勇者亡き世で魔王退治を! 2
パメラの反応に、魔獣は笑ったようだった。
顔に近い部分の足がさざめいて動く。床と擦れ、ちゃかちゃかと音が鳴った。
ネクタがパメラを庇うように前に出る。グローシェは姿勢を低くして戦斧を構え、ティトも短刀を抜いた。
『そんなに警戒しないでよ。それとも、"魔王"が思ったより不気味でびっくりした?』
少し魔獣が動くたびに、自重に耐えきれず足が折れていく。乳歯のように抜けてまた新しい足が生えてきた。しかしまた、折れる。
重心をずらすだけでこれなのだからパメラたちのそばに近寄ることもできないだろう。
だが油断する材料にはならない。腹を穿たれた死体や、身体の一部が吹き飛ばされた死体を見てきたからだ。動けなくとも攻撃の方法はいくらでもある。
「あなたが、魔王なのですか」
パメラは問いかける。
高低差から声が届かないように思えたが、魔獣には問題なく聞こえたようだ。
『うーん……。そうとも言えるかな。今、君たちの前にいるのは厳密には僕ではない。これは接待用の身体なんだ』
「はは、ずいぶん独特な礼服ですねぇ。ご自分で誂えたんですか?」
冷や汗を流しながらもティトは強気に聞く。会話の主導権を渡せばろくなことにならないと直感していた。
魔獣は心境を知ってか知らずか朗らかに答える。
『誂えたといえばそうだね。これ、僕に挑んで死んでいったひとたちの成れの果て』
「うわ……」
『資源は有効活用しないといけないから。近頃はそれもめんどくさくなったから外に逃がしているけど』
「え、逃がすって言ってもみんな死んでましたよ?」
『うん。別に、生かす義理もないし。死体の片付けの手間を省いてるだけ。そういうものでしょ?』
「……」
『なんだっけ……そう、再生利用とか殺鼠剤と同じだよ。ちょっと規模が大きいだけ』
言葉にこそしないが、一行は薄々分かりかけていた。
魔王と対話は不可能であることを。
同じ言語で話ができる。それだけだ。
期待していたわけではない。楽観していたわけでもない。
ここが彼の根城であるとするならば、今、どこを見渡しても出口が見つからないこの空間はそのまま魔王の意思ということだ。
つまり帰す気がないのだろう。
あらゆる希望を剥ぎ取られていく圧迫感がじわじわと思考の中に侵食していく気がしてティトは小さく頭を振った。グローシェも先ほどから細く長い深呼吸を続けている。
異常な存在を前に自分を保たなければすぐに飲み込まれてしまうだろう。
「……では、私からいくつか」
『いいよ。聞こう』
「ひとつめ。アラクネットとチャットを停止させたのはあなたですか?」
『そうだよ。チャットは管理者権限で停止、アラクネットは過剰負荷をかけてエラーを起こさせた』
「ふたつめ。なぜ私たちを迎え入れるのに時間がかかったのか」
『あー、それは本当にごめんね。困らせる意図は全くなくて、僕の心の整理がつかなかっただけ』
心なんてあるのか。さすがに声に出すことはせず、ティトは胸の中でつぶやいた。
そっと横のグローシェを見ると彼女は魔獣より上――天井を眺めている。ひび割れているだけで崩れてはいない天井があり、そこまでツタは這っていた。
何か気になるところがあるのかとティトは聞こうとしたが、パメラが言葉を発する前に息を吸ったので意識を魔獣に戻す。
「みっつめ。あなたの願いはなんですか?」
『……あのねぇ』
魔獣は呆れたようだった。
目の前の『接待用』の身体に肺があればため息ぐらいはついたかもしれない。
『直球すぎるよ、君は。もう少し迂回しつつ自分の知りたい答えを探るとかはしないの?』
「私はそのような駆け引きはできませんし、どういう質問してもあなたはすぐに察してしまうのではないですか? ならば、最初から簡潔に聞いたほうがいいと互いのためにも良いと判断しました」
『ああ、そう……まあ君がそれでいいって言うならいいか』
魔獣は頭をわずかに動かし、パメラと真っ向から顔を合わせた。
『僕は元々この世界の住人ではない。暴虐で忌々しき神、トードリナによって別の世界から連れてこられた者のうちひとりだ』
「異邦人……」
『そう。でも、僕自身記憶の欠損があるからこれ以上は語れないよ。おそらく君たちの間で伝わっている伝承を煮詰めたものが一番真実に近いだろうけど――別に、本当のことを知ったからといって何が変わるわけでもない』
「――」
『僕の願いはね、帰りたいんだ』
切実な響きだった。
『でもさ……ちからが足りなかった。僕の魔術回路では足りない。トードリナぐらいのちからが無ければ、他の世界へ干渉すらできない。あいつは腹だたしいことに隠れてしまったから、代わりに他の神々からちからを奪った』
「結果は――」
『この通り。上手くいかなかった』
「何故?」
『簡単に言えば、ちからの保有量が異なっていた』
今でこそ封印されているが、トードリナは創生神と言われるだけの力量はあったということだ。
魔獣の言うとおり、世界を統括する存在と、種族を統括する存在では力量が大幅に違った。大きさの違うグラスに入る液体の量は違う。溺れるほどの量の入ったグラスだったか、かろうじて喉を潤せる量のグラスだったかだ。
世界を移動するには、足りなさすぎる。
『で、勇者と最初の聖女にそれはもうボッコボコにされて……諦めたつもりだったんだよねえ。大人しくここで封印されて、いつか来る終わりまで待とうと思っていた』
魔獣の節々からなにかちらつくものが見え、グローシェは息をのむ。
その手はわずかに震えたが、ごまかすように戦斧を強く握りしめた。
「おい、ティト」
一方のティトも短刀に強化の魔術をかけながら吐き捨てる。
ネクタも威嚇するように身体の表面を波立たせた。
「見えてます、見えちゃいましたよ……」
触手だ。
それも一本や二本ではない。数えきれないぐらいの量が、うごめいている。
触手は特定の場所から動かないタイプの魔獣であり、数が多ければ獲物に絡みついて骨を砕いたり四肢を千切るなど朝飯前だ。
こんな光景を森で見かけたならば即座に全力で逃げただろう。
「諦めたつもりだった?」
パメラがおうむ返しに聞くと、魔獣は足の一本を持ち上げてパメラの胸を差す。
『君の持つ『女神の輝石』は素晴らしいものだよ。分かるだろう? 代わりに聖女ちゃんの身体は劣化していくばかりだけど』
「……。『女神の輝石』が、あなたを元の世界に帰すためのちからと成り得る、と?」
『あ、誤解しないで。最初から奪うつもりだったわけじゃないよ。なんか散々な目に遭ってるから手助けぐらいはしないとなって気持ちだった』
持ち上げていた魔獣の足が落ちる。瞬く間に灰となって消えた。
『でも君が思っていた以上の代物だったからさぁ……。あのドアの回廊で時間稼ぎして、どうしようか悩んでいた。でも、決めた。だから君たちはここにいる』
諦めたつもりだった。
――つまり、諦めていない。
最初から奪うつもりではなかった。
――つまり、今は奪うつもりだ。
だから君たちはここにいる。
――なんのために? 決まっている。
『欲しいな、聖女ちゃんの『女神の輝石』』
心臓を取り出され、代わりに埋め込まれた『女神の輝石』。
それを取られてしまえば生命活動は維持できない。
「……お渡しするわけにはいきませんねえ。パメラ様の命をくれってことでしょう?」
黙ったパメラの前に出ながらティトは言う。緊張で声帯が狭まっているのを無理やり動かしたために声は掠れていた。
魔獣への牽制もそうだが、度が過ぎたお人好しの少女に先手を打つつもりもあった。下手をすれば自分の命で足りるなら、と差し出す可能性も十分にある。
『そうだよ。――ああ、確かに聖女ちゃんがいなくなったら君たちの旅の意義がなくなるね。じゃあ先に退場しとく?』
魔獣の言葉が終わらないうちに、しゅっと触手が伸びてきた。
早いスピードではあるが対応できない速さではない。グローシェは弾き返し、ティトは叩き切った。感触も思ったより柔らかく刃で楽に切り落とせる。
なんとか戦えそうだと、思った矢先。
グローシェの足元から触手が床を突き破って現れた。反応する間もなくグローシェの足元に巻き付くと勢いよく彼女を壁に投げつけた。壁はへこみ、瓦礫が崩れる。
ほんの僅か、グローシェに意識を取られていたティトも別の方向から伸びてきた触手に殴られて同じように壁に激突する。
ネクタは触手に串刺しにされ、なにかを注入されるとヒトの形はおろか球体にもなれずべチャリと床に広がり動かなくなった。
――瞬きをする間もなく、3人がやられた。
『あ、やりすぎた……。ごめんね、もうちょっと綺麗な姿で死なせてあげたかったんだけど……』
「……」
『まあ、痛みは感じなかったんじゃないかな?』
魔獣の言葉は聞こえていないかのように無視してパメラは屈んでネクタに触れ、振り向いてふたりが飛んだ先の壁を見やる。
ゆっくりと立ち上がり、魔獣を見た。
表情は変わらない。いつもように喜怒哀楽の抜けた、空のものだ。
だが目の奥には――明確に、強い感情の炎が揺らめいていた。
「一発殴らせろ、魔王」
『いいよ。一発殴れるならね、聖女ちゃん』




