アヤロンの里、再び
「おお、ジノーファ、よく来た! 思ったより早かったではないか!」
ジノーファらがアヤロンの里に到着すると、ラグナは快活な笑みを浮かべて彼らを出迎えた。そして右手でジノーファと握手をしながら、左手で彼の肩をバシバシと叩く。意地になっているのか、それとも本当に痛くないのか、ジノーファは笑顔を崩さなかった。
「それで、その後ろの者たちか?」
「ああ。今回借りることのできた護衛だ」
ジノーファとの挨拶が済むと、ラグナは彼の後ろに控える見知らぬ者たちに視線を向ける。そして「ほう」と思わず感嘆の声を出した。誰も彼も、一目見て只者ではないと分かる。彼らが力を貸してくれるなら、これほど心強いことはない。
ジノーファに紹介してもらい、ラグナは十人全員と握手を交わした。一人、ボルストと呼ばれた巨漢の男が思い切り強く手を握ってきたので、ラグナもお返しとばかりに全力で握り返してやった。それでもお互いに笑顔だけは崩さない。彼とは美味い酒が飲めそうだった。
さて、自己紹介が終わると、ラグナは彼らをまずは長老衆のところへ案内した。そして長老衆に彼らを紹介する。長老衆も護衛の手が足りないことは危惧していたようで、ジノーファが連れて来た十人はすぐに受け入れられた。
「この十人は全員、成長限界に達しています。護衛の戦力として、申し分ないはずです」
ジノーファがそう説明すると、「おお」というどよめきが起こった。「成長限界」という言葉をアヤロンの民が使っているのかは分からないが、その意味するところは十分に伝わったようだ。
同時に、長老衆の顔に思案げな色が浮かぶ。このとびっきりの戦力をどう使おうか、考えているのだ。それに気付き、防衛線を張る意味もあったのだろう、その席でボルストはこう宣言した。
「我々のボスはジノーファ殿だ。我々はジノーファ殿に従う」
要するに、「好き勝手、顎で使えると思うな」という牽制である。遠征軍の防衛陣地でも同じことを危惧していたから、あるいは過去にそういう経験があるのかもしれない。ただ、自分たちが雇ったわけでもない彼らを長老衆が好きに使うというのも、確かにおかしな話だ。その道理は理解も納得もしやすいもので、長老衆は一様に頷いた。
長老衆との顔合わせが終わると、話はそのまま移住計画のことへ移った。現在、アヤロンの里では移住のための準備が進められており、あと一ヶ月ほどで完了する予定だという。ただ、問題も出ていた。
「要するにな、人手が足りんのだ」
腕を組み、少々憮然とした顔をしながら、ラグナはそう言った。少し考えれば当然のことである。アヤロンの民は日々の暮らしをしながら、移住の準備をしているのだ。これまで日々の暮らしで精一杯だったというのに、そこへさらに余分な仕事が増えたのだから、人手が足りなくなるのは当たり前だった。
しかしだからと言って、やらないわけにはいかない。準備を行わなければ、いつまでたっても魔の森から脱出できないのだから。それで、優先順位を定めて取り組んでいくしかないわけだが、そうなるとどうしてもできないことが出てくる。アヤロンの里の場合、後回しにされたのは魔窟、つまりダンジョンの攻略だった。
「無論、まったくやっていないわけではない。だが以前ほど手が回っていないのが実情だ。それでも今のところ、大きな問題にはなっていないのだが……」
ラグナはそこで言葉を切り、不本意そうに小さく頭を振った。確かに今のところ、大きな問題にはなっていないかもしれない。だが攻略が疎かになる状態が続けば、スタンピードが起きかねない。そうでなくとも、移住のためいざダンジョンに足を踏み入れたとき、モンスターの数がいつもより多いために無用な被害がでることは大いに考えられる。
「なら、わたし達が攻略をしましょう」
話を聞いて、ジノーファがそう提案した。移住の準備が終わるまでの一ヶ月間、まさか何もせず遊んでいるわけにはいかない。準備を手伝ってもいいが、それはボルストやアヒムら精鋭にやらせるような仕事ではないだろう。
それに、現在後回しになっている攻略を再開させ、実際に計画が発動されるまでにダンジョンを沈静化しておく必要がある。いや、沈静化は無理かもしれないが、これ以上活性化しないよう力を殺いでおくのは、被害を抑える上で必須だ。これも護衛のための仕事と言えるだろう。
加えて、一ヶ月間攻略に専念すれば、現場となるダンジョンにかなり慣れることができる。不慣れな場所では満足に護衛することもできないから、これは重要だ。あとは食い扶持を稼ぐと言う意味でも、ダンジョン攻略は都合がいい。
「……そうだな、やってくれるか?」
長老衆に確認の視線を向け、彼らが頷くのを確認してから、ラグナはジノーファにそう尋ねた。ジノーファはすぐに頷く。後ろで聞いているボルストたちにも不満の色はない。それで移住の準備が整うまでの間、彼らはダンジョン攻略を行うことになった。
「それで頼みがあるのだけど、人を貸してもらえないでしょうか?」
人手が足りないと先ほど聞いたので、少し申し訳なさそうにしながら、ジノーファはラグナにそう頼んだ。要するに案内役だ。ルートを良く知っている人が一緒にいれば、道に迷うこともなく安心だ。
またジノーファたちは全部で十四人。ダンジョンの中、一塊になって行動するのは効率が悪い。あらかじめメンバー分けしておいたように、三つのパーティーに分かれて行動することになる。
ただそれだと、二パーティーはジノーファと別行動になり、シャドーホールの恩恵にあずかれない。それで収納魔法の使い手も、二人ほど貸してもらえないかとジノーファは頼んだ。
「彼らはもうマナを吸収しないので、それを貸してもらった人たちの取り分にする形で、どうでしょう?」
要するに、経験値が報酬、と言うわけだ。一パーティー分を一人か二人で独占できるのだから、いつもよりかなり多くの経験値を得られると思っていい。だが、長老衆の反応は芳しくなかった。戦利品が得られないのでは、攻略の意味がないというのだ。
アヤロンの民にとってダンジョンを攻略とは、第一に資源を得る手段。経験値は、いわばそのついでなのだ。この点、己を鍛えることに主眼を置き、魔石などの売却益をついでと考える兵士たちとは少々考えが違う。
「では、魔石などと交換で、食糧を融通してください」
ジノーファはさらにそう提案する。それならば、と長老衆も了解した。ジノーファとしても、食糧を現地調達できるのはありがたい。ジェラルドから融通してもらった分もあるが、そもそも遠征軍とてそれほど余裕があるわけでない。
分けてもらえたのは必要最低限の量で、今後予定が延びる可能性も考慮すれば、食糧の確保は死活問題だ。十五名足らずとはいえ、隊を預かるものとして、部下たちにすきっ腹を抱えさせるわけには行かないのである。
その後、さらに幾つかの打合せをしてから、ジノーファたちは長老衆のところを辞した。外に出てから、ジノーファはダーマードから預かった食糧をラグナに渡す。今回はそれほど多くはない。一〇〇人で三日分、といったところだろう。それでもラグナはずいぶんとありがたがっていた。
それから、使わせてもらうことになった空き家に案内してもらう。ちなみに借りるのは二軒だ。それでも人数的に少々手狭なのだが、まさかもう一軒建てるわけにもいかない。雨風がしのげるのだから、良しとした。
「あの巨大陸亀の甲羅があるから、穴を布か何かで塞げば、テント代わりにできないかな?」
ふと思いついたという調子でジノーファがそう提案すると、ボルストらが何ともいい難い顔で黙り込んだ。確かに、やってやれないことはないだろう。しかしそれをテントと言い張るのはいかがなものか。だが雨風がしのげて、手足を伸ばして寝られるなら、それに越したことはない。
「……様子を見てみて、どうしても窮屈なら、やってみましょう」
しばしの沈黙の後、アヒムが言葉を選びつつ、ゆっくりとそう答えた。それを聞いて他のメンバーも一様に頷く。一方のジノーファはのん気なもので「じゃあそうしよう」と軽い調子で応えた。ちなみに、少し後の話になるが、本当にやった。
「ああ、それから」
ジノーファがそう言うと、彼に視線が集まる。ラグナを含め、メンバーの注意を十分にひきつけてから、彼はこう言葉を続けた。
「アヤロンの民は、少し言葉は悪いが、女余りの状態だ。引っ掛かって、責任を取らされるようなマネは、慎むように。直轄軍の精鋭をそのような事で失っては、ジェラルド殿下に申し訳が立たない。ラグナも、いい男がたくさんいるからって、嗾けるようなことはやめてくれよ」
ジノーファがそう釘を刺すと、ラグナは「先手を打たれたわい」と言って苦笑した。一方でジノーファが連れて来たメンバーの中には、視線を泳がせている者たちがいる。その中にはユスフの姿もあって、ジノーファは一度説教をしておいたほうがいいのかもしれないと思った。
□ ■ □ ■
ジノーファたちがアヤロンの里に到着した、その翌日。彼らは早速、ダンジョンの攻略を始めた。案内役としてラグナが紹介してくれたのは三人で、ジノーファの要望通りその内の二人は収納魔法の使い手だった。
三人目はラグナの弟のシグムントで、彼がジノーファのパーティーの案内役だった。ジノーファのパーティーは全員がまだ経験値を吸収できるので、彼への報酬は魔石などの物品も含むことになっていた。
彼らは何艘かの小船に乗って岸を目指す。そして桟橋に着くと、乗ってきた小船を収納魔法で片付けた。そのまま持って行っていいと許可を貰っていたわけだが、それがまるで信頼の証のように感じられて、ジノーファは嬉しかった。
さて、岸に渡ってからさらに三〇分ほど歩いて、ジノーファたちはダンジョンの出入り口のところへやってきた。昨日の夜のうちに、どんなふうに探索を行うのかは話し合っておいたのだが、ジノーファは攻略を始める前にもう一度それを確認する。
「昨日話し合ったとおりだけど、基本的に移住の際に使うルートを中心に、攻略を行って欲しい」
もちろん、そのルートだけを攻略するわけではない。それでは効率が悪いし、なによりモンスターは脇道からもやって来る。実際にアヤロンの民がダンジョンの中を通る際、そういうモンスターが大きな障害になることは想像に難くない。
であれば、そういうモンスターを先んじて倒すためにも、脇道に入って攻略を行うことは必要だ。どこにどれだけの分岐ルートがあるのか、しっかりと頭に叩き込んでおかなければならない。
そして全てに手が回るわけではないだろうから、優先順位を決めていく必要もあるだろう。まあ、その辺りのことはラグナをはじめとする主だった者たちとの相談になってくるだろうが。
最後に簡単な確認を終えると、ジノーファたちはダンジョンの中へ足を踏み入れた。これも昨晩決めたことだが、ジノーファのパーティーはまず先へ進むことを優先し、残りの二パーティーは丁寧にマッピングを行いながら進むことになっている。
『我々は稼ぎが少なくなると思われますのでな。ジノーファ殿、我々の分もメシ代のほうをよろしくお願いしますぞ』
連れて来た十人の内の一人がそんなことを言うので、みんな大いに笑ったものである。もちろん、メシ代についてはジノーファが力強く請け負った。もしも稼ぎが足りなかったときには、ヘソクリを出して補填する所存である。
さて、移住のためのルートには大広間が二箇所あるのだが、ジノーファたちはその一箇所目のところで休憩を取った。エリアボスは昨日倒したばかりなので、まだ復活していない。再出現するのは、おそらく明日か明後日であろう。
エリアボスのこの性質、つまり「一度倒すと一定期間再出現しない」という性質は、移住の際にも有用であると考えられている。移動中、まったく休憩しないと言うのはまず不可能で、それどころかダンジョンを抜けるまでには仮眠をとる必要すらあるだろう。それで、特に仮眠を取る場所として、エリアボスを倒した後の大広間が考えられているのだ。
「だが、少々手狭かもしれんなぁ」
エリアボスのいない大広間を見渡しながら、シグムントは思案げにそう呟いた。大広間は、その名のとおり確かに広い。しかしそれはあくまでも、「一つか二つのパーティーが、不自由なくエリアボスと戦える程度の広さ」という意味だ。三五〇人以上の人々が休憩し仮眠を取る場所としては、確かに手狭に思えた。
「とは言っても、近くに手ごろな水場もないのだろう?」
「ああ、ないな。水場自体はあるが、せいぜい数人しか入れない。普通の攻略ならそれで十分なんだが……」
移住する場合は、人数が多くて役には立たないだろう。水汲みのためには使えるかもしれないが、それでも数人が限度だ。そしてその程度では、三五〇人分の水を汲むには不十分だろう。それなら、収納魔法の使い手もいるのだから、最初から十分な量の水を用意していった方がいい。
「いっそ、幾つかの班に分けて、班ごとの行動にするのはどうだろう。それなら、場所的な問題はいろいろ解決すると思うんだが……」
「でもそれだと、護衛の戦力も分散しないとだし、班ごとで連絡を取り合い、さらに本隊から指示をだす体制が必要になる。面倒じゃないかな」
「むぅぅ」
ジノーファの指摘を受け、シグムントは難しい顔をして唸った。アヤロンの里でも住民たちにどうやってダンジョンの中を移動させるのか、検討が行われているのだろう。ただもしかしたら、それはあまり上手いっていないのかもしれない。
(ボルストたちにも意見を聞いてみようか……)
ジノーファはそう思った。彼らは直轄軍の士官で、普通なら部下を率いる立場の者たち。部隊の移動や行軍に関しては、経験も知識も豊富だ。
もちろんダンジョンの中で部隊を運用したことはないだろうが、それでも彼らの知見は大いに参考になるだろう。攻略から戻ったら、一度彼らの意見を聞いた上で、ラグナや長老衆に提案してみるのもいいかもしれない。
(それにしても……)
それにしても、分かっていたことではあるが、ダンジョン内の移動は問題が山積みである。ただそれらの問題は、突き詰めていけばたった一つに要約することができる。つまり「ダンジョンと言う危険地帯で、いかにして安全を確保するのか?」という問題だ。
「でしたら、以前ジノーファ様がやったように、通路を塞いでしまうというのはどうでしょうか?」
ジノーファがメンバーに意見を求めると、おずおずと手を上げながらノーラがそう提案した。彼女が言うとおり、ジノーファは以前、水場に通じる通路を塞いでモンスターが中に入ってこられないようにしたことがある。彼女はその方法が今回も使えないかと思ったのだ。
「それは、いいかもしれないな」
ノーラの話を聞き、真っ先に興味を示したのはシグムントだった。もちろん、分岐している通路を全て塞ぐのは現実的に考えて不可能だ。しかし例えばこの大広間なら、出入り口は二つしかなく、準備さえしておけばそれを塞ぐのは簡単だ。
エリアボスを倒し、出入り口を塞げば、大広間はかなり安全な場所になる。三五〇人も入れば手狭にはなるだろうが、安全には代えられない。移動はできないが、十分に休むことができれば、その後の行動に余裕ができるし、不測の事態を避けるうえでも有効だろう。
「よし、帰ったら兄者にも話してみよう」
シグムントはしっかりと頷きそう言った。そうして話が一応まとまったところで、ジノーファたちは休憩を切り上げ、攻略を再開する。移住作戦を決行するまでに、少しでもモンスターの脅威を減らしておかなければならない。
ただ正直、こうやって攻略したところで、どこまで効果があるのかは不透明である。だがやらないでいるより、やったほうがマシなのは確かなのだ。であるなら、やらないでいる理由はない。
(できることは全部やろう)
そう心に決め、ジノーファは竜牙の双剣を構えた。
ラグナ「マッチョに悪人はいない!」




