その30 狙撃手と剣姫20
十年以上昔の話だった。
当時ハオルチア大陸の西側で強力な影響力を持っていた国は三つだ。
魔力に満ち、強力な魔術師が住む魔法国家『フォーカリア』。
人と精霊が結託し、互いに助け合って生活を営む精霊国家『エレメンタリア』。
そして、
大陸警察と張り合えるほどの軍事力、武力を持つ帝政国家『ジェイド』。通称『ジェイド帝国』。
三者は互いに牽制し合っていた。侵略が侵略たらしめなかったのは、微妙な力関係の均衡が取れていたからであろう。
代わりに、水面下では様々な小競り合いとでもいうべきものが起こっている。その一つが『奴隷』の売り買いだ。
帝国は闇ギルドの温床とも言われている。国の暗部の大部分を担う彼、彼女らは、独裁制というもっとも活動のしやすい政治形態のジェイド帝国を根城にしていた。
いくつもの大きなギルドの本部が大陸警察の監視の目を逃れ、帝国には点在している。奴隷の売買は、ギルドからギルドへ金を回し、やがてその経済は『国家のもの』となった。
「(……走馬灯、でしょうかね。まだ死ぬつもりはないんですが)」
暴力的な火炎波が襲いくる。何事かを叫ぶサラであったが、轟音と光のせいで全く聞き取ることができない。
アイリスは体をさばいた。自分の真横に歩法『神速』で移動する。紅蓮の炎が先ほどまで立っていた地面を黒く焦がし、壁を轟々と燃やした。
距離を潰すため、再び『神速』で前方に走り出す。形を持たない精霊……サラマンドラは手に負えないが、その術者なら攻撃可能である。
ところが、そんなこと相手もまた分かりきっているのであろう。サラは剣をひょいと振りサラマンドラに指示を飛ばした。直後、大口を開けた炎の牙が真横から襲いくる。
「!?」
避ける暇もなく、高温のそれが自分の脇腹を貫いた。
***
その『奴隷』が帝国の闇ギルドに売られてきたのは、寒波が周囲を支配する冬のことだった。
元はフォーカリアのある魔術師が引き連れてきたという。有名で、強大な力を持つ魔術師だった。得てしてフォーカリアの魔法使いは超強力であるが、
その中でも件の術師は『元老院』という機関に所属した『賢者』と呼ばれる上位の魔法使いだ。
ブローカーが奴隷の出自を聞いた時、その魔法使いはニコリともせずにこう答えたという。
「こいつは小国の姫だ。高く買ってくれよ」
『賢者』と呼ばれるその魔法使いが一国をたった一人で滅ぼし、その王族を拉致したことはついぞ明るみにならなかった。なぜか? 国の関係者が全員死亡しているからである。
代わりに唯一の生き残り────齢十と少々の娘は、王族の最後の生き残りとして生きながらにして地獄を味わうこととなった。
その奴隷は容姿に恵まれていた。
カールした金髪、すっと通った鼻筋、燃えるような真紅の瞳。
元来人が努力で決して得ることのできない貴品や気高さを生まれながらに併せ持ち、誰もが見惚れる美貌。
奴隷としては最上位である。
そして、最上位であるからこそ苦痛もまた……。
その奴隷の名は、
アイリス・アイゼンバーン。
***
「ぐっ……!!」
たまらず彼女は膝をついた。全身を支配する熱。のたうつ激痛。サラの大きな笑い声が聞こえてくる。
自分も炎属性を扱う以上、人より火には慣れている。しかし、多少の耐性など関係ないと言わんばかりに、サラマンドラの炎はアイリスを焦がした。
「いかがですか! 自分が得意とする属性で殺される気分は! サラマンドラは『炎を焼く炎』で構成されています。あなたじゃどうあがいたって勝ち目はない!」
剣を置いてくるとは無様なことだ!
サラは嘲笑する。ああそうだ、愚策だろう。しかし置いてこなければならなかったのだ。アイリスにはこの場で剣を持てない……いや、持てなかった理由があった。
目の前のこの男にそれを教えてやる義理はないが。
再び突っ込んでくるサラマンドラ。爆炎が視界に広がると、傷口を押さえながら横っ飛びで回避する。
やはり、
得物がないと……勝負にすらならない。
「はぁ……! はぁ……! なぜ、ジェイド帝国の人間がエレメンタリアにいるんでしょうか。正直顔も見たくないんですがね」
アイリスは荒い息でサラを見る。剣豪の苦渋の表情に対して、彼は涼しげだった。
「簡単なことです。帝国は本格的に侵略を開始しようとしている。今度は王の側近達も動く。領土拡大と国取りが始まるんですよ」
奴隷の売買は、戦乱を再興するための資金源だった。サラは思考する。
帝国派であることをデーモアに巧みに隠していたのだが、どうやらあの堅物な院長はそれに気がついたらしい。『銀色のスナイパー』でも辿れなかったというのに、全く恐ろしいものだ。
そして、剣姫に協力を申し込んだ。ことがことなだけに公にすることはできない。
『フォーカリア』『エレメンタリア』その他諸々の小国。国同士の均衡を破り、『帝国』が侵略を開始するなど、混乱があまりにも大きくなりすぎる。混乱がデカすぎる。
「そんなこと……」
信じられない。アイリスは唸った。サラに言葉を紡いでいるのは、なんとかエクスが自分の剣を取ってくるまでの時間稼ぎのつもりであった。だが、予想以上の事実に困惑する。
国と国の均衡を崩せば、国際的な非難とともに壊滅的な打撃を受けるのは帝国の方ではないか。
表立った武力で進軍を開始したいのはどの国だって同じであろう
。侵略戦争などという大それたことができないのは、ひとえに周囲の強力な抑止力が存在しているからだ。
「その均衡を壊せるほどの力が存在しているとしたら?」
「……?」
アイリスは目を細めた。力?
だが、そこで大口を開ける炎の蜥蜴。巨大な火炎派を吐くために、周囲の空気が揺らぎ始める。
「そこまで話してやるほど私はお人好しじゃあありません。さあ、そろそろ死にますか剣姫」




