魔人の狂想(45)
45
試合開始の合図とともに、俺は自分に《ヘイスト》を掛けた。
本気を出すならやはりバフを掛けてからでなければ渡り合えないからだ。
「ぜやぁっ!」
気合いの声を上げながら頭を狙って振り下ろす。
アリスはそれに合わせるようにして下から切り上げるようにして木剣を弾こうと試みる。
本来であれば、ここでカァンと高い音がして大きく軌道が逸れるだろう。
しかしそんな作戦は最初の一撃を狙った時点で分かりきっている。
そこで俺は一瞬だけ空中で剣を止めてから、空ぶった後の彼女の腕に向かって《バーチカル》を放った。
──しかし。
「遅いわ」
すんでのところで受け流される垂直な斬り落とし。
そのまま体をターンさせながら腰を落とし、ガラ空きの俺の腋へと刃筋を這わせた。
──ガキィン!
「ッ!?」
およそ、人体から放たれるとは思えない音が、アリスの木剣と俺の腋の間から放たれ、弾き返される。
おそらく《バーチカル》は流されるだろうことは予想していた。だからタイミングを見計らって即座にアーツをキャンセルし、狙っているであろう箇所に魔法スキルレベル一で取得できるアーツ《ウォール》を設置していたのである。
俺は、その一瞬の隙を狙って逆手に持ち替えた木剣を、アリスの背中へと突き刺そうとする。
しかしさすが入試で試験官と渡り合っただけはある。
感が鋭いのか何なのか、後ろから迫る突きを前転しながら回避して、低い姿勢になって剣を肩に担ぐように構える獅子の構えを取ってセーブした。
「なかなか策士なのね、マーリンって」
「俺だって、まさか避けられるとは思ってなかったよ」
ほとんど一秒以内の出来事だった。
俺は軽く息を整えながら鋤に構え直す。
しかし、ここで分かったことが一つだけある。
彼女の剣はまっすぐで正直だ。
故に戦闘の駆け引きをしなくても戦いに勝てるポテンシャルがあるせいで、罠にかかりやすいのだろう。
思い返してみれば、フォルルテ先生との時もかなり強引な戦い方をしていた気がする。
だったら、勝機はあるかもしれない──なんて、思っていた時期が俺にもありました。
それから二合、三合と剣を交えているうちに、俺の体力はごっそりと削られていった。
もし体力があれば俺の方が圧倒していたかもしれなかったが、しかし俺は本来魔法使いだ。
体力の多いアリスの方がだんだんと有利になっていき、四合目。
反応が遅れた一瞬の隙を突かれて、振り下ろした剣を持つ腕と体の隙間から差し込むように突き出された攻撃によって、俺の敗北が決まったのであった。
「はぁ、何であそこで反応遅れたんだろ……」
公園のベンチに腰を下ろして汗をタオルで拭いながら、ポツリと反省をつぶやく。
「それは私がそうさせたからよ。
あなたは技のコンビネーションで作戦を練るのは上手いのかもしれないけれど、長期的な策には意識が向かなかったみたいね」
近くの屋台で買ってきたのだろう、『イチゴクレープ』を手渡しながらそんなふうに解説した。
ちなみにアリスのは『バナナクレープ』である。
「長期的な……って、何したんだよ?
あ、これいくらだった?」
軽く一言お礼を言って受け取りながら、質問する。
「いいわよ、奢ってあげるから。
……そうね。プレッシャーを掛けていたのよ、ずっと」
「プレッシャー……?」
「そ、プレッシャー。
強く剣を弾いたり、大きい足音を立ててみたり、やるぞー、やるぞーって気迫を振り撒いたり。
そう言った精神に対する圧を掛けると、だんだん反応が遅れてきたり、踏み込みが弱くなって攻撃力が落ちたり……って、まぁいろいろ出来るのよ。
まぁ、あなたは出来る限り剣を受けないようにしていたみたいだけど?」
「なるほど……」
てっきり足音は八極拳とかで言うところの震脚だと思ってたんだけど、なるほどなぁ、音で相手を怯ませて、精神的な負担を与える効果もあるのか……。
俺は彼女の説明に感心しながら、『イチゴクレープ』にかぶりついた。
あ、これ美味しい。
「ん〜、この『バナナクレープ』なかなかいけるわね。
マーリンのはどんな感じ?」
「うん、こっちも結構美味いよ。
酸味と甘味のバランスがいいし、生クリームに紛れてるクッキーの食感もなかなかいける」
今度自分でも作ってみようか、なんて考えながら伝える。すると、アリスも少し食べてみたくなったのだろうか。目をキラキラと輝かせながら、へぇ、とこちらのクレープの中身を覗き込んでくる。
「……アリスも、ちょっと食べる?」
一ヶ月以上女の子として過ごし、女の子と過ごしてきたとはいえ、このセリフを言うのはかなりの羞恥心を覚悟しなければならなかった。
なぜなら俺は元はといえ男である。そんな風に言ってしまえば、前世ならば変な事を勘ぐられてしまいかねないセリフだったからだ。
「え、いいの? じゃあ、一口頂こうかしら」
ややどもりながら口にした提案。
しかしそんな俺の心情など梅雨とも知らないのだろう、恥ずかしげもなく──むしろ恥ずかしがる要素は、彼女からしてみれば皆無なのだが──パクリ、と、まだ俺が口をつけていないところではなく、あえて一度俺の口が触れた場所へと、その可憐な桜の唇を重ね合わせ──って!?
「ん〜っ! 本当ね!
生クリームがサクサクで面白いわ!
あ、私のも食べるかしら? バナナと蜂蜜とベリーがいい具合で合わさって、とても美味しいわよ?
はい、あーん」
さっき自分が何をしたか、この人はわかっていないのだろうか?
あれは誰がどうみても狙ってやったようにしか見えないし、間接キスだし、なんか、なんかえっちいし……っ!?
差し出される『バナナクレープ』。
その仕草はまさに、恋人同士がやるようなそれで──。
「ア、アーン……ムグムグ……ウン、オイシイー」
恋人いない歴及び友達いない歴イコール年齢、加えコミュ障でもある俺の万年童貞脳みそは、処理しきれない情報によって、ついに言語野を破壊させられた。
「良かった! これ、材料が揃えば寮の厨房借りて作れそうよね? 今度挑戦したいから、手伝ってもらえないかしら?
ロゼッタにも分けてあげたいわ!」
「ウン、ソウダネ……」
それからしばらくの記憶は、何か甘くてホワホワとした感情のみを残してよく思い出せなかったが、しかし、終始彼女の笑顔だけが異様に明るかった事だけは、どうにか記憶できていた。




