運って、何でしょう。
4人部屋、一泊金貨1枚という中々に高額なスイートルーム。
そんな部屋に身を置き始めて早5日。
金の無駄遣いだと思われるかもしれないが、金貨9900枚を裕に超える額を持っている私からすれば、端金である。
とはいえ、正直ここまでの高級宿に泊まる必要もなかったなと、反省していなくもない。
……だってさぁ、前世含めて生まれて初めての宿泊だったんだもの。
修学旅行にさえ行った事なかったのよ、私。
ちょっとぐらいワクワクしちゃうじゃん?
テンション上がっちゃうじゃん?
……でもまぁ、この5日間それなりに旅行気分は味わえたので、今日あたり宿を変えるつもりではあるが。
新米冒険者と幼児がこんな高級宿に長居していては、流石に目立つ。
次は人目を気にして、一泊大銀貨1枚ぐらいの所にしておこう。
因みに、安宿なら一泊大銅貨1枚からで泊まれるが、……絶対嫌だ。
客層もあまり良くないので、うるさい、汚い、臭い、危険の四拍子が揃っている。
悪い所では、ベッドシーツをほとんど換えていない宿もあると聞く。
金があるにも拘わらず、わざわざそんな場所に泊まる必要など皆無だろう。
「――レオ。口元にソースが付いてるわ」
「ん……」
寝室、リビングと部屋続きになっているダイニングルーム。
そこに運ばれてきた豪勢な朝食の数々を口へと運んでいると、エルが隣の席から手を伸ばしてきて、指で私の口元に付いたソースを拭った。
そしてそのまま、平然と自身の指を舐め取るエルさん。
「……ありがとう。でも、布巾を使えばいいと思うんだが」
私のツッコミに、「はっ!!」とエルは我に返ったように目を見開いた。
「ち、ちち、違うのよ!布巾が、布巾が手元に無かったから、つい……!!」
そう言って、何故かエルは顔を真っ赤にして、ワタワタと慌て始めた。
どうやら直ぐ目の前に置かれている布巾には気付いていないらしい。
「……ふふ。エルは本当に子供好きだよね」
子供の口元に付いたご飯を手で取って食べる親はいるし、エルにとってもそんな感覚だったのだろう。
「……子供、好き」
「違った?」
急に動揺が静まって、私の言葉を反芻するエル。
そして、目線が少し下がったかと思うと、今度は悲しそうに微笑んだ。
「そう、ね。……好きよ、子供」
それだけ言うとエルは正面へと向き直り、食事を静かに再開し出した。
……滅びた村の事でも思い出させてしまったのだろうか。
「――さて、今日の予定を話そうか!」
私は手を一度叩いて、場の空気を切り替える。
こういう時は、早々に話題チェンジである。
「ぶば、ばびぶぶぶば!?」
「……うん。クロはとりあえず、口の中の物を飲み込んでから喋ろうか」
「ぼう!!」
美少女面で、頬袋を膨らませながら食事を詰め込んでいくクロ。
私が言えた義理ではないが、見事に美形の無駄遣いである。
まぁ、クロの場合は体質もあるので仕方ないのだけれど。
「……ごくん。それで、今日は何するんだ!?」
「うん。今から話すから、ちょっと落ち着こうか」
クロは机に身を乗り出して、瞳を輝かせながら口を開く。
狭い世界の中でしか生きてこなかったクロにとって、今のこの生活は驚きと興奮に満ちているのだろう。
冒険者という立場も気に入っているらしく、邸に居た時よりも毎日が楽しそうである。
「今日はまず、宿探しから始めるよ。流石にそろそろ目立ってきたからね。次はもう少し手頃に、4人で一泊大銀貨1枚ぐらいの宿で。出来ればクロ達には、昨日みたいにギルドに行って依頼を受けてきて欲しかったけれど、幼児一人で宿は取れない。――という訳で、いつもの様に保護者役のエルにお金を渡しておくから、チェックインする時はよろしくね?」
「分かったわ」
紅茶を啜りながら、エルは静かに頷く。
一方クロはテーブルに身を乗り出したまま、わくわくしっぱなしである。
「それからそれから!?」
「……ふふ。その後はいつも通りだよ。怪しまれない程度にギルドで適当な依頼を受けつつ、気になる噂なんかがあれば聞き耳立てといて。……でも、昨日の一件で結構目立ってしまったからね。顔やら正体やらを暴こうと近付いて来る馬鹿がいるかもしれないから、十分に気を付けてね?それと――」
私は一度言葉を区切ると、おにぎりを握るかの如く両手を緩く合わせて魔力を練った。
「……お嬢?」
首を傾げるクロとエルに視線を向けると、私は漸く手を開いて、中のもの彼らに見せた。
「こ、蝙蝠!?」
「スゲェ!!お嬢、スゲェ!!」
手品の如く突然現れたその生き物に、エルは目を瞬かせ、クロは鼻息荒くする。
手の中の影に魔力を込めて創った、プチ分体である。
といっても、これは生き物を模しているだけで、厳密に言えば生命体ではない。
これに魂やら意思なんてものは無く、込めた魔力と私の命令によってのみ動く人形の様なもの。
動力として込められた魔力分しか活動出来ず、その魔力が消えれば必然的にこれも消えてしまう。
分体ではあるが、命までは宿していないので、これが消えても付与した分の能力は私へと返却されるだけである。
また、意識をこれに繋げば、感覚器官を共有する事も可能。
見つからない様に闇の中に潜ませることも出来るので、結構便利だ。
「これは私の分身だと思ってくれればいい。エル達の陰にそれぞれ潜ませておくから、何かあれば足元の影を3回蹴ってくれ。そうすれば、これが私の元へと転移して知らせに来てくれる」
「わ、分かったわ……」
「スゲェ!!お嬢、スゲェ!!」
私は創った蝙蝠を、それぞれエルとクロの影の中へと溶け込ませた。
それから、ちょっともじもじして、上目遣いでエル達をチラ見。
「……実はね。昨日も、……というか、エル達が冒険者になって私と別行動を取ってる時はずっと、内緒でこれを影に潜ませていたんだよね」
「そうなの?別に話してくれても良かったのに。何か事情が?」
「うん。……だってほら、エル達に受けさせてた依頼って、薬草採取なんかの簡単なものばかりだったでしょ?その程度、エル達の実力なら余裕だろうと信じていたから、……そう、信じていたから、私に助けを求める様な状況にはならないと思ってね。でもまぁ万が一って事もあるから、一応保険でね――」
「……?」
「――“瀕死状態のヤバい場面になったら知らせてね”って命じた蝙蝠を、ひっそりと潜ませた訳なんだけども」
「瀕死、状態……」
口元を引き攣らせ、エルは私をジト目する。
「いやいや。これも親心というものだよ?過保護は良くないし、簡単に親の助けを乞うような子にも育って欲しくない。だからこそ、危険を承知でギリギリまで子の成長を見守る親の如く、私は痛む胸を抑えながら心を鬼にして――」
「本音は?」
「ギリギリまで読書の邪魔、されたくなかったんだよね。だから呼ぶのは、本当に困った時だけにしてね?特にクロ」
「……そう」
半目のエルと、「何で俺?」と首を傾げるクロを見遣りながら、私は「ふふふ」と笑ってごまかした。
だってさぁ、クロとかちょっとした事で呼び出しそうなんだもんよ。
それこそ、「花が咲いてた!」程度の事で。
「それとね?もうこの際だから白状するけれど、これとは感覚の共有が出来るんだ。つまり、これを街に放てば、エル達がわざわざ情報集めに冒険者になる必要もなかったんだよね」
「……それをしなかった理由、聞いても?」
「ふふ。だって、私がそれら全てに聞き耳を立てていたら、読書に集中出来ないじゃないか。私は本からの情報集めに忙しいので、他の事に気を取られたくはないんだよ」
「……」
益々半目になるエルと、「難しい本読むのって、大変だもんな」と感心したように何度も頷くクロ。
どうやら二人とも理解をしてくれたらしい。
「……まぁ、全部をレオ1人でやっていたら私のやる事ないし、……存在意義、なくなっちゃうし、役目があるのは正直嬉しいから別にいいんだけどね」
「そ、そう……」
エルは曇った瞳を細めて自嘲気味に笑うと、「でもそっか。本当は、レオ1人で出来ちゃうことだったのね……」と呟いた。
うん。スルーしよう。
私は椅子から飛び降りる様に床へと降り立つと、シロの首輪へと影のリードを伸ばして繋げた。
そしてエル達へと向き直り、小首を傾げる。
「さて。朝食も終えた事だし、……そろそろ行こっか?」
******
賑わう大通りを横切って、途中で買い食いを挟みつつ、それなりに質が良さそうな宿へと辿り着く。
2階建てで、部屋数も少なめのこじんまりとした宿である。
例えるなら、ペンション。
大きくない分落ち着きがあり、外観も結構オシャレ。
邸で貴族暮らしをしていた私には、さっきまでいた高級宿も違和感なく満喫できたけれど、こういう雰囲気も悪くないかもしれないな。
「うん。暫くは、ここに滞在しようか。……ペット可だと良いなぁ」
「グルル……」
「ふふ。スーちゃんの事だよ」
顔を顰めながら唸るシロの頭を撫でながら、私は宿の扉をうんしょと開けた。
「いらっしゃいませ」
扉の直ぐ横に配置された受付から、お姉さんが笑顔で出迎える。
エルは保護者役として先頭に立つと、受付のカウンターへと近付いた。
「よ、4人部屋をお願いしたいのですが……。空きはありますか?」
「畏まりました。少々お待ちください。……はい、大丈夫です。お一人様銀貨2枚となりますが、よろしかったですか?」
「はい。……その、一名?一匹?が、獅子なんですが、良かったですか?」
受付のお姉さんは、私の手からリードで繋がれたシロを一瞥した後、困った様に微笑んだ。
「ペットを持ち込まれるお客様はおりますので、構いませんよ。流石に獅子は初めてですけど。……唯、何か問題が起こった際は厳格に対処させて頂きますので、御容赦くださいませ」
「分かったわ」
金を払い、ルームキーを受け取ってさっそく部屋へ。
ベッドが4つに、テーブルなんかの最低限の家具が置かれただけの簡素な部屋である。
まぁ、寧ろこれが普通だよねー。
今までが豪華すぎたのだ。
というか、この世界では浴槽付きのお風呂は高級品。
それが備わってるというだけで、既に贅沢な宿だと言える。
貴族出には少々手狭だが、ここは我慢するとしよう。
「きゃっほーいっ!!」
「……楽しそうね」
はぁー。ペンションって、ちょっと憧れてたんだよねぇ。
ここ、ペンションじゃないけど。
私は部屋に入って早々、思いっきりベッドにダイブ。
それからベッドの上で数回ジャンプして、トランポリンを楽しんだ。
幼児である今の内しか出来ない事なので、せっかくだし行く先々の宿のベッドで、とりあえず1トランポリンはしとこうと思っている。
……うむ。邸や高級宿には劣るものの、中々にふかふかではないか。
「ふふ。宿も決まった事だし、依頼を受けに行こうか。昨日の一件もあるから、私も様子見がてらギルドまで付いて行くよ」
そう言って、ジャンプの勢いのままにベッドから床へと飛び降りると、私達は再びドアを開けて部屋の外へ。
そして、――激しく後悔。
「あれ。……レオ君?」
「……っ!!」
思わず、ドアを閉める。
……いやいやいや。そんなまっさか~。
昨日の今日で?
あっはっは!ないない☆
「レオ君?レオ君だよね!?おーい、レオ君!?」
「なぁに~?どうしたのリヒト~」
「いや、レオ君達がこの部屋に……」
「おや、同じ宿ですか。こんな偶然があるのですね。という事は、エルさんとクロードさんも……」
「――クロードしゃん!?」
「……あ、やっと反応した」
「う~……。大声で騒ぐな。頭に響く……。下心満載の下種共が。滅びろ。滅ぼされろ」
ドア越しに響く、聞き覚えのある声の数々。
一瞬だけ見えたのであろう彼らの風貌に、クロは小首を傾げながら能天気にドアを指さした。
「あれって、昨日の勇者じゃね?」
「言うな」
私の持つスキル、『豪運』。
……運って一体、何ですか?
そんな疑問が、ふと脳裏を過ぎった。
まぁ、旅に出て早々勇者と出会い、しかも昨日の今日で同じ宿で再開する。
これもある意味、運と言えばそうなのだけれど……。
どうやら運とは、私にとって都合が良い様に動いてくれるものではないらしい。
攻撃は普通に当たるし、ルドア国では悪役令嬢の異名を賜る程に、私の評価は最低最悪。
そんな今までの出来事を、私は半目になりつつ思い返しながら、一つの結論へと辿り着く。
――やはり運なんて、当てにならない。




