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第6章 9

 本日は七夕ですね。

 皆さんも、星に願いを祈りましょう。

 ◇




「クリス兄ぃ! クリス兄ぃ!!」

「――ぅ、あ……?」


 駆け寄ったアルに揺さぶられ、クリスは真っ白だった視界が少しずつ色付いていくのを感じた。

 ぼんやりと空を見ていたクリスであったが、徐々に、瞳に生気が戻ってくる。


「あ、……あれ、僕は? ――うわっ!?」


 ゆっくりと体を起こしたクリスに、堪らずアルが、飛び付いた。

 クリスは驚きの声をあげると同時に、盛大に噎せ込んだ。

 気道ごと絞められていたのだから、当然である。


「うあぁ~~、クリス兄ぃ~~」

「ア、アル、どうしてそんなに泣いてるんだい?」

「だって、だってぇ、クリス兄ぃが、死んじゃったかと思ったんだもん」

「僕が……?」


 ゴホゴホと咳き込みながら徐々に記憶もはっきりとしてきたクリスは、今何をしていたのかを思い出すと、ハッと立ち上がり、そして構えた。


「クリス兄ぃ?」

「アル、あの男は!」


 あの黒髪の男は今度はどこから攻めてくるのだ、とクリスは視線を巡らせ、


「……はっ?」


――何故か地べたに座っている修一を見つけた。


「目は覚めたか、クリス」

「アンタ、一体何を――?」

「目は覚めましたか?」

「えっ」


 クリスが振り返ると、そこには茶髪の女性が立っていた。

 クリスが今まで出会った中でも、一、二を争うほどの美人であった。

 ただし今は真一文字に唇を引き結んでおり、それが美しさよりも、不機嫌さを醸し出していた。


「――クリスライト」

「は、はい……?」


 自分の名前を呼ばれ思わず返事をしたが、知り合いではないはずだと思い困惑する。


 クリスは、アルを見つけたときには隣に立っていた修一にばかり目がいっていたし、その後はアルに話しかけていたせいでノーラが修一に声を掛けていたところを見ていない。

 そのためノーラのことは、近くにいた通行人くらいにしか思っていなかったのだが、どうやらそれが思い違いだということに気付いたらしい。


「シューイチさんの隣に正座しなさい」

「あ、あの、貴女は?」


 クリスが誰何すると、ノーラはスッと目を細めた。

 美人なだけに、そうすることで不機嫌さが一層際立つ。クリスは思わず背筋をピンと伸ばした。

 怖かった、ひたすらに。


「私の事は構いません、早くしなさい」

「……はい」


 まるで、出来の悪い生徒を叱る教師のように、ノーラは静かにそう告げた。

 恐ろしさのあまり、正座とは何か、と聞くことも出来ないクリスは、修一の隣に行くと見よう見まねで正座した。

 足の痛みを堪えつつ、隣の修一に確認しようとする。


「ね、ねえ、あの人は一体、」

「……静かにしてろ、クリス」


 俺たちは今から怒られるんだからよ、と続けたあと黙ってしまった修一を、クリスは先程までの怒りも忘れてじっと見つめた。



 まるで怯えているようだったからだ、この男が。



「さて、二人とも」

「!」

「……」


 ノーラが、仲良く正座する二人の前に立つ。

 修一から預かっていた騎士剣を杖のようにして両手で持ち、カツンと地面に打ち付けた。

 ノーラの身長はそれほど高くないが、それでも正座している二人よりは目線が高い。

 何かを堪えるように引き結ばれた口元と、自分たちを見下ろしてくる冷たい視線を見てクリスはようやく気付いた。


 ――あっ、この人怒らせちゃいけない人なんだ。


 という事に。




 ◇




「ん?」

「…………?」

「どうしました、シショー?」


 まるで風になったかのように猛烈な速度で駆けていた師匠が、唐突に速度を緩めた。


 風追加速魔術を使ってその後を追っていたメイビーとヘレンは、急に速度を落とした師匠に追い付いてしまい、慌てて走るのを止める。


「ど、どうしたの?」

「は、速い……」


 二人は、魔術を使っても尚全力で走ることを余儀なくされていたため息があがっている。

 師匠は仏頂面のまま、二人に振り返った。

 息一つ乱さず、師匠は自分が感じたことを二人に伝えた。


「戦闘が終了した」

「へ? 本当?」


 「ああ」と頷いた師匠は、しかし不思議そうに首を傾げた。


「ただ、なにやら様子がおかしい」

「おかしいって、どんな?」

「そこまでは分からん、が、喫緊の危険はなさそうだ」

「ふうん?」


 そう言いながら師匠は、背中に乗っていたタツキを下ろし、右手に持っていたトランクを地面に置いた。

 さらに、左腕で抱えていたレイを足元に下ろす横でタツキがトランクを背負い上げ、メイビーたちに向き直る。


「お姉さんお姉さん、ここからは急がなくていいみたいなので、歩いて行きましょう」

「うん、分かった」


 正直言って助かった、とメイビーは思う。

 自分は兎も角、ヘレンが少しばかり辛そうだっからだ。


「よ、よく、そんな速さで走れ、ますね?」

「鍛えているからな」

「は、はあ……?」


 そういう問題では無いとも思ったが、ヘレンはその言葉を飲み込んだ。

 基本的に、人見知りをするタイプなのである。

 悪い人ではないとはいえ、そういうことを言う事は彼女にとって難易度が高かった。



 間もなく大通りに戻れる位置まで来ていたため、そのまま大通りに出て港を目指す。

 行き交う人波を躱しつつ港に辿り着くとメイビーは、さて、修一たちはどこだろうと視線を彷徨わせる。

 キョロキョロと周囲を見回していると、ヘレンが「あっ」と言って指差した。


「あれ、ノーラさんじゃ、ないかな?」

「ああ、本当だ」


 ヘレンの細い指が指し示す先には、こちらに背を向けて立つノーラがいた。

 メイビーが、修一はどこだろう、ひょっとして戦うために離れたのかな、と考えながらノーラに近寄ろうとすると、今度はレイが裾を引っ張ってきた。


「…………おとうさん、いた」

「え、嘘、どこに……、って、もしかしてアレ?」


 メイビーが近寄っていくと、ノーラに向かい合うようにして座る二人の姿が見える。

 片方は見たことがない男の子だが、もう片方は修一である。

 ノーラの足下にも知らない女の子がいたが、服装と髪の色から鑑みて、もう一人の少年の関係者であろうか。


 そこまで把握したメイビーは、ノーラに声を掛けようとして手を上げ、


「ノーラ、そんなところで何を――」

「聞いていますかシューイチさん!」


――ピタリと足を止めた。


「ちゃんと聞いてるよ」

「本当ですね? それなら構いませんが。

 ――クリスライト!」

「は、はい……!」


 ビクリと肩を震わせて返事をしたのは、修一の隣に座っている神官服の少年だった。

 彼は、痛みに耐えているみたいに苦しそうな顔で俯いていたのだが、ノーラの声を受けて顔を上げる。

 今にも泣きそうになっていた。


「貴方も貴方です。出会い頭に人を殴るなど、貴方はどのような教育を受けてきたのですか。貴方のご両親はそんな風に貴方を育てたのですか? そもそもの話が、アルから目を放して一体何をしていたというのですか。貴方がこの子の保護者代わりであるのなら、片時たりとも目を放してはならないでしょう。ようやく見つけて焦っていたのだとは思いますが、焦るくらいならそうならないようにきちんと責任を果たすべきではありませんか?

 それというのに貴方は――――、」


 ノーラの容赦ないお説教に、クリスはただひたすら「はい、はい、」と繰り返していた。

 完全に目が死んでいる。


 隣では修一が、微動だにせずノーラの話を聞いている。

 時折機械的に頷いている以外、瞬きすらしていないように見えた。

 一度アルが「もうお兄さまをいじめないで」と言ってみたのだが、ノーラは「虐めてはいません、叱っているのです。悪いことをしたら叱られるのは当然です」とすげなく切って捨ててしまった。

 ノーラもマジである。


「……」


 そしてメイビーは、そっと手を下ろすと、くるりとターンしてその場から立ち去ろうとした。

 するとヘレンに行く手を遮られる。

 メイビーは信じられないといった表情で立ち塞がるヘレンを見つめた。


「どこ行くの、メイビー」


 若干、咎めるようにしてヘレンが問うてきた。


「ちょっと、急用を思い出して」

「アレ以上の急用がどこにあるっていうのよ」


 ヘレンの言う通りではあるが、はっきり言ってアレには関わりたくない。

 とばっちりが来るかもしれなかった。


 すると、こちらに気付いた修一が、口パクで何か言ってくる。


「助けてくれ、と言っているぞ」

「……だろうねえ」


 師匠に言われるまでもなくそうだろう。

 自分だって、同じ状況になればそうするだろう事が確信出来た。


「…………のーら、おこってるの?」

「うん、とっても怒ってるね」


 だから話しかけたくないんだけど、とまでは流石に言わない。


 メイビーは、さてどうしたものかと悩んでいたが、ヘレンに肘でつつかれると、深く溜め息を吐いた。

 やっぱり僕が行かなきゃダメだよねえ、と観念したメイビーは、コホンと咳払いをして、一堂の中から歩み出る。


 ノーラの真後ろまで行くと、努めて明るい声でノーラを呼んだ。


「やあ、ノーラ」


 呼ばれて振り返ったノーラの顔は、怒っている、というよりも、呆れ果ててしまっている、といった感じであった。

 すでに峠は越しているようで、これなら大丈夫かな、とメイビーは内心で安堵した。


「おや、メイビーではありませんか、貴女たちも港に来たのですか」

「うん、それより、これはどういう状況なの?

 その、シューイチの隣に座ってる男の子は誰?」

「ああ、これはですね」


 ノーラが、端的にまとめて事情を説明すると、メイビーは「ああ、それで……」と深く頷いた。


 要は、修一とクリスライトなる少年がケンカして、それをノーラが叱り付けているらしい。

 なんとも、下らないと言えば下らない話ではあるが、まあ、男の子同士の喧嘩など大抵は下らない事に本気になるから起きるものだろう。

 修一も、そこのクリスライトとやらも、お互いに譲れない何かがあったのだろう、多分、とメイビーは納得し、よって哀れな二人の少年を弁護することに決めた。

 その気持ちは、メイビーにも分からなくはないのだ。


「ま、ま、ノーラの怒りも分かるけどさ、もう二人とも、じゅーぶんに反省してるって。そろそろ許してあげなよ」

「しかしですね……」

「それに、僕らの方もさっき知り合った人たちと一緒だから、あんまりあの人たちの前で怒っちゃあ、二人が可哀想だよ」

「む……」


 そう言われ、ノーラは初めて師匠とタツキの存在に気付いたらしい。

 無言で会釈してくる師匠と、ニッコリ笑ってお辞儀をしてくるタツキを見て、ばつが悪そうに言葉を飲み込む。


 修一とクリスに視線を向けると、二人とも表面的には反省してますとばかりに神妙な顔付きで俯いている。

 黙り込んだまま固まっている修一は兎も角、クリスについては本気で項垂れているように思えた。


「二人とも、本当に反省していますか?」

「……」

「はい、反省、してます……」


 ノーラは何秒間か二人の顔をじっと見つめていたか、やがて「分かりました」と呟くと、二人から視線を外した。


「それならこれで終わりにします。

 二人とも、正座を止めても構いませんよ」

「……了解」

「はい……」


 修一とクリスにそう告げると、ノーラは師匠たちに歩み寄っていき「お見苦しいところをお見せしました」と頭を下げた。

 「いや、気にしてない」とだけ告げた師匠と「お姉さん、とっても美人ですね!」と自分の考えをそのまま口にするタツキに、ノーラは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべている。


 ヘレンが間に立ってお互いを紹介しているその一方で、ようやく終わった、と二人揃って安堵の息を吐いたのは修一とクリスである。

 メイビーが笑いながら「良かったね、勘弁してもらえて」と言ってきたので、二人は素直にお礼を述べた。


「ああ、全くだ、ありがとな、ノーラを宥めてくれて」

「まあ、たまにはね。

 えっと、クリスライト君、だっけ? 君も災難だったねえ、シューイチと一緒にお説教なんて」

「い、いえ、ありがとうございました」

「はは、どういたしまして」

「――」


 そう言ってニッコリ笑ったメイビーを見て、クリスは数瞬動きを止める。


 なにやらほんのり頬が熱い、とクリスは他人事のようにそう感じた。


「? お兄さま?」


 そして、アルが自分を不思議そうな目で見ていることに気付いて、慌ててかぶりを振った。

 今、自分は何を考えていたのだろう。


「しかし……、直に正座したら流石に痛いな、おい、お前は大丈夫か、クリス」

「……あ、うん、大丈――っ!?」

「うわっ!?」


 隣で立ち上がった修一に問われたクリスは、初めての正座のせいか足の痺れを深く考えずに立ち上がろうとし、半分感覚がなくなっている両足はクリスの意に反して膝から崩れた。


 そして、目の前に立っているメイビーの胸に、顔から倒れ込んだ。


「――――!?」


 ほとんど膨らみのない胸に顔を押し付ける形となったクリスであるが、それでも感じる女性らしさの象徴の、その柔らかさを顔全体に受けて、ピタリと動きを止めた。

 しかも、メイビーが思わずといった感じで抱き留めてしまったものだから、運動後のためか少し高めの彼女の体温と、ほのかに汗が混じったような胸元の匂いをまともに感じてしまい、クリスの頭の中は一瞬で真っ白になった。

 ドクン、と、自分の心臓の鼓動がやけに耳に響く。


 目を見開いて固まってしまった神官少年に、メイビーが少しばかり照れた様子で「だ、大丈夫?」と聞いたが、当のクリスはその言葉を聞いて恐々と、メイビーを見上げるだけだ。


「…………」

「え、えっと、クリスライト君?」

「――――、っ!!!?」


 サッ、と刷毛で刷いたみたいに顔を赤らめるクリス。

 慌ててメイビーから離れようとして、そのまま後方に倒れて尻餅を付いた。

 修一がその様を見て、鬱陶しそうに舌打ちした。


「あ、ああ……! あ、あの! ご、ごめんなさい!! わ、わざとじゃないんです!」

「いやあ、まあ、僕は大丈夫だから、気にしなくてもいいよ」

「で、でも、こんな、は、破廉恥な……!」


 大いに狼狽えるクリスに、メイビーが困ったように頬を掻く。

 そこで修一がクリスの頭を叩いた。

 スパン、と軽快な音が鳴って、クリスは頭を押さえた。


「痛っ!?」

「おら、そんな事で動揺してんじゃねえよクソガキ、さっさと立ちやがれ」


 修一が苛ついたようにそう吐き捨てる。

 クリスは修一の言い方にムッとしたのか、すぐさま立ち上がると修一に噛み付いた。


「また、クソガキって!」

「女に抱き付いて喜んでるんだ、立派なクソガキだろうが」

「い、今のはただの事故だから!」

「そうかい」


 それだけ言うと修一はさっと歩き出して、ノーラのところに行った。

 残されたクリスはまだ何か言おうとしたが、隣に立つメイビーと不意に目が合うと、また顔を赤く染めて言葉に詰まる。

 先程嗅いだ彼女の匂いを思い出して、どうしようもなく心臓が跳ねた。


「お兄さま、大丈夫?」

「!! あ、ああ、大丈夫だよ、アル」

「ほんとう? もう、首はいたくない?」

「……も、勿論だよ」


 ああそっちのことか、と思ったクリスは、その直後、それ以外に何があるんだ、と自分の考えに驚愕した。



 ――さっきから僕は何を考えているんだ!? しっかりしろ、クリスライト!



「まあ、クリスライト君、それと、アルちゃんでいいのかな? 取り合えずあっちに行こうよ、シューイチたちが待ってるからさ」

「は、はい!」

「うん……」


 クリスは、不思議と高鳴る胸の鼓動にひたすら困惑しながらも、メイビーの言うことに従った。



 それを見ていた修一が一際大きく舌打ちし、レイが不思議そうに首を傾げた。




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