準備
移住の計画が実行に移されるまでの間、ジノーファたちは忙しく働いた。彼らが行った仕事は主にダンジョンの攻略だが、しかしそれだけをやっていたわけではない。移住計画の立案のほうにも、関わることになったのだ。
アヤロンの民は魔の森で暮らしており、そこからの移住(脱出)を願っている。そして今回、移住先はすでに決まっていた。移住先はアンタルヤ王国のネヴィーシェル辺境伯領。その最北に位置する、防衛線の指令所をまずは目指すことになる。
ただしそのためには、ダンジョンの中を通っていかなければならない。いや、地続きであるのだから、ダンジョンを使わずともアヤロンの里から南へ向かえば、ネヴィーシェル辺境伯領へは着くはずだ。
しかしそれは魔の森を徒歩で踏破するということ。モンスターや魔獣が跋扈する魔の森を歩いて抜けるのがどれだけ危険であるか、いまさら説明の必要はないだろう。
加えて距離の問題がある。ダンジョンを使わない場合、移動には最低でも十日はかかるというのが、ボルストやアヒムらの意見だ。実際には、未開の森を体力のない女子供に合わせて南下するのだから、時間はもっとかかるだろう。
モンスターや魔獣の危険、そして移動距離とそれにと伴う時間のことを合わせて考えれば、ダンジョンを使わずにネヴィーシェル辺境伯領へ向かうのは現実的ではない。それで移住のためにダンジョンを利用することは、早い段階で決まっていた。
ただ言うまでもなく、ダンジョンもまた危険地帯だ。危険の度合いで言えば、ダンジョンも魔の森も大して違わない。そのような場所でどれだけ安全を確保しつつ移動を行うのか。それが大きな命題だった。
「当たり前だが、我らにとっても初めてのことでな。知恵を貸してくれ」
ラグナにそう頼まれ、ジノーファたちは話し合いに加わった。ジノーファが連れて来た十人は、成長限界に達した練達の武人であるだけでなく、直轄軍で兵を率いていた有能な軍人たちでもある。移住のための計画を練る上で、彼らの知見はかけがえのないものとなった。
「ここには、収納魔法の使い手が何人もいる。これを利用しない手はない」
ボルストのその言葉に、多くの者が頷いた。彼の言うとおり、アヤロンの民には収納魔法の使い手が多数いる。持っていく物品のほとんどは彼らが収納し、アヤロンの人々は身軽な状態でダンジョンの中を移動することになった。素早く動けるというのは、安全を確保する上で重要だった。
またアヤロンの民は魔の森で暮らしていたためか、住民全体の中で占める守人の割合が多くなっている。さらにジノーファたちが来たこともあり、護衛のための戦力はかなり充実していると言っていい。
ただ、それでも不安が残るのがダンジョンと言う場所だ。なにしろいつどこでモンスターが出現し、そして襲い掛かってくるのか、まったく分からないのだ。そのため対処はどうしても後手になる。
「いつモンスターに襲われても冷静に対処できるよう訓練する。本来なら、それが王道だが……」
アヒムは顔をしかめながらそう呟いた。確かに彼の言うとおりではあるのだろう。しかしアヤロンの民全てがその水準になるまで訓練するというのは、どう考えても現実的ではない。
「住民たち全員に武器を持たせ、ある程度自衛させてはどうだろうか?」
そういう案も出たが、議論の末に却下された。もちろん、守人ではないものの、ある程度戦う術を心得ている者たちもいる。そういう者たちは武装させて戦力に数えるが、しかしまったくの素人に武器を与えるのは、かえって危険と判断されたのだ。錯乱して武器を振り回すようなことになれば、混乱が広がり無用な被害が出るだけで、いいことは何一つとしてない。
ただその一方で防具、特に盾が配られることになった。盾であれば武器ほどの危険はないし、また身を守るためにも有用だ。また盾を持っていれば全くの無防備ではなくなる。ダンジョンの中を進むことに不安を抱いている住民は多く、盾の配布にはそういう不安を和らげる効果もあった。ちなみにこれらの盾はジノーファが持ち込んだもので、ジェラルドから融通してもらった遠征軍の装備である。
「ボルスト。彼らに盾の使い方を教えてやってくれないか」
「はっ。ボスの命令なれば」
ジノーファに頼まれ、ボルストは盾の扱いを教える教官役になった。ただ、一人一人に盾の扱いを習熟させる時間はない。それで彼は、集団で盾をそろえて壁を作るやり方を教えた。これならバラバラに盾を構えるより隙が少ないし、また内側に怪我人などを庇うこともできる。
「ふぅむ。見事だ」
訓練の様子を見ながら、ラグナは感心した様子でそう呟いた。ああやって身を守ってくれているなら、守人たちもずいぶん戦いやすくなるだろう。また戦闘の余波で傷つくことも少なくなるに違いない。
ただ一番良いのは、言うまでもなくモンスターに襲われないことである。そのために幾つかのパーティーが先行し、モンスターを間引くことになった。これはエリアボスの討伐も含む、危険で重要な仕事だ。そしてその役に手を上げたのが、他でもないジノーファたちだった。
聖痕持ちに成長限界に達したものが十人と、ずば抜けた力を持つ彼らを住民達の近くに配置したいという声もあった。ただ、エリアボスの討伐を想定していることや、他の守人たちとの連携になれていないことを理由にこういう役回りになった。
またこういう仕事であれば、ボルストたちが懸念していた「アゴで使われる」ようなことにはならない。彼らもこの役回りには納得してくれ、ジノーファは人知れず胸を撫で下ろした。
「ジノーファたちに先行してもらうのはいいとして、他に何かやれることはないものか……」
「では兄者、こういうのはどうだ?」
そう言ってシグムントがラグナに提案したのは、以前にノーラが提案した方法だった。つまり通路を物理的に塞いでしまうのである。使わないルートをあらかじめ塞いでおけば、それはモンスターの数を抑制することに繋がるだろう。
また、モンスターがバリケートなどを崩そうとすれば、必ずそれ相応の音がする。つまり副次的にだが、モンスターの存在を探知する効果も期待できるのだ。
「ふむ、面白い。やってみるか」
長老衆や主だった者たちとも相談した結果、通路の閉塞は実際に行われることになった。閉塞は土魔法が使える者や、収納魔法の使い手が中心になって行う。先行するジノーファらにも、閉塞を担当する者たちが同行することになった。事前に実験も行われたが、感触は上々である。
ただ全ての分岐通路を塞ぐのは現実的ではない。それでマッピング情報を眺めながら、どの通路を閉塞するべきなのか、議論が行われた。ジノーファたちは参加しなかったが、最終的に五割から六割程度の通路を閉塞することになったという。
またジノーファたちはこの準備期間中に、一度防衛線の指令所へ戻り、ダーマードに中間報告を行った。ただ指令所へ戻ったのはジノーファのパーティーだけで、他の十人にはダンジョン攻略を継続してもらった。なお、アヤロンの里からはシグムントが同行している。というか、本来彼こそが使者であり、他はそのお供なのだが。
ジノーファたちがおよそ二十日ぶりに指令所へ戻ると、ダーマードは相変わらず忙しくしていた。モンスターの襲来は散発的に続いており、防衛線はどこもかしこも限界に達しているという。それでも何とか防衛線を維持しているのは、間違いなく彼がこうして最前線で指揮を執っているからだ。
逆に言えば、そのために彼は最前線を離れられなくなっているわけだが。もっとも彼が本拠地を心配している様子はないので、信頼できる者に留守を託しているのだろう。同じ領内であるし、手紙などで連絡を取り合っているに違いない。
それはそうと、ダーマードの話は悪いものばかりではなかった。領内に侵入してしまったエリアボスだが、討伐されたとの報告があったという。さらに数日遅れて大きな魔石も届けられ、確かに討伐は確認された。
「それは良かった!」
「ええ。私も、肩の荷が一つ下りました」
ジノーファは歓声を上げ、ダーマードもにこやかに頷く。ただ、決して楽観できる状況ではない。討伐までに少なからず被害が出ているからだ。さらに一緒に侵入してしまったモンスターらについては、全て討伐したと確認するのは難しい。今後、さらに警戒を続ける必要があった。
「……それで、アヤロンの里のほうはどうですかな?」
ダーマードは近況を話し終えると、次にそう尋ねた。それに対し、シグムントが準備の状況を説明していく。ダーマードはいちいち頷きながらそれを聞き、そして時おり質問を挟む。シグムントは彼の質問に丁寧に答えた。
「……そうか。では、早ければ十日の内にこちらへ来るわけだな?」
「はっ、そうなります。ただ、遅れることも十分に考えられますが……」
「当然だな。ただでさえ命がけの移住だ。しっかりと準備するが良い」
「そのことで、お願いがございます。対価は用意しますゆえ、物資を分けていただけきたく存じます」
そう言ってシグムントは用意してきた対価をテーブルの上に広げた。精練した金のインゴットや磨いた宝石の類などで、全てアヤロンの里で用意したものだ。それを見てダーマードは「ほう」と感心したように呟いた。
なかなかどうして、良いものを持っている。ダンジョン攻略で得たもので、これまで交換するアテがなく、ずっと溜め込んできたのだろう。彼ら自身がある程度の資産を持っているのなら、彼らを受け入れることにはまた別のメリットがあるかも知れない。ダーマードは頭の片すみでそんなことを考えた。
「それで、何が欲しいのだ?」
「食糧とポーションと、あとは大盾を」
シグムントが願ったのは、それぞれアヤロンの里で不足している物資である。まず食糧だが、備蓄と以前にダーマードから融通してもらった分があるので、余裕はあるはずだった。
しかし移住の準備に思っていたより手間がかかり、食糧の調達が間に合わず備蓄を減らす結果となってしまったのだ。そのため現在、アヤロンの里では食糧の備蓄に多少不安が残る状況になっていた。
次にポーションだが、これはそもそもこれまでアヤロンの里には存在しなかった物資である。ポーションは錬金術師によって精製されるのだが、アヤロンの里には錬金術の知識が伝わっていなかったのである。
それで、ジノーファが持ち込んだポーションが、彼らにとって初めて目にするポーションだったわけだが、その効能に彼らは驚いた。これがあれば、ヒーラーがいなくても傷を回復することができる。
ポーションがあれば、実際の移住の際に役立つことは想像に難くない。ぜひとも用意しておきたい物資であり、今回こうしてダーマードのもとを訪ねたのは、半分以上ポーションを入手するためだった。
そして大盾だが、これは主にボルストの意見を取り入れて調達することになったものだ。ジェラルドが融通してくれた物資は、ジノーファたちが使うことを想定している。そのためアヤロンの民に配るには数が足りず、こうして新たに調達することになったのだ。
わざわざ「大盾」と指定したのは、特段小回りなど求めていないからだ。そうであるなら小さな盾より、大きくて頑丈な大盾のほうがいい。ただその分重くなってしまうが、交替で持つなどすれば大丈夫だろうと考えられていた。
「それにアヤロンの民の成人は、男女を問わず、ある程度のマナの吸収を行っています。非力で持てない、ということはないでしょう」
そう告げたのはイゼルだったが、彼女の言っていることは本当である。アヤロンの里では、守人でない者もある程度のマナの吸収を行っているのだ。三五〇人程度と人口が少ないからできた力技、と言ってもいい。
魔の森と言う厳しい環境で生き残るためには、個々のレベルアップがどうしても必要、ということなのだろう。「これ以上人口を減らすわけにはいかない」という、切実な危機感も透けて見える。ともあれそのおかげで、例え女性であっても大盾を持つくらいの力はある、というのがイゼルの見立てだった。
シグムントやイゼルから事情を聞くと、ダーマードは一つ頷いてから物資の提供に同意した。そして人を呼び、シグムントが持ってきた金塊や宝石類の鑑定を行わせる。金額が算定されたところで、実際にどれくらいの物資と交換するのか相談になったが、そこでダーマードはこう尋ねた。
「欲しいものは三つという話だったが、どれを優先する?」
「……ではまず大盾を。次にポーションで、余った分で食糧をお願いします」
少し考えてから、シグムントはそう答えた。現状、食糧事情は逼迫しているわけではないし、ポーションは回復魔法で代替が可能だ。それで、まずは数が足りていない大盾を優先したのである。
最終的に、大盾を十枚、ポーションを一〇〇本、融通してもらえることになった。アヤロンの民にとって、十分な量と言っていい。ただその反面、食糧は少し少なくなった。三〇人で二日分、といったところか。
アヤロンの民全体から見れば、一日分にも満たない量だ。シグムントとしては少々不満が残る。ただ指令所まで越してくれば、対価と引き換えに食糧を得ることはできるのだ。ひとまずはそれでよしとすることにした。
ダーマードと面会した次の日。用意してもらった物資をシャドーホールに放り込み、ジノーファたちは指令所を後にしてアヤロンの里へ戻った。そしてダーマードから聞いた話を主だった者たちに報告し、それから調達してきた物資を披露する。
「これでだいたい、必要な物資は揃ったな」
ラグナは腕組をしながらそう呟き、そして満足げに頷いた。いよいよ、移住のための準備も大詰めである。長老衆や主だった者たちの間で会合が開かれ、実際に出立するのは七日後に決まった。
加えて出発の三日前からは、エリアボスを討伐しないことになった。これは実際にダンジョンの中を通っていく際に、エリアボスが確実に再出現するようにしておくため、そしてこれを討伐することで大広間の安全を確保するためだ。「エリアボスがいつ再出現するか分からない」という状況の方が、リスクは大きいと判断されたのだ。
さて、出立の日時が具体的に決まったその席で、長老衆はジノーファが思ってもみなかったことを言い出した。彼らは「森を出て指令所へは行かず、ここへ残る」と言い出したのだ。
「なぜ、そんなことを……!?」
「ワシらは老いた。足腰は立たなくなり、満足に動くこともできぬ」
「左様。一緒に行ったところで、同胞の足手まといになるだけじゃ」
「この身を盾にできるのであれば、それでもよい。じゃが、誰かがワシらの盾になるなど、あってはならぬ」
ゆえに残る、と彼らは言う。だがここへ残っても、彼らだけで暮らしていくなどできるはずもない。それは緩やかな自殺と同じだ。同胞のためとはいえ、自ら死を選択しようとする彼らに、ジノーファは激しく動揺した。だがそんな彼を置き去りにして話は進む。
「ラグナよ。同胞たちを頼んだぞ」
「慣れぬ土地、新たな生活、見慣れぬ人々。皆、不安を抱えよう。お前が先頭に立ち、道を切り開いてゆけ」
「……うむ、任された」
「皆も、頼んだぞ」
話はどんどん決まっていく。アヤロンの民で異論を挟もうとする者は一人もいない。いてもたってもいられず、ジノーファは口を開こうとしたが、しかしそんな彼をボルストが制した。
「…………ッ」
ボルストは静かに首を横に振る。それを見て、しかし納得できず、ジノーファはラグナのほうを見た。彼は腕を組み、険しい顔をしている。殺気が漏れ出そうなその顔を見て、ジノーファは何も言えなくなってしまった。
命がけなのだ。この移住は。恐らくはジノーファが考えていたより、ずっと。彼はアヤロンの民がこの移住にかける、壮絶な覚悟を垣間見た気がした。
(必ず……)
必ず、成功させよう。ジノーファは改めて決意する。
出立のときは近づいていた。
ダーマード「金持ちならなおのことウェルカムだ!」




