貴方と共に、生きましょう。
「……私は、弱者だ」
エルフの呟きが、沈黙を破った。
そして、彼女は語り出す。
俯きながら、静かに、独り言のように。
私はスーちゃんを撫でながら、合間合間に小さく相槌を打ちつつ、その呟きに耳を傾けた。
「身体が弱くて、村ではいつも役立たずだった。なのに、みんな優しかった。優しい人達ばかりだった。優しい、村だった……」
エルフは口元を緩ませ、その紫の瞳には光が灯る。
当時の事を懐かしんでいるんだろう。
けれど、その光は一瞬で、次の言葉を発するときには、また虚ろな瞳に戻っていた。
「人が、やって来たの。私の村は、小さかったから。だから、狙いやすかったんでしょう。みんな死んだわ。みんな、私よりも強いのに、死んだわ。私を庇って、守って、死んだわ。逃げろと、生きろと、私に怒鳴りながら、私に笑いかけながら、死んだわ。死んだの。……何故、弱者の私が、生きているのかしら。強いみんなが死んで、どうして、雑魚の私が、私が、私が……!!生きて、いるの……!!!」
徐々に声に怒りが宿っていき、エルフは憎悪で顔を顰め、歯を音が出るほど噛み締める。
自身の肩を強く抱き締め、爪が食い込んだ皮膚からは血が滲みだしていた。
鼻息は荒く、その瞳は怒りと絶望とで染められる。
「ふー、ふー、ふー……。だから、死にたい。だから、憎い。自分を殺したい。弱者は弱者として死ぬべきだ。弱者は死ぬべきだ。ゴミだ。世界の、ゴミだ。誰かの強さに守られて、優しさに甘えて、優しい強者に寄生する、汚い糞虫。罪悪感から逃れようと、“いつもごめんね”と、弱々しく謝るの。返ってくるのは優しい言葉だと分かっているくせに。優しい言葉を聞きたかっただけのくせに。優しい誰かに寄生して、重りになって、背負われて、自分の負担を押し付けてる分際で、なお自分を慰める優しい言葉を、笑顔を、態度を、他者に求める最悪のクズ。死ねばいいのよ。今も図々しく、のうのうと生きてるクズに反吐が出る。何も出来ないなら、生きてる意味なんてないじゃない。死ねばいい。誰かの負担になるぐらいなら、いない方がいいじゃない。死ねばいい。私なんて、死ねばいい。……消えればいい。存在ごと、存在していた時間さえも全て、消えればいい。……消えて、しまいたい」
エルフの頬を、涙が伝う。
紫の瞳が涙で濡れて透き通り、とても美しいと感じた。
ああ、なんて、優しい絶望だろう。
だからこそ、自身へ向けられる嫌悪感も、憎悪も、底知れない。
自分という仇を、誰も罰しないのだから。
だから彼女は、自分で自分を殺したいのだ。
「……本当に、消してくれるの?」
「必ず」
エルフは、涙に濡れた瞳で、私を見つめる。
「信じて、いいの?死は終わりじゃないと。死は消滅じゃないと」
「信じてくれるのかい?」
「正直、あなたの話はよく分からない。その話に根拠もない。信じるに値しない。……けれど、あなたの狂気は信じられる。あなたが死なずに、今もこうして生きている。それが、何よりの証拠だわ」
「そうか。なら、さっきの問いにはこう返そう。“信じろ”と」
エルフはゆっくりと瞼を閉じて、瞳に溜まった涙は流れ落ちた。
そして、息を一つ吐いた後、再び瞼は開かれる。
ベッドから静かに下りたかと思えば、私の前で両膝を付いた。
目線が、合わさる。
「では、信じましょう。では、生きましょう。死への狂気に狂いながら、抗いながら、貴方と共に、私は在りましょう。どれだけ狂気に苦しもうとも、私よりも狂気を抱いた貴方がそれに耐えているのなら、私もきっと耐えられる。貴方と一緒なら、私もきっと生きられる。でも、貴方が死ねば、私もきっと死んでしまう。望みが失せて、狂気に負けて死んでしまう。だから貴方は、私を消すその日まで、必ず生きて。その為なら、私は貴方を何があっても守りましょう。貴方に寄生し続けて、貴方の居場所になり続けましょう。」
真っ直ぐと私を見て、紡がれる言葉。
私は目を見開いて、心が何やらざわつくのを感じていた。
胸が締め付けられるように苦しいのに、温かい。
これは、……嬉しさだ。
「……ありがとう。なら私は、君を消すその日まで、君が夢半ばで死なない様に、何があっても君を守るよ」
視界が歪む。
瞬きすると、目から涙が零れ落ちてきて、止まらない。
ああ、私はこれで、生きられる。
私は君の願いを。君は私の居場所を。
これが共依存というやつか。
でも何故だか、嫌な気はしなかった。
自然と顔が綻ぶ。
エルフはそんな私を凝視して、驚いたように目を瞬かせていた。
*******
寄生虫とは、正に私の事だろう。
所詮私という弱者は、誰かに寄生しなければ生きられないのだ。
しかも、今度の宿主は幼い少女。
全く、我ながら呆れる。
強者だけでは飽き足らず、自分よりもひ弱な弱者にまで寄生する、自分の浅ましさに反吐が出る。
腕を振り上げれば、脚で蹴り付ければ、この少女の小さな身体は、いとも簡単に宙を舞うだろう。
魔法を使うまでもない。武器を持つまでもない。唯の暴力で十分だ。
だからこそ、傷付けてはいけない存在。
だからこそ、誰かが守らなければ生きてはいけない存在。
……それなら、私はこの宿主を、弱くて小さな宿主を、守ってやろう。
その小さな体で、精神が壊れながらも、理性が吹き飛ぶような狂気に耐え続ける、不安定で危うい宿主を。
私の願いが叶えられるその日まで、私は彼女を手放すわけにはいかないのだから。
この宿主が死んでしまえば、寄生虫の私も死ぬのだから。
だから全力で、命を懸けて、私はこの少女を生かし続けよう。
居場所が欲しいというのなら、それで彼女が生きられるのなら、私は彼女の居場所になり続けよう。
私は少女の目線に合わせて跪き、誓った。
少女の大きな碧の瞳が、薄い水の膜で覆われる。
瞬きと共に流れ落ちたかと思うと、少女は、微笑んだ。
力が抜けた様な、安堵と喜びとが入り混じったような笑みだった。
思わず、魅入ってしまう。
――ああ。
この子は、一体何を背負い込んでいるんだろう。
何に恐怖し、どんな不安と絶望の中で、独り耐えていたんだろう。
どれだけの気を張り詰めさせて、今日まで生きてきたんだろう。
可愛らしくも美しいこの笑顔の裏で、少女が持つ絶望と狂気の大きさを思うと、何故だか胸が苦しくなった。
そして思わず、……抱きしめていた。
少女は目を見開かせ、その小さな肩は強張る。
「一緒に、生きましょう。そして一緒に、消えましょう」
本当、今日はよく泣く日だわ。
抱きしめた少女の肩に水滴が落ち、染みが出来る。
そして、私の肩も温かな湿り気が帯びていくのを感じた。
……こんなに感情を表に出したのは久しぶりだ。
生きて、生きて、この子と消えるその日まで、この子と共に生きてやる。
憂鬱に、無気力に、無感情に、唯の死を求めてなんていられない。
絶望し、苦悩し、狂気して、無様に、ゴミの様に、足掻いて足掻いて生き抜かなければ。
少女はスライムを抱きしめたまま、私の腕の中で小さく身じろいだ。
――そして現在。
自己紹介の為、私はベッドに腰かけ、少女と向かい合っている。
少女の名前はエレオノーラ・カーティスというらしい。
身内はノーラと呼ぶそうだが、私にはレオと呼んでくれと言ってきた。
可愛らしい名前が好きではないのだとか。
そして、レオの立場は公爵家の御令嬢。
人間社会の貴族階級なんてよくは知らないけれど、どうやら王族に次ぐ地位らしい。
無表情に、あっさりと、何食わぬ顔で言ってきた。
……うふふふふ。
どうしよう、上手く笑えない。
思わず顔が引き攣った。
「それで、君の名前は?奴隷商では名前が不明と言われたが、ない訳じゃないんだろう?」
「……その名前は、捨てました。憎い相手の名前でしかないから。そんな名前で呼ばれたら、私は自分を殺さずにはいられないでしょう」
そう言ったら、“エル”という名前を付けられた。
エルフだからエル。
……うん。い、いい名前なんじゃない?
因みに、レオが抱いているスライムの名前は、スーちゃん。スライムだから、スーちゃん。
……うん。い、いい名前なんじゃない?
安直だとか、全然思ってない。微塵も思ってない。
私が笑顔で固まっていると、不意にレオは椅子から下りて、私の目の前で立ち止まる。
ベッドに腰かけているにも関わらず、身長が足らずに私を見上げるレオが可愛らしかった。
レオは小さく微笑んで、私に手を差し伸べる。
「これから、よろしく頼む」
「はい」
私はその手を握り返した。
小さすぎて、包み込んだという表現の方が正しいだろうけれど。
「エルは奴隷で、私は主人だけど、主従関係はない。私たちは唯の同類で、互いに寄生し合う関係だ。その繋がりが在り続けるならば、君は自由に行動してくれて構わない。……とはいえ、その繋がりを断ち切っても、私は君を恨みはしない。私は何にも期待していないから。というより、人の思いなんて、曖昧で移ろい易いものだと知っている。だから、途中で生きたくなって、私のもとを去っても引き止めないし、死んで生き直すのも自由だ」
「……それは有り得ません。貴方がいなければ、私は狂気に抗えない。生きられない。だから生きるために、消えるために、私は貴方の傍に居続けなければいけない。だから、私は貴方を裏切れない。貴方の居場所で在り続けると言った、この誓いが破られることは絶対に在りません」
だからどうか、安心してほしい。
だからどうか、生きて欲しい。
私が生きるために、生きて欲しい。
「ふふ、ありがとう。大丈夫。エルを信じるよ。でも同時に、私は人も信じている。醜悪で、弱く、故にその意志は崩れやすいというその性質を。だから、君が将来どんな選択を選ぼうとも、君は私を裏切った事にはならないという事を、よく覚えていてくれ」
「……はい」
ああ、ダメか。
きっと私が何を言っても、その考えは覆らないんだろう。
私はもう一方の手も重ね、両手でレオの手を握りしめた。
「あ。あと、敬語は別にいい。場によっては、主従の立場を演じる時があるかもしれないが、普段は普通に接してくれ。居心地悪くて仕方ない。さっきも言ったが、君との間に上下関係なんてないのだから」
「……分かったわ」
いけない。
私は彼女の居場所なのだから、居心地悪いなんて状況はあってはならない。
でもまぁ、幼女に敬語っていう現状に少し違和感はあったから、そっちの方が助かるかも。
レオは私の手からするりと手を引き抜くと、スーちゃんを抱きしめ、再び椅子に腰かけた。
掌には温もりだけが残る。
少し寂しく思えたのは、きっと気のせいだろう。




