第5章 19
◇
修一が、慌ててレイの無事を確認しているのを横目に、緊張と疲労で座り込んだゼーベンヌは、ぼんやりとした頭で、目の前に倒れる女を眺めていた。
――やった、のよね? 私が、こいつを、倒したのよね?
先程のような濃密な命のやり取りは、彼女にとって初めての事ではない。
入団し、育成期間を経た後に第五騎士団に配属された彼女は、先輩や同期生たちとともに何度か魔物の討伐に赴いたし、時には犯罪者たちを捕縛すべく、アジトを強襲したこともある。
当然、一筋縄ではいかないこともあり、一度戦闘になれば、不慮の事故だって起こり得た。
相手を斬り伏せたことだって、一度や二度ではないのだ。
「……」
それでもゼーベンヌは、へたりこんだ自分自身を笑うことなどできなかった。
今し方のあれは、今までのそれとは、まるで違っていた。
自分より、遥かに強い存在が、全霊を込めて襲いかかってくる。
例え手負いとはいえ、そこから発せられる殺気と狂気は、まともに立ち向かえば心挫けそうになりそうだった。
「レイ、大丈夫か? 怪我はないか?」
「…………うん、だいじょうぶ」
ただ、ゼーベンヌはそこで踏み留まり、敵の決死の一撃を躱しながら、その懐に飛び込んだ。
そして、その心臓を穿ったのだ。
それが出来たのは、果たして自分自身の力だったのか、それはゼーベンヌには分からなかったが、少なくともあの瞬間、自分は、躊躇うことなくその身を投げ出せた。
それだけは、誇っても良いのではないか。
ゼーベンヌは、確かにそう思えた。
「いやあ、流石ゼーちゃんだ。
君はやるときはやる子だと思っていたけど、本当に、よくやってくれたよ」
そうして、取り留めのない思考を続けていたゼーベンヌに、エイジャが優しく声を掛ける。
穏やかに微笑みながら誉めてくれる隊長に、ゼーベンヌはなんと返せば良いのか分からなかったが、それでも、隊長が自分の事を認めてくれたような気がして、少しだけ元気が出てきた。
「……隊長」
まあ、エイジャは初めからゼーベンヌの事を信頼していたし、だから今ゼーベンヌが感じた気持ちははっきり言ってしまえば勘違いだ。
ただ、それを受け取る側がそうではなくて、たった今、そう思えるようになったのだから、ゼーベンヌにしてみれば、今、認められたに等しいのだ。
そこは、間違いではないだろう。
「…………ぜーべんぬが、まもってくれたから」
「……!」
そして、修一から色々と確認されているレイの言葉が聞こえ、ゼーベンヌがそちらに目を向けると、神妙な顔付きをした修一が、こちらに向かって頭を下げた。
「すまんかった。危うくレイに怪我させるところだった」
「……」
修一が謝ってくるが、そんな必要はないと思った。
彼がいなければ、自分たちは更に苦戦していただろうし、あれだけの戦闘能力を持つ相手と斬り合える修一が、ああして抑え込んでくれていなければ、こうして倒すことも出来なかったのではないかと思う。
だからゼーベンヌは、気にしなくてもいいわ、と言おうとして、それより先にエイジャが、皮肉のような口振りで修一を非難した。
「全く、俺があれほどレイちゃんを守れと言っておいたのに、シュウ君ったら敵と戦う事ばかり考えてるんだから」
「うぐっ」
「た、隊長?」
そんな風に言うのはあんまりではないか、と言おうとしたゼーベンヌであったが、エイジャの口元が僅かではあるが楽しげに歪んでいるのを見て、ああ、と思い至った。
これは、エイジャなりのジョークであり、修一をからかっているのだと。
「しかも、最終的にレイちゃんを守ったのはウチのゼーちゃんだよ?
あれだけ大きな事を言っておきながら、それじゃあダメなんじゃないかな?」
「……面目ない」
「ねえ、ゼーちゃんだってそう思わない?」
「えっ?」
――私に振ってきますか?
楽しげな視線をこちらに向けるエイジャと、困ったような表情でこちらを見てくる修一。
修一からは戦闘中のような気迫は感じられず、そこにいるのは、年相応の顔付きで、こちらを窺ってくる少年でしかない。
そんな修一の姿に、ゼーベンヌは思わずフッと笑みを溢し。
「そうですね。大口叩く割には、大したことなかったですね」
「んなっ!?」
そう、言ってみたのだった。
その後のやり取りは思ったよりも楽しかったし、こういうのも悪くないと思えた。
◇
「つまり、これは火薬を使用する銃なんだよ」
「ふうん」
通路をさらに奥へと進みながら修一は、エイジャが右腰に吊っている銃を見せてもらっていた。
そしてそれにより、銃の事などあまり詳しくない修一でもはっきり分かった。
「……俺の知ってる銃そのものだ」
「あれ、シュウ君は火薬銃を知ってるの?」
「ああ」
修一は、「絶対に、銃口を人に向けないように」と言って渡された銃をしげしげと眺めながら、自分の認識が間違っていないことを確信する。
銃の形状は中折れ式の輪胴式拳銃、装弾数は六発、撃鉄を自分で起こす構造の所謂シングルアクションタイプであり、銃身にはきちんとライフリングが刻まれていた。
「……へえ」
弾倉を開くと、中には五発分の空薬莢と一発の弾薬が入ったままになっている。未使用の弾丸を取り出してみると、まさしく現代の銃弾そのもののように思えた。
無論実際には細部が異なっているのだが、修一も実弾を見たことはないため、その差異には気付かない。ただ、そんな修一でも分かる程度には、似通った部分が多い。
「弾頭は、鉛じゃないんだな」
「詳しいね。本来なら鉛が使われてるけど、俺は銀に換えてるんだよ。普段は使わないモノだし、それなら高価な物にしておいても良いよね、って思ってさ」
「成程な」
「あと、あんまり無暗に触ると危ないよ?
聖別もしてあるから、聖なる力でバチッてなるかも」
静電気かよ、と言いかけたが、止めにした。
代わりに、分からないことを聞いてみる。
「聖別ってなんだ?」
「貴方は、そんな事も、知らないの?」
呆れたように言ってくるゼーベンヌであるが、彼女の声は荒い息に紛れて聞き取りづらい。しかも、膝はプルプルと震えている。
「…………だいじょうぶ?」
「平気よ、レイちゃん、このくらいなら」
そう言うゼーベンヌであるが、傍目に見て、あまり大丈夫そうには見えない。
何故なら、今現在レイを背負っているのがゼーベンヌであり、戦闘の疲労も合わせて一番消耗している彼女は、五歳の子どもを背負うだけで足取りが覚束なくなっているのだ。
「そうさ、役立たずの俺なんかよりゼーベンヌの方がよっぽど大丈夫だ。
な、そうだろ? よもや、俺に代わってくれなんて言わないよな? 役立たずの俺に。役立たずの、この俺に」
「……勿論よ」
エイジャが「意外と根に持つんだね」と笑っているが、修一がへそを曲げている理由の半分ほどはこの男が原因である。
その皺寄せがゼーベンヌ一人に来ているのだから、なんとも酷い話だ。
「で? 聖別ってなんだよ?」
「簡単に言えば、神官なんかが神様の聖なる力を込めることよ。シューイチは、魔化武器は知ってるかしら」
「それは知ってる」
「それなら話は早いわ。
魔術式を刻むのが『魔化』、聖性を込めるのが『聖別』、呪いを掛けるのか『呪授』、よ。
呪いは、要は呪術の事ね」
「そうなのか」
呪いを掛けられた武器も実在すると教えられた修一は、「んなもん誰が使うんだよ」と呟いたが、騎士団内にも使用者はいるらしい。
そんなもの使わせて良いのかよ、と内心で思いつつ、そんな奴とは戦いたくないな、と苦笑した。
「ちなみに、それを聖別したのは神官隊の隊長だから、大抵の魔物には通用するよ。霊体なら、まあ、一撃だね」
「怖いな。
ん? そういえば、この銃は誰が発明したんだ?」
「そこまでは知らないねえ。これは、工業国家ルイガニエからの輸入品で、向こうでもほとんど出回ってないものを、知り合いの伝で譲ってもらったものだから」
「そうか、それなら仕方がないな」
もしかしたら、修一の他に元の世界から来た人間がいて、火薬銃を開発したのかもしれず、そうであれば元の世界に帰る手懸かりでもありはしないだろうかと期待したのだが、そうは上手く行かないらしい。
とりあえずは、ブリジスタで駄目ならルイガニエに行けば何か分かるかもしれない、とだけ覚えておくことにした。
かの国の詳しい話は、後でノーラにでも聞くことにする。
「弾丸もちょこちょこ送ってもらってるけど、数が少ないからあんまり訓練で使えないんだよ。
複製しようにも、この国の技術力じゃ難しいらしいし。薬莢もそうだけど、高品質の火薬だとか、この、雷管っていう部分とかが特に難しいんだってさ」
「ふーん」
「普通の銃と違って反動も凄いし、音が大きすぎて連発すると耳が痛いんだよ。威力はあるけど、射程はそんなに長くないし。
今回みたいに、通常の銃が使えないときには重宝するけど、普段はまあ、ただの重りかな」
「そうかい」
そうやって、エイジャの話に適当に耳を傾けていたところで、通路の先に再び広い空間が見えてきた。
そこから漂ってくる凄まじい臭気に顔を顰めながらも、四人は部屋の中に入っていった。
そこに広がる光景は――――。
◇
「っ!」
「おおっと、」
「……これは」
「…………」
まさしく、地獄絵図のようだった。
夥しい数の死体が、山のように積み重なっていた。
ほとんどが腐り始めていたし、中には白骨化したものもある。
オーガどもに食われたのか、腕や足のないものもあったし、腸が飛び出したものもある。
若い男のものだけでなく、女性や高齢者、明らかに子どものものと思われるものもあった。
おそらく、テグ村でいなくなった行方不明者ばかりだろう。
中には、別のところから連れてこられたものもいるかもしれない。
そして、顔の判別が出来るものは、皆、恐怖や苦痛に顔を歪めていた。
あまりの光景に、修一たちが言葉を失うなか、
「…………あっ、」
という、レイの声が響く。
それは、決して大きな声ではなかったが、誰も声を発しない今の状況において、その声は、よく響いたのだ。
「レイ……?」
「…………あそこ」
「……あれ、なのか?」
「…………うん」
レイが指差した先、そこには、寄り添うように倒れ伏す、若い男女の遺体があった。
男は、この地方には珍しい黒髪で、一見して旅行者だと分かるような服を着ていた。
女は、長めの茶色い髪を一房にまとめており、本来ならふわふわとしていたであろうその髪には、今は黒ずんで固まった血がベッタリとこびり付いている。
レイは、ゼーベンヌの背中から飛び降りて、そこに駆け寄ろうとする。
それを修一が、腕を掴んで引き留めた。
「待て。ただでさえ空気が悪いんだ。
不用意に近付くと病気になるかもしれない」
「…………でも」
「……分かってる。エイジャ、お前、消毒薬とか持ってるか?」
「なくはないけど、そんなものではどうにもならないと思うよ?」
「構わない、ないよりはマシだ。
それに、俺も一緒に行く」
「……これが、必要なことなのかい?」
「ああ、……必要だ。――そのために、レイはここまで来たんだ」
「……はあ、」
やれやれといった様子で肩を竦めたエイジャは、ポーチの中から小さな瓶と綺麗な布を取り出し、それを修一とレイに差し出した。
薬品を染み込ませた布で口元を覆うと薬品のツンとした臭いが鼻についたが、レイは文句の一つも言わずにそれを使った。
修一は、自分の口元にも同じように布を巻き、懐からもぼろ切れを取り出した。
そして、レイの手を引いて、ゆっくりと遺体に近付いていく。
「……っ」
「…………」
距離にすれば、僅か数メートルほどのはずなのに、やけに遠く感じられる。
不意に、レイが握る手に力を込めてきた。
「……?」
「…………」
どうした、と聞こうとして、不安そうに前を見据えるレイの様子に、無意識的に手に力が篭ったのだと悟る。
だから修一は、少しだけ力を篭めて、手を握り返してあげた。
それが伝わったのか修一には分からなかったが、ほんの少しだけ、レイの顔から強張りが取れた気がした。
そして二人は、遺体の傍に辿り着く。
寄り添う二人に、修一は合掌し、僅かに黙礼を捧げると、ぼろ切れ越しに遺体に触れ、寄り添う二人を仰向けに起こした。
「…………!!!」
「間違い、ないか?」
「…………」
レイは、小さく頷いた。
「……そうか」
「…………うん」
そのまま黙り込んで、立ち尽くすレイ。
修一は、そんなレイに、掛ける言葉を見つけられなかった。
「…………」
「…………」
それでも修一は、レイは強い子だと思う。
この子は、目の前の事実を受け入れようとしているのだ。
まだ、親に甘えたい年頃の子が、もう二度と、それは叶わないということをきちんと理解したうえで、その事実を呑み込もうとしているのだ。
そして、レイならそれが出来るだろうと、修一は根拠もなく、そう思った。
「…………」
「…………」
だから修一は、レイがそうやって自分の心に折り合いをつけられるまで、待つことにした。
例え、どれだけ時間が掛かったとしても、レイならきっと乗り越えられる。
修一は、確かにそう思えたのだ。
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