守護者と大罪人 後
オークが一歩踏み出した時、グローシェは地を蹴って半ば飛ぶようにして距離を詰めていた。
厚い刃がぶつかり合う重い音が響く。
まったくの無表情でグローシェの攻撃を受けると、オークはそのまま弾いた。弾かれる勢いでわずかに重心が揺れた彼女の首へ斧が迫る。その直前にグローシェは屈みこみ足を払った。
オークは身体をひねって着地地点をずらした。ちょうど倒れていたであろう場所にグローシェの戦斧が突き刺さる。
低い位置からオークは足を蹴り上げ、グローシェの腹に攻撃を叩きこむ。彼女の身体が浮き、後ろにあった岩に背中を打ち付けた。戦斧がからりと足元に転がる。
息つく暇も与えず、オークは斧を投げつける。心臓に迫るそれを寸でのところで受け止めると投げ捨て、こぶしを固めて彼女はオークのもとへと大股で近づいた。
オークもまたこぶしを作り、横なぎにグローシェの顔を殴る。グローシェも脇腹へと鋭く打ち込んだ。
片足を軸にグローシェは身体を回転させてオークの背中に回る。その動作は予想していなかったのか慌てて振り向こうとするが、片目が潰れているため視野が狭い。それが動きを遅らせた。オークの腕を全身込めて叩く。
「っ!」
戦闘が始まってから初めてオークから声らしい声が漏れた。
さらに後ろからオークの首に手を回し、膝で腰を打つ。オークもグローシェの手首をつかむとお辞儀をするように身体を前に倒した。グローシェの身体がオークの頭上を通過し、強かに背中から地面へと激突する。
衝撃で肺の中の空気がすべて吐き出され、グローシェの動きが止まる。オークは彼女にまたがると首を掴み、ぎりぎりと締め上げる。
その様子を見ていたルボは一瞬で狼の姿に変わり、ふたりのもとへ駆けた。
鋭い牙をむき出しに、狙うはオークの首――
だが実際に噛みついたのは近くに落ちていた斧の柄であった。グローシェが握り、ルボとオークのあいだに滑り込ませたそれは、ミシミシと音を立てながらひびが入っていく。丈夫な木を素材に作られ、怪力にも負けないはずのそれが、破壊されていく。
その様子を見たオークはパッとグローシェの首から手を放した。
「うわ……っ、こ――これで終いでええな!?」
「いい! 負けた! アタシの負け!」
それまでの殺気は霧散し、慌てたようにふたりは言葉を交わすとルボに必死に話しかける。
「ルボ! ルボ落ち着け! この勝負、最初からアタシが負けるようになっているんだ!」
「グルル……!」
「ワンちゃん話聞こか!? 演劇知っとりまっか!? 演劇! アレや! 即興劇! 今それをしててちょうど終わったとこなんやけど!」
「グルル……?」
「あっこれ分かってないかも!!」
「だ、駄犬!! えー、あー、『鳴動の名無しさん』!」
ルボの動きが止まった。
するするとヒトに変わっていく。いったい内部はどうなっているのか、骨格そのものが粘土のように変化していく様はなにか悪い夢のようだった。
瞬きをひとつ終えるころには、ヒトの姿のルボが座っていた。斧を口から外しながらきょとんとした顔を作る。
「どういうことすか?」
「……とりあえず『鳴動』は服着てき」
変身時に服がすべて脱げて全裸のルボを前にぐったりとオークは言う。
まだ警戒が解けていないといった目をしながらルボは服を取りに行った。その間にオークはグローシェに向き直る。
「にしても強かったな。死ぬかと思ったわ」
「買いかぶりすぎだ。こちらも、もしあんたが本当に敵だったらと思うと身震いするよ」
「おおきに。同郷なら口説いてたんやけどなぁ……。強くてべっぴんなおんなは好きや」
「熱烈だな。一緒に来るか?」
「行けたら行くわ」
ふたりは声なく笑い合った。
しっかり衣類を身につけたルボが戻ってくると、互いの顔が見やすいように丸く座った。
「俺はコルリル村のデオルド。哨戒をやってるモンや」
「ゴトゴト国のルボっす!」
「グローシェ。……掲示板のハンネを知っているということは――」
「ご明察のとおり、アラクネット掲示板のカスの一部っちゅうわけやな。『崖都の名無しさん』のうちのひとりや」
それを言ったらこの場の全員はカスの一部なのだが。
「じゃあ最初から『放浪』と『鳴動』だって分かっていたのか」
「すごいっすね。特徴だけで分かったっすか?」
「普通にあり得ん組み合わせやろ。異種族と連れ立って歩いとるヤツ、見たことないねん」
デオルドの言うとおりで、異種族同士が共に旅をすることはほぼない。
そもそも、通常であれば同族以外と接触もしない。
下手をすると相手にとって自分が食料であることもありえないからだ。また、国や仲間から外れている――コミュニティに属していない時点で何かしらズレがあるので話が通じない場合も多い。
『鳴動の名無しさん』と『放浪の名無しさん』がペアとなって共に動いていることは安価スレの住民であれば分かることだ。
さらにはルボは例外の存在、混血でもある。
オークと混血のペアなど世界中探してもたった一組しかいないだろう。
「じゃあなんでオレらだって分かってたのにグロっちをボコボコにしてたんすか?」
「そうしないとあかんかったんや」
ルボの責めるような言い方にデオルドは片目を細めて苦笑いした。
「追放された同胞には本来関わってはいかんし、下手な動きするようなら排除しなきゃならん。だけどなあ――罪人でも困っとったなら助けたいと思てまうもんや」
「見捨てられない、でも手出しは出来ない……ってことっすか?」
「そや。やけど罰を受けて生まれ故郷を追い出されとる奴をタダで助けるわけにもいかん」
「最初に口上があっただろう? あれで自分の出自――アタシの場合は大罪人であることを明かす。そして戦って、負ける。上下関係をはっきりさせるんだ」
情をかけるために戦闘フェーズが入るのは、血気盛んなオーク族ゆえだ。
強かろうが弱かろうが力でねじ伏せるのを好む習性がある。ゆえに、エルフ族からは野蛮と言われるのだが。
「本来は意識を落とすまでして、それを負けとするんやで? まあ今回は……俺の命がヤバかったから止めたけど……」
「儀礼的なもの、ってわけっすか?」
「お、正解や。あとは主神に『こんなに弱くてかわいそうな存在助けるしかないですよね』と言い訳するための劇ともいう」
ジンネボーク神がそこまで見ているかはともかく。
「……でもグロっち、最初捕縛とかなんとか言ってたような」
「今回はかなり運が良かったんだ。毎回こうして助けてくれるひとがいるわけではない」
「まー、俺もスレを知らない状態で会っとったら即座に殺したと思うで。脅威は早めに潰さなアカン」
グローシェも肯定した。それが住処を、生活を守る確実な手段だからだ。
さて、とデオルドは立ち上がる。ボロボロの斧を悲しそうな目で見つめた後、親指を立てて後ろを指さした。
「一食一宿の世話ぐらいはしたる。メドゥサの連中の場所までまだかかりよるで、ようけ食ってちゃんと休み」
「世話になる」
「ありがとうございます!」
遠くの方で一羽の鳥が飛んでいたが、この時は誰も気にしていなかった。
遠く離れた距離であるのにはっきり視認できる大きさ――グローシェとルボが、それより前にパメラがその脅威に晒されるのは、数日後のことだ。




