森の外へ
「ではジノーファ、シグムント。頼んだぞ」
「ああ、兄者。行ってくる」
「ラグナも、説得よろしく」
シグムントを紹介された次の日。ジノーファは彼を伴ってアヤロンの里を出立した。ラグナは桟橋から彼らの乗った小船を見送る。その姿は威風堂々としていて、彼が長老衆やアヤロンの人々を説得することにいささかの疑いもない。後は自分がダーマードを説得するだけだ。ジノーファはそう決意を新たにした。
ジノーファたちを対岸に下ろすと、小船は島へ戻っていった。小船はアヤロンの民の財産なので、彼らが持って行ってしまうわけにはいかないのだ。話し合いの結果がどうであれ、シグムントをもう一度ここまで送り届ける約束になっているが、その際には狼煙を上げて知らせることになっている。
さて、ジノーファたちは三十分ほど歩いてダンジョンの出入り口へ向かった。途中、何度かモンスターに襲われたが、エリアボスクラスがいなかったこともあり、危なげなく撃退できた。シグムントが戦っているところも見ることができたが、彼は堅実な短槍使いで、戦力として十分頼りになるレベルだった。
「さすが。いい動きをする」
ジノーファがそう言うと、シグムントは倒したばかりのモンスターの魔石を掌で転がしながら、小さく笑みを浮かべた。
「まあ、これくらいはな。伊達に、兄者にしごかれているわけじゃない」
そう応えるシグムントは、なんだか黄昏ていた。その言葉から察するに、彼は兄であるラグナと頻繁に稽古をしているのだろう。だが相手はあのラグナだ。弟相手に殺しにかかることはないだろうが、一辺不倒もあることだし、その稽古はきわめて厳しく、かつ一方的なものであるに違いない。
ラグナと立合った経験のある者として、ジノーファはシグムントに同情した。「それは、大変ですね」と思わず敬語になって声をかけると、彼は「分かってくれるか」と言って力のない笑みを浮かべる。ジノーファの脳裏に、なぜか大声で笑うラグナの姿が浮かんだ。
そうこうしてダンジョンに入ると、ジノーファたちはシグムントの案内で進んだ。もちろん往路の際にマッピングはしてある。だがせっかく慣れたメンバーがいるのだから、彼に案内してもらうのが一番だろう。
「この先は主の間だ。兄者たちが倒してから時間が経っているから、たぶん出てくるだろう」
「分かった。気を引き締めていこう」
シグムントの忠告に頷いてから、ジノーファたちは主の間、つまり大広間に足を踏み入れた。すると彼の言ったとおり、すぐにエリアボスが出現する。出てきたのは王冠を被ったゴブリン。ゴブリン・キングだ。
王種のモンスターは、配下のモンスターを次々に生み出すことで知られている。ジノーファたちはその性質を利用して多数のモンスターを狩ることもあるのだが、生憎と今回は急ぎの道中。セオリー通り、ジノーファがゴブリン・キングを真っ先に斬り捨て、戦闘は短時間で終わった。
さらに進み、水場で昼食をとる。その頃には、シグムントもずいぶんパーティーに馴染んでいた。ジノーファが焼いたドロップ肉のステーキを、彼も笑顔で頬張る。ドロップ肉は食べ慣れている様子だったが、その一方でジノーファたちが持ち込んだパンには驚いていた。そして食事をしながら、彼はふとこう話をふった。
「……それにしても、ジノーファが連れているその狼はすごいな」
「ラヴィーネのことか?」
「ああ。ここまでも良く働いていたし、なによりロロを引きずり倒していたからなぁ。あれには驚いた」
そう言って笑いながら、シグムントは白い毛並みのラヴィーネに手を伸ばした。しかし彼女はスルリとその手をかわすと、ジノーファの傍に行ってそこに伏せる。フラれてしまったシグムントは大げさに肩をすくめ、ジノーファは小さく笑いながらラヴィーネの頭を撫でた。
ロロというのは、アヤロンの里にいた黒い狼の名前である。他と比べて一回り大きい立派な体格をしたオスで、里にいる狼達のボスだ。名前をつけたのはラグナで、「生まれた時は小さくてのう。ここまででかくなるとは、思っておらんかったわい!」と言って笑っていた。
そのロロが、アヤロンの里に泊まっていたとき、ラヴィーネにちょっかいを出してきたのである。群れを引き連れて現れ、ラヴィーネを威嚇した。
しかしラヴィーネはそれを一蹴。威嚇に対し一歩も退かなかっただけでなく、首元に噛み付いてそのまま地面に引き倒し、前足でロロの頭を押さえつけて完全に動きを封じてしまったのだ。
あのままにしていたら、たぶんラヴィーネはロロを噛み殺していただろう。幸い、ジノーファが止めたので大事には至らなかった。ジノーファに呼ばれたラヴィーネはさっさと身を翻して彼のもとへ戻り、褒めろといわんばかりに彼の足に顔を擦り付ける。ジノーファは苦笑しながら彼女の頭を撫でた。
「あのときのロロの顔と言ったらなかったな」
シグムントはそう言って楽しげに笑った。どうやらさぞかし情けない顔をしていたらしい。ジノーファが見たのはロロの後姿だけだったが、それもたいそう悄然としたものだった。獣とはいえ、あまりの落ち込み具合に、何だか申し訳なくなったくらいだ。
「まあ、ロロの気持ちも分からんでもない。ラヴィーネは美人さんだからな」
シグムントは冗談めかしてそう言った。良く手入れされたラヴィーネの毛並みは確かに美しい。それにアヤロンの里に白い毛並みの狼はいなかったから、その珍しさも手伝って高嶺の花に見えたのかもしれない。もっとも、手折ることはできず、むしろ谷底へ突き落とされたわけだが。
「それと少し真面目な話をするとな、ロロたちも自分達の血が濃くなってきているのを、本能で感じ取っているんだろう」
笑いを納めると、ジグムントは少し真剣な顔をしてそう言った。内輪で交配を繰り返せば、どうしても血は濃くなり、そして濁る。動物たちは本能的にそれを忌避するというから、ロロの行動も、ラヴィーネという新しい血を取り入れるためのものだったのかもしれない。
「そして同じことはアヤロンの民にも言える。いや、俺達のほうがもっと深刻だ」
シグムントはそう言って大きくため息を吐いた。内輪での交配、いや婚姻というのなら、獣よりも人間のほうがその影響は深刻だ。獣であれば、野生のものを連れて来て飼いならすことで、新たな血を取り入れることができる。だが人間はそうはいかない。
「アヤロンの民があの島に隠れ住んで、二〇〇年なのか三〇〇年なのか。何とか血が濃くならないようにしてきたが、それもそろそろ限界だ。なにしろバタバタ死んでいく。血筋を気にしていたら、相手がいなくなってしまう。それでは数を維持できない」
シグムントはそう、アヤロンの民の厳しい現実を吐露した。彼に言わせれば、アヤロンの民はもう行き詰っていて先がない。彼らが存続していくためにも、どうしても森を脱出しなければならないのだ。
「ラグナは、このことを……」
「承知している。だから、あれだけやる気なんだ」
それを聞いてジノーファは真剣な顔で頷いた。ラグナがどうしてあれほど協力的で、森からの脱出に拘るのか、ジノーファは少し不思議だったのだが、その理由が分かった気がした。
もっとも、森を脱出したからと言って、それで問題が全て解決するわけではない。特に血が濃くなっている問題は、彼らが内輪で固まろうとしたら解決しないだろう。森を抜け出し、なおかつ開かれた集落を作る。それはかなりの難題であるように思えた。
とはいえ、ラグナなら何とかしてしまいそうな気もする。「がはははは」と大声で笑うラグナの姿を思い出すと、心配するのが何だか馬鹿らしくなってくるのだ。そんなジノーファの内心を察したのか、シグムントはニヤリと笑ってこう言った。
「兄者は豪腕だからな。そういえば、兄者が悔しがっていたぞ。ジノーファの嫁にやりたいのに、似合いの娘はみんな相手が決まってしまっている、ってな」
「……妻はいるし、お腹には子供もいる。そういう話は遠慮する」
ジノーファは渋い顔をしつつ、そう応える。彼の芳しくない反応を見て、シグムントは肩をすくめた。
「それは残念だ。しかし子供がもう少しで生まれるのか。生まれたら性別を教えてくれ。兄者にはまだ小さい男の子も女の子もいるから、きっとそういう話になる」
「やけに、拘るのだな」
「使徒の子供同士が結ばれるんだ。里の仲間も受け入れやすいだろう」
それを聞いて、今度はジノーファが肩をすくめた。そうやって小さな子供のうちに結婚相手を決めてしまうのは、アヤロンの民の習慣なのかもしれない。レビレート婚のこともあるし、なるべく血を濃くせず、なおかつ数を維持できるよう、かなり神経質になっている印象だ。
ただジノーファやその子供のことは、それを先例にして突破口を開こう、という思惑が透けて見える。あるいはその絵を描いたのは、ラグナではなくこのシグムントであるのかもしれない。何にしても、自分たちを使って問題解決を図るのはやめて欲しい。ジノーファはそう思った。
さて、休憩を終えると、ジノーファたちは移動を再開した。しばらく進んでから今度は仮眠を挟み、それからまたダンジョンの中を奥へと進む。そして彼らは二つ目の大広間に到着した。ラグナたちと出合った、あの縦穴広場だ。
こちらにもエリアボスが現れた。四枚羽のデーモンのように空を飛ぶタイプが現れると面倒だと思っていたのだが、幸いにも現れたのは陸戦形。ジノーファとの相性も良く、圧倒して倒すことができた。
そしてここから、ジノーファたちは壁沿いの通路を上へ向かう。シグムントは攻略のために何度もこの縦穴広場へ来たことがあるから、もちろんこの通路のことを知っている。しかし実際に登るのはこれで二度目だと言う。
「二度目?」
「ああ。一回だけ、登ってみたことがある。初めてここの主を倒した時だ。まあ、里の若い奴の通過儀礼みたいなもんさ」
通路を登りながら、シグムントは含み笑いをしつつ、そう話した。まるで自分はもう若造じゃないと言いたげな口調である。ラグナの弟ということは、世間一般にはまだ十分に若い部類に入ると思うのだが。とはいえ、ジノーファは彼より年下だから、それを口に出して指摘することはなかった。代わりに、彼は別のことを尋ねる。
「通過儀礼、というのは?」
「ん? 何と言うか、ここは結構深い場所だろう? しかも主も出る。だから、そういう決まりがあるわけじゃないんだが、ここを超えられたら一人前の守人というか、まあ一つの目標になっているんだ」
シグムントはそう説明する。そういう、いわば目安になっているせいか、アヤロンの里の守人たちにとって、ここは少々特別な意味を持つのだという。そのせいで他にも何かあるのではないかと考え、本来なら奥へ向かえばいいところを、上へ登ってみようと考えるというわけだ。
ただ、実際登ってみても、何があるわけでもない。登る者たちも、それは事前に知っている。登ってみて、「ああ、やっぱり何もない」と確認し、無駄なことをしたと笑いながら降りてくる。そこまでが、いわゆる「通過儀礼」なのだという。
「ラグナもやったのかな」
「やった。自慢げに話していたな。あの時は、誇らしいと同時に羨ましかった」
少々自嘲気味に笑いながら、シグムントはそう言った。その時、ラグナがすでに御印、つまり聖痕を持っていたかは分からない。しかし当時から傑出した才能を示していたはずで、それを間近で見てきたシグムントには複雑な感情があったのだろう。
閑話休題。ともかくこれまで、この縦穴広場の上部に大した意味はなかった。採取ポイントがあるわけでもなく、登ってみるのも話題作り以上の意味はなかった。しかし、これからは違う。
「まさか、こんな所に隠し通路があったとはな……」
ジノーファたちが見つけた隠し通路を見て、シグムントは驚いたような、それでいて呆れたような口調でそう言った。彼も結構長いことこのダンジョンを攻略しているが、隠し通路を見たのはこれが初めてである。
事前に話は聞いていた。ただ実際、こうして目にしてみても、まだどこか信じられない。それはたぶん、シグムントがこうしてここまで登ってきたのが数年ぶりで、しかも隠し通路がすでに開通している状態だったからだろう。
だがしかし、シグムントの記憶が正しければこんなところに通路は無かったはずだし、そんな話も聞いたことがない。やはりジノーファたちの手によって新たなルートが開通し、そしてそれが森の外へ繋がっているのだ。
(ロロたちを連れて来ていたら……)
そうしたら、もっと早くこの隠し通路を見つけて、そして森の外へ出ることができていたのだろうか。もしそうなっていたら、アイツや彼女は死なずに済んだのだろうか。シグムントはふとそんなことを考え、そして小さく頭を振った。
すべては過去のこと。過去は変えられず、そして取り戻せない。だからこそ、未来のために足掻くのだ。
「……ここから、出口までは近いのか?」
「ああ、もう一日かからないだろう」
ジノーファがそう答えると、シグムントは真剣な顔で小さく頷いた。ここから先は、アヤロンの民にとって全く未知の世界。このルートが希望に通じていることを、彼は願わずにはいられなかった。
さて、ここから先はシグムントではなくイゼルがパーティーを案内した。ただ、彼女もこのダンジョンを攻略するのは初めてで、決して慣れているわけではない。それでノーラも地図を取り出して道順を確認した。
幸い、ここはもう上層で、出現するモンスターはそれほど強くない。相変わらず数は多いが、ジノーファたちにもシグムントという手練れが加わっている。むしろ余裕さえあり、しっかりとルートを確認しながら進むことができた。
広いメイン通路が四つに分岐している場所まで戻ってくると、ジノーファたちは小さく安堵の息を吐いた。このメイン通路は出入り口まで通じている。あとはこの道を真っ直ぐ進めばいい。
「……出口か!」
出入り口から差し込む日の光を見つけると、シグムントは明るい声を上げた。外に出て空を確認すると、日はまだ十分に高い。この時間帯なら、暗くなる前に防衛線まで戻れるだろう。
イゼルが先導する格好で、ジノーファたちは森の中を進む。植生はあまり変わらないはずなのだが、やはり様子が違うのだろう。ジグムントはしきりに周囲を気にしている。同胞たちを連れてここを通るときのことを考えているのかもしれない。そしてそうこうしている内に、ジノーファたちは森を抜けた。
「……ッ、抜けた、か……!」
森を抜けると、シグムントは振り絞るようにして、そう呟いた。胸の内では、さまざまな感情が渦巻いている。感動があれば、歓喜もある。だが同時に、同胞の命運を負っているのを改めて感じ、その重責に押しつぶされそうでもある。
彼は強く拳を握りしめた。彼の視線の先には、石造りの巨大な建造物が威風堂々とそびえ建っている。アヤロンの里では、あのようなものは見たことがない。
「さあ、行こう」
ジノーファの言葉にシグムントは頷く。今この時、たった一人ではないことを、彼はとても心強く思った。
ロロ(しょぼーん……)




