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娘が苦手<公爵夫人視点>

 特別賢いわけでもなく、特別魔法に秀でているわけでもなく、芸術的なセンスも人並みで、体を動かす事は寧ろ下手。性格だって特別良いわけでもない。世の中が嫌いなものばかりの私は、すぐに苛立ちを表に出してしまう。貴婦人としても人間としても未熟極まりない。

 つまり、私は極平凡、もしくはそれより少し下になるような人間である。

 けれどもそんな私でも、人に誇れる事はある。

 その一つが、容貌。

 絶世の美女と言えるほどの顔ではない。けれども化粧と装い、そして仕草などで人並み外れた美貌を演出できる程度の美は持っている。私の姉様や王家の方々の様な、何の演出も無しに人に溜息を付かせるような突出した美貌に憧れないでもないが、自分の顔には十分満足している。嘘のつけない夫が私の顔を美しいと言ってくれたのだから、私の顔が人より優れている事は確かだろう。

 私と夫は、本来結ばれる筈がない組み合わせだった。家同士、幼い頃から婚約者として将来を約束していたのは、私の姉様と夫の兄だったのだ。私たちはお互いの兄弟を介しての幼馴染でしかなく、特別に仲がいいわけでも無かった。

 貴族としては珍しい程、正直で真面目な彼の事を私は好ましく思ってはいたが、あくまでも一方的な好意である。彼の方は私に関心など無かったのではないかと思う。だからこそ、顔を褒められた時は自分でも驚く程嬉しかった。それでも結ばれる事を望んでいたわけでもない。彼への好意も恋では無かった。私は、姉と彼の兄が結ばれる事を望んでいた。

 引っ込み思案で無口な姉様と、どこかのんびりした明るい性格の彼の兄は、私の目には良い組み合わせのように見えた。彼の兄はあまり話さない姉様にイライラするでもなく、姉様がその沈黙のうちに持つ優しい空気のようなものを尊ぶ事を知っているように見えたから。私は幼いながらも、姉様の婚約者がこの人で良かった、と思っていた。姉様も彼の兄(婚約者)を慕っている、とそう思っていた。

 結局二人の婚約は、姉様と彼の兄、双方が平民と駆け落ちするという椿事でなかった事になったのだが。

 元々その婚約は家と家とのつながりを求めての事である。姉様と彼の兄が居なくなって白紙に戻った結婚は、当然のように私と彼の元に落ちてきた。

 私と彼は、流されるままに夫婦となった。

 貴族とは、そういうものだ。




 夫婦二人で向かい合ってお茶を飲むのはいつ振りだろう。夕食の席はなるべく共にとる様にしているが、昼日中にこうして向かい合うのは久しぶりだ。私はともかく、夫は忙しい。王城での公務に、休日も社交の予定が詰まっている。偶の開いた時間には一人で過ごしたいだろうからと、私の方から彼の時間を得る事を望んだことは無かった。夫は元々、一人で過ごす時間を好む性質の人間なのだ。

 それに夫は、私と二人で過ごす事に特に喜びを感じることは無いだろう。夫の方からも、私と時間を過ごす事を求められたことは無い気がする。夫婦であるが故、寝室は同じだ。そういう意味で夫婦関係が冷めているわけではないにせよ、それは愛情とはまた別の話である。私と夫は、実に貴族らしい夫婦だとつくづく思う。

 ならばどうして、今のこの時間が設けられたのか。何か話があるのかもしれない。

 そう思っていたら、手慣れた手つきで紅茶を入れた執事のセイズがわざとらしく咳払いした。

「折角、お二人がお揃いでございますし、少々お耳に入れて置きたい事がございます」

 つまり、この場を作ったのはセイズであるらしい。話を聞かせる為にこの場を作った、ではなく、この場があるからついでに話をする、という小芝居が白々しい。

 召使いであるセイズには、話を聞かせるために私や夫を呼ぶことなど許されていない。今回のこの場は、恐らくセイズが夫に頼んでできたものなのだろう。けれども建前上は、「この場があるから話す」となるのであろう。

 真実重要な話であればセイズもこんな小芝居はしないから、今回は「念のため話して置く」くらいの話なのだと思う。

「話せ」

 夫が簡潔に続きを促すと、セイズが一礼して話す。

「最近、リィリヤ様付の高等侍女(ハイメイド)、カルアがイドネ伯爵についての話を聞き集めているようでして」

 カルア。採用の際の面接で高等侍女(ハイメイド)になった理由を聞いたところ、「貴族の奥様方の美しい御髪(おぐし)を生涯お世話していきたいから」と答えたと聞いた時には、どうにもふざけた娘だと思った。しかし、仕事は充分以上にこなしているらしい。

 高等侍女(ハイメイド)は元より少々癖のある娘が多い。曰く、「あの課目(カリキュラム)を全てこなせるのは、余程優秀か、常人よりもずば抜けた動機(モチベーション)を持っているかのどちらか」であるらしい。どちらも変人になりがちだ、と言われれば納得してしまう。

 そんな「優秀だけれど癖がある」高等侍女(ハイメイド)を幼少から付ける貴族は少ない。金銭面の事も当然あるが、子供の世話に向いていない人種がほとんどだから、というのもある。

 けれどもカルアは私以上にリィリヤの面倒を見れているようだ。カルアが来てから、私がリィリヤに干渉する機会が減った。

 夫はもしかしたら、それを目的にカルアを雇ったのかもしれない。

 しかし、そのカルアがイドネ伯爵について調べている、となるとそれはリィリヤが調べている、という事にならないだろうか。

「何を目的に?」

 夫が質問した内容に、内心で私は頷いた。そう、まさにそれが問題だ。リィリヤとイドネ伯爵に何の接点があるというのか。

「そこまでは。カルアに問いただせば、或いは分かるかもしれませんが」

 つまりカルアは、イドネ伯爵についての事をセイズに報告していない。

「……リィリヤに直接関わる事ではなさそうですわね」

 そうであれば、カルアはセイズに報告するはずだ。何かを調べるにしてもそちらの方が余程効率が良いのだから。セイズであれば、屋敷の他の使用人を動かせるからである。今回カルアがそこまでしないのは、それほどの大事ではないからだろう。

 何より、リィリヤの交友関係やこれまで会った貴族は全て私が把握している。その中にイドネ伯爵とのつながりは無かったはずである。そもそもリィリヤには、深く付き合う友人が少ない。

「となると、王女様かサラかローアだな」

 ミオリル王女はその先の繋がりが追いきれいない。そしてサラとローアについては私はあまり周辺事情を把握していない。

「王女様である可能性は低いと思いますわ」

 ミオリル王女絡みであれば、エリックの方も何らかの動きを見せている筈だ。しかし、そんな様子は無い。それに、ミオリル王女絡みであれば、ミオリル王女ご本人が調べた方が早い。

「となると……サラかローアか」

 あの二人には監視が付けられていると聞いている。どうも護衛以上の意味を持っているようだが、私には深い事情は聞かされていない。私の平民嫌いは夫にも良く知られているからだろう。

 今回のこの話も、もしセイズが夫だけに知らせていたのなら、私の耳に入る事は無かったはずだ。

 そうやって、リィリヤには私の知らない事が増えて行く。

「分かった。気を付けておこう」

 夫のその言葉を最後に、その話は終いとなった。




 私は自分の娘、リィリヤが苦手だ。母子なのに、私の産んだ子はどちらも私に似ていない。私に似ているのは、エリックの見た目ぐらいなものだと思う。リィリヤと私にはどこにも繋がる物が無いようにさえ思う。

 リィリヤは、私の姉様にそっくりだ。ほんの幼い頃から輝かんばかりに美しく、それなのに致命的なまでに人と話すのが下手だ。姉様はリィリヤ程無表情だったわけではなかったにも関わらず、とうとう社交界に溶け込む事ができなかった。そして、無責任で甘い言葉を並べたてる平民の男と一緒に家を出てしまった。

 どうして。と、姉様の事を思いだす度に思う。

 どうして、あんな男と家を出てしまったのか。どうして、同じように平民と駆け落ちしたアーク様(夫の兄)があんなにも幸せそうで、姉様はそうなれなかったのか。どうして、姉様は戻ってきてくれなかったのか。

 駆け落ちで家の体面に泥を塗ったから?

 平民の男との結婚に反対したから?

 家出したから?

 ……それでも、家族だった。姉様が家を出た後も、あの男と結婚してさえも、姉様の相続権がそのままだったことを、姉様は知らなかったんだろうか。

 私と姉様は全く仲が良くは無かった。姉様を社交会に連れ出そうとする私を、姉さまは嫌っていたのかもしれない、と思う。

 けれども私は、姉様が持つ沈黙の優しさが、決して嫌いではなかった。読書をする姉様の近くに居る事は好きだった。私が傍に居ることに気付くと大抵、姉様は戸惑った様な顔をしてから静かにどこかに行ってしまっていたけれど。

 姉様が助けを求めたのなら、助けただろうに。

 なのに姉様は、愛し合っていた筈の平民の男からも捨てられて、たった一人で死んでしまった。

 領地からも王都からも遠い地で、たった一人。

 死んでから初めて、私たちは姉様の行方を知った。遺品を整理した村の葬儀屋が、紋章入りの手帳に気が付かなければ、その死を知る事すらできなかったかもしれない。姉様の死を知った私達がどれだけそれを悲しみ、あの男を恨んだか、それも姉様には知り様の無い事だ。

 私は最後まで、姉様の事が分からなかった。

 そして、分かって貰えなかったんだろう。

 リィリヤは姉様に似ている。それどころか、社交の下手さは姉様以上だ。

 私は何を考えているか分からないリィリヤが苦手だ。それ以上に、リィリヤが姉様と同じ道を歩むのではないかと、それが怖くてならない。

 リィリヤに社交性を身に付けさせようと努力しても、それはリィリヤに苦痛を与えるばかりで身を結ばない。姉様と私の母がそうだったように。

 苦痛を与えるだけだと思って距離を取れば、余計にリィリヤが分からなくなる。本当に自分の子かと思ってしまう程に。

 エリックとリィリヤが話すのを見て、無表情で冷たいリィリヤの言葉に幼いエリックが傷つくのを見れば、エリックとリィリヤを引き離すしかないと思った。私と姉の様にならないようにと。

 そんな事をしている間に、リィリヤは平民の従姉弟(サラとローア)とみるみる親しくなっていく。

 例えアーク様(公爵の兄)の子であっても、彼らは単なる平民でしかなかった。血のつながりを利用して、あっさりとリィリヤに取り入った彼らに、嫌悪感が湧き上がる。

 まだ子供であるくせに、優しく無責任な言葉でリィリヤを誑かしているのだとしか思えなかった。姉様を誑かしたあの男のように。

 それが偏見であると半ば自覚していても、嫌悪感を抑える事ができなかった。

 焦って引き離そうとすれば、いつも黙って言うことを聞くリィリヤに抵抗され、それで一層彼らが嫌いになった。

 リィリヤがラグラス殿下の婚約者候補になったと聞けば、リィリヤも社交の場を避けられなくなる、と教育を再開した。やはりというか、上手くいかなかった。これでこの子は大丈夫なのかと不安になる一方で、苛々するのを抑えられなかった。

 ミオリル王女の学友になった事で、今のリィリヤは社交界で独特の地位を得ているらしい。変わり者の王女に気に入られた、変わり者の公爵令嬢である。親しい友達は居なくとも、おおよその人間からは一目置かれる。そんな地位だ。

 リィリヤはとにかく、その場の話や雰囲気に合わせる、という事ができない。ミオリル王女は敢えてそれをしない。ミオリル王女は王女であるがゆえにそれが許される。最もご令嬢達の中で受け入れられているわけではないようだが。そしてリィリヤは、王女の学友という立場から、ミオリル王女の同類とみなされているのだろう。

 幸いにしてリィリヤはミオリル王女のように攻撃的な言動をしないから、その為に「王女よりは無害」と許容されている節がある。おおよそ万人に受け入れられているエリックがリィリヤを慕っているのも大きいのかもしれない。

 そう、リィリヤとエリックの仲が、ミオリル王女の学友になって以来、良好なのには少しだけ安堵する。幼いころから二人の接触がなるべく無いようにとしてきた私は、間違っていたのかもしれない、とも思う。

 平民の従姉弟の二人についてもそう。あの二人は、半ばリィリヤの身代わりに殺されかけたと知っても、リィリヤを責めなかったと聞く。……夫は殴られたらしいが。本来、殴られるべきは夫ではないというのに。あのとき、二人を見捨てるように夫に進言したのは私なのだから。

 そして、公爵家(ローゼルグライム)と関わる事が危険を伴うかもしれないと知っても尚、リィリヤの友として傍に居る。最も、公爵家が後見に付いた以上、彼らに公爵家から離れるという選択肢は無いのだけれど。

 それでも、あの事件を随分気に病んだらしいリィリヤにとって、彼らが変わらず笑顔を向けてくる事が救いになったのだろう、と言う事は認めざるを得ない。彼らが真実、リィリヤの事を思っているらしき事も。

 私は、多くの事を間違えた。


 だからそれは、罪悪感からくるものだったのかもしれない。

 リィリヤを愛しているかと問われれば、多分私は否と答える。愛するにはあの子はあまりに異質で、エリックに対する様に愛情を向けられる気がしない。

 けれども母として与えるべきものを与えられず、逆に傷つけてばかりだと思えばそれはそれで苦しいのだ。

 少しだけ、挽回したいと思ったのかもしれない。リィリヤに対して。それだけでなく、サラやローアに対しても。


 私はおぼろげな記憶を頼りに日記を捲る。その日記には、社交の場で得た情報の覚書が書き連ねてある。人並みの記憶力しかない私は、こうして紙に記録するしかないのだ。良く接する家や人については、これとは別にまとめた紙があるが、普段接しない貴族についての情報はこちらを探すしかない。

 名前を聞いた覚えはある。けれどもいつ聞いたのかもおぼろげなため、探し出すには結構な時間が掛かった。ようやく目的の記述を見つける。


 イドネ伯爵

  慈善事業に熱心。孤児院経営。


 イドネ伯爵についての記述はそれだけだった。

 日記によると、その話を聞いたのは3年前の慈善活動の時だ。貴族にはある程度の慈善活動に資金か時間を割く必要がある。義務ではないにせよ、完全に無視するのは外聞が悪い。3年前のそれは、確か孤児の少年少女に歌を教える、というものだったはず。

 その時の参加者は夫人だけだったが、その婦人方との会話で話題に出たのだろう。

 聞いたときの事を思い出そうと努めながら、同時に私は貴族年間を引っ張り出した。3年前の伯爵と今の伯爵が同一人物かどうかを確認する必要がある。名前を記載していない為、現当主の名前と照合できないのだ。

 3年前までの年鑑に、イドネ伯爵の爵位交代が無い事を確認する。細かい字に見落としが無いか、3回確認した。こういう時は、家別の年鑑が欲しいと思う。全貴族の情報が記載されているため、量が多くて読むだけでも疲れるのだ。

 イドネ伯爵の話をしたのが誰だったか、その時他にどんな事を聞いたのか、記憶を探りながら、私はイドネ伯爵に接触するための手筈を練る。

 多分夫は、サラかローアがどうしてイドネ伯爵について知りたいのかを知ったとしても、私に話しはしないだろう。セイズか……ジーハスからなら聞き出せるだろうか。できればその理由を、イドネ伯爵との接触前に知っておきたい。それによって何をすべきかも変わるだろう。




 私はどうして、この件に関わろうとしているのだろう。

 私は自分の娘が苦手だ。

 愛しているかと言われれば違うだろう。

 けれども不幸になって欲しくはないし、助けてあげたい。姉様の時のように、助けの手を伸べることすらできないというのが何より耐えがたい。

 でもリィリヤと私の距離は開く一方だろう。どのみち私はリィリヤを理解できない。夫も、そんな私をリィリヤから離そうとしているらしい。それにも、寂しいと言う程の感情があるわけでもない。……と思う。

 ただ今のうちに、まだリィリヤが私の庇護の下に居るうちに、少しだけ手を伸ばしてみようと思った。

 ただそれだけの事なのかもしれない。



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