雑談(情報収集)
貴族の家系、主従・利害関係、領地やその名産、場合によっては役職、等々は貴族であれば教養として覚える事柄だ。それらは全て王城が発光する数巻の書物に記載される。膨大な量のその情報は、けれども年々変化する物でもあるから、毎年王城から新しい物が発行されるのだ。更新された情報を改め、覚えなおす必要もある。
「大変だね」
サラが大きな目を丸くして言う。でも私は首を振った。
「実際の所全てを覚える人はあまりいないでしょう。重要な事、それと自分と関わりの深い所を理解できていればいいので」
「ふうん?」
「王城から発行された情報は公的な物ですから信頼できます。各地の収穫高や流通についての情報も記載されてますし、広く時世を確認する事もできます」
「じせい……」
ローアがぽつりと呟くのにサラが答えた。
「世の中が今どうなってるかっていうのが分かるって事かな? リィリヤは難しい言葉知ってるね」
「……先生が言った言葉をそのまま使ってしまうのです」
それはあまり良い事ではないと言われているのに。人と話す時は相手の事を考えながら話しなさいと注意されている。
「そういう流通の情報って、必ず正しいの?」
「必ず、とは言い切れません。どのように調査しているかまでは知りませんが……税の額を決めるための値ですから、虚偽は許されていません」
「税を減らすために実際より少なく報告したりとかは」
「不正として罰せられます」
「そういう不正ってどうやって調べるの? 監察官の仕事?」
「いいえ。税についての管理をする役職はそれとはまた別にあるのです。監察官は……その管理に不正が無いかを見はしますけど……。どう調べるかは、すみません。そこまでは、よく知りません」
サラがそれを聞いて考え込む。
「その、貴族についての情報ってさ、どんな家がどの家に仕えているかってのも載ってるんでしょ?」
「ええ」
「貴族だけ? 技術階級は?」
「……それは、載ってません。基本的に技術階級は平民ですし、爵位があるわけでもないので王城が感知するものではないのだと思います」
人の階級について、貴族、技術階級、平民、と三つに分けて考える事が多いけれど、法的に考えれば貴族と平民のどちらかしかない。技術階級というのは、平民の中でも専門的な知識を持つ者とそうでないものを分けて考える風習ができた中で出てきた名称なのだ。
だからその境もいくらか曖昧である。同じ侍女でも、カルアの様な高等侍女は技術階級とみなされ、そうでない侍女は唯の平民とみられる。商人であれば貴族を主な取引先にしているかどうかで別れるが、貴族との取引が少なくても裕福な大商人であれば技術階級を名乗ったりする。案外いい加減な物なのだ。そもそも技術階級は基本的に血筋に由来しない。家系に備わる役割という物が無い……少なくともそれを王城で管理されていないのだ。
「でも、代々特定の貴族に仕えてる技術階級の家ってあるよね?」
「それは少なくとも、貴族の家の間の主従関係と違って法的な物ではないではないかと」
「ふうん……不文律ってやつかな……」
サラが何やら考え込む。
「ルディの家の事?」
ローアが言った言葉にサラが目を丸くした。
「ローア、何で知ってんの?」
「この前、ルディのとこのおばさんがお母さんに愚痴ってた」
「何て!?」
がば、とローアに掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出すサラにローアがぎょっと身を引く。
「何か、親戚から『ルディも主に挨拶すべきだ』って手紙が来るって。その主が貴族だって」
「で?」
「おばさんはその貴族が嫌いっぽかった。『ルディはそっちとは関係ない』って突っぱねたいんだけどできないんだって」
「何で?」
「そこまでは聞いてない」
チッと舌打ちするのが聞こえた。今の、サラだろうか。
「……ルディ、というのはご近所の方ですか?」
「うん。うちの二つ隣の子」
「では、カルアの実家からも近所ですから、カルアなら何か知っているかもしれません」
「カルアさん?」
「呼びますか?」
今日三人で話しているのはいつもの図書室ではなく、私の部屋だった。今日はジーハス先生がお休みなのだ。ベットの脇に垂れ下がった紐を引くと、澄んだ鈴の音が鳴る。紐は使用人の控室に繋がっていて、これで私が用があると伝わるのだ。おそらくカルアが来るだろう。
「その紐ってさ、図書室には無いよね?」
サラが興味を抱いたように紐を見る。
「……そうですね。ジーハス先生がいつもいらっしゃるからでしょうか?」
何か用があるときは、ジーハス先生に言うと誰かを呼んでくれる。
「あの部屋って、常に誰かが居るのが普通なの?」
「そうですね。ジーハス先生がお休みの時には、閉め切られます」
なので今日もあの部屋には入れないのだ。
「なんで?」
「なんで……かは分かりませんが」
私が知る限りずっとそうだ。
「貴重な本でもあるのかな?」
「かもしれませんね」
「……だったら子供だけ置いて部屋を出たりするかな」
ローアが言う。確かに、私達だけで図書室に残ってジーハス先生が出て行った事は(全てそう長い時間ではないにせよ)あった。
「あたしたちが信頼されてるって事じゃない?」
「……お姉ちゃんを?」
「ローア、その目は何が言いたいのかな?」
「お姉ちゃんの本に向ける目は偶に怖い」
「……いくらなんでも盗まないよ」
サラが気まずそうにローアから目を逸らす。確かにサラの読書欲は目をみはる物がある。この三人の中で一番文章を読むのが早いのはサラだ。
「ルディからのプレゼントもあんまりホイホイ受け取んない方がいいと思う」
「だって練習に書いたやつでどうせ捨てるって言うんだもん。一応、代わりに時々手伝ってるし」
「それもさ……あんまり入り浸らない方がいいんじゃない?」
「ローア、ルディの事嫌いなの?」
「そういうわけじゃないけど……でもあいつ結構、人によって態度変えるよ?」
「まあ、ルディは人見知りだし」
「あれって、人見知り、なのかな……」
ローアが口ごもる。
丁度その時、カルアが来た。
カルアはやはり、その家の事を知っていた
「サラ様、ルディと友達になったんですか? 流石といいますか」
「そんなに人見知りの子なんですか?」
カルアが驚いた様子だったので聞いてみれば、カルアは苦笑した。
「そうですね……警戒心が強い、と言いますか。あの家自体がルディをあまり他の子と遊ばせようとしないんです。ダークブラウンの大変綺麗な髪をした、とっても可愛い子なので近所でも有名ですけれども、外で姿を見かける事は最近では滅多に無いようですし。私もあの子については良く知りません」
でもサラが聞きたいのはその子本人についてでは無いらしい。
「ルディのお母さんのご実家の話って知ってます?」
「ああ……聞いています。西部……イドネ伯爵領のお家なんだとか」
「イドネ伯爵領……紙の産地で有名ですね」
王城の実務で使われている紙は、殆どがイドネ産だと聞いている。良質の紙だと高い評価を得ているのだ。
「その紙の製造を管理しているのが、オーラスの奥様のご実家らしいですよ」
「へえ……もしかして、オーラスの本屋さんもそこの紙を?」
サラが難しい顔をしてそう聞く。
「そうなのでは?」
「だから……ルディのお母さんも実家に強く出られないのかな……」
「オーラスの奥様ご自身は方々でご実家についてのご不満を漏らしている様です。それでも逆らえない、というのはやはり取引があるからなのかもしれませんね」
「そんなに嫌なら、別のところから紙を買えばいいんじゃ……」
そう言ったのはローアだ。けれどもそれはそう簡単な事ではない。
「イドネの紙以外を敢えて扱うのはそう簡単ではないかと」
「なんで?」
「イドネの紙と同等の紙はそれほどありません。無いわけではありませんが……王都で扱われてる上質の紙は殆どがイドネ産です」
「でも無いわけでもないんだろ?」
「はい。でも……イドネ伯爵領から王都までは流通経路も確保されておりますし、供給の安定性でも群を抜いていますから」
「王都での市場占有率で優位に立ってるから?」
「はい。王都ではほぼ独占しています。東部ではまた別の産地の紙が良く使われているらしいですが」
それに王都でも、チラシ等に使われる低質な紙や、手紙などで(特に女性が好んで使う)透かしや香りが付けられた物はまた別の産地の物が幅を利かせている。けれど、保存性を要求される文書、書物、等に使われる上質紙はイドネ産が主である。
「つまり、王都で本屋をやる以上、取引を止めるのは難しい……?」
サラが眉根を寄せる。
「はい」
「ルディのお母さんの実家がその紙を作ってるとして……じゃあ、仕えてる貴族様っていうのはそのイドネ伯爵になるのかな」
「恐らく。上質紙の大量生産をする技術をもって、イドネ伯爵に何らかの優遇を受けているのではないかと。代々繋がりがあってもおかしくはありません」
「ううむ……じゃさ、そのイドネ伯爵がどんな人かって、知ってる?」
「直接お会いした事はありませんし……噂も、私が知る限りでは……カルア、どうでしょう?」
「私も、あまり。王都にお住いの貴族様方ならともかくも、イドネ家は普段領地の方においでですし……噂も流れていないんじゃないかと」
「そっか……」
そう言って考え込むサラが、あまりに難しい顔をしているので聞いてみた。
「それにしても、どうしてそこまで気にしているんですか?」
サラが眉根を寄せて考え込む顔などこれまであまり見たことが無い。いや、本を読んでいる時はよくしているけれど。本を読んでいる時のサラは読んでいる場面に合わせてか、表情がくるくると変わるので見ていると面白い。それでもこうして話している時に険しい顔をするのは珍しい。
私の質問に、サラは困った顔をした。
「ルディのお母さんが困ってるみたいだったから。どんな家なのかなって気になって」
「そうですか……」
ふと、違和感を感じる。困っていると聞いたのはローアで、それをサラは知らなかったのではないだろうか、と。でも、ローアが聞いたような事をサラもまた聞いていたのかもしれない。と思い直した。
「確かに、オーラスの奥様がそこまで嫌がるのでしたら何か理由があるのかもしれませんね。貴族へのご挨拶は本来そんなに忌避するような事ではありませんし」
本屋であれば、営業の機会にもなるだろう。技術階級で商売をする人間にとって、貴族とのつながりは寧ろ歓迎できるものであるはずだ。
「例えば、変な性癖があるとか」
サラの言葉に、ローアが首を傾げる。
「変なって……」
「例えば……小児性愛者とか」
「それって……」
ローアがきょとんとし、何か言おうとしたのを、カルアが鋭い視線で封殺した。それから笑って無い笑顔でサラに詰め寄る。
「サラ様。普段どのような書物を読んでおいでなのか、お聞きしても?」
「いや! 変な本は読んでませんよ!?」
「左様でございますか。そのような言葉をどこで覚えたのか大変気になりますけれども、リィリヤ様の前で変な単語を口にしないでくださいませ」
「すみません!」
初めて聞いた言葉だけれど、何となく意味は推測できる。もしイドネ伯爵がそういう嗜好を持っているのだとしたら、確かに娘を合わせたくは無いだろう。可愛い子であるのなら、尚更。
「どこから出て来たんですかその発想は」
カルアが呆れる。
「例えば貴族様が平民でそういう欲求を満たすのって……」
「サラ様、本当にどこでそういうお話を聞いたんですか?」
「ええっとまあ、小耳にはさむこともあります。それより、貴族様が平民でそういう事するのって……許されてるんですか?」
サラのその質問に、カルアが言葉を詰まらせたので、代わりに答えた。
「……貴族であっても、無闇に誰かを虐げていいわけではありません。平民が相手であってもそれは処罰の対象です」
サラの視線が私に向く。ローアはさっきからいまいち内容が分かっていないようだけれど、話の内容があまり楽しくないと言う事は分かるらしい。微妙な表情をしていた。
「じゃあ、もしどこかに訴えれば」
「証拠という物が必要になります。……それを示すのは、難しいと言えるでしょう」
カルアが苦々しい口調でいう。
「そっか……」
サラがまた考え込む。そんなサラを、カルアが険しい顔で見た。
「サラ様……ローア様とリィリヤ様にも……身分をわきまえぬ苦言ではありますが、お聞きいただきたい事が」
そんな前置きと共に私たちの顔を順々に見る。
「今話したことは、『そういう事もあるかもしれない』事に過ぎません。イドネ伯爵について私たちは殆ど何も、正しい事を知らない。それは分かりますね?」
サラが俯く。カルアがそんなサラの様子に少しだけ表情を緩めた。
「このような推測を事実の様に考えて話せば……それは中傷になります。そんな噂は珍しいものではありませんが、私は皆様にそのような事をする方になって欲しくはありません。どうかその点、お気を付けを」
カルアが私に耳に入れる噂話は、その情報の確度と共に伝えられる。恐らくは中傷であるもの、ある程度の信頼性があるけれど確実とは言えないもの、真実であろうと思われるもの、それらの違いがはっきり分かるように話してくれる。
不確かな噂話が人にもたらす害を、私も知っているのだ。それだけで社交界に出られなくなってしまった人も居るのだから。
「ごめんなさい。気を付けます」
サラがぺこりと頭を下げた。カルアが表情を緩めて
「そんなに気になるのでしたら、私の方でも知り合いに聞いてみましょう。オーラスの奥様にも」
「ありがとうございます」
そう言ってサラは微笑む。けれどもそれはどこか作った表情のようで、それが気にかかった。




