孤児院へ<ジーハス視点>
例えば樹木は水と土で構成されている、と教わって、疑問に思った。
ならば、多種多様な樹木の種類の違いはどこから来るのだろう、と。
水と土からなる物は、火に焼かれて水を打ち消されれば土となる。
それを聞いて疑問に思った。樹木を焼かれてできた炭は、土と言っていいのだろうか。土にも色々な物がある。現に、畑に使われる土とは明らかに違う。
水と火と、土と大気。その四つの元素で考えるには、世界はあまりにも複雑であるような気がした。
それでも四大元素の事を信じ続けていられたのは、皮肉にも魔法と言う存在があるからだった。そこに、元素に働きかけて事象を変える力がある。だから元素は存在するのだ、とそう信じる事ができた。学べば、もっと学べば、この疑問も解消する筈だと、そう信じた。
けれども学んでも学んでも疑問は膨れ上がるばかりだった。
やがてそもそも魔法とはなんだ、とそれすらも分からなくなり、そうして終いに、魔法と言う力を失った。
当時、師と仰いでいた人の、私に対する目は冷たかった。
「否定することを賢い事だと思い上がるからそうなるのだ。愚か者め」
魔法を失った私は王城に連れて行かれた。その先の数年間、本に満ちた部屋を与えられ、監視され、唯生かされるだけの無為な日々を送る事になった。
己が信じる世界を基盤として、魔法は動作する。四大元素を信じない者に、四大元素の魔法は使えない。そうと知らされ、自分が魔法を失ったのが本当に己の懐疑心が原因だったと知った時は絶望した。他国の魔法を学び、そのうちのどれか一つでも己のものにできれば、有用な人材としてある程度の自由が許される。そう聞かされた。
やがて王城から先代のローゼルグライム公爵が私を引き取ったが、多少の自由が与えられても大きく状況は変わらない。
何でもいいから、魔法を取り戻したい。それが私の願いだった。けれども学んでも学んでも、魔法を取り戻す事はできない。
全ては己の、忌まわしい懐疑心の所為だ。
「でも、疑問の無い所に発展はありませんよ? 科学の発展は否定から始まる! と聞いたことがあるような、無いような」
思わず自嘲の言葉を漏らした私を気遣ってか、まだ幼い少女がなんとも曖昧な言葉を述べる。異端の魔法使いで、前世の記憶があると自称する少女は、その記憶の為か同じ年ごろの少女と比べれば大人びている。それでも成人した大人と言うには随分子供ではある。
「否定から始まる、ですか」
そう問い返せば、少女、サラはうーん、とうなった。
「否定から始まる、と言うのは、えーと、違うかもしれませんけど、でも疑う事って大事ですよね?」
「疑う事が、大事ですか?」
「だって疑問や今の理論への疑いがあるからこそ、研究が始まるわけでして、新しい理論とか発見って、疑いが無ければ見つかりませんよ。何にせよ、研究や学問に懐疑心は大事だと思います。……でもそれが魔法の有り様と対立するから、この世界の科学は発展し辛いんでしょうかね……」
そう言うサラの目は真剣だ。慰めるためではなく、本心から言っているのだと感じる事ができた。
ふと、前から聞いてみたかった事を聞いてみる。
「貴女がこの国の四大元素よりも、前世の世界の『科学』とやらを信じるのは一体どうしてですか?」
周辺諸国は皆四大元素を信じているが、遠い異国の魔法使いにはまるで異なる系統の魔法を使う人間も居る。そういう人間と接したこの国の魔法使いが魔法を失ったり、逆に他国の魔法使いが自分の魔法を失う、という事があったという話を聞いたことがある。総じて、周りに自分が信じる事を信じる人が居なければ、信じ続ける事は難しい。そう聞いている。
その点、サラは己以外に信じる者が居ない「科学」を信じ続けている。
それは私には、狂人めいて感じられる事だった。
「それは……前世での基礎教育で洗脳されたって事かもしれませんし……ああでも、四大元素を信じられないのは、それが前世の世界ですでに否定された理論だからです」
「既に否定された理論、ですか」
「はい。どういう経緯で否定されて新しい理論が打ち立てられた、とか知らないんで説明できないんですけど……。大昔の人が『四大元素』を信じてたって話は知ってるんです」
その世界では誰かが疑問を呈し、そして覆したのだろうか。
「私の前世の世界は、何度も否定を繰り返して、仮説を打ち立てて、検証して、真実だと認めておきながらまた新しい理論に否定されたりして……そんな事を現在進行形で繰り返してる世界でしたから。……だから私が今信じてることだって『暫定真実』なんです。一度習った事が、実は限定的な状況でしか通用しないルールで本当の真実は違うんだって教わる事だってあったんですよ」
「それは、新しい理論が発見されたから、ですか?」
「それがそう言う訳でもないんですよね……。分かり易くされた限定的な真実、っていうか……例えば最初に習ったニュートン力学の法則が実は光速に近づくと通用しなくて、本当は特殊相対性理論の速度が光速と比べて極小な場合の近似解でしかなかったとか、ええっと……そんな感じだったと思うんですけど。すみません、あたし頭悪かったから、色々良く分かって無いんです……」
「はあ……」
サラが口にする言葉は、往々にして不可思議な物である。最初は半信半疑だったものの、こういう事を繰り返せば、彼女が「異世界」の記憶を持つという事も段々と納得できるようになる。
「とにかく、たくさんの頭がいい人たちが、『真実』だとかなんだとかを探し続けているような世界でした。あたしが『真実』として教わって来たことは、沢山疑われて否定されながら生き残って来たと思えるから、信じられるんでしょうかね? なんていうか、世界ってそういうものなんだねって納得できるんです」
疑って否定して、それを繰り返してきた世界。このお人好しの少女は、そんな世界の記憶を元に魔法を使うのだと言う。
それは、かつて懐疑心を否定された私には、救いのように思えた。
「サラ様の前世の世界の事を、もっとお聞かせ願えますか?」
少女の顔が嬉しそうにぱっと輝き、それから申し訳なさそうな顔になる。
「あたし、凄く中途半端な知識しかないし、説明すごく下手ですけど……」
それはもう既に分かっている。
「構いません。ゆっくり、少しずつでいいので教えて頂けますか?」
微笑みかけると、サラは心から嬉しそうに微笑む。
その顔を見て、ふと悟った。
私が一人、周りと同じ事を信じる事ができずに苦しんでいたように、この少女もまた、一人だけ「前世の世界」の記憶を抱えていたのだ。彼女なりに孤独だったのかもしれない。サラが前世の事を話せるのは私だけなのだ
私は本来、サラが異端だと公爵様に報告しなければならない。それは公爵様に庇護される私の義務だ。
公爵様はサラを守ろうとしている。それは分かる。けれども生真面目なあの方は、サラが異端だと知れば、その義務を果たす為に王城に報告するのではないだろうか。
そう思えば、サラの異端を公爵様に報告するのは躊躇われた。
元より、話すべきでない魔法の仕組みをサラに話してしまったのは私だ。サラを異端にしたのは私である。それが後ろめたいから、という理由もある。
けれどそれ以上に、この少女が辛い目に合うのは耐え難い。彼女がずっと笑っていられるようにしたい、とそう思った。
公爵夫人がサラを連れて孤児院に行こうとしている。名目は慈善活動であり、それに平民出身のサラを参加させるつもりらしい。
孤児院に文字の読み方を教えるための教材を送り、それを使って授業をする、というのがその慈善活動の内容だ。どうしてサラを連れて行くのか、と言えば、サラが文字を読めるようになることに並々ならぬ関心を抱いていた平民だからであり、貴族が行っている活動の一部を教える、と言う側面を持つそうだ。
しかして、本当の理由は、サラが興味を持っていたイドネ伯爵にサラを合わせてやることである事は明らかだ。
サラがイドネ伯爵の事を気にしているのは私も知っている。私が普段から居る図書室には貴族について記した本もあり、それをサラが熱心な顔で捲るのを見ていたのだ。平民嫌いの公爵夫人がそのサラに協力するというのは意外である。何か心境の変化があったのだろうか。
現在サラとローアには監視が付いている。公爵様の監視である。今の段階ではまだ四六時中見張る、という程のものではない。目的はサラとローアが異端であるかどうかを特定する事だと聞いていた。
思うに、公爵様はサラが異端ではないかと薄々勘付いている。魔法の授業に置いて、サラのやる事は時々不自然になる。弟のローアを参考にしつつ少しずつ偽装の腕を上げてはいるものの、不自然だという印象を完全に拭い去る事はできていない。
現状、二人の監視を、特にサラの監視を外すわけにはいかない。
よって、サラが公爵夫人と出かける事になった、となれば、パン屋に付けている監視要員以外の人間を当てる必要が出る。
「だからお前が行け」
と、公爵様が私に言った。
公爵様がそう言えば、公爵夫人は逆らわない。
そういう訳で、同行することになったとサラに告げれば、サラはその大きな目を丸くした。
「でもあたし、平民なのに、ジーハス先生が同行するのっておかしくないですか?」
「いえ、私は公爵夫人の侍従という事になります。」
「侍従、ですか。何か似合ってますね。じゃあ、先生って呼んじゃダメですね。ジーハスさん、でいいですか?」
照れたように言うサラは嬉しげである。そのような反応をされると、こちらも少しばかり照れくさい。
「ええ。では、私からもサラ、とお呼びしますが、よろしいですか? サラさんは公爵家の下働き、という事になっておりますので」
「も、勿論です」
そんなやり取りをしていたら、公爵夫人が呆れたように言った。
「貴方たち、随分仲良しね。でもサラ、と呼ぶのは不味いんじゃないかしら。サラは女性名よ」
その言葉に改めて、サラの恰好を見る。
繋ぎのズボンを履き、短い髪を一つに纏めている。まだ女性らしい体の発達が無いため、充分少年に見えた。実際の年齢より少し幼く見える。そうすると余計に、ローアに良く似ていた。
「なぜ男装しているのですか?」
私の質問に、サラは誤魔化すように笑う。
「今あたし、髪の毛短いので……こっちの方が自然かな、と」
この国では女性で髪が短い人が滅多にいない。身分を問わず、少なくとも背の中ほどには長いのが普通だ。そんな中で肩に届かないほどの長さしかないサラの髪は確かに目立つ。男装したほうが自然だというのは確かだ。
しかし……
「……言葉使いには気を付けなさい」
公爵夫人が呟くように注意する。少なくとも「あたし」という一人称は良くないだろう。
サラは神妙に頷いた。
「はい。気を付けます」
正直なところを言えばサラがちゃんと男の子として振舞えるのか、不安である。
今回の設定として、サラは公爵家の下働きであり、私は公爵夫人の侍従、という事になるらしい。貴族が慈善活動に、自分の元で働く平民を連れて行くことは珍しい事ではないため、これはそれほど不自然な事では無い。
向かう孤児院は王都の端にある。サラが気にしているイドネ伯爵が経営している孤児院であるらしい。
「どうしてご自身の領地で無く王都にあるのでしょうか」
聞いてみれば、それに答えたのは公爵夫人だった。
「ご自身の領地にもお持ちよ。王都のは領地のものより小規模らしいわ」
聞けば、今回イドネ伯爵がわざわざ王都まで来るのは、教材となる絵本の製作に協力してもらった縁でもあるらしい。
「資金もイドネ伯爵がほとんど持って下さったわ。慈善事業、というより子供がお好きな様ね」
それにサラが僅かに眉をひそめる。
「ルディの所のお店に絵本の製作を依頼したのは、公爵夫人ですか?」
「奥様と呼びなさい。ええ。イドネ伯爵に勧められたのよ」
ルディ、という少女が、サラがイドネ伯爵に興味を持っている理由であると聞いている。サラはイドネ伯爵に特殊な性癖があるのではないかと疑っているらしい。サラの年ごろの少女にそんな疑いを持ってほしくは無いが、前世の記憶、という物を考えると、既にそういう性癖についての知識があってもおかしくは無い。
もしかしたら、今回男装しているのも、自分が妙な目で見られないように、と考えているのかもしれない。
リィリヤ様のように突出した美貌を持っているわけではないが、サラは充分に美少女だ。寧ろ美しすぎて近寄りがたい印象を与えるリィリヤ様よりも、人に好かれ易そうな顔をしている。亜麻色の大きな目と淡く色づいた唇が創り出す多彩な表情は人を魅了する力がある。
サラはどうも自分の顔に対する自覚が薄いように見えていたが、こういう用心をする程度には自覚していたのかと、少しばかり感心してしまった。
大きな目や細い首は少年の恰好をすると幼さを際立たせるが、それでも、いやだからこそか、美少年と言ってもいいような外観になっている。あと1、2年後のローアはこんな風なのかもしれない。
そうやって観察していたら、サラが首を傾げて私を見た。
「僕、変ですか?」
今から一人称を変えておくつもりらしい。
「いいえ。良くお似合いです。そうしているとローア様そっくりですね」
「ありがとうございます」
サラは嬉しそうだ。
「今回、ローア様がいらっしゃらないので?」
「駄目ですよ。ローアは。危ないじゃないですか」
「危ない?」
「あ、いや、ローアってほら、見様によっては女の子めいてません?」
どうにも胡乱だ。
「貴女の中でイドネ伯爵が少女性愛者だというのは殆ど決定しているのかしら?」
公爵夫人が不快感を露わにして言う。それにサラは明確には答えずに、じっと公爵夫人を見た。
「もし、本当にそうだったとしたら、なんですけど……そうだったら、イドネ伯爵を罰する事はできますか?」
ふと思い立つ。サラがイドネ伯爵に抱いている疑いは、もしかしたらサラの前世の記憶によるものではないかと。
サラが前世に読んだと言う、この世界を描いた物語に。
公爵夫人がサラに答える。
「貴族が平民にすることを罰する法は無いわ」
サラとローアを誘拐したトウバルク元侯爵は罰せられているが、それは不正によるものと、ローゼルグライム公爵家を襲撃し、脅迫した罪によるものだ。実の所、サラとローアを誘拐し、傷つけたこと自体は罪状の内に入っていない。
それを聞いたサラの顔が歪む。けれども公爵夫人は続けた。
「けれども貴族には義務がある。平民を守る事もそのうちの一つよ。私は平民が嫌いだけれど、だからと言って虐げていいとは思わないわ。もし、貴女の言うような性癖がイドネ伯爵にあり、それを平民で満たしているのであったら……虫唾が走る」
不愉快そうな様子を隠しもせずに公爵夫人は言い放つ。
「だからもしそれが本当なら、私がイドネ伯爵を叩き潰して差し上げる、と約束しましょう」
目を丸くして公爵夫人を見るサラは少し感動しているように見える。口を開き、恐らくは感謝の言葉を述べようとしたであろうサラを、しかし夫人は遮った。
「けれども私は貴女の言うことなど信じていないわ。私を動かしたいなら信じられるだけの証拠を見つけなさい」
口を閉じたサラが真剣な顔で頷く。
彼女は孤児院で聞き込み調査でもするつもりなのだろうか。けれどもそういう問題を、子供も大人もそう簡単に口にしはしないだろう。
やる気に満ちているらしいサラの顔を見ているとどうにも不安になる。
問題が起こらないよう、しっかり見ておかなくては。




