくらか御座います。……が、お渡しするのには一つ条件が御座います」

「……何かな?」


 何となく予想出来ていた状況に、私は笑みを浮かべながら敢えて問う。


「――御邸に、お戻りください」


 ああ、やっぱり。

 思った通りの回答に、私は詰まらなさそうに溜息を吐いた。


「悪いが、断るよ」

「ならば、私も薬をお渡しできません」

「……かなり卑怯な事を言うけれど、――君は医者の癖に患者を見捨てるのかい?邸を出たのは私で、エルに非はないんだよ?」

「主人の行動を諫めなかった従者にも非はありますよ」

「ふふふ、なるほど。そういう考え方もあったね?」

「……それと、少々厳しい事を言いますが。……邸を出ておきながら、困った時だけ頼りに戻るのは虫が良すぎやしませんか?悪い事は言いませんから、アルバート様の下にお戻りなさい。親元を離れるには、貴方様はまだ幼すぎる。こうして国に戻って来た事がその証拠です」


 ブルーノは顎肉を触りながら、厳しい口調で私を諭す。


「ブルーノ。君の気持は分からなくもないけれど、今の言葉に正論はないよ。困った時だけ頼りに戻ると言うけれど、君は父様ではないだろう?そして、確かに私は国に戻っては来たけれど、邸には戻っていないよ?薬が切れたからエルの主治医である君を頼っただけで、父様を頼ったわけではない。お金だって、私が自分で手に入れたものだ。それなのに、何故虫が良いことになるんだろうか?」

「……」


 目を見開いて、口を噤むブルーノ。

 少しの間、沈黙が続いた。


「……失礼しました。失言でしたね」

「ふふ。分かってくれて嬉しいよ」


 ブルーノは大きく息を吐いた後、謝罪の言葉を口にした。

 けれど、一呼吸置いた後、ブルーノは再び表情を引き締めて、言葉を紡ぐ。


「――ですが、邸にはお戻りください。幼い子供が家を飛び出すなど、許されません。それだけは、覆しようのない正論だったと思っておりますが」


 うん、まぁ、大人として当然の言い分だわな。

 ……だが、断るけれど。

 悪いけどこの程度の状況、既に想定済みなんだよ。

 私は溜息交じりに、ベッドへと歩を進めてその端に腰かけると、脚を組んで微笑んだ。


「さて、ブルーノ。――取引をしようか」


 私は微笑む。

 そして、提案する。

 ――悪魔の様な、囁きを。



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