月夜のダンス。(※挿絵あり)
※残酷描写ありです。苦手な方はご注意を。
※話の中盤に挿絵をいれてあります。
月明かりが照らす部屋の中。
時刻は、日付が変わってしばらく経つ頃。
その部屋の主であろう小さな人影は、唐突にベッドからむくりと起き上がると、窓辺へと歩みを進めた。
暗闇から、月光の照らす明るい場所へ。
しかしその影は、明暗が分かれる境にて歩みを止め、暗闇の中から光を見つめるのみ。
暫くした後、影は光の先に見えるある物へと目を留める。
影は動き出し、漸く窓の前を横切った。
その間、金糸の美しい髪が、月明かりに照らされて露わになる。
そして再び、闇の中へ。
影は、机の上に無造作に置かれた、そのある物へと手を伸ばす。
仮面が二つと、マントが一枚。
影は躊躇いなくマントを羽織り、仮面を顔へと宛てがった。
しかしマントは、その小さな影には大きすぎるようで、ほとんどの布地が床へと着いてしまっている。
歩を進める度にマントを踏んでしまい、とても歩き辛い様子が見て取れる。
躓きながらも数歩歩いた後、影は溜息と共に立ち止まった。
そして、思う。
――面倒くさいな。
すると、消えた。
闇の中に、……否。影は、自身の影の中へと、溶ける様にして消えていったのだった。
場所は変わり、街の中。
街に人影はなく、辺りは静まり返っている。
月明かりに照らされて、マントと仮面で姿を隠した子供の姿が浮かび上がる。
子供は驚いた様にキョロキョロと周囲を見回した後、納得したように呟いた。
「ああ、夢か」と。
そして、引き摺るマントの裾を煩わしそうに見つめ、鬱陶しいな、と思った。
すると、スパッという何かが切られる音がしたかと思うと、マントから切り離された布地が地面へと落ちた。
フード越しに子供は目を瞬かせ、丁度良い長さになったマントの裾を見つめた。
そして子供は歩き出す。
ゆらゆらと、夢の中にいるかの様に。
街を彷徨う事少し。
表通りを歩いていた子供は、僅かに聞こえる何かの音に反応し、とある曲がり角に視線を向ける。
顔を覗かせると、明暗が入り混じる路地裏で、男が壁に凭れて鼾を掻いていた。
近くには酒瓶が転がり、見るからに酔っ払いである。
子供は楽しそうに口角を上げると、喜々とした表情を浮かべた。
その笑みは、欲しかったおもちゃで漸く遊べる事に歓喜する幼子そのもの。
子供は鼻歌交じりに男に近づく。
ゆらゆらと、夢の中を歩くように。
男を照らしていた僅かな月明かりが、子供の影によって遮られる。
子供は傍に転がる酒瓶を勢いよく壁に叩き付けた。
ガラスの割れる激しい音に反応し、男の目が薄っすらと開いてゆく。
目の前に立つは、割れたガラス瓶を頭上高くに上げ、今まさに振り下ろさんとする異様な子供の姿。
逆光でよくは見えないが、マントと仮面の様なもので顔を隠している。
「ヒィッ!?」
一瞬にして目が覚めた男は、咄嗟に頭を腕で庇う。
子供は笑みを浮かべながら、割れた酒瓶を男に向かって振り下ろした。
――刹那。
子供の手が、男に当たる僅か手前で停止する。
もし、もしも、この人間を殺してしまったら。
彼らは、それでもまだ受け入れるだろうか。
子供はふと、そんな思いを過ぎらせる。
脳裏に浮かぶは、誰の姿か。
殺人を踏み止まらせているものは、良心の呵責か、それとも――。
パリンッ。
直後、ガラスの割れる大きな音が、再び男の鼓膜を震わせた。
「……?」
しかし、来るはずの激痛だけは、いつまで経ってもやって来ない。
男は不思議に思って恐る恐る目を開け、腕越しに子供を見遣る。
子供は先程よりも数歩下がった場所で、顔を両手で覆い、体を小さく縮こまらせながら立っていた。
酒瓶はその手に握られておらず、男の直ぐ傍で、更に砕けた状態で転がっている。
子供は荒々しく呼吸をした後、顔から手を放し、月を見上げた。
そして、消えた。
自身の影に、溶けていくかの様に。
子供が消えた後、その場にただ一人残された男は、声にならない悲鳴を上げながら、表通りの方へと走り去っていった。
場所は変わり、辺りには平原が広がっている。
そう遠くない場所に、街を囲む外壁と、背の高い建造物たちが確認出来る。
子供は広野で一人、月を見つめたまま、呆けた様に静止していた。
……しばらくして。
子供は漸く我に返る。
激しい激痛と共に。
気が付けば、十数メートルもの距離を軽々と吹っ飛ばされていた。
ボールの様に体が地面をバウンドし、更に数メートル転がったところで漸く止まる。
何が起こったのかと、目を数回瞬かせた。
何かが走り寄ってくる足音が、地面を伝って聞こえてくる。
子供は胃から込み上げる血反吐を吐き出しながら、ゆっくりと上半身を起こし、近づいてくる者の方向へと顔を向けた。
その瞬間、再び体が宙を舞う。
今度は高く、真上へと。
腹を何かに蹴り上げられたのだと、子供は瞬時に悟った。
宙を舞いながら、自身を蹴り上げたその正体が視界に映る。
10歳程の人間の子供並みの身長に、ゴツゴツとした体格。
腰に宛がう布切れと、手に握られた歪な形の棍棒が、その存在の低能さを物語る。
その醜悪な顔には下品で汚らしい笑みが浮かび、見る者に唯々不快感を与える存在。
……ゴブリンである。
「ぐふっ……」
腹をまともに蹴られた事で、胃の中の物が血反吐と共に吐き出される。
そして、地面へと急降下。
下では、ゴブリンが棍棒を握りしめた状態で待ち構えていた。
しかし空中では成す術もなく、子供はゴブリンに再び殴りつけられ吹っ飛ばされる。
野球かよ!と内心ツッコミを入れつつも、十数メートルを無抵抗に吹き飛んで、地面をバウンドし、そして数メートル転がって停止する。
「う、ぐ、おえぇっ……」
両手を地面に付き、血やら胃液やらゲロやらを吐き出す。
再びゴブリンの走り寄る足音。
子供は大きく溜息を吐いた後、立ち上がった。
無傷である。
正確には、完治した。
子供は、既に目の前に迫ってきているゴブリンを無感情な瞳で見つめると、こう呟いた。
「――死ねばいいのに」
すると、死んだ。
口、鼻、耳、目。
身体の至る所から血が流れ出て、ゴブリンは子供の数歩手前で事切れた。
「……あは!」
子供は、笑んだ。
「あはは!」
笑んだ。
「あははははははははははははははははは!!きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
笑んで、笑んで、狂気じみた子供の笑い声が、夜の広野に響き渡った。
血の匂いに釣られ、また幼い子供の声に起こされ。ゴブリンが、オークが、一匹、また一匹と、平原から森からと、続々と集まってくる。
気付けば、子供の周りは魔物だらけ。
笑いながら、くるくると踊り回る子供目掛けて、手入れのされていない長剣を、一匹のゴブリンが振り下ろした。
小さな腕が、宙を舞う。
子供は突然の激痛に我に返ると、キョトンとした表情で自身の右腕に目を遣った。
……あれ、ない。
キョロキョロと見回すと、数メートル先に右腕が落ちているのを確認し、腕が切断された事を理解した。
そして、落ちてる右腕に対して、「あれはもう要らないな」と思うと、それは灰となって消えていった。
「切れちゃった。ああ、切れちゃった。切れちゃったよ、うん、切れた切れた切れた。斬られたちゃった、斬られた斬られた。痛いなぁ、痛いじゃないか。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。――ああ、死ねばいいのに」
子供は両手で自身の肩を抱くと、再びくつくつと笑い始めた。
右腕が元に戻っていることなど、この子供にとってはどうでもいいらしい。
「く、ふふふ、ふふふふふふふ。……きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
笑う。笑う。笑う。
そしてクルクルと、舞う様に、踊る様に、回った。
辺りに響く音楽は、『断末魔の叫び』。
真っ赤な絨毯が敷かれた会場で、月明かりのスポットライトに照らされながら、血肉のフラワーシャワーが降り注ぐ。
楽しい楽しい楽しい。
子供の脳内は、それ一色に埋め尽くされた。
体内から血を撒き散らさせ、破裂させ、切り刻む。
血が、血が、血が。
肉が、肉が、肉が。
子供は恍惚とした笑みを浮かべながら、宙を舞っていた魔物の腕を優しく掴み取ると、切断面を口へと当てた。
まるでそれは、ダンスパーティーで、淑女がウエイトレスから飲み物を受け取るかの如く、魅入るほどに優雅であった。
――ごくん。
子供の喉が、静かに音を立てる。
「ふふ、うふふ!あはははははははははははははははははははは!!」
ああ、美味しい。
美味しい。美味しい。美味しい。
子供は、魔物の腕を頭上高くに持ち上げると、切断面を下へと向けた。
血がボタボタと、子供の口内へと滴り落ちていく。
口元も顔面も、血みどろである。
少しして、子供は血の出が悪くなった腕を放り投げ、近場で悶えていた魔物の首を切り落とし、首から零れる大量の血の滝へと口元を近付けた。
ああ、楽しい。
ああ、美味しい。
子供は次から次へと肉片から血を啜り、終いには肉に齧り付く。
じゅるりとした、血がふんだんに浸み込んだその肉は、実に極上である。
「きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
飲んで、齧って、飲み込んで。
気が付くと、音楽はすっかり止まり、辺りは静寂に包まれていた。
――ごくん。
今飲み込んだ血肉を最後に、子供の狂気も静まっていく。
一面の血の海と、赤く染まった子供。
いつの間にかフードは取れて、その金の髪まで真っ赤であった。
子供は呟く。
「血塗れだ」
血が纏わりついて不快なのだろう、子供は眉を顰めながら自身を見た。
そして思う。
――ああ、気持ち悪い。
すると、自身に付着した血液が、丸く赤い水滴となって綺麗に浮かび上がった。
ビー玉の様に、宙に浮かぶ美しい赤い玉を見つめながら、子供はまたもや楽しくなってクルクルと回り出す。
月の光に照らされて、子供の美しい金糸の髪と、赤い玉とが淡く光る。
それは何とも美しく、神秘的であった。
二曲目の音楽は、子供の奏でる鼻歌と、足元で鳴る水の音。
静かで、綺麗な、月夜だった。
「ぐ、ぎゃ……」
ふと、雑音が混じる。
子供は回るのを止めると、それに目を遣った。
四肢が切れ、内臓が腹から垂れながらも、そのゴブリンは生きていた。
苦しそうに悶えながら、虫の息である。
子供は困ったように微笑んで、「ごめんね」と呟いた。
直後、血の玉がゴブリンに降り注ぐ。
銃弾を止めどなく浴びたかのように、それは原形留めぬ肉塊へと変わっていった。
そして子供は、謝罪の後の言葉を紡ぐ。
苦しませてしまって、と。
子供は、辺りを見回して、他に生き残りがいない事をざっと確認する。
いないとは思うが、念のため。
子供は、辺りに横たわる死体を全て、破裂させた。
原形の分からない程に小さな肉塊と、血溜まり。
その様子に満足したかのように、子供は大きく頷いて、静かに、影へと溶けていった。
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「という夢をみたんだよ」
朝になり、エルが仮の自室として引き続き使っている客室へと足を運び、昨夜見た夢の話を聞かせた。
やけにリアルだったなぁ……。
楽しかったけど、所詮は夢。
嗚呼、悲しいかな。
「……夢、なのよね?本当に」
「そうだよ?まぁ何故か、エルが着てたマントが、私のサイズに合わせて切られていたけれど、きっと侍女の誰かが気を利かせてくれたんだろう」
私は首を傾げて微笑んで見せた。
それにしても、今日はとても調子がいい。
エルが私といる事を選んでくれて安堵したのか、昨日の夕食の時から、やたらとお腹が空腹だった。
食べても食べても、満たされず。
満腹の筈なのに、何故か物足りない。
そんな不完全燃焼気味なモヤッとした思いの中で、あの夢である。
「多分、狂気の溜め込みすぎかな」
「ストレスみたいに言わないで?」
「無意識に、食べる事で発散させようとしてたんだろうけど、それだけじゃ賄い切れなかったんだろう。やっぱり、偶には思いっきり発散させないと駄目なのかもね。何でも溜め込みすぎは体に毒だ」
「だから、ストレスみたいに言わないで?」
そしてその夢は、狂気の捌け口として徐々に暴食に走り出した時、大体3~4日に一度の割合で見るようになった。
“夜中に仮面を付けた子供の霊が、平原で魔物の血肉と戯れている。街にも時折現れるから、姿を見たら直ぐ逃げろ”
そんな街での噂が私の耳に届くまで、あと数日は先の事であろう。
挿絵は麦うさぎ様より戴きました。
溢れ出る、狂気……ッ!!




