第5章 11
◇
修一の唐突な行動は見る者全てを唖然とさせた。
剣を突き付けられた宿の主人もそうであるし、エイジャやカブも血迷ったかのような修一の態度に声を発せないでいた。ただ、ノーラとメイビーに関しては、驚きつつも事の推移を見守るだけの心の余裕があった。修一の突拍子もない振る舞いは今に始まったことではないし、何度も驚かされれば嫌でも慣れる。慣れてしまうことが良いか悪いかは別として、今この時においては、他の者たちよりも冷静に修一の動静を見守ることができていた。
食堂内で食事をしていた他の客の一人が慌てて店外に飛び出していったのを横目に見ながら、修一は不機嫌そうに問いを重ねる。
「おい、黙ってないで答えろよ」
「あっ、え?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい、貴方は何を言っているの?」
「あん?」
怯える宿の主人を見て、ゼーベンヌが慌てたように修一を止める。
彼女は最初の自己紹介以外に修一とまともに会話をしていないため、修一の人間性を知らない。それに、まだ宿の主人の方が交わした言葉も多いことを思えば、いきなり修一が訳の分からないことを言えば止めるのは当然といえた。
「貴方は、その人が人間じゃないと言うの?」
「そうだよ、さっきそう言っただろ」
ゼーベンヌは、何を馬鹿なことを、といった態度で修一を咎めた。
「そんな訳ないわ、その人は間違いなくこの村の人間よ。村長さんだって言っていたわ、この宿の主人は子どものころから知っている、親の代からここの宿を経営している村の中でも古株になる方だって」
「へえ、そうなのか?」
修一が剣を突き付けた男に問うと、宿の主人は僅かに顔を青褪めさせながら、ゆっくりと頷く。剣を突き付けられたためか、その大柄な体を小さく縮めていた。
「はい、……そちらのお客さんの言うとおりです。親父から宿を継いでかれこれ十年、生まれたときから数えれば三十年以上この村で生活をしています」
「ほらみなさい」
ゼーベンヌが我が意を得たとばかりに言ってのける。それはこの村全員の総意でもあったろうし、エイジャですらそれを疑うことはしなかった。
だが、修一はそんなこと知らないし、そうだと言われても認めるつもりはない。修一は宿の主人の言葉を鼻で笑って切って捨てた。
「はっ、それならどうしてそんな気持ち悪い体してんだよ。普通の人間がそんな体になる訳ねえだろうが。嘗めたこと言ってんじゃねえぞ、このド畜生が!」
「っ……!」
――この男!!
修一のあまりの言い種に、思わずカッとなるゼーベンヌ。今日の彼女は、色々あったせいで普段よりも感情的だ。そして感情のままに修一を怒鳴り付けようとして――。
「はい待ってー」
「っ!?」
メイビーに後ろから口を塞がれた。ご丁寧にハンカチまで用意して声が漏れないようにしている。
「シューイチー、どうしてそう思うの?」
「ンンッ!」
疑っているというより確認しているといった感じで、メイビーが問う。
そこに、エイジャまで乗っかってきたものだから、ゼーベンヌは驚くよりも先に困惑することとなる。
「俺も気になるな、シューイチ君。君は何をもって、その人が人間じゃないなどと言っているのかな? まさか君も、『勘』だなんて言うつもりかい?」
「ンムム(隊長)?」
「……アレと一緒にされると困るな。そんな大層なもんじゃねえし」
「それならどうして?」
修一は、いまだに小さくなって青褪めている男を一瞥し、そして答えた。
「……俺はさっきこいつのことを、チカラを使って見た。見たのは本当にたまたまだ。メイビーとの会話の中にこいつのことが出たから、なんとなくな。そしたら、だ」
「……」
「――こいつの体、熱流がなかった。全くだぞ、信じられるか? 俺の目には、こいつの体は木板で作った書き割りと同じに見える。こんなワケの分からない体した奴が人間だと? 馬鹿なこと言うなよ、アンタ。俺は生まれてこの方こんな生物を見たことが無い。動くなっ!!」
「ひいいっ!!」
僅かに後ずさりしようとした主人に、修一はさらに剣を突き付ける。
「怪しい動きをするな。なんなら動けないように、両手両足の骨を砕いたっていいんだぞ」
「ひっ……!」
「待つんだシューイチ君、俺はまだ納得していない。君の言う、『熱流がない』というのはどういう意味かな」
「そのままの意味だ。俺は熱の流れが見えるんだ。そして、生物ってのは体内を巡る血液によって熱が循環しているもんだし、筋肉から発生する熱は必ずしも均一ではなくムラができる。俺は、その僅かな差を視覚的に知ることができる」
「それは、何かの魔術かい?」
「違う、俺のチカラだ。ここでいう天恵ってやつだ」
「ふむ」
「だが、こいつの体には熱の流れもムラもない。見えるとこすべて同じ色だ。気持ち悪いったらありゃしない」
「…………」
エイジャはするりと立ち上がり、左腰の銃把に左手を掛けた。それを見たゼーベンヌの目が大きく見開かれる。
「なんの真似だ、エイジャ?」
「俺は、君が嘘を吐いているとは言わない。だが、それを信じ切ることもできない」
「へえ?」
「君の言っていることは君にしか分からないことだ。それを説明したとして、他の誰かがそれを確認できるのかい?」
「……不可能だな」
「そうだろうね、君が天恵を持っているのなら尚更だ。それは君にしか分からない。証明のしようがない。
なら俺は、君を止めざるを得ない。俺の仕事は知ってるだろう?」
「ああ」
あるいは、修一に対する信用がもっとあれば信じることもできた。もし仮にこれを言っているのがデザイアであれば、エイジャは躊躇いなく宿の主人に向けて引き金を引ける。
だが残念なことに、修一とは今日会ったばかりだ。いくらなんでもそんな相手の話を鵜呑みには出来ない。
エイジャはいつでも銃を抜ける体勢で、修一は男に剣を突き付けたまま、お互いに睨み合う。二人に間に張り詰めているのは濃密な戦意であり、緊張の糸でもある。それは、何かの拍子に崩れるであろう脆い均衡を支えている、細い命綱でもあった。
「シューイチ君、俺は君と戦いたくない」
「……」
「まず間違いなく、お互い無事じゃ済まない。折角友人になったのに、そんな事はしたくないよ」
「……友人、ね」
「ああ、友人だとも。それに、君だって迷っているんだろう? 本当に確信があるなら、こんな問答をする必要もない。乱暴な話だが、まず斬ってから証明してもいいんだ。それをしないのは、確信がないからだろ?」
「ざっと九十九パーセントだな。まず間違いなく、こいつは人間じゃない」
「それでも、百パーセントじゃないわけだ」
「っ……」
エイジャの指摘は、修一にはどうにもならない部分でもある。この世界には、魔力という修一にはよく分からない力が存在するため、物理法則そのものに元の世界との差異があるかもしれないのだ。
これが元の世界であれば宿の主人のような人間は存在し得ないのだが、ここではそうとは限らない。その考えが頭を過ぎってしまったため、修一も踏み止まっているのだ。
「……」
「……」
誰もが動けずにいると、次第に宿の外から数人の声と足音が聞こえてきた。慌てた様子で近付いてくる足音の正体に気付いたメイビーは、それを修一に伝えた。
「不味いよシューイチ、多分、警備隊の人たちだ。さっき飛び出していった人が呼んできたんだと思うよ」
「っ……」
「シューイチさん、このままでは」
この国の警察とでもいうべき存在である警備隊。それが来ていると分かった途端、宿の主人は安堵の笑みを浮かべ、反対に修一は苦い顔を浮かべる。
さっき飛び出した客、そいつは普通の人間であったから無視したが、そのまま警備隊を呼ばれたとなれば問題が変わってくる。
この場面を警備隊に見られれば、間違いなく修一のほうが取り押さえられる。警備隊の人間を叩き伏せるのは容易いだろうが、それをしてしまえば修一は言い訳のしようもなく犯罪者になる。
それは、できない。
まだ、ノーラの護衛は終わっていないのだから。
「シューイチ君、剣を納めろ。その姿を見られるのはよろしくない。申し開きのしようがない」
「……こいつは、絶対」
「あとで、俺も一緒にその男から話を聞いてやる。だから今は納めるんだ!」
「くっ……」
苦虫を噛み潰したような顔で修一が、剣を引こうとする。
その時――。
「証明出来ればいいのかい?」
「ウール?」
今まで黙って話を聞いていたウールが、ニヤリとした笑みを浮かべながら立ち上がる。カブが、こいつはこの状況で何をするつもりだ、と戦々恐々とする。
「エイジャさんも、シューイチも、要は残りの一パーセントが証明出来ればいいのかい?」
ウールは、全員の視線が自分に集まっているのを感じ、ますます楽しそうにしている。
修一は少しだけ呆気にとられたが、すぐに質問に答えた。
「あ、ああ、俺は、間違いなく、こいつが人間じゃないと信じている。だから、」
「そうかい、それなら――」
そこまで言ったところで大きな音とともに宿の扉が開かれ、警棒を手にした三人の警備隊隊員が入ってくる。その後ろにいる、飛び出していった客が修一を指差し「あの人です!」と叫んだ。
「貴様、そこを動くな!!」
大股で近付いてくる警備隊の隊員。エイジャは軽く舌打ちし、ノーラはどうにか弁明をすべく立ち上がる。宿の主人が手をあげて助けを求めようとし、メイビーはゼーベンヌから手を放して修一と隊員との間に割って入る。
修一が近付いてくる隊員を見て、「――そういうことか」と小さく漏らした。
そして、そんな諸々を一顧だにせず、ウールは、神様に、祈る。
「“神よ、魔性の者を追放したまえ、バニッシュ”!!」
「ぐああっ!?」
その瞬間、宿の主人が叫び声をあげて崩れ落ちた。
◇
「ぐおっ!!」
「くあっ! ――ガアアアアアアア!!」
メイビーが隊員の前に立ち塞がろうとしたと同時に、ウールの魔性追放神術が発動した。
そして、三人の隊員の中で比較的歳嵩の二人が宿の主人と同じように呻き声をあげ、――その内の一人は、その身を大きく変貌させていった。すぐさまメイビーが、その正体を見抜いた。
――こいつ、オーガだ!!!
「“ウインドアシスト”ッ!! “インビジ、ビリティ”!!」
「アアアアアッ!!」
服を突き破りながらその身と顔を鬼そのものに変化させていく隊員。正気を失ったような血走った目で、目の前に立つメイビーに向けて警棒を振る。
警棒が当たる直前、メイビーの姿が掻き消え、男――オーガの腕は空を切る。
「こっちだよ!!」
「グガアッ!」
姿を消し加速したメイビーが、小剣で三度斬り付けた。
伸ばした右腕の上腕部、踏み込んだ右足の内腿、無防備に晒された首元、流れるように剣を振りそれぞれに存在する太い血管を切断していく。
傷口から大量に吹き出す血を躱しながら人間離れした速度で背後に回り込んだメイビーは、トドメとばかりに背中から心臓を一突きした。小剣を捻りながら引き抜くとオーガはその場に崩れ落ち、メイビーは振り返って次の獲物へ踏み込んでいく。その姿は、不可視化魔術の効果によって誰の目にも映ることはない。
――もう一人も!!
ウールが使用した魔性追放神術は、範囲内にいる魔族や魔物に対してのみ効果を及ぼすものだ。人間には何の効果も及ぼさず、それゆえ動きの止まったもう一人の隊員も、メイビーは倒すべき敵であると判断したのだ。
「せやあっ!!」
ようやく体の硬直が解けたもう一人の隊員も、メイビーの繰り出す見えざる鋭刃を避けることは出来なかった。
懐に飛び込んで真正面に捉えた男ののどを掻っ捌き、返す刀で左脇腹――肋骨の隙間に小剣を刺し込んだメイビーは、心臓ごと引き抜く勢いで胸部前面に向かって刃を滑らせた。肋骨に沿って滑る銀色の刃が、赤い血潮の源をいとも容易く切り裂いた。
「げぶうっ」
「ひっ!?」
何が起きたか分からず、ただ一人となってしまった若い隊員は、目の前でオーガになった先輩といきなり血を吐いた先輩の姿の姿を見て、軽い恐慌状態となった。慌てて二人から距離を取ろうとして、口から血を吐いた先輩がこちらを見ていることに気が付いた。
「うわあっ!」
「がああっ!!」
血を吐きながら真っ赤に光る目でこちらを見据え、警棒で殴り掛かろうとしてくる先輩――元先輩の悪鬼のような表情に足を竦ませる。
「っ!?」
そのまま警棒を振り抜かれ、頭部への直撃は免れないかに思えたが、不意に誰かに後ろ襟を掴まれ後方に引き倒された。目の前で空を切る警棒に、ゾッとする若い隊員。その耳元で若い女性の声が響く。
「“ウインドカッター”!!」
「“神よ、かの者に痛みを与えたまえ、フォース”!」
元先輩の胸元が横一文字に切り裂かれ、遅れて聞こえてきた祈りの言葉によって、見えない手に横殴りにされたように元先輩の体が吹き飛んだ。
ウールの神威気弾神術がトドメとなり吹き飛んだ男が動かなくなったと分かったメイビーは、修一たちの方はどうなったと視線を巡らす。
不完全な詠唱のせいで短くなっていた不可視化魔術の効果時間が終わり、その姿を現したメイビーの目には、大きな穴が空いた宿の壁しか映らなかった。
――シューイチたちは!?
「ウール! みんな! シューイチたちはどこ!? ノーラ大丈夫!?」
「はい、まだ平気です。――シューイチさんとエイジャさんは、宿の主人を追って壁から飛び出していきました。ここにいない皆さんは、自室に武器と装備を取りに行っています」
そう言われよくよく見れば、カブとテリム、あとゼーベンヌの姿が無い。ウールは神術に必要な聖印を常に首から提げているし、ヘレンも二本のダガーを常に腰のベルトに差している。装備を整える必要がないのだろう。
「ウール、ヘレンちゃん」
「なんだい?」
「……なに?」
「皆が降りて来たら、外に出るよ。
――そこのお兄さん!」
「は、はいっ!」
メイビーは、動かなくなっている元人間の二体を指差し、若い隊員に指示を出す。
「この人たちは、オーガだった。オーガが化けていた。……その辺りのことを、奥で震えている他の客たちに説明してあげてよ。僕たちより、お兄さんの方が適任だろうからさ」
「へっ!? あ、あの?」
「いいからお願い、警備隊員さん」
「……はい、分かりました」
若い隊員は、恐々としながら立ち上がり、宿の奥に固まっている他の客たちに歩み寄る。彼がどのように説明をするのかは知らないが、それは彼に任せればいい。
その様子を見ながらメイビーも、どうするべきか考える。
――さて、僕たちはどうしようか、シューイチたちの後を追ってもいいんだけど、ノーラをここに置いていくと流石に不味いかな。連れて行くわけにもいかないし。それに――。
――――グオオオォォォォオオオオオ!!
その時、外から霧笛のような音が鳴り響く。音はかなりの遠くから聞こえているようだったが、それを聞いた隊員や他の客たちは、その音の悍ましさに肩を震わせた。
メイビーには分かる。あれはオーガの声だ。おそらく修一たちが追っているオーガが、何某かを叫んでいるのだ。
だからメイビーは、やっぱり残っておくべきだろうかな、と思う。
――まだ、終わってないだろうし。
「そこの貴方、それが終われば村長さんのところに行ってもらえるかしら。この村の失踪事件は、オーガの仕業に因るものだったって伝えてほしいのだけど」
そう発したのは、階段から下りてきたゼーベンヌだ。怒りに染まった表情で腰の剣を叩くその左手の拳頭には、擦り傷が出来て血が滲んでいた。彼女が何に怒り、二階で何をしてきたのか、それはメイビーには分からぬことであった。が、この時の彼女は、この日一番の感情の振れ幅で怒りを抱きながらも、どこか冷静ですらあった。
ゼーベンヌは、いきなりの言葉に困惑する隊員にすたすたと歩み寄って告げる。
「私は、ブリジスタ騎士団銃砲隊副隊長のゼーベンヌという者よ。村長さんの依頼で、この村で起きている失踪事件を調査しているの」
「えっ? 騎士団員、様、ですか?」
「そうよ、そして、こうも伝えてちょうだい。――これから村内及びその周辺で戦闘が発生する、誰一人として外を歩かないように、と」
その言葉の意味を瞬時に理解し切れなかった若い隊員であったが、宿のすぐ外から聞こえてきた唸り声に、ゼーベンヌは「やっぱりいいわ、ここにいなさい」と告げた。「あの、それはどういう――」と聞こうとした若い隊員にも、その理由が分かった。
――壁に空いた大穴の向こう側に、新たに数体のオーガと、それに従うように唸り声をあげている数匹の狼が現れたのだ。
「……ノーラ、ごめんだけど、そこのお兄さんたちと一緒に客たちを落ち着かせてきて」
「分かりました。メイビー、無茶はしないでくださいね」
「うん、頑張る」
装備を整え、遅れて下りてきたカブとテリムも宿の外を見て目を見開くが、すぐに気を引き締める。
冒険者として、この程度の修羅場は何度も潜り抜けてきた。
こんなところで死ぬつもりも、毛頭ない。
「テリム、ウール、ヘレン、気合入れていくぞ」
「はい」
「もちろんさ」
「うん」
宿の外に飛び出て先陣を切るカブたちに、メイビーとゼーベンヌも続く。
「これは、どのみちシューイチたちを追うのは無理かなー」
「そうかもね、でも、私はこれを片付けたら追うわ。絶対に」
「ふうん?」
メイビーはちらりとゼーベンヌを見るが、その瞳に宿る決意を感じ、何も言わなかった。
外で対峙する、化け物と人間たち。
夜の闇はその深さを増していたが、ウールの手に掛かれば関係ない。彼女は楽しそうに笑い、そして祈る。
「はっは! それじゃあドカンと行こうじゃないか! “太陽神よ、その力の一端を示し我が道を照らしたまえ、サンライト”!!」
祈りとともに中空に小さな光球が生じ、それはさながら極小の太陽のように付近一帯を明るく照らす。
魔物や獣どもと違い、普通の人間が闇夜の中で戦闘するのは難しい。だが、ウールの信仰する太陽神様の力を借りれば、この程度、造作も無いことである。
「ま、不利じゃなくなっただけで十分かな。見たところそんなに強そうじゃないし。
――とりあえず、僕も行こうかねえ」
そう呟いたメイビーの手の中で、擬似太陽の光を浴びた小剣がギラリと鈍く輝いていた。




