私は今、幸せです
※本文に出てくる結婚式への考え方は、あくまでもシェリルの生まれた国や世界の考えですので、ご注意ください。
城下から少し離れた所にあるユージスト家所有の別荘。そこは、以前、シェリルがメルビスに連れて来られたところだ。
屋敷の後ろに広がる広大な庭は、十字に赤褐色の道が伸び、道の脇を赤やピンク、黄、白と薔薇の垣根が彩っている。道が交差する少しひらけた空間の中心部には、白い六角形のガゼボがあり、普段はその周りに植えられた色とりどりの美しい花々が主役の場所であるが、今日だけは違っていた。
「おっほん。で、では、これより、グレン・ユージストとシェリルさんの結婚式を行います」
手に持つ、言うべき言葉の並んだ紙を盗み見ながら、若干緊張した面持ちで宣言したのはジェフである。
人魚族に結婚式という風習はない。様々な理由はあるそうだが、魔力量によって個々の価値を推し量る人魚族は、あまり家族や親族の繋がりが深くないからだそうだ。魔力量の多い者を多く輩出する五柱以外は、家族の中でも魔力量によって地位が変わるため、二人きりでひっそりと結婚する。
だから、神父もいなければ、結婚式を見た経験もない。そのため、神父役を任されたジェフがしどろもどろなのも頷けた。
ガゼボの中。ジェフに向き合って立つのは、この結婚式の主役の二人である。光沢のある青みを帯びた紺色のタキシードを纏い、普段はボサボサな銀の髪を後ろへ撫で付けたグレンは、穏やかな空色の瞳を隣に向ける。
ジェフの様子を見て、漏れそうになる笑いを必死に抑えるシェリルの表情は、真っ白なベールに隠されていて、グレンにもはっきりとは見ることはできない。それでも、楽しそうな雰囲気が感じ取れ、グレンの口元を自然と緩んだ。
シェリルの纏うドレスは、エレシースやミオーネの意見を参考にグレンが用意したものだ。スレンダーラインの真っ白なドレスは、細かい刺繍が施されており、シェリルの細くスッとしたスタイルを引き立たせ、オフショルダーで露わになったデコルテから女性らしさが窺える。
胸元から袖口の広い長袖の先まで続くレースによって、あまり露出がないようにデザインされているのは、完全にグレンの意向であろう。周りで見守る男性陣の目から隠したいという意図がありありと見える。
ただ、とうの本人であるシェリルは、ドレスに感激こそすれ、文句など一つもなかった。エレシース達とのお茶会でシェリルが憧れると言っていた事がたくさん取り入れられていて、着る前から泣きそうになった程だ。
「グレン・ユージスト。貴方は、どんな困難があろうとも、シェリルさんを愛し、守り抜くと誓いますか?」
「ああ」
「ああ、じゃないでしょう」
ガゼボの周りで見守っていたエレシースから注意が飛び、グレンは一瞬ピクリと眉を動かす。
「……誓います」
「では、シェリルさん。貴女は、どんなにグレンが研究にのめり込んでも、見捨てないと誓いますか?」
「おい、ジェフ」
「いや、シェリルさんにとっては一番の問題だろう?」
「ーーくふふふ」
小声でやり取りするジェフとグレンの会話に、シェリルは我慢できず笑いをこぼした。
シェリルが何故結婚式をしたかったのか。シェリルの生まれた国において結婚式とは、神に真実の愛を誓う場であり、家族や親族、友人に結婚する事を報告し、祝福される場であった。けれど、それは現在の話。
幼い頃、母ソユンがしてくれた話の中にあったのだ。昔は、愛する人に出会うために産んでくれた両親や今まで見守ってくれた人へ感謝するものだったと。
シェリルは幼いながらに、その考えが素敵だと思った。それは今も変わらない。
この場にいるのは、グレンの家族とミオーネ、ジェフ、ニコラス、ユーリスだけだ。もっとたくさん呼ぶべき人がいるのだろうけど、何よりもお世話になった人達だから。
そして、一番に伝えたい人は空の彼方にいるから。
シェリルは笑いを収め、スッと顔を上げる。
「何があっても、私はグレンのそばにいます。それが私の幸せだから」
シェリルの言葉を聞いた瞬間、その場にいた誰もが微笑みを浮かべた。ジェフと小言を言い合っていたグレンも口を閉じ、熱い視線をシェリルに向ける。
幸せであるーーそれは、シェリルにとって最上級の感謝の言葉だ。
きっとソユンは、魔力がなく、世間から疎まれるだろう娘の将来を心配しながら、魔力の枯渇で亡くなったはずだ。シェリルはいつも面白い話をしては笑っている母しか記憶にないけれど、見えないところでは泣いていたかもしれない。
父、ミハルの泣いた顔もシェリルは見たことがない。ソユンが亡くなった時、真っ直ぐ墓を見つめていたミハルの姿を鮮明に覚えている。母が生きていた時以上に仕事人間になった父。それが寂しいと思う事もあったが、そのおかげで、シェリルは働きに外へ出なくてすんでいたのだ。
そう、いつでもシェリルは守られていた。愛されていた。
そのことを理解できるようになったのは、孤独を知ったからであり、再び愛に触れたからだ。
突然腕が引っ張られ、横へと傾いたシェリルは固くて大きなものに包み込まれた。嗅ぎ慣れた香りを感じ取り、驚きで固まる身体から力が抜けていく。
「グレン?」
返事の代わりなのか、回された腕の締め付けがよりきつくなる。
「帰ろう」
「……え?」
耳に届いた小さく掠れた声に、シェリルは思わず聞き返す。
「シェリルのしたかったことは、もう済んだだろう? 俺も……一応、心の中で感謝はしておいた」
誰になんて聞かなくてもわかる。その少し納得がいっていないような口調から、感謝した相手はエレシースだけではないのだろう。
そう思うと、シェリルの口から再び小さな笑いが漏れた。
「せっかく準備をしてくれたのに?」
「お前が満足したならそれでいい」
「皆さんにも足を運んでもらったのに?」
「……もう一度くらい、心の中で感謝しておく」
シェリルはもう限界なんだろうな、と内心苦笑いをした。もともとグレンは結婚式に乗り気じゃなかったのだ。それでもやってくれたのは、シェリルから結婚式の意味を聞き、やりたいとお願いされたからにすぎない。
チラリとジェフに視線を向ければ、さすがは長年グレンの世話をしてきた人だと言うべきか、シェリルにヘラリと諦めに近い笑みを返した。
だが、一番重要なことがまだである。シェリルはそっとグレンの腕に手を置き、グレンを覗き込むように見上げた。
「ねえ、グレン。私、まだもう一つの魔宝玉をもらってない」
「それなら家でつけてやる。皆の前でベールを取る気はないしな」
「え、ちょ、グレーーきゃ!」
グレンは言うが早いか、シェリルを横抱きすると、ガゼボを出て、屋敷へ続く道を颯爽と歩いていく。
「待って、グレン! 皆さんに挨拶もしてなぁああーー」
シェリルの訴えは使用人に準備させていた魔導四輪に乗せられたせいで、最後まで皆に届かなかった。魔導四輪が準備されていたことからも、式が終わったらすぐに帰るつもりだったのだろう。少しグレンが考えた計画よりも帰宅のタイミングが早かったかもしれないが。
「いや、普通に考えて、グレンが結婚式をしたいっていうシェリルさんの望みを叶えた事自体、驚くべきことだよね」
「そうだな」
「そして、僕らを置いていくあたり、やっぱりグレンはグレンだね」
「……だな」
ジェフとニコラスの表情は、言葉とは裏腹にとても明るい。そんな二人の様子をユーリスは嬉しそうに見つめていた。
和やかな空気を放つ三人の元にメルビスが近寄ってくる。
「主役はいなくなってしまいましたが、ケーキを用意してあるので、よかったら屋敷の中へどうぞ?」
「まぁ! ケーキですか? 嬉しい!」
喜ぶユーリスにメルビスは人の良さそうな優しく甘い笑みを向ける。だが、その表情は続くユーリスの言葉によって崩れ去った。
「メルビス様がご用意を? 兄想いでいらっしゃるのですね」
「あ、いや、これは、母から言われたので……」
耳を真っ赤に染め、ジェフとニコラスを盗み見たメルビスは、向けられている温かい眼差しに顔を歪め、早足で屋敷へと入っていく。
「素直じゃないな」
それは誰の漏らした言葉か。
セバストを挟んで楽しそうに話しているエレシースとミオーネも屋敷へと入っていく。それに続いてジェフ達もご馳走になるため、屋敷へ足を向けた。
こうして感謝を告げる結婚式は幕を閉じる。
ーー人には出会いや別れがある。
それが良い事の時もあれば、悪い事の時もある。
けれど、それらは必ず何かのキッカケになり得る。
自分を変えるキッカケ。
過去を振り返るキッカケ。
周りと向き合うキッカケ。
前を向くキッカケ。
愛を知るキッカケ。
そして、幸せを掴むキッカケなのかもしれない。
「ただいま」
「あっ! とうさま、おかえりさない!」
玄関扉を閉めると同時に胸へと飛び込んでくる黒髪の小さな少年を、父親はなんなく受け止める。キラキラと輝く自分と同じ空色の瞳に、父親は外では見せることのない柔らかな笑みを返した。
「良い子にしてたか?」
「うん! あのね、面白い魔道具のアイデアを思いついたの! 聞いて聞いて!」
「そうか! なら二階の作業部屋にーー」
「二人とも! ご飯を食べてからにしなさい!」
台所の方から聞こえてくる母親の言葉に、少年は口を尖らせ頬を膨らます。母親そっくりな顔立ち故に、その表情一つとっても愛らしく見える。
だが、父親は決して母親の言葉を無碍にはしない。息子を抱えなおし、父親は言い聞かせる。
「ご飯を食べたら、たくさん聞いてやる」
「……じゃあ、ねぇさまや、かあさまよりも先に僕の話を聞いてね!」
父親に似て表情が乏しく、それでいて母親似の優しい心を持った長い銀髪の少女と、歳をとっても尚、活発さの衰えない愛すべき女性を思い浮かべた父親は、そっと息子の頭を撫でた。
「……四人で話そう。かあさまは、昔から面白いアイデアを次々生み出す天才だからな」
「とか言って、とうさまは結局最後はかあさまの話ばかり聞くんだ」
「今日は気をつけるよ」
台所へ顔を出せば、二つの笑顔が迎えてくれる。真っ先に駆け寄ってきたのは、銀色の髪を靡かせ、紫の瞳に期待を滲ませた少女。
「とうさま、おかえりなさい。あのね、後で魔術を見て欲しいの」
「あぁ! 駄目だよ! とうさまと先に話すのは、ねぇさまじゃなくて僕!」
「ほらほら二人とも、ご飯を食べましょう」
背中を押し、子供達をテーブルへと誘導していた母親が振り返る。いつもと変わらない穏やかな微笑みを浮かべる彼女の両耳で、キラリと青い魔宝玉が輝きを放った。
「おかえり、グレン」
「ただいま、シェリル」
グレンはそっとシェリルの額にキスを落とす。シェリルはほんのりと頬を染めながらも、十八年経った今ではキスを返してくれるまでになった。
そして、グレンが関心を抱くものも増えた。それはたった二つだけだが、グレンにとっては大きな変化である。
「とうさま、かあさま。ご飯なんでしょう?」
「ねぇねぇ、僕も運ぶ!」
二人の間に割り込んできた娘と息子を見て、グレンとシェリルは顔を見合わせると、どちらからともなく笑みを深めた。
この話にて『生贄のはずが花嫁になりました。』を完結させていただきます。
投稿から一年と少し……なかなか書けずに、読んでくださる皆様をお待たせしてしまったことも多々ありましたが、最後まで書けたことにホッと胸をなでおろしています。
また、最後までお読みくださった皆様にも、心から感謝しております。
詳しいあとがきは活動報告の方に書かせていただきますので、よろしければ覗きにきてください。
史煌




