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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森の民

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理論武装


 魔の森を脱出し、ネヴィーシェル辺境伯領へ移住する。長老衆と主だった者たちの間でその結論が出た、その日の夜。里にいたアヤロンの民全員が広場に集められ、出された結論について説明が行われた。もともと信任を受けていた者たちが出した結論であるから、特に反対意見は出なかったものの、住民たちは皆一様に緊張した面持ちだった。


「……いくらこの呪わしき森から逃れられるとはいえ、新しい土地、新しい生活に不安を覚えるのは、致し方ない。だが新天地には良いものもたくさんある」


 説明を行った長老衆の一人がそう言うと、大量の食物が広場に運び込まれた。シグムントがダーマードから土産として貰った食料品である。その中にはチーズやワインなど、アヤロンの民にとって珍しいものも含まれていた。


 それらの珍味を口にして、彼らは歓声を上げた。なるほど確かに、森の外には良いものもたくさんある。不安は大きいが、希望も確かにあるのだ。新たな生活に想いをはせながら、彼らはそのまま宴を楽しんだ。その宴の途中、ジノーファはラグナに近づき彼の肩を叩いた。


「ラグナ、少しいいか?」


 ラグナは仲間たちとワインを飲んでご機嫌な様子だったが、ジノーファの顔を見ると気さくに頷いて立ち上がった。二人は連れ立って湖の畔まで歩く。いつぞやラグナの話を聞いたのと同じ場所だ。


「……それで、一体どうしたのだ?」


「ラグナには、話しておいたほうがいいと思ってな」


 そう言ってから、ジノーファは自分のことを話した。アンタルヤ王国の王太子であったことから、現在に至るまで事柄をかいつまんで話す。話が進むにつれ、ラグナは徐々に顔を険しくしていった。そして腕を組みながら、唸るようにしてこう呟く。


「うぅむ……、面妖な……」


 アンタルヤ王国の元王太子であり、現在はロストク帝国の客将。その彼が、偽名を名乗りながらアヤロンの民をネヴィーシェル辺境伯領へ移住させようとしている。何だか頭のこんがらがりそうな話だ。ジノーファ自身もそれを認め、苦笑しながらさらにこう言った。


「まあ、面倒な立ち位置ではあるけれど、別に二心があったわけじゃない。そこは信じて欲しい」


「それは無論、信じておるが……。しかし今になってなぜ、こんな話をしたのだ?」


「うん、護衛のことだ」


 真剣な顔をして、ジノーファはそう答えた。長老衆と主だった者たちへの説明の中でも、ダーマードから護衛の戦力を出すことを断られた件は話してある。彼らの反応はいたって淡白であり、要するにシグムントと同じく「自分たちでどうにかするのが筋」と考えているようだった。


 しかしそれでは、ジノーファの気が収まらない。自分がきっかけとなり、さらにここまで深く関わったというのに、死地に踏み出す段になって「後は自己責任で」というのは無責任だろう。


 そもそも彼には彼なりの思惑があってこの移住を後押ししたのだ。それなのにここで放り出すような真似をするのは、例えアヤロンの民が納得していても、ジノーファが納得できない。


 それで彼は考えたのだ。どこからか護衛のための戦力を調達できないだろうか、と。しかしダーマードには、はっきりと断られてしまった。そうなると、アテはもう一つしかない。すなわち、ジェラルド率いるロストク帝国皇帝直轄軍である。


「イゼルをダーマード殿のところまで送って、その足でわたし達も一度ロストク軍のところへ戻ろうと思っている。その時、ジェラルド殿下に兵を貸してもらえないか、頼んでみるつもりだ」


「もし、貸してもらえなかったら、どうする?」


「その時は、仕方がない。わたしだけでもこっちに来るよ。ここまで関わっておいて、放り出したりはしないさ」


 ジノーファははっきりとそう答えた。口調は柔らかいが、決意は固い。それを察し、ラグナは小さく苦笑を浮かべ、こう言った。


「あまり、無茶はするな。無論、手を貸してくれるなら、我らとしては大いに助かる。だがこれはもともと我ら自身の問題だ。何もしなかったとして、そなたが気に病むことはないぞ」


 ジノーファは「分かっている」と答えたが、分かっていないのは一目瞭然だった。そんな彼の様子を、ラグナは「若いな」と思う。


 青臭い、と言い換えてもいい。なまじ力があるだけに、何でもかんでも背負い込もうとする。そんなふうに見えるのだ。そして自分にもそんな時期があったのかと思うと、ラグナはちょっと居た堪れない気分になった。


 さて、その次の日の朝。ジノーファたち四人はアヤロンの里を出立した。「移住する」という彼らの結論をダーマードへ伝えに行くのだ。ただ、移住するとは言っても、すぐさま荷物をまとめてダンジョンへ突入する、というわけにはいかない。


 もろもろの準備もあり、早くとも一ヵ月後、遅くとも二ヶ月以内に森を抜け指令所へ向かう、というのが彼らの計画だった。もちろん、そのこともダーマードに伝え、受け入れの準備を進めることになる。


(それだけ時間があれば……)


 最短でも一ヶ月。それだけの時間があれば、ロストク軍の陣地まで戻り、事情を説明して兵を借りてくることができるだろう。ダンジョンの中の移動も、それほど急がずに済む。ただ人を連れて行けば護衛ができるわけではない。諸々の打ち合わせもあるだろうから、多少早目に到着する必要がある。悠長にはしていられない。


 しかしながらだからと言って、遮二無二に先を急ぐような真似はしない。特にダンジョンの中はいつもと変わらないペースで進んだ。幸い、二体のエリアボスは再出現しなかったので、あまり時間を取られることなくダンジョンを抜けることができた。


「なるほど、分かりました。こちらでも受け入れの準備を進めておきましょう」


 ダーマードにアヤロンの民の決定と移住時期の見込みを伝えると、彼は力強く頷いてこう応えた。それだけの時間があれば受け入れ態勢は十分に整うし、また現在の問題にもある程度は区切りがつくという。


「早くこちらへ来てもらって、ダンジョンの攻略を始めてもらいたいものです」


 お世辞には聞こえない声音で、ダーマードはそうこぼした。よく見れば彼の顔には疲労が色濃く残っていて、激務の様子が垣間見える。彼は視察を名目に指令所へ来たという話だったが、現在ではいつ帰れるのかも分からない状態になっている。


 ダーマードの激務の大半は魔の森に起因する事柄。ダンジョンの攻略が始まり、魔の森が多少なりとも落ち着けば、彼の仕事量も減るだろう。彼自身、それを期待しているようだった。


 もっとも、ダーマードがここにいたのは幸運だった。緊急事態に際し、現場で直接指示を出せるからだ。加えて、緊急事態のためにジノーファのことやアヤロンの民のことが外部に対しあやふやになっているのも、不幸中の幸いと言っていいだろう。ただだからこそ、彼の仕事は減らないわけだが。


「……それにしてもジノーファ殿。なぜ、ここまでしてくださるのか?」


 仕事の手を休め、ダーマードは不意にそう尋ねた。それは当然の疑問だろう。ジノーファがここまで奔走する理由が、ダーマードには思いつかない。


「わたしの祖国はここです。たとえ追われても、それは変わりません」


 ジノーファは小さく微笑んでそう答えた。それを聞いてダーマードは感動する。ただ、ジノーファが祖国を案じていたのは事実だが、彼が案じていたのはあくまで国や民であって王家や貴族ではない。付き合いの短いダーマードはそのことには気付かなかった。


 さて、その次の日。ジノーファたちはまた魔の森へ向かった。ジノーファたちがロストク軍の陣地へ戻るには、指令所の近くにあるのとは別のダンジョンを使わなければならない。ただ、彼らはその場所を正確には把握しておらず、それでイゼルに案内してもらうのだ。目的地に着くと、ジノーファは彼女にこう言った。


「世話をかけた。助かったよ」


「いえ、たいしたことではありません。……それで、またこちらへ来られるときには、これをご利用ください」


 そう言ってイゼルがジノーファに差し出したのは、ダーマードが約束していた通行手形だった。見ると、名前はちゃんと「ニルヴァ」になっている。しかも本人だけでなく、同行する一団に対しても有効な通行手形だ。これがあれば「私兵」を引き連れて防衛線に現れても、不審者として拘束されたり攻撃されたりすることはない。


 それどころか、合法的にアンタルヤ王国へ入ることもできる。もっとも、今のところジノーファにそのつもりはないが。何にしても、もう一度こちらへ来るつもりではあるので、手形を受け取るとそれをシャドーホールに片付けた。


「わたしはしばらく、指令所で待機しています。防衛線に戻ってこられましたら、またわたしの名前を出してください」


「分かった。そうさせてもらう」


 そう言葉を交わしてからイゼルと別れ、ジノーファたち三人はダンジョンの中を進む。人数は減ったが、ペースは変わらない。途中で手間取ることもなく、彼らはダンジョンを通り抜ける。そしてそこからさらに三時間ほど歩き、彼らはロストク軍の防衛陣地に帰還した。


「遅かったな。何かあったのではないかと、気を揉んでいたぞ」


 ジェラルドに帰参を告げると、彼はそう言って少しホッとした様子を見せた。確かに当初考えていたよりもずっと時間がかかってしまった。場所が場所だけに連絡を取ることもできず、心配をかけてしまったようだ。


「ご心配をおかけしました。早速ですが、ご報告することがたくさんあります」


「聞こう」


 ジェラルドが短くそう応えると、ジノーファは一つ頷いてから事の次第を説明する。ダーマードからダンジョンの攻略を依頼されたあたりまでは、ジェラルドも涼しい顔をして聞いていたが、ラグナらに出会ったあたりから顔色が変わり、最終的には苦虫を噛み潰したような顔をしながら頭を抱えていた。


「……以上です」


「……ノーラ、紅茶を一杯淹れてもらえないか。ブランデーをたっぷりと入れてくれ」


「畏まりました」


 ノーラがすまし顔でお茶の準備をする。説明を終えたジノーファはジェラルドの反応を待つが、しかし彼は頭を抱えるばかりで反応がない。静かになったテントの中、ノーラがお茶を淹れる音だけが響いた。


 やがて、華やかな香りが広がり始める。紅茶をティーカップに注ぐと、彼女は言われた通りたっぷりとブランデーを入れた。ジノーファの目算だが、三分の一くらいはブランデーではなかろうか。紅茶というより、もはやブランデーの紅茶割りである。それを一口啜ってから、ジェラルドはようやく搾り出すようにしてこう言った。


「……本当に、お前はつくづく、私の予想を超えていくな……」


 エルビスタン公爵やアンタルヤ王家に関することなど、事前に聞きだしてくるよう依頼しておいた事柄については、おおよそ満足のいく内容を知ることができた。価値のある情報だが、それが吹き飛んでしまいそうな話を、ジノーファたちは持ってきたのだ。


「三人目の聖痕(スティグマ)持ちにアヤロンの民、か……」


 四〇〇人に満たないとはいえ、魔の森でそれだけの集団が生活を成り立たせていたというのは驚きである。あるいはそういう環境であったために、三人目の聖痕(スティグマ)持ちが誕生したのかもしれない。


 森の外からやってきたジノーファという伝手を頼り、アヤロンの民が森からの脱出を画策するのも、むしろ当然のことと言える。話がまとまるのが早過ぎる気もするが、それだけ「使徒」の影響力が強く、また脱出を強く願っていたということだろう。


 ジェラルドが少々意外に思ったのは、むしろダーマードの反応だ。魔の森の活性化のために、ネヴィーシェル辺境伯領には余裕がないはずなのだが、そのわりには破格の対応を用意している。逆を言えばそれだけ期待している、ということなのだろう。


(さて、どうしたものかな……)


 ジノーファから説明された事柄を自分なりに整理し、ジェラルドは内心でそう呟いた。この事態に際し、ロストク軍はどう動くべきか。


 現在のところ、ロストク軍の防衛陣地周辺の魔の森は落ち着いている。スタンピード以来、頻発していたモンスターの襲来も、ここ最近は落ち着いてきた。無くなったわけではないが、回数は少なくなり、エリアボスクラスも見なくなった。


 遠征軍自体も人員が補充され、スタンピードで受けたダメージからほぼ立ち直ったと言っていい。物資の集積にはまだ多少の不安があるものの、本国の事情も考えれば納得できる水準だ。


 先日は久しぶりにモンスターの誘引作戦も行われた。誘引されたのは三〇〇〇から四〇〇〇体で、大きな被害を出すことなく殲滅することができた。スタンピードを乗り越えたことで、兵士たちはまた一段と逞しくなったとジェラルドは感じている。


 ダンジョンの攻略も、着実に成果を上げている。マッピングの範囲は、ジノーファたちが提出した時点と比べ、二倍程度まで広がった。収納魔法を駆使して採掘場から資源を回収することで、遠征自体の黒字化も見えてきた。


 総合的に見て、遠征軍の状況はかなり良好だ。またアヤロンの民をロストク帝国へ移住させるのは難しい。政治的に困難と言うわけではなく、そこまで移動させるのが面倒なのだ。


 また、彼らはアンタルヤ王国のネヴィーシェル辺境伯領へ移住することでほぼ話が決まっている。今更、そこへ横槍を入れても、得るものなど何もないだろう。そもそも、地図上で見れば遠く離れた先での話。魔の森という地理条件も考え合わせれば、遠征軍としても容易に手が出せるものではなく、であれば静観するのが最良であろう。


 もたらされた情報は重大であるが、遠征軍を動かすような案件ではない。無論、本国へ報告し情報収集に努めてもらうことにはなるだが、逆に言えばできることはそれくらいしかない。それがジェラルドの判断だった。


「……ご苦労だった。この件は私から陛下にご報告しておく。それで、卿はどうする? 見届けるか、それともここで手を引くか……」


「見届けるつもりですが、実はそのことで一つお願いがございます」


「何だ?」


「五〇名ほどで良いのです。兵を貸していただけませんか?」


 その兵を使って何をするつもりなのか、ジェラルドは聞かなかった。ジノーファの性格からして、アヤロンの里やネヴィーシェル辺境伯領への破壊工作を画策することはまず考えられない。辺境伯領の防衛線に加勢する、というわけでもないだろう。であればやることはただ一つ。移住するアヤロンの民の護衛である。


「そこまでする必要があるとは思わないが……」


「いいえ、殿下。これは今回の遠征の目的にかなうものと、ひいてはロストク帝国の国益に繋がるものと考えます」


 ジノーファははっきりとそう言った。ジェラルドはわずかに顔を険しくすると、無言で彼に続きを促す。ジノーファは一つ頷いてからこう説明した。


「辺境伯領が守っている防衛線ですが、この近くには少なくとも二つ、ダンジョンの出入り口があることが分かっています。これの攻略が進めば、少なくともその周辺の表層域は落ち着きを取り戻すはず。そうなれば、帝国本土がモンスターの脅威に曝されることもなくなるでしょう」


 そしてダンジョンの攻略だが、これを行うのはアヤロンの民である。近くに拠点がなく、また補給線の維持も難しい以上、収納魔法が使える彼らが適任なのだ。


 だが、移住のためにダンジョンの中を移動している最中、モンスターに襲われるなどして人的被害が出れば、肝心の攻略に支障が出る。それは巡り巡ってロストク帝国本土をモンスターの脅威に曝すことになるだろう。ゆえにロストク軍からも兵を出してアヤロンの民を護衛すべし、というのがジノーファの言い分だった。


(理論武装は、してきたようだな……)


 ジノーファの説明を聞き、ジェラルドは内心でそう呟いた。確かに今回、ロストク軍が魔の森へ遠征してきたのは、そこからあふれ出るモンスターの脅威より本国を防衛するためだ。より効果的にそれを行えるなら、兵を出す大義名分にはなる。


「だが、多少被害が出ても、彼らは結局、ダンジョンの攻略を行うだろう。それで十分ではないか?」


「確かに、生きていくため、攻略は行うでしょう。ですが余力がなければ、まずは一つに注力することになります。また満足に攻略できるとも限りません。帝国本土を防衛するには、どの程度攻略を行えばよいのか分からないのですから、最大限の攻略を行えるよう、我々としても尽力すべきと考えます」


 ジノーファはすらすらとそう答えた。あらかじめ考えておいた台詞なのだろうが、それにしても思いのほか弁が立つ。ジェラルドはそう思った。


「……卿の言い分は分かった。あとで幕僚たちにも意見を聞いてみよう。下がれ」


「……はっ……」


 もう少し何か言いたそうにしていたが、結局何も言わず、ジノーファはジェラルドのテントを後にした。その背中を見送ってから、ジェラルドはすっかり冷めてしまったブランデーの紅茶割りを一口啜る。そして「さて、どうしたものかな」と小さく呟いた。


ジェラルド「ラグナとか言う男、父上と気が合いそうだな」

ノーラ「ご報告しておきます」

ジェラルド「次は誰の胃が痛むことになるのやら……」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ストーリーのテンポが良く、ダンジョンでしか魔法が使えない設定など主人公の特別感が程よいバランスで活きている。 [気になる点] 94話時点ですが、主人公の行動が気になります。帝国から年金を貰…
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