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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森の民

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アヤロンの里


 ジノーファたちがラグナたちと出会ってからダンジョンを抜けるまでに、およそ一日かかった。移動距離のことを考えれば、かなりのハイペースと言っていい。彼らの実力が確かであったこと、荷物は全て収納魔法に納めておけたこと、途中のエリアボスはすでに討伐済みであったことなど、幾つかの要因が重なった結果だ。


(まあ、もっとも……)


 もっとも、ラグナたちと出会わなければ、こんなに早くダンジョンを抜けることはできなかっただろう。彼らが案内してくれたルートを、イゼルとノーラの二人もマッピングしていたのだが、分岐が無数にあるのは当然として、途中で細い道を通ったりもしていた。普通に探索していたら、恐らくは一年かかっても出口を見つけることはできなかっただろう。


 いやそもそも、出口が近くにあると知らなければ、探索することさえしなかったに違いない。それは要するに、上へと向かうルートだからだ。通常、攻略とは下を目指すもの。ラグナたちと出合った縦穴広場にも、下へと向かう通路はあった。普通であればそちらの攻略と探索を優先するはずで、上に向かう効率の悪いルートなど、無視していたに違いない。


 それを考えたとき、あの縦穴広場でラグナたちと出会えたことは、まさに奇跡だったのではないか、とジノーファは思った。思っただけでなく、後日彼は「奇跡」という言葉を使ってこの日のことを書き残している。イゼルは「運命」と言う言葉を使い、ラグナは「天が導いた」という表現を使った。誰の眼にも明らかなほど、その出会いは特別だったのだ。


 さて、ダンジョンで出口があったのは、大きな湖の畔だった。その湖を眺めると、幾つかの島が目に入る。そこでジノーファはハッとした。湖とは、要するに水場だ。そしてダンジョンの水場ではモンスターが出現しないことが知られており、そのルールは表層域にも適用される。


 つまりこの大きな湖は、巨大なセーフティーエリアでもあるのだ。もちろんセーフティーエリアと言っても、モンスターや魔獣は近づいてくる。何より人間は水中や水上で生きていけるわけではない。


 だがこの湖には多数の島が、つまり陸地がある。魔の森で暮らしていく上で、これほどの立地はないだろう。ジノーファがラグナに視線を向けると、彼は厳かに頷いた。この湖は人外魔境たる魔の森に残された、人間達の生存可能領域だったのである。


 さて、ジノーファたちは湖の畔を歩いて移動する。三十分ほども歩いただろうか。小さな桟橋が見えてきた。だがその桟橋にはあるべきものがない。つまりラグナたちが島から渡ってくるのに使ったはずの船だ。


 ジノーファが怪訝な顔をしていることに気付き、ラグナはにやりと少し得意げに笑った。そして仲間に目配せをすると、その内の一人が桟橋へ進み出た。そして彼は湖面に手をかざす。次の瞬間、大きな水しぶきを上げて小船が湖面に着水した。彼はさらに桟橋の反対側にも同じように小船を浮かべる。それを見て納得の表情を浮かべた。


「なるほど、収納しておいたわけですか……」


「しかり。桟橋に繋いでおくだけでは、モンスターや魔獣に壊されてしまうことがあるゆえな」


 そう答えるラグナの口調は苦い。きっと今までに何度もそういう経験をしてきたのだろう。ちなみに後日聞いたところ、そういう場合は狼煙を上げて島にいる仲間に知らせ、迎えに来てもらうそうだ。


「ですが小船とはいえ二艘もしまっていては、収納魔法、収納の秘術の容量が足りなくなりませんか?」


「術者が未熟であれば、そういうこともある。何事も精進である」


 したり顔でそう言って、ラグナは頷いた。それから彼らは二艘の小船に別れて乗った。全部で八名と一匹なので、四名ずつ分かれて乗る。ラヴィーネはジノーファと一緒の船に乗った。


 三角帆を立て、小船は湖面を滑るように進む。顔に感じる風が心地よい。ただ、小船での移動はすぐに終わった。後で聞いた話だが、船での移動が最小限で済むよう、なるべく島に近い位置に桟橋が造られているのだという。


「ラグナ、こいつ等は一体……?」


 ジノーファたちが湖に浮かぶ島の一つに到着し桟橋に降り立つと、警備に当っていたと思しき者たちがすぐに寄って来た。彼らはそれぞれ武器を手にしており、顔には警戒が浮かんでいる。


 警戒するのは当然だ。なにしろ彼らは、外の世界からは隔絶された環境で暮らしている。里の外から余所者がやって来る経験など、今までなかったに違いない。それも恐らくは一〇〇年以上の間、そうだったのだ。


 もしかしたら彼らは自分達のことが、人間ではなく化け物か何かに見えているのかもしれない。ジノーファはそう思った。一方でそうなると、出会い頭に決闘という方向へ話を持っていったラグナは、やはりなかなか希有な存在なのだろう。そしてそのラグナが、警戒する仲間たちの前へ進み出てこう告げた。


「彼らは我輩の客である」


「だが、こんな得体の知れない者どもを……!?」


「我輩が、我輩の御印にかけて試し、そして見極めた者どもだ。我輩が責任を持つ」


「使徒殿が、そう言うなら……」


 警備の者たちはそう言って道を開けた。彼らの顔には警戒と不審の色が残っているが、しかしジノーファたちに何か言うことはしない。やはり使徒であるラグナはアヤロンの民の中で特別な立ち位置にいるのだ。ジノーファはその影響力を改めて垣間見た気がした。


 桟橋から少し歩くと、そこは畑になっていた。畑で働いているのは、女性が多いように見える。育てているのは、見たところ麦ではない。ジノーファが少しだけ悩む素振りを見せると、ノーラが小声で「イモの類でしょう」と教えてくれた。


「それにしても、立派な畑ですね」


「なんの、小さくて困っておるわ。他の島にも畑はあるが、皆の腹を満たすにはまだまだ足りん」


「畑にモンスターが出現することはないのですか?」


「それはない。というより、島の中でモンスターが出現したという話は、聞いたことがない」


 ラグナはそう答えた。湖に浮かぶ島々も、水場の一部となっているのだろう。ただ、だからと言って安全と言うわけでは決してない。


「確かにモンスターは出現せぬ。だが、それは脅威がないという意味ではない」


 モンスターや魔獣が湖を泳いで渡り、ここまでやって来ることは度々あるのだ、とラグナは言う。また空からモンスターや魔獣がやってくることもある。ここには戦う力のない者も多く、そういう場合は多かれ少なかれ被害が出るのが常だと彼は語った。


「安心せよ。我輩がいる限り、モンスターにも魔獣にも、好きなようにはさせぬ」


「心配はしていません。それにわたしも、腕に多少の自信があります」


 ジノーファがさらりとそう応えると、ラグナは愉快げに大笑いした。決闘の末に大剣を砕かれたと言うに、それを「多少」と言われては彼の立つ瀬がない。


 それからさらに歩くと、今度は家々が見えてきた。木造だが、造りはしっかりとしている。人々の数も多くなり、ジノーファたちにも多くの視線が集まるが、その中を彼らは堂々と歩いた。


 ラグナはジノーファたちを、まず長老衆と呼ばれる者たちに引き合わせた。長老衆というのは、要するにアヤロンの民のまとめ役である。ジノーファは「使徒」であるラグナこそが指導者的な立場にいるのではないかと思っていたのだが、どうやら必ずしもそうではないらしい。


 さて、ラグナが「ジノーファを客として迎えたい」と告げると、それに対する長老衆の反応は否定的だった。「余所者は信用できず、信用できない者を客として迎えるのには反対だ」というわけである。彼が「使徒として見極めた」と話しても、彼らの態度は頑なだった。


 しかしラグナに焦った様子はない。長老衆の否定的な反応も、彼にしてみれば織り込み済みだったのだ。そして彼は満を持して切り札を出す。彼は長老衆に対し、重々しくこう告げた。


「ジノーファは我輩と同じ使徒だ」


「なんじゃと!?」


「それは真か!?」


 はたして反応は劇的だった。集まった長老衆は一人残らず目を見開き、そして口々に何かを口走る。しゃべり声が重なり合って何を話しているのかよく聞き取れないが、概ね「信じられない」というようなことを話しているようだった。


「ジノーファ、御印を見せてやるがよい」


 やがて長老衆の視線がジノーファに集まると、ラグナは彼にそう告げた。ジノーファは一つ頷くと、上着を脱いで背中を彼らに見せる。そして聖痕(スティグマ)を発動させた。その瞬間、喧騒がピタリとやんだ。


「おお……!」


「なんと……」


「これは、確かに御印じゃ……!」


 長老衆の口から次々に感嘆の声が漏れる。中には涙を流すものまでいた。その気配を背中で感じて、ジノーファは少々こそばゆい。ラグナが一つ頷くと、聖痕(スティグマ)を消してそそくさと上着を着た。


 これでジノーファが「御印を持つ使徒」であることは証明された。そのおかげで、長老衆の態度もやや軟化している。ただそれでも、やはり余所者を里に迎えるのは抵抗があるらしい。皆、悩ましげな顔をしている。そこへラグナが最後にこう告げた。


「せっかく森の外から使徒殿が参られたのだ。その話も聞かずに拒絶するのは、アヤロンの民にとって損失となると考えるが、いかがか?」


 それを聞いて、ジノーファは「上手い言い回しだな」と思った。「話を聞く」という方向でまとめることで、話を聞いた後に判断する余地を残した。「話を聞いて、駄目ならその時改めて拒絶すればいい」という、いわば逃げ道を作ったのだ。


「そうじゃのぅ、話くらいならば聞いても……」


「使徒殿の話じゃ、聞く価値はあろう」


 結局、長老衆はそう判断を下した。結論を先送りしたわけだが、そういうふうに誘導したのはラグナだ。そして誘導した張本人は厳しい顔をしながら、腕を組んでさらにこう尋ねる。


「ならば我輩が責任を持って話を聞こうと思うが、それでよろしいか?」


「そうじゃな。使徒同士のほうが、話もしやすかろう」


「ラグナよ、任せたぞえ」


「うむ。任された」


 ラグナは重々しく頷いてそう応えた。実際のところ、話を聞くためには一度迎える必要があり、その時点で彼の目的は達成されている。しかも「話を聞いた後、その内容を吟味する」ことも約束させているのだから、目的以上の成果と言っていい。腹芸は苦手なように見えていたが、彼もなかなかの食わせ者だ。


 そして、そうと決まれば話は早い。空き家が一軒あるということで、ジノーファたちはひとまずそこに逗留することになった。ただしばらく使われていなかったので、家財道具などはなにもないし、掃除もしなければならない。


 それでジノーファたちはまず、ラグナの家に向かった。食事はそこで食べることにして、あとは掃除道具などを借りるためだ。


 ラグナの家でジノーファたちを出迎えたのは、彼の妻の一人でアンナという女性だった。彼女はジノーファたちを見ると、やはり不審げな顔をしたが、彼が「長老衆の許可は取った」と言うと、一応納得した様子を見せた。


「食事は、こやつ等の分も頼む。それと寝泊りには空き家を使ってもらう事になったのでな。掃除も手伝ってやってくれ」


「お手数をお掛けします。良ければ、これを使ってください」


 ジノーファはそう言って、いつぞや狩ってそのままにしていた魔獣の死骸を、シャドーホールから取り出した。それを見ると、アンナは「おや」と呟いて表情を明るくする。どうやら喜んでもらえたようだ。


 それからアンナは肉の処理と食事の準備を別の者に任せ、ノーラとユスフを連れて空き家の掃除に向かった。それを見送ってから、ラグナはジノーファとイゼルを連れて家の中に入る。そして彼の自室なのか、少し狭い一室に二人を通した。


「そこに、座るが良い」


 そう言ってラグナは二人に敷布を進めた。それから部屋の隅に、ジノーファから貰った大剣と大盾を片付ける。そして動物の毛皮で作られた、袖なしの上着を羽織ってから、ジノーファたちの前に腰を下ろした。


「さて、まずは何から話したものか……。そうだ、ジノーファ。お主、歳はいくつなのだ?」


「今年で十八になります」


「ああ、堅苦しい言葉は使わんで良いぞ。それにしても、十八か……」


「分かった。……ラグナは、いくつなんだ?」


「三三になる」


 ラグナはそう答えた。ジノーファが思っていたより、多少年上である。とはいえ、それくらいの年齢でなければ、長老衆をはじめ、里の仲間たちからの信頼を得ることはできないのかもしれない。


「ジノーファは、いつ御印を得たのだ?」


「正確にはわからない。ほら、背中にあるだろう。気付かなかったんだ。十五になる少し前に人から言われて、ようやく気付いた」


「十五か! 早いな。我輩は二十のときだったぞ」


 それからジノーファとラグナはいろいろな話をした。建前上、彼がジノーファの話を聞くことになっているのだが、まずはアヤロンの民のことを教えてもらう形になった。


 アヤロンの民の人口はおよそ三五〇名。彼らのほかに、この周辺に住んでいる者たちはいないと言う。畑を耕したり、湖で漁をしたり、森から恵を得たりして暮らしているそうだ。もちろんダンジョン攻略も、彼らの生活の中心になっている。


 ラグナが言っていた「守人」というのは、要するに戦士のことらしい。魔窟、つまりダンジョンの攻略や、里に侵入した魔獣やモンスターなどの討伐が主な役割となる。森に食べ物を採りに行くのも、守人だと言う。


 そういう役割であるから、守人は男がなる場合が多い。そして魔の森は危険な場所であるから、守人は死傷者が多い。そうなると男女数で差が生じる。それで、アヤロンの民の間では一夫多妻が普通の事になっていると言う。


 ただ詳しく聞くと、アヤロンの民の一夫多妻制は、ジノーファが考えるそれとは少し違うものだった。簡単に言うと、レビレート婚が基本になっているのだ。つまり夫が死んだ場合、その兄弟が残された妻を娶るのである。


 もちろん関係者、特に当事者合意の上で、夫の兄弟とは別の男と再婚する場合もある。だがそれでもやはり、「レビレート婚が基本」というのがアヤロンの民の習慣なのだ。それはジノーファにとって、馴染みのない習慣だった。


「なぜ、そんなことを?」


「残された者たちが大切にされ、しっかりと養われると信じられねば、守人たちは勇敢に戦うことができまい」


「ですが、皆でしっかりと世話をすれば……」


「無論、子供がいて、親を世話できるのであればそれでもよい。だが、幼子を抱えた未亡人はどうだ。怯えるように気を使い、それでも陰口を言われ、片身に狭い思いをしながら生きて行けと言うのか? 責任を持って娶るからこそ、女たちも安心して身を任せられるのだ」


 諭すようにそう言われ、ジノーファは難しい顔をして口をつぐんだ。正直、納得はしがたい。例えば自分が死んだとして、シェリーが誰かの妻になるというのは、正直想像するのも嫌だ。


 だがそういう自分の感情は別として、この風習が彼らにとって必要なモノであることは、なんとなく理解できた。アヤロンの民は魔の森で暮らしている。しかしそこはやはり、決して暮らしやすい場所ではない。ジノーファは改めてそれを思い知った気がした。


イゼルの一言報告書「出入り口をもう一つ発見。案内してもらったと言った方が正しいですが」

ダーマード「使えるかは微妙だな」


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