あのー、女の子になっちゃったんですけど……
「ぎゃああああああ!! 女の子になってるううううう!!」
とある朝、叫び声が屋敷に響き渡った。
コリン・キサラギ。17歳の夏の試練である。
□
ロドラ・ツゥールはある日突然、王都孤児院を追い出された。
身に覚えのない、しかも軽微な罪をでっち上げられ反論もままならなかった。
どうやらパメラ・ドゥーに関わりのあった者をイルデット王子が王都から排除しているらしい。とはいえパメラの関係者など片手で足りるぐらいなので意味があるのかは疑問である。
あの修道院院長たちも時間の問題だろう。絶望どころか清々とした顔で役職を降りるのは火を見るより明らかだが。
そんな事情を抱えている彼女を迎え入れたのは、かつてロドラの父がパトロンとして面倒を見ていた商人キサラギ家であった。
商人たちはもともと外の国の出身だ。定住するにあたりロドラの父に世話になりながら、旅の間に培われた鑑定力で質屋を開き、さらには冒険譚を貴族に語ることで財を成した。今は国の地図を作成することでも収入を得ている。
そんな商人の孫であるコリン・キサラギは、客間のソファの端に座りながらうつむいている。
シャンパンピンクの髪は頭の後ろで編み込まれて団子状に結わえてあり、細い首筋には細かい宝石ビーズで編まれたネックレスが下げられている。イヤリングもお揃いだ。
流行遅れではあるが母親のお下がりのふんわりとしたドレスに身を包み、唇には紅が差されていた。
何処からどう見ても線の細い美少女である。
ほんの数十分前まで男だったとは思えない。
「で?」
ロドラは老いているとは思えないすさまじい剣幕で目の前の美女を詰める。
「アコナ・イトム。キサラギ家の末の息子へのこの仕打ちに対し、なにか言い訳は用意しているのでしょうね」
「ポーション研究所の奴らが悪くってえ……」
アコナ――『王都の研究員さん』――は床に直接座りながら説教を受けていた。
はたから見れば継母になじられる薄幸の姫君であるが、実際はやらかした成人男性がもっともな説教をされている最中である。
ロドラの親戚であるスイセン・ダラ・ツゥールはポーション研究所に回収されてしまった。そのためひとりで責務を負うはめとなっている。
まあポー研かロドラの説教、どちらがマシかといえば即答でロドラなので後悔はしていない。得体のしれない液体を飲まされ足の指の間から謎の液体が止まらなくなるよりは全然良い。
「あの組織を呼んでおいて油断しているあなたも悪いのではなくて?」
「本当にそれはそうなんですけどねえ……。まさか知らないひとんちで生け垣になにか散布しようとしたりこっそり異臭を放つ石を置こうとしたりするなんて思わないじゃないですか……」
「通常なら外では大人しくできる組織なのですか?」
「できたら大したものです……」
「つまり危険性は分かっていたと」
「はい……」
一晩好意で泊めてくれた家の息子を「娘」にしてしまった責任もそうだが、アコナはロドラに学費を援助して貰った過去があり頭が上がらなかった。
「あのぅ」
コリンはおずおずと挙手をした。
「この姿、いつになったら解けますか……?」
「縫い目のないシャツを作るほうがまだ早いですよ」
「不可能なんですか!? ……ごほっ」
勢いよくコリンは立ち上がり、しかし咳き込んで再び座った。ロドラは少し冷めた紅茶を彼に手渡す。
本来なら外に出ている年ではあるが、身体が弱いゆえに外出もままならない。
そのため祖父の話をきょうだいの中では一番聞いており、地形を読み取る力もあったので話を頼りに地図をたどるのは得意であった。
「あー……。お詫びとして体調が良くなる薬でも持ってこさせますか? たぶん爪と歯が七色にひかりだすとは思いますが」
「あっ嫌です」
「コリンにこれ以上変なものを入れないでくださる?」
「冗談ですよ冗談。ポー研に助け求めたらその時点で終わりですからねえ。借金とポー研との関わりは本当にやめたほうがいい」
しみじみとした語りであった。
「ま、でもねえ」
貞淑な乙女のように口元を袖で隠し、す、とアコナの目が細められた。
「毒虫駆除には役立ったでしょう?」
「……」
ロドラはしばらく無言のちに、はぁとため息をつく。
「それについては礼を言います」
「ど、どういうことですか?」
「王都の兵が私を見張っていたのですよ」
「え!? まさか、それを追い払うためにアコナさんとスイセン様はこちらへ!?」
アコナはきっぱり否定した。
「あ、それは単にスイセンの暴走です。で、たまたまキサラギ様の御宅が見張られていたのを発見したので、ポー研を呼び出し一掃してもらいました」
「ええー……」
本当にたまたまだった。ロドラがいるのは知っていたが、まさか王都から見張りがいるとは思ってもいなかった。
なので、ポー研に「スイセン回収」という名目で来てもらい、見張りを片付けてもらったのだ。兵たちは這々の体で逃げ出していたが、どう報告をするつもりなのだろう。
生贄にされたスイセンは毎回なんとかポー研から抜けてくるので心配はしていない。
「家が守られて喜べばいいのか、ぼくの身体がこうなって悲しめばいいのか……」
がくりとコリンは肩を落とす。ちなみに彼の母親と祖母はいそいそと次着せるドレスを選んでいるし、兄たちは美少女化した弟を一刻も早く見たいがために仕事に励んでいる。
その横でロドラは何かを考えていたようだが、やがて口を開いた。
「しかし、王都も単なる後先短い私相手に何を警戒しているのやら」
「それこそ王都の弱体化が如実に現れた証拠です。ロドラ様を牢や僻地に追放するのは赤子の手を捻るより簡単なはずなのに、なぜそれができなかったか? はい、コリンさん答えて」
「えっ、ええ!?」
えっとえっととコリンは忙しなく手を動かして考える。
そして彼が今まで聞いてきた旅、読んできた物語、書き込んできたスレから答えを導き出した。
「国にそこまでちからがない……いや、黙らせるちからが、ない?」
「そうですよぉ。あたり」
ふにゃりとアコナは笑う。あまりにも可愛らしい顔なのでコリンはどきりとするが、首を振って冷静になる。
再度言うと、アコナは中身30代中頃の狂った成人男性である。
「こちらのロドラ様は慈善活動にちからを入れていたお方です。特に、色々あった孤児院を立て直した功績がある。そんなひとを牢獄に放り込んだら?」
「孤児院の関係者や……他に孤児院に寄付している貴族から、批判があがる?」
「正解!」
ぱちんとアコナが指を鳴らした。その様子を「下品」と顔をしかめてロドラはつぶやく。
「ではその批判の声も潰そう! もっときつく締め上げるぞ! 治安維持だ! 兵を出そう! ――さあ、人件費はどこから出せるのか?」
「……こういう時のために予算はあるのでは?」
「平時ならね……全然できていたはずですよ。でもほら、国が荒れてきているからその補填のために国庫が削られつつあるんだなあ」
窓の外を見れば、曇天が広がっていた。太陽をしばらく見ていない。
聖女を追い出したツケだ。
全国民がツケを払う羽目になっているが――しかし、返済の見込みはない。
「話は戻りますが、パフォーマンスでロドラ様を孤児院から追い出したはいいものの、その後のコストを考えたらロドラ様を見張るしかできない。これが今の王都です」
「はぁ……」
「私も、さすがにこれ以上キサラギ家へ迷惑をかけるようなら去ります」
「ロ、ロドラ様……」
覚悟の決まったような表情にコリンはオロオロとする。
コリンは知る由もないが、ロドラはかつて社交界の苛烈な華として恐れられていたし、アコナは常識人の皮をかぶれる狂人として研修所内でも要注意人物である。
「正直、今のうち出国したほうがマシな気もしますよ。コリン様、キサラギ家は再び外に出て生きることは可能なのですか?」
「どうでしょう? ぼくはまず身体が弱いですから旅にはとても出られません。他のみんなは……」
コリンは暖炉の上にかかる絵画を見あげた。
男女の肖像画が飾ってある。
「祖父たちが定住を選んだ地を、捨てられるのかどうか」
「コリン様……」
アコナはゆっくりと首を振る。
「その角度、めちゃくちゃ可愛らしすぎるので止めてください」
「何の話です!?」
「外に出るときは本当に気をつけてくださいよ。男女問わず恋愛の沼に叩き込むお顔ということはお忘れなく」
「何の話です!?」
「やはり解毒剤をなんとかして入手します。これはまずい。ユニコーンさえひざまずくレベル」
身体の弱い方を被検体にしてたぞ、と伝えればポー研の比較的心がある研究員たちは動いてくれるかもしれない。
心がない研究員が動き出した場合、全力で止める必要はあるが。
さて、とアコナは立ち上がる。
「そろそろ溜まった書類をまとめなければならないし、お暇します。久しぶりに楽しい夜を過ごせました」
「あ、どうも……。あの、またお会いましょう! 社交儀礼ではなく、本当に!」
「ええ。また」
アコナはにっこりと笑みを作り、部屋を出ていった。
ドアが閉まり、気配がなくなった頃にロドラが呆れたような口調で話す。
「友は選ぶことも大事ですよ」
「それは、はい……」
「それから、昨日スイセンにはぐらかされましたが『ケイジバン』や『オフカイ』とはなんですか?」
「アッ……」
コリン・キサラギ。試練の朝である。




