ハイエルフ/掲示板管理人
応接室は黒いテーブルと茶色いソファだけという、非常にシンプルな空間だった。
窓はあるもののすりガラスで景色はぼんやりとしか見えない。
そして――この部屋そのものに強い防御魔法がかけられていた。パメラが一瞬足を止めかけたぐらいには魔力の圧を感じる。
頬杖をついて窓を眺めていた人物は、パメラ達が入室するとそちらへ視線を移した。
一見すれば、非常に美しい青年だ。
大きな金色の瞳に絹糸のような金髪。ぽってりとした唇。長い耳には三角に切り込みが入れられている。頬から下は黒黒とした幾何学の入れ墨が皮膚を覆っていた。
白いブラウスに黒スラックスとフォーマルな服装が青年の顔を際立たせている。
「初めまして。海向こうにありますパレミアム王国から来ました、パメラ・ドゥーと申します。こちらはクレハです」
「……」
クレハは殺風景な部屋の片隅を見ており、まるで部外者と言わんばかりの態度だった。
パメラが肘で小突いても反応しない。
「分かっていると思いますけど、ワタシがキュロヒってやつです。フルネームは別にいいですよね?」
青年はそう言いながら腕を伸ばす。ディアナがそばへ行き、その手を取って立ち上がらせた。
「ずいぶんお仕事が忙しかったみたいだね。それとも僕らの素性を探るための時間稼ぎでもしていたのかな?」
「あ、それ分かってたんですね? じゃあ話は早いですね」
「少しは悪びれるぐらいしたら? バレてるってことなんだからさ」
「悪びれるという点においてはあなたもそうなんじゃないかと思いますけどね」
ふたりの会話にパメラは眉を顰め、口を挟もうとする。だがディアラが人差し指を口に当て「静かに」とジェスチャーを取ったため開きかけた唇を閉じた。
「掲示板を落としたことについて反省しろって? 反省はしているよ、まさかあんな負荷で何日も復旧作業させてしまうことになるとは思わなかったからね」
「だから我々はさらに強化をしましたし、あなたがアクセスできないように手を打ちました。不測の事態に迅速に手を打つというのもまた技術なんですよね」
「ふーん。なるほどね、お勉強になってよかったじゃないか。今回のケースが次に生かされることを願うばかりだよ」
赤と黒の瞳を細めながらクレハはせせら笑う。
対するキュロヒは表情はおろか感情すらも揺らいでいないようだった。感情が無いのではなく、動いていない。隣にいるディアラもただ微笑んで事の成り行きを見守っている。
明確に焦りが出ているのはパメラだけだ。あまりよくない流れであることは理解しているものの、最適解が思い浮かばない。ゆえに沈黙を守るしかない状況だ。
「おかしいな、あなたってもうちょっと素直なひとだったと思うんですけどね? なんか変わっちゃいました? まああの環境ならおかしくなっても不思議ではないですし、あなたもたびたび記憶に穴が開いていたからそういうものですか」
「……おかしいな、僕は君に会った覚えはないよ。特に姿かたちを幻影魔法でごまかしているような陰気なひとは知り合いにいなかったと思うな」
「幻影魔法?」
パメラのひとりごとにクレハは頷いた。
「気づかなかった? ――といってもこの防御魔法が強すぎて分かりにくいか。そこのエルフ、いやハイエルフか。性別を偽っているんだよ」
「え」
パメラがキュロヒを改めて見ると――そこに青年は居なくなっており、代わりに女が立っていた。
先ほどよりもさらに美しい姿であった。髪や瞳の色、顔のパーツ、服装などに変化はないものの全体的に先ほどよりも若く見える。
ただ、異様なのが右足だ。左足と違って靴は履いておらず、代わりに節足動物の足のようなものがスラックスの裾から覗いている。
「ハイエルフに性別はないですけどね。見た目が女性寄りか男性寄りかぐらいでしかありません」
「ごたごた言ってるけどそれが君の素の姿なんでしょ。そのままだと深窓の令嬢って感じで頼りないから男の恰好をしているの?」
「減らず口ばっかりですね。まあここは一度、共通の思い出の姿にでもなってあげましょうか? そのほうがきっと話も弾むだろうし」
「だから、僕は君のことを知らな――」
クレハは言葉を止めた。
視線の先には壮年の男が立っている。中肉中背で、白髪交じりの髪を後ろに撫でつけており、白衣を雑に羽織っている。とくに特徴もない、外見だけ挙げればどこにでもいるような人物だ。
「あ……せんせい……?」
舌ったらずにクレハは口の中でつぶやく。
その姿は詰襟を着た10代後半のものから、パメラ達の前に現れた時と同じあの痩せぎすの身体へと変わっていた。
封印の際にいかなる理由かで外見が変わっていたが――それが今、元に戻ってしまっている。端的に言えば、封印が破られかけている状態だ。
「っ……! クレハさん……!?」
パメラは己から這い出そうとするクレハのちからを必死に静める。同時に『強制服従』が動きだし彼女の魔力を抑えようとする。即座に再生されるものの負荷はごまかせず、鼻血が垂れた。
「ああ、コレは覚えているんですね」
ゆっくりとキュロヒが近寄るとそのぶんクレハは後ずさる。
壁に背があたるとクレハは絶望した顔でそのままずるずると座り込み、頭を抱えてうずくまった。
「せ、せんせい、やだ、もう実験したくない……スーを返して……注射しないで、痛いのはいやだ……切らないで、ねえお願い……」
「あいつらはお願いなんて聞かなかったでしょう。ワタシたちは実験動物なんだから」
「ごめんなさいごめんなさい、せんせい……いい子にするから、もうやめて、かえして、帰して……」
「いい子にした結果がこれですね。帰れないばかりか被検体仲間の身体をつぎはぎで付けられる羽目になって、災難じゃないですか?」
嗚咽を漏らすクレハにキュロヒは淡々と返す。いや、返答というよりは感想だろう。ふたりは一方的に話をしている。
怯えるように身を縮める様を見て、とっさに彼に触れようとしたパメラの手がねじ曲がり、骨の砕ける音が響いた。
その様子を冷ややかに見ながらキュロヒは言う。
「触らないほうがいい。今、彼は暴走寸前ですからね」
「誰のせいでこうなっていると!?」
「誰って、あなたしかいなくないですか」
「は? ……は!?」
予想もしなかった言葉だった。
どう見てもキュロヒから起きた出来事だというのに、当のキュロヒはまるで部外者と言わんばかりだ。
「いや、解けるような封印をしてるのが悪くないですか?」
「それは……そうなんですが……今それを言うのですか!?」
「むしろ今だから言うんだと思いません? ディディ、ちょっとだけいいかな」
「ええ」
ディアラが穏やかに返事をすると七本の足をまるで踊るように動かす。そこを中心に蜘蛛の巣のかたちをした魔法陣が広がっていった。
部屋を浸食しつつあったクレハの魔力が動きを止める。指を広げて何かを操るように動かしながらディアラは「あらあ……」とつぶやいた。
「魔法陣、壊れかけていますわね……」
「えっ……。直します!」
可視化した魔法陣は確かにあちこちひび割れていた。
こうしている間にもクレハの言葉とともに崩壊していく。
自分の吐く血に溺れそうになりながらパメラは魔法陣を展開しようとする。その隣に、元の姿に戻ったキュロヒが立った。
「ちょうどいい。『紡ぎ出す』ハイエルフからアドバイスをしますから、ありがたく聞いて下さい」
「……」
「あなたの魔法陣は完璧だが、遊びがない。たわみや余白を作るように意識をしてください」
くるりとキュロヒは宙に円を描く。一見するときれいな丸だが、わずかに縦に長い。
「それに、今のように急がなくてはいけないときは円だけでいい――今どきのひとたちはなーんか切羽詰まっても細かく書こうとしたがるんですよね」
パメラは口から血を流しながらも真似をして円を描いた。
それはキュロヒのものと重なり、クレハに向けて展開する。
たかが一本の線だがその分魔力の流れが早いため急速に封印の修復がなされていく。
魔力の暴走が徐々に落ち着き、気づけばクレハは詰襟姿へと戻っていた。なおも何事かを呟いているが魔力はもう周囲に溢れていない。
パメラはその場に倒れ込む。
床に這いつくばりながら荒い息を繰り返した。
「……謝罪させるにしては手荒では……?」
「え? 違いますよ? 謝罪は謝罪でしてもらいますが?」
悪態をつこうとしたが、血しか出て来なかった。




