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とあるワーウルフとヒトの子について(前)

 ひとりのワーウルフが森の中を走っていた。

 まるで風のように軽やかに駆け抜けていき、遅れて眠っていた鳥たちが騒ぎ出す。

 本来、ワーウルフは単独行動をしない。自然の驚異を前に個だけでは立ち向かえないと知っているからだ。だから、そのワーウルフはあらゆる危険を覚悟して動いているということになる。

 白き花宿す木のクク。それが、彼の名前であった。



 彼には兄がいる。元々からだが弱く、上位戦士のククとは違い荷物番しかできなかったが、心優しく常に気づかいに溢れていた彼をククは尊敬していた。

 そんな兄が一年ほど前、群れを抜けてしまった。

 きっかけは近くのヒトの村――といっても向かうまで数日はかかる――で争いが起き、そこから逃げ出したひとびとがこの森までやってきたことだ。数と戦力を遠目に把握するだけの簡単な任務に、兄は参加した。

 そして、戻ってこなかった。他の仲間は無事に帰ってきているというのにどういうことなのかと同じ班員に詰め寄ったところ、言いにくそうに班員は驚愕の事実を伝える。

 曰く、ヒトの女と生きることを決めたのだと――。


 任務班が確認した時、すでに女しか生きていなかったという。他の者はおそらく怪我や病によって倒れ、たったひとりでかろうじて生活をしている状況であった。

 数日もしないうちに魔獣に襲われて死ぬだろう。脅威ではないと判断し戻ろうとしたが、兄だけが班員たちの止める声も聞かずに女と接触した。

 そして長い時間何かを話し合った結果、兄は一度班のもとへ帰り、「ここに残る」と告げたという。「森から出られるぐらいまで準備が整うのを見届けたら、集落に戻る」とも。

 口は上手い兄なのであれやこれや言いくるめられてきてしまったのだろうなとククは想像する。昔から口喧嘩には勝てなかった。


 ――身体の弱いヒトのことであるから環境の変化に耐えきれず衰弱して死に、兄も戻るだろうと思ってはいたが……予想に反して、数カ月戻ってこなかった。

 ククは迷った挙句、兄に会いに行くことにした。

 兄の匂いは途中から消えていたが、ククにだけわかる魔法の糸によってそこまで迷わずにたどり着くことができた。大きな木の洞に彼らは住んでおり、一応の生活は営めている様子だ。


「ルボ兄さん」

「クク。来たんだね」


 兄の横にはヒトの女がいた。怯えるようにしてこちらを伺う彼女へ、兄は優しく「おれの弟だ」と話をしている。

 その間に漂う空気を感じ取り、ククは何とも言えない気持ちになった。

 ワーウルフとヒト。異種族同士。群れには絶対に受け入れられない関係性を目の当たりにしてしまい、わずかに嫌悪感を覚えた。

 もしかしたら最初から兄はヒトの女に惚れ、だから接触をしに行ったのではないかとも邪推してしまう。そこまで掘り下げることはしないが。ククはククの生活があり、巻き込まれるつもりは無かったからだ。


「……ルボ兄さん、群れに戻らないのか」

「ああ。まあ……おれがいなくてもなんとかなっているだろうし。いまさら、ねえ」

「このあたりはゴブリンだっている。ルボ兄さん、分かるだろ。あいつらは……なんだって食うぞ」

「うん。おれらのおじいさんも食べられちゃったのは知っているよ」


 困ったように耳を閉じて兄は笑う。尻尾はだらりと下がっていた。

 いつもそうだ。降参の意思表示はしつつも、自分の意見はけして曲げない。

 言いたいことはたくさんあったが喉から出てこない。詰まる言葉を減らして減らして、ようやく紡ぎ出す。

 

「ワーウルフはワーウルフと、ヒトはヒトと生きるべきだと俺は思う」

「わかっているよ。わかっているけど、彼女と離れて生きる方がおれにはできない」

「つがいに……なったのか」


 兄は何も言わず、ただじっとククを見るだけだった。それが、答えだ。



 兄が出て行って1年ほど経った。ククの生活は兄の不在以外は変わらない。

 この数日森が騒がしい。

 見張り役からの報告によるとゴブリンが共食いの時期に入ったという。ゴブリンは一定数まで数が増えると種族の存続のために共食いをして数を減らし、食物を食いつくさないように調整する。

 とはいえ黙って食われるわけではないので、争いがそこかしこで勃発する。気が非常に立っているので近寄るのも危険だ。平時より危険ではあるが、それ以上に近寄らないようにしなければいけない。

 数年に一度あることだ。集落周りの警備を強化し、外へ出ることは極力避けるように指示をするという流れに沿って動けばある程度は普段通りの生活を送ることができる。


 問題は、そのゴブリンの移動先が兄たちの暮らす場所に近いことだった。

 居ても立っても居られなくなり、ククは装備を持って飛び出した。そこまで兄は強くない。ヒトの女だってそうだ。何とか切り抜けているのならいいが……。

 最後に会ったのが半年前。ほんの一言二言交わしたぐらいで終わっていた。

 もともとそこまで話し込むようなきょうだいではなく、さらに物理的にも距離は広がっていたので実は話すことなど何もない。それでもククは、実の兄のことを心配に思っていた。

 だから、目の前の惨劇を最初信じられなかった。


 大量のゴブリンの死体が転がっていた。

 そして木の洞の前にはちぎれた毛皮と折れた骨が散乱している。

 毛皮は赤く染まっているものの、その模様は見覚えがあった。

 ――兄のものだ。兄は、ゴブリンを相手に応戦をして、しかし数に負けてそのまま食い殺されてしまったのだろう。食べられる箇所はすべて貪られて。


「ルボ兄さん……」


 全身の毛がぶわりと逆立った。

 鼻に熱が集まりひどく熱い。

 ふらふらと木の洞に近寄る。ドアは全開であり、もうその時点でおおよその検討は付いていた。

 中を覗くと、ヒトの女の死体があった。やわらかい箇所は、兄と同じようにしゃぶりつくされている。

 兄が死んだというより、兄が命を賭して戦ったのに守り抜けなかったという事実がククの胸に重くのしかかる。

 兄の責任だ。群れを抜ければいずれこうなると分かっていたはずで。だからククは責められることなど少しもない。

 だが……、だが、こんな死に方を許してよかったのだろうか?


 はっとククは耳を立てる。

 べっとりとヒトの女の血がついた食料箱の中からなにか、音がする。まるで赤ん坊の泣き声のような、そんな音が。

 ゴブリンではない。それに罠を作るような知識もない。

 ではいったい何なのだろうか。ククは警戒しながら箱を開けることにした。

 中には――


「そんな……」


 赤ん坊がいた。生まれてそこまで日もたっていないのか、乳の匂いがする。

 異様な姿だ。

 頭からは獣耳が生えていた。ヒトの耳も耳朶はあるが穴は無い。指は5本。爪は厚く黒い。赤ん坊を包む布を外すと、ヒトの身体に尻尾が生えている。

 忌み子だ。どう抜け道を探したとて、異形には変わりがない。


 ふらふらと赤ん坊を抱いて外に出る。

 ほにゃほにゃと泣いているがなだめ方を知らなかった。泣きたいのはこちらのほうなのに。

 

 群れにこの赤ん坊を連れていけば即座に八つ裂きだろう。

 兄の子が手足をもがれて死ぬさまを黙って見ていられるか? 無理だ。

 ならばこっそりと育てる? 無理だ。

 では、どうする? どうすればいい?

 この問いに正解など存在するのかどうか。そもそもこの子が間違いから生まれた存在なのだ。

 もういっそ、道に捨ててしまおうか。旅人が通ったときに運が良ければ拾ってくれるかもしれない。運が悪ければ――それは、この子の命運だったということだ。


「捨てるんですか? なら、こちらに寄越してもらえませんか?」


 いつの間にか、背後にハイエルフとアラクネアが立っていた。



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