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スライム/お迎え

 真っ白な手術室。

 高い天井と、手術の様子を見るための小窓、目を焼くほど明るいライト。部屋の隅には檻。液体で満たされた容器。血のこびりついた大きなダストボックス。

 クレハはゆっくりとそれらを眺めた後、自分が手術台に腰掛けていることに気づいた。


 何故ここにいるのかは分かっている。キュロヒとかいう陰湿ボケナスハイエルフのせいで記憶が掘り起こされ、魔力が暴走した結果、自分で仮初の空間を作り出してしまったのだろう。

 心はざわついているが先ほどよりはいくらか落ち着いていた。とはいえ嫌な記憶を思い出してしまったのでぐったりと疲れている。

 項垂れて床を眺めていると、視界に誰かの足が入ってくる。


「……スライムちゃん。なんで君がここにいるの?」


 ネクタが立っていた。いつもの、パメラを成長させたような姿だ。

 何かを伝えようと腕をばたばたと動かすがまったく分からない。


「現実では声帯が無いから喋れないもんね……。君はここなら声を出すことができるよ。やってごらん」


 他でもない自分で作りだした箱庭だ。この空間であればネクタが音声で話せるように調節することぐらい造作もない。

 ネクタは大きく頷く。


「あるじに、むかえにいって、とおねがいされましたの」

「うわっ、いきなり喋り出した」


 もう少し短い言葉から始めると思っていた。悩む様子もなく話し始めたところから見ると、どうやら普段から声を出そうとはしていたらしい。

 言語コミュニケーションの中でただひとり非言語コミュニケーションであることに思うところはあったのだろう。

 音声という高速で交わされる情報交換にジェスチャーというのは、どうしても発言がワンテンポ遅れてしまう。チャットも現在パメラとクレハのみのやり取りなので全体との話には向いていない。


「あるじ、むかえ、いけないでしたの。だからわたくしがきましたの。おわかり?」

「ああ、おわかりおわかり。確かにねえ……何が起きるか分からないからスライムちゃんを派遣したのか」


 『強制服従』がどんな介入をするか分からないためパメラ自身が行くことは難しかったのかもしれない。

 不測の事態があればネクタと繋がっているからすぐ察知ができるし、パメラ自身は外側で待機しているので手が打ちやすい。

 加えてこの忠実な魔獣は主人に逆らわずに与えられた仕事をこなすだろう。


「まおうさま、はやくもどりましょう」

「分かったよ。僕だって来たくて来たわけじゃ――」


 視界がブレたかと思うと、次の瞬間には白い手術室は真っ赤に染まっていた。

 足元は肉塊で埋め尽くされ、壁はひび割れやへこみが激しい物音とともに増えていく。悲鳴。懇願。小窓のガラスは割れ、人影がいくつも墜落していく。手術台の上には形容し難いなにかが産声をあげていた。


「……ああ、クソ……。お祭り騒ぎだ……」


 これは彼自身が己に見せている幻影だとしても、都合よく塗り替えられないようだった。むしろ封じていた過去がここぞとばかりに血を噴いている。

 よろめいたクレハをネクタは支えた。グロテスクな光景を前にしてもネクタは変わらず、ただきょとんとあたりを眺めていた。


「これ、どうしたんですの? たくさんよごれましたわね」

「……」

「まおうさま?」


 クレハが見つめる先、ダストボックスから誰かが這い出てきた。

 赤く汚れた金色の髪、長い耳は三角の切れ込みがあり、全裸の身体にはびっしりと幾何学の入れ墨が彫られている。キュロヒとは違うハイエルフだ。

 左腕が、ない。


「どなた?」

「……昔の知り合いだ。ずっと前の」


 半透明の身体を引きずりゆらゆらと近寄ってくるハイエルフを、クレハは吐き気を抑えながら凝視する。

 穴だらけの記憶からわずかながら彼女に関することを引き出した。

 かつて、自分と同じ被検体で、番号が近いからかよく近くにいた。世話を焼いてくれたような気もするし、言葉を多く交わしたような気がしたし、様々な表情を見たような気もする。

 ある時、彼女の姉あるいは兄とともに実験室に連れて行かれ――二度と戻らなかった。

 気づいたときにはクレハの腕は切り取られ、代わりに彼女の腕がついていた。彼女の姉あるいは兄の足はクレハにくっつかなかったので廃棄された。


「ネリネフィロディリ……」


 呟きながら左腕をさする。


「おともだち?」

「近いかな」

「いきていますの?」

「死んでいるよ」

「じゃあ、ばいばいしませんと」


 とても真面目な顔でネクタはハイエルフの残影へ手を振る。

 ぽかんとするクレハにネクタは少しだけ得意げな様子になる。


「しりませんの? だれかとおわかれをするときは、ばいばいをするですの」

「……」


 パメラに教わったのだろう。

 旅の間に行き倒れの死体を見つけることもあっただろうし、その度に彼女は祈りを捧げていたはずだ。その行為の意味をネクタに問われ、『お別れをしている』とでも説明をしたか。


「まおうさまは、ちゃんとばいばいしてなかったんですのね。だめだめですの」

「……そうかな」


 ネクタは何も分かっていない。

 ここがクレハの心が作り出した部屋であること。その部屋が血にまみれていること。『知り合い』がひどい状態で現れている理由。

 『ばいばい』で済むならこんなに苦しんでいない。

 だがネクタの言葉は妙に素直にクレハの中に入っていった。


「じゃあ、しなきゃね」


 ――あの地から引っ張りだされ、封印もされた今、過去にある程度の別れを告げてもいいのかもしれない。

 だからクレハは、目の前まで迫っていたハイエルフの幻影に戸惑いながらも小さく手を振った。


「……ばいばい、ネフィー。僕の好きだったひと」


 左腕のないハイエルフは動きを止める。

 そうして少しさみしそうに笑い、崩れた。



「……あれ……?」


 自分が横たわっていること、やけに弾力のある寝心地の悪いなにかが頭の下にあることにクレハは気づく。

 ゆっくり目を開くとパメラが覆いかぶさるようにしてクレハを見下ろしていた。


「おかえりなさい」

「……ただいま。どのくらい寝てた?」

「数分です。ソファに寝かせてすぐですね」


 場所は変わらず応接室だ。

 頭を動かすと対面のソファにキュロヒとディアラが並んで座っている。


「久しぶりだね。『紡ぎ出す』ハイエルフ、ツワブキュロフィンデ」


 キュロヒは不快そうに眉をあげた。


「へぇ、思い出せたんですね。まあ、あなたみたいなひとにはショック療法って合理的なんですよね」

「なにが合理的なんだか……。さっきの姿、あいつそっくりだったよ。恋でもしてたの?」

「いや、普通に考えてバカなんじゃないですか? 脱走のためにあのツラが必要と思って習得したら忘れられなくなっちゃったんですよ。だからお裾分けしました」

「最悪」


 先ほどよりは軽い雰囲気で言葉を交わすふたりを交互に見てパメラは首を傾げた。


「おふたりは知り合いだったのですか?」

「知り合いというか、昔々の《《被検体仲間》》」

「仲間かどうかって、定義の問題じゃないですか? まあそういう括りなら、そうなんじゃないですかね」

「どういう……?」


 パメラの様子をうかがうような問いに、つまらなさそうに足を組みながらキュロヒは答えた。


「ざっくり言うと、トードリナとかいうポンコツ女神が仕切ってた国に、技術提供ってかたちでワタシたちは利用されてたんですよ」

「で、結果的に全部吹き飛ばしたのが僕」

「本当にざっくりすぎますが……。なぜそんなことに? おふたりとも、実験に参加したくてしたわけではないのでしょう?」

「当たり前だろ」

「当たり前なんですよね」


 ほぼ同時に、クレハとキュロヒは強い口調で否定した。


「僕はトードリナそのものに攫われた。なんでだったかは覚えてないけど、いつかは元の世界に帰すなんて嘘はつかれていたな」

「ハイエルフの安寧のためにポンコツと取引をして、結果ワタシたちは差し出されたんです。本当に安寧の生活を与えられたかは知りません。もう関係ないんで」


 封印されるまではトードリナはずいぶん自由に振る舞っていた。

 様々な神がいるが、どれも自分の民と土地を守ることに重きをおいており場を離れるような柱はいないことからかなり異質な神とも言える。

 創世神、と名乗るだけはある。


「……うーん、お話が弾んでいて良いのですが……」


 ディアラはそっと話に入ってきた。


「真面目な話になる前に、膝枕はやめたほうが……」

「膝枕?」


 だるさを感じながらもクレハは身体を起こし、頭を置いていた場所を見る。

 パメラの太ももだった。


「嘘でしょ!?」

「まさかそのまま喋りだすとは思わなくて。いつ切り出すか悩んでいました」

「言ってよ!!」

「支障がないならまあいいかなって……」

「よくないよくない! この絵面事故すぎる!」


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