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小さなメイドと女子院長

 はるか昔。

 魔王を封印し王都に戻ってきた勇者は、聖女とともに当時この世界にはなかった知識を使って疲弊し朽ちかけた国を再興させた。

 そのうちのひとつが孤児の救済だ。

 魔獣や戦によって住む場所を無くした子どもたちのために孤児院を作らせ、少なくとも路上で凍え死ぬことや悪意に晒され続けることはないように計らった。

 加えて、もうひとつ。

 勇者は家族を持たぬ孤児たちへ名と、勇者の姓の一部を与えた。ちからもなにも持たない小さな行いであり、その行為に異議を申し立てる貴族も少なからずいた。それでも彼は辞めなかった。

 彼亡きあと、王族が孤児に直接名づけることはなかったが――勇者の姓を孤児に与えることは名残として続いている。

 その姓は、ドゥーという。

 


 女子修道院――の外門。

 城に勤めるスカラリィメイド、レッカミア・ルーチはメイド長の「おつかい」のためにここまで来たものの、入る勇気が一向に湧かなかった。

 そもそも中へ入っていいものなのか。憲兵に捕まったらどうすればいいのか。いっそ帰っていいだろうか。しかし真剣な顔でお願いされたのだから果たさなければならないという責任感もある。あと怒ると怖い。そんなことがぐるぐると頭を巡り、泣きだしそうになる。


「……そこで何をしているのですか?」


 突然背中から声をかけられてレッカミアは硬直する。


「お困りごとですか?」

「あ、あのっ! わたし、レッカミア・ルーチと申します!」


 思い切って振り返ると、そこには修道院服にかっちりと身を包んだ女性が立っていた。誰なのかは分からない。ただ、直感的に同胞だと気づいた。


「ルーチさんですね。どうなさいました?」

「会いたい人がいて、いまして……」

「なるほど。その方の名は何と?」

「ラマリス・ドゥーという方です」

「……」


 女性は瞬きしてレッカミアをじっと見つめた。


「どのような用件ですか?」

「ロエという者から伝言を預かっております。内容は、その、ラマリス様にしか言えません」

「そうですか――。中にご案内いたしましょう、ここで立ち話する内容でもなさそうですから」



 通されたのは修道院院長の部屋だった。

 ソファに座って待つように言われ、そわそわとしながら辺りを見回す。

 年季の入った机や本棚など最低限の家具だけがある。大量の本や書類があちこちに積み重なっており今にも崩れそうでレッカミアは内心はらはらする。


「お待たせしました」


 シスターベールを脱いで女性は戻ってきた。

 手にはお茶と菓子を乗せた盆を持っている。テーブルを挟んで座り、お茶を差し出す。


「ハーブティと、あまりの忙しさに修道女がキレて期限前の材料で作ったクッキーです。どうぞ」

「あ、いただきます……」


 意外と愉快な人なのだろうか。目は死んでいるが。

 ハーブティを口に含むと少しの苦みと華やかな香りが鼻を抜けていく。昔居た教会で作っていたハーブティを思い出す。

 クッキーも木の実の感触と、しっかりした甘味があり美味しかった。修道院のものは主に貴族層に向けて作られる。めったに口にすることができない贅沢品に、ここに来た目的を一瞬忘れて食べる。――その様子を女性が見ていて、わずかに微笑んだことをレッカミアは知らない。


 クッキー3枚とハーブティ半分を飲んでもなお、ラマリス・ドゥーは来なかった。

 目の前にいる女性は窓から差し込む陽光を眺めている。

 やることも無くなり沈黙が気まずくなってきたのでレッカミアは意を決して話しかける。

 

「あの……」

「はい。まだありますよ、クッキー」

「そんなには大丈夫です……。その、あなたは……『ドゥー』ですよね?」

「ええ。ルーチさんも本当は『ドゥー』ですね?」

「はい」


 感情は読み取れないが少なくとも怒ってはいないようで、レッカミアはほっとする。

 魔力がある無しに関わらず、ドゥーと名付けられた者たちはなぜか互いを同胞だと察する事ができる。 

 古の――勇者の祝福なのではと言われており、研究者たちは興味を持つものの成果を出したところで実にならないので理由は不明なままだ。

 

「もしかしてなんですけど、ラマリス・ドゥー様は、」

「私です」

「……ですよね」


 抑揚なく彼女は話す。


「後出しで名乗ると面白いかなと思ってたまにやっています」

「面白いのですか……?」

「いえ、特に」


 終始真顔だった。もしかしたら表情というものを知らないのかもしれない。

 なんなんだこの人とレッカミアは困惑するが、同時にあの厳格なメイド長が振り回され気味だったらしいことも頷ける。


「それで、ロエリアからどのようなお話が?」

「あ、はい……」


 話を突然戻してきたので驚きながらも、何度も復唱して覚えた文を一息に言う。


「『古き神の器にされたくないのなら、今すぐ逃げろ』って」


 意味は分からない。

 古き神とは誰か、器とはどういったものか、レッカミアは把握していない。

 それでもメイド長がわざわざレッカミアを派遣したぐらいだ。重要なことなのだろうと思っている。


「それ以外には?」

「これだけです」

「なるほど……。古き神に、器――ろくでもない話でも聞きましたかね。それで、『逃げろ』。『逃げろ』ですか」


 ふふ、とラマリスは笑う。

 苦笑いというよりは皮肉を含んだ、疲れたような笑い方だった。


「寄辺のないドゥーはどこに逃げたら良いのやら……」


 胸のうちにしまい込んでいた思いがつい溢れたような、そんなつぶやきだった。

 レッカミアは何も言えずにラマリスを見る。

 王都のドゥーは、地方のドゥーよりも酷い扱われ方だという。だからレッカミアに広い世界と教養を学ばせるために送り出した教会の人々は彼女に偽の姓をつけたのだ。

 聖女候補であったパメラ・ドゥーも、院長のラマリス・ドゥーも、見せないだけで陰では苦労をしているのだろうか――と、レッカミアは思う。

 

「さて、あなたももう戻ったほうがいいでしょう。今日会ったことはロエリア以外には内緒ですよ」

「は、はい」

「私になにかあったとき、ロエリアもそうですがレッカミアさんまで引っ立てられるのは忍びないですから」

「……?」


 言葉に引っかかりを覚えるも、うまく消化ができない。

 ラマリスは立ち上がり、慌ててレッカミアも立つ。院長がどんな仕事をするかは不明だが忙しいようであるし、なにより突然の来訪だ。長居するべきではない。


「ロエリアには、確かに伝言を預かったとお伝え下さい。気を付けてお帰りくださいね」

「ラマリス様」

「はい」

「わたし、同胞(ドゥー)なので! 何かあったときは助けにいきます!」


 ラマリスは目を丸くした。

 その様子にレッカミアは慌てる。


「あ、ごめんなさい……わたしがラマリス様にできるの、そんなにないかも……」

「いいえ。嬉しいです、本当に」


 ラマリスはレッカミアの頭を撫でる。

 壊れものを扱うような、慣れていないのかぎこちない動きだった。


「私もあの子にそう言ってあげられたらよかった」



 その会話から、数ヶ月後。

 ソボ祭祀大臣死亡事件が発生し――犯人としてハンデル・ドゥーとラマリス・ドゥーが逮捕される。

 国家反逆の罪を犯したパメラ・ドゥーの専任の教師であったこともあり、ハンデルは極刑、ラマリスには幽閉刑の判決が下される。


 レッカミア・ルーチ、あるいはレッカミア・ドゥーが同胞のために動くのはこれより後のことである。


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