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イドネ伯爵と接触

気が付けば一年以上開いていました。

今年度中、というにもかなりぎりぎりになってしまい、すみません。


申し訳ないのですが、文章が中々出てこなくなってしまいまして、これからもかなりの亀更新になると思います。

スランプというには長引いているのでこれが常態になってしまっている気がします……



 イドネ伯爵の第一印象は「おじちゃん」だった。

 小太りの体系の中年男性でお腹がぽっこりと出ている。でも不潔な感じはしない。眉がハの時になっているからか、少したれ目気味の糸目の所為か、普通にしてても困り顔に見える。ニコニコ笑っているのに、それでも少し困っているような顔に見えるから、気が弱そうにも見えた。如何にも高飛車な公爵夫人と並ぶと猶更だ。

「おお! よくぞいらしてくださいました! ローゼルグライム公爵夫人! お会いできて光栄でございます!」

「まあ。こちらこそ、急なお話をお引き受け下さり、感謝しておりますわ」

 そんな感じで、当たり障りのない挨拶を交わしているイドネ伯爵と公爵夫人の肩は大体同じくらいの高さにある。ヒールの高い靴を履いているとはいえ、女性として平均的身長の公爵夫人と並んで大体同じくらいの背だということは男性としては小柄と言えよう。

 小太りで小柄で困り顔のおじちゃん。どことなく動作がセカセカしていて一生懸命な感じのおじちゃんである。あんまり貴族っぽくない。

 ついでに言うと、変態っぽくもない。

 いや、如何にも変態な見た目を想像してたわけではないんだけど。特にどんな想像も期待もしてなかったんだけど。それにしたってなんというか、もうちょっとこう、悪役感というか嫌な奴オーラがあると良かったんだけど。イドネ伯爵はあまりにも普通の善良なおじちゃんに見えて、なまじ美形だったりするよりもやりづらい。疑っていることに罪悪感を感じてしまう。

 そんなイドネ伯爵は、アセアセと公爵夫人と一通りの挨拶(というか定番の社交辞令の交わしあいというか)を終え、あたしへと視線を向けた。途端ににっこりと破顔する。恵比寿様みたいな顔だ。厭らしい感じは全然しなくて、本当に子供が好きなんだなって感じのする顔。

「おお! この子はどなたですかな!? おいくつですかな!?」

 下男という役柄を与えられている今のあたしの服装は、平民のそれだ。通常このように連れ歩かれる下男は主によって服を与えられるので、清潔でしっかりした服ではあるけれど、貴族のそれとは比べようがない。

 それでもイドネ伯爵の目にあたしを見下すような気配はまるで感じない。本当に、貴族っぽくない。

 何度か話す機会を得た公爵様だって、どことなくあたしを下に見るような気配を醸し出していた。公爵様の態度は丁寧だし、あたしの言葉を真剣に聞いてくれたけれど、それはいわば公爵様の慈悲なのだ。公爵様からすれば見下すというほどのものではなく、意識するまでもない根本的な認識の中で、あたしは公爵様の遥か下に居る、そんな感じ。それは良いとか悪いとかそういうものでもなく、この世界における身分差というのはそういう絶対的な隔たりを与えるものなのだと思う。

 なのに、イドネ伯爵からはその隔たりを感じない。

「当家の下働きですわ」

 答える公爵夫人の声は大変そっけない。如何にも「聞かれたから答える」という感じ。「そんなどうでもいいもの、どうして気にするのかしら」という心の声が聞こえてきそうだ。まあ、本当にそうは思っていないと思うけど。あたしの望みに応えてここに連れてきてくれているわけだし。

 でも下働きの少年に対する態度としては公爵夫人の方が正しい……というより一般的なんじゃないだろうか。少なくとも平民相手に貴族が「誰」ではなく「どなた」なんて聞き方はしないだろう、普通は。そもそも空気のように気にしない人がほとんどだ。

「そんなに幼くてしっかり働いているとは! 偉い子です! お名前は何というのですかな!?」

 イドネ伯爵は何の躊躇いもなくしゃがみこんであたしと視線を合わせた。チラッと公爵夫人の方を見てみると、イドネ伯爵が見てないことを良い事に隠しもせず引いた顔をしている。うん。やっぱり貴族の態度としては変なんだよね。まあ、あたしとしては関心を持ってもらえるのはありがたい。

 あたしはなるべく愛想よく笑った。公爵夫人に媚を売られているみたいで嫌だと言われた笑顔。イドネ伯爵にには好印象になってくれるといいんだけど。

「サムといいます。九歳です。今日はよろしくお願いします。」

 言って、ぺこりと頭を下げる。

 名前については行きの馬車の中で考えてあった。こういう場合の偽名は元の名前からあまり遠くない方がいいんだそうだ。 

 イドネ伯爵が嬉しそうにあたしの頭を撫でる。

「おお! 実にしっかりしている!」

 今更だけど、イドネ伯爵はちょっと声がでかい。近くで話されるとちょっと距離を置きたくなる感じだ。それがまた一生懸命しゃべってる感じで憎めないんだけどね。

 伯爵に向かってニコニコ笑いながらそんなことを考えていたあたしは、この時点でイドネ伯爵を舐めていた。だって如何にもチョロそうだったのだ。

 けれども、次のイドネ伯爵の言葉で、一気に背筋を凍らせることになる。

「賢そうで! しかも魔力を持っているのですな! 素晴らしい! 流石ローゼルグライムで!」

 硬直したあたしの肩に、公爵夫人の手が乗せられる。

「あら、よくお気づきで。でもこの子、魔力を持ってはいても大したことができませんの。魔法使いとしてはまるで役に立ちませんわ」

 それはまあ、事実である。公爵夫人が何でもないような態度でそういったことに少し安堵して公爵夫人を見上げる。

 ……公爵夫人の扇で軽く隠した口元が、横から見ると引きつっていた。


 平民で魔法を使える人間は、物凄くレアというほどではないけれど、珍しい。何人に一人、と統計情報があるわけでもないけど、少なくともあたしは家族以外では、以前近所に住んでいたローアの友達のテオ君の親戚のお兄ちゃんしか知らない。それも、直接合ったことは無くてローアに聞いただけだし。

 魔力を持っているということは(極々少数の例外を除いて)魔法が使えるということだから、その分その人材の価値は上がる。それだけでなく、魔法が使える子供は魔法学園に入学する道が開ける。魔法学園は貴族・王族が通う学校なだけあって、教育水準が高い。そこを卒業したとなれば、魔法以外の道に進むにしても平民にとっては充分なステータスになるのだ。そんなわけだから、それだけで平民の中では出世頭として期待される立場になる。

 そんな子に対し、普通だったらいくら公爵家とはいえ、下働きなんかさせない。魔法学園に入学するための準備をさせるだろう。

 そういう魔法使いの卵の平民たちを集めて魔法学園に入学するための準備させる塾のようなものがあるらしいのだ。両親が魔法学園出身で、しかも今では公爵家で教育を受けさせてもらっているあたしはずっと知らなかったけれど。なんでも、そこに相談すれば補助金まで出るんだとか。魔力持ちの子供は、普通だったらそこで学んでいる。

 下働きの少年が魔力持ちであるというのは不自然なことなのである。


 しかし、あたしの魔力を指摘したイドネ伯爵は変わらず恵比寿顔でニコニコ笑っている。如何にも悪気も他意もなさそうで、本当に「流石ローゼルグライム」としか思っていないのだろうか。

 それにしても、何で気づいたのか。それが腑に落ちない。

 いや、イドネ伯爵に魔力が分かるのは、別に変じゃない。この国の貴族はほとんど皆が魔法を使えるし、魔法を使えるようになると、他の人の魔力も感じ取れるようになる。だからイドネ伯爵が魔法を使えることも魔力が分かることも、寧ろ自然な事だ。

 けれどもこの、魔力が分かる、という感覚は、普段普通に過ごしているとあまり意識されないような感覚なのだ。意識もせずに誰が魔法使いで誰がそうじゃないか分かるようなものじゃない。

 イドネ伯爵は、意図して魔力を探ったのだろうか?

 もしくは、本人が魔法を使っている、もしくは使おうとしたか。

 魔力を感じる感覚は、自分が魔法を使おうとするときにも敏感になる。魔法を使うために自分の魔力に意識を向けると、同時に周りの魔力も感じ取れるのだ。

 あるいは、イドネ伯爵はあたしよりも敏感なんだとか? この感度については個人差が無いとも言いきれない。そのあたりのことはまるで習っていないし、今まであまり考えてもいなかった。

 仮にもし、イドネ伯爵が魔法に敏感な人なんだとしたら、あたしがここで魔法を使うのは危険かもしれない。そもそも、この如何にも人のよさそうなおっちゃんが悪事を働いているとしたら、それは如何にも悪人がそうするよりも性質が悪いんじゃなかろうか。一体この笑顔の裏で何を考えているのか。

 ……今更だけど、ちょっと怖くなってきた。いや、ホント今更なんだけど。

 あたしがそんなことをつらつら考えている間に、イドネ伯爵と公爵夫人は長ったらしい挨拶を終えたらしい。やっとというか、みんなで孤児院へと歩き始める。

「ローゼルグライム公爵夫人から見ましたら粗末かと思いますがな。ご興味を持って頂けて私としては本当に嬉しいのですよ」

 歩き始めると「!」常備だったイドネ伯爵のテンションもやや落ち着いたようだ。先ほどよりも大分耳に優しい声になっている。

 イドネ伯爵の言葉につられるように孤児院の方を見てみる。少なくともあたしの感覚からすれば粗末だとは思わない。

 石造りの建物は塗装もない石の色がむき出しの壁だけれど、崩れていたり穴が開いている様子もない。その前面の土がむき出しになった地面は、庭というにはそっけないけれど、建物に沿うように花が植わっていた。まあ、その花も雑然としていてちょっと雑草化している感じは否めないけれど。

 それから、木造の小さなブランコが三つ、ベンチが四つ、置いてあった。ブランコは丁度二人並んで座れるようなもの。前世の公園の遊具のように高く漕げるものではなくて、時々個人の庭に見かけたような小さなものだ。

 それにしても、子供の気配がない?

 遊具を見たことでふと気になる。誰も庭に出ていないし、遊んでない。皆、建物の中に居るんだろうか。

 あたしが疑問に思ったことを、公爵夫人も感じたらしい。

「ここに居る子供は何人? 皆中に居るのかしら」

 公爵夫人の問いかけに、イドネ伯爵は何故かちょっとうろたえた。

「ええ! 皆中で待っているのですよ! 公爵夫人に会えるのを楽しみにしてましてな!」

 妙に焦っているイドネ伯爵に導かれるまま孤児院の中へと歩みを進める。中にいるにしたって静かすぎる。子供の集団って騒がしいもんじゃないの?

 まるで怯えているみたい。

 あたしは何だか恐怖とは別の感情でどきどきしてきた。イドネ伯爵の素顔が、子供たちの反応から探れるかもしれない、と、そう思って。

 けれども。

「「「伯爵ー!!」」」

 玄関を抜けて少し廊下を歩き、イドネ伯爵が一つの扉を開いた瞬間、キンキンと甲高い子供の声がした。

「ぐぅっ!!」

 とこれはイドネ伯爵である。

 伯爵は腹に向かってタックルしてきた子供たちを何とか倒れずに受け止めると、順繰りにぽんぽんと頭をなでつつも焦ったように公爵夫人と子供たちを交互に見る。

「おおおお前たち! 今日はお客様が来るからいい子にするようにと……」

 イドネ伯爵がどう見たってパニック状態なのにも関わらず、子供たちの方(どうやらイドネ伯爵にタックルしたのは3人の少年であるらしい)は全然気にした様子もない。

「いい子にしてた! すげーいい子にしてた!」

「走り回んなかったし、静かにしてた!」

「静かだったろ? な? な?」

 悪ガキ臭の漂う三人組は口々にそういって、嬉しそうにイドネ伯爵に抱き着いて……あ、一人が膝カックン、あー……

 ずで! と痛そうな音を立ててイドネ伯爵が倒れる。悪ガキ三人はきゃいきゃいと嬉しそうに笑いながら部屋の中へと駆け戻っていった。ズダダダ、と部屋の中をかけずり回る音がする。エネルギー有り余ってるなあ……。

 しかし、困っているイドネ伯爵を楽しそうに見ている様子からして、子供たちがイドネ伯爵に怯えているという線は消えた。寧ろ舐められつつも慕われてるっぽい。

「ああああ、どうして肝心なお客様の前で……」

 イドネ伯爵は自分が転ばされたことは特に気にせず、公爵夫人の方を気にしている。子供たちの行動が公爵夫人の機嫌を損ねてないか、それが気になって仕方ないらしい。

 公爵夫人はというと、微笑んでいながらもどことなく冷ややかな空気を纏っていた。なんかすごくうんざりしているように見える。微笑んでるのに。不思議だ。

 同じことをイドネ伯爵も感じたのだろう。

「も、申し訳ございません。悪い子ではないのです。本当に……ただちょっと、元気なだけで……」

 公爵夫人にタックルされたわけでもないのに、すごい焦り様だ。

 公爵夫人は扇を口もとに当てて目をわずかに眇める。

「本当に、元気ですこと」

 実に冷たい声だった。硬直するイドネ伯爵に向けて、公爵夫人が笑みを深める。怖い。あんた何もされてないでしょ、と言いたいけど怖い。イドネ伯爵がブルリと震える。

「あの様子だと、落ち着くのに時間が必要そうですわね。その間少しお話しませんこと?」

「お、おお、喜んで……」

 怯えた様子のイドネ伯爵はどう見たって喜んでるようには見えない。けれどもそう答えるしかないだろう。同じ貴族なのに、なんだろう、この徹底的なまでの上下関係。身分の差か、それとも性格の差か。……どっちもかな。

 子供たちがいる部屋のドアをそっと閉めて、イドネ伯爵は更に奥へと公爵夫人を誘導した。しかし急に、公爵夫人が立ち止まる。

「サム」

 そう言われて一瞬自分のことだと分からなかった。こちらを振り返った公爵夫人に見下ろされてはっとする。

「何でしょう、奥様」

 下働きの男の子の返事って、多分こんな感じだよね?

「ここの子たちと遊んで来たらどうかしら」

 ん?

「私にはジーハスが付くから、貴方は来なくて結構よ」

 ……まじか。

「かまいませんわよね? イドネ伯爵」

「も、もちろんでございます」

「サム?」

 にっこり、公爵夫人があたしを見る。あたしは公爵夫人を見返す。

 あたしは、イドネ伯爵について探りに来たのだ。できれば公爵夫人とイドネ伯爵の話に同席したい。

 目に込めたそんな意志は、多分公爵夫人に伝わったと思う。けれども公爵夫人は言葉を撤回することなくあたしを微笑んで見返す。その目が、黙って言う通りにしなさい、と言っている気がした。

「はい。奥様」

 そう言って頷くと、イドネ伯爵があたしに向かって破顔した。

「おお! では皆に紹介せねばなりませんな!」

 そう言うと、イドネ伯爵はセカセカとあたしに歩み寄ってあたしの手を取った。

「では、参りましょう!」

 そのままあたしの手を引いて子供たちが居る部屋へと引き返す。

 公爵夫人を放置して。


 その後、意気揚々とあたしを子供たちに紹介したイドネ伯爵は、部屋の入口に立つ公爵夫人を見て青ざめた。どうも、あたしを紹介することで頭がいっぱいになって公爵夫人のこと忘れてたっぽい。

 なんかこの人、本当に憎めないな。

 だけどあたしは探らなければならないのだ。ルディが女の子として育てられている理由、ルディのお母さんがイドネ伯爵を嫌う理由を。

 あたしは、気づかれないことを祈りながらそうっと、イドネ伯爵に魔力の糸をつないだ。


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