同格の戦い
「どうしたぁ、逃げ回っていては埒が明かぬぞ!?」
そう叫びながら、ラグナは獰猛な笑みを浮かべて大剣を振るい、ジノーファを狙う。ジノーファは決して、彼が言うように逃げ回っているわけではない。それどころか暴風のように襲い来る大剣を避けながら、同時に鋭い反撃を放っている。
ラグナは回避する素振りも見せないから、その攻撃は確実に彼の身体を捉えている。しかし彼には何ら痛痒を覚えた様子はない。彼の使う防御魔法《一辺不倒》が、ジノーファの攻撃を全て防いでしまっているのだ。
ジノーファはわずかに顔をしかめた。攻撃が効きにくい敵は今ままでもいた。しかしまったくノーダメージとなると、こんなことは初めてだ。
内心の困惑を隠しつつ、彼はもう一度伸閃を放つ。手加減はしていない。渾身の一撃ではないものの、普通であれば重装歩兵を袈裟切りにできる一撃だ。しかしその一撃を、一辺不倒に守られたラグナの身体はいとも容易く弾く。不可視の斬撃は、彼の身体に毛筋ほどの傷さえつけられない。
ジノーファは一度大きく間合いをあけた。ラグナも追撃はしてこない。激しい攻防のせいで二人とも肩で息をしており、彼らはひとまず呼吸を整えることを優先したのだ。そして呼吸をなだめながら、彼はこの難敵をどう攻略するべきかを考える。
(剣術は、荒削りだ)
ジノーファがまず感じたのはそれだ。ラグナの剣術は洗練されていない。恐らく師に付いて学んだことがないのだろう。そういう意味では、彼の戦い方は拙いと言える。実際、先ほどの攻防でも、彼は誘いやフェイントの類はまったく使わなかった。
(だけど強い。間違いなく)
ただ拙いというのは、あくまでも剣術として見た場合の話だ。聖痕持ちの膂力で振り回される大剣は、それだけで十分に脅威である。そもそも大剣とは、力一杯振り回して叩き付けるだけでも、十分に有効な武器。小手先の技術は、あるに越したことはないのだろうが、なくても十分に戦えるのだ。
さらにこれまで戦った感触として、ラグナはずいぶんと戦いなれしている。彼の戦闘経験の大部分はモンスター相手なのだろう。そしてモンスターは人間より大きいものや小さいもの、力の強いものや動きの素早いものなど、実に多種多様だ。それらを相手に密度の濃い戦闘経験を培ってきたに違いない。
その上あの防御魔法、一辺不倒である。馬鹿げた防御性能を誇るこの魔法のために、ジノーファは今のところ、文字通り手も足もでない。なにしろ、どれだけ攻撃してもまったくダメージが入らないのだ。一方でラグナの一撃は強力であり、まともにくらえばたちまち戦闘不能になるだろう。
(ジリ貧だな……)
ジノーファは内心で嘆息する。とはいえ負けが決まったわけではない。一辺不倒も魔法である以上、永遠に使い続けられるわけではないだろう。加えて、重い大剣を振り回していれば、体力の消耗も相当なはず。いつかは限界がくる。
もっとも、それはジノーファも同じである。彼とて、魔力や体力には限界があるのだから。ただ消耗戦になった場合、自分の方に分があるとジノーファは思っていた。ラグナはエリアボスからの連戦だからだ。しかし彼はいささかも消耗した様子を見せず、むしろ大剣を肩に担いで快活な笑みを浮かべながらこう言った。
「ふははは、よく動くではないか! たいていの者はみな竦んでしまうゆえ、すぐに殺してしまわぬかと案じておったのだが、余計な心配であったな!」
「それはどうも。ところで、実力を確かめるだけなら、もう十分ではありませんか?」
「いいや、まだ足りぬ。逃げ足以外のものも、見せてもらわねばな!」
楽しげにそう言われ、ジノーファは盛大に顔をしかめた。彼の側からすれば、決して逃げ回っていただけではない。回避と同時に反撃も行っていた。しかしラグナから見れば、どうもそれは攻撃の内に入らないらしい。
実際、毛筋ほどの傷も付けられていないのだから、反論のしようもない。だが現実問題、どうすればダメージを負わせることができるのか。浸透勁であれば効くかもしれないが、正直ジノーファに自信はない。
なにより浸透勁を使うには、徒手空拳の間合いまで近づかねばならぬ。首がおかしな方向に曲がったデーモンの姿が思い出されてしまい、ジノーファとしてはぜひとも遠慮したかった。
「お互い、呼吸も落ち着いたようであるな。では、我輩もそろそろ本気を出すぞ」
ジノーファがこれといった打開策を見出せないでいるうちに、ラグナはそう宣言して無骨な大剣を構え直した。その瞬間、彼の放つプレッシャーがさらに膨れ上がる。それを感じ取って、ジノーファは顔を引き攣らせた。
放たれるプレッシャーが、ちりちりとジノーファの肌を焼く。本当に焼かれているわけではないが、そう感じるのだ。どうやら「本気を出す」というのは、比喩でも何でもなく、ただの事実らしい。
「おおおおおお、はあっ!」
裂帛の雄叫びを上げながら、ラグナは大剣を振りかぶって一気に間合いを詰めた。彼はもともと巨漢だが、その身体がさらに膨れ上がったようにさえ見える。その圧力に、ジノーファは思わず身体がすくみそうになった。
「っ!」
ともかく、棒立ちになっていては終わりだ。顔をゆがめながら、ジノーファは足を動かした。初撃は回避したものの、しかし反撃に移れない。嵐のような激しさで、連撃が次々に彼へと襲い掛かった。
「どうしたぁ、逃げてばかりかぁ、小僧!?」
獰猛な笑みを浮かべながら、ラグナがそう叫ぶ。その口元に嘲笑が浮かぶのを、ジノーファは見逃さなかった。言いがかりをつけてきた時とは違い、本当にジノーファを見下して浮かべた嘲笑だ。
恐らくだが、ラグナはジノーファが自分と同じく御印、つまり聖痕を持っていることに勘付いている。その上で、「なんだ、この程度なのか」と見下しているのだ。打つ手なく追い詰められているのは確かだが、しかしそれでも、彼の浮かべた嘲笑はジノーファの癇に障った。
「なめ、るなッ!」
全神経を集中して、ジノーファはラグナの攻撃を見切った。彼は猛烈な勢いで繰り出された突きを紙一重で避けると、軽く跳躍して、なんとラグナの手を踏みつける形で大剣の柄の上に着地する。そしてそのまま、腕をしならせて突きを放つ。鋭い切っ先が狙うのは顔面、しかも目だ。
「ぬお!?」
驚いたように声を上げながら、ラグナは首を傾けてその鋭い一撃をかわした。同時に大剣を大きく振り上げ、ジノーファを振り落とそうとする。ジノーファはそれに逆らわず、むしろ勢いを利用して跳躍する。その際、ついでとばかりにラグナの頭を踏みつけてやった。
「ぬう、やってくれる……。その上、我輩の頭を踏みつけていくとは……! そんな輩は初めてぞ!」
踏まれた頭を摩りながら、ラグナは唸るようにそう言った。ただその台詞と裏腹に、彼の表情は楽しげだ。彼の眼は爛々と輝き、口元には獰猛な笑みが浮かぶ。その様子は、獲物を前にした肉食獣のようだ。
いや、獣は獲物を前にして笑うまい。そしてジノーファも喰われるだけの獲物ではない。今のところ劣勢ではあるが、ラグナを前に立ちはだかることのできる戦士だ。ならばその強敵を前に笑うのは、鬼か羅刹か。いずれにしても化け物の類であろう。
一方のジノーファは、顔から表情が抜け落ちていた。彼はもともと、戦いに楽しみを見出すタイプではない。雰囲気に影響され、気持ちが昂ぶることはある。だが彼にとって戦いとは基本的に手段であり、それ自体が目的になることはない。そのせいなのか、彼は戦闘に集中すればするほど、無表情になっていくのだ。
ジノーファがここまで無表情になるのは、ずいぶん久しぶりのことだ。壁際で決闘を見守っているユスフは感嘆した。ラグナという大男は、本当に強いらしい。いや、聖痕持ちである時点で、強いことは分かっているのだけれど。
(それ以上の何かがある、ってことか……)
それが何なのか、ユスフには分からない。たぶん、ジノーファも分かっていないのだろう。ただ彼は今、同格以上の敵と相対して集中力をかつてなく高めている。決闘はここからが本番になる。ユスフは固唾を飲んでジノーファを見守った。二人の放つプレッシャーに気圧され、直立不動の姿勢になりながら。
「ゆくぞ!」
そう叫んで、ラグナは無骨な大剣を肩に担ぐようにして振りかぶる。次の瞬間、彼の身体の中で魔力が渦巻くのを、ジノーファの妖精眼が捉えた。一辺不倒ではない。そもそも魔法ですらなく、伸閃のような、武技の類であろうと思われた。
(どう、来る……!?)
ラグナの出方を窺っていたジノーファは、ほぼ反射的に、思考を引き千切るようにして動いた。気付いたら、目の前にラグナが迫っていたのだ。ユスフは後日この時の様子を、「まるで雷が走ったようだった」と話している。実際、音さえも置き去りにした、凄まじい速度だった。
そしてラグナは思い切り踏み込んで、無骨な大剣にその速度を乗せる。彼が振り下ろす大剣を、ジノーファは転がるようにして避けた。空振りした大剣の刃は床を砕き、その破片がジノーファに当る。痛いが、アレの直撃を受けるよりマシだ。
「くははは! コレも避けるか! 《迅雷》を避けられるのはいつぶりであろうか。だがやはり、逃げ回っているだけではどうにもならぬぞ!?」
楽しげに笑い声を上げながら、ラグナは大剣を振るった。ジノーファは素早く立ち上がり、さらに伸閃を使ってその刃を弾く。それも、ただ弾いているわけではない。それだと簡単に押し切られてしまうだろう。
それでジノーファはまるで受け流すかのように、大剣に対し不可視の刃を合わせていた。そうやって力の方向をずらし、剣筋を逸らしているのだ。それも縦横無尽に振るわれる、必殺の威力を誇るラグナの大剣に対して。極限まで集中力を高めたことで実現した、極めて精度の高い見切りの技である。
「ぬう……!?」
自分の攻撃がいなされているのが分かるのだろう。ラグナは大剣を振るいながら顔をしかめた。一方ジノーファはまるで暴風のような攻撃をさばきつつ、妖精眼で彼のことを観察する。
ラグナの身体はあいかわらず一辺不倒によって守られている。しかしその魔法の効果は、決して均一ではない。僅かだが、ムラがあるのだ。ムラの程度や場所はまちまちだが、それはラグナの動きと関係しているように見えた。
つまり攻撃に意識が向いていると、防御が疎かになるのだ。程度の問題になるが、それは一辺不倒を使っていようとも変わらない。
今まではそれでも問題なかったのだろう。ムラを見切り、さらにこの猛攻をかいくぐって反撃できる者など、いなかったのだから。しかしジノーファなら、それができる。
「ッ!」
ムラが大きくなったその瞬間、効果の弱まっている場所を狙って、ジノーファは伸閃を放った。それでも相変わらず、わずかばかりの傷も付かない。それでも彼は、この弱点を狙って攻撃を続けた。そして二度三度、いや五度六度と繰り返していくうちに、ラグナははっきりと顔をしかめるようになった。
「ぬう……! 貴様、何をした……!?」
距離を取り、ラグナは警戒するように大剣を構える。彼のその様子に、彼の仲間たちは揃って驚愕の表情を浮かべた。ラグナの身体には、うっすらと赤い筋が残っている。大したダメージではないだろう。しかし確かにダメージを与えた、その確たる証拠である。
困惑するラグナには答えず、ジノーファは無言のまま鋭く間合いを詰める。彼のその動きに合わせて、ラグナも無骨な大剣を振るった。その時点で、彼の顔や剣筋からは困惑が消えている。
「余計なことを考えている場合ではない」と頭を切り替えたのか、あるいは「大したダメージではない」と割り切ったのか。いずれにしても、大剣を振るう彼に迷いは見えない。ジノーファにとっては、あまり好ましくない展開だ。
とはいえジノーファも、ラグナが動揺して隙を見せると見込んでいたわけではない。彼は高い集中力を保ったまま、ラグナの振るう大剣をかわし、あるいはいなしていく。それだけではない。彼は動きの精度を保ったまま、徐々に速度を上げていく。彼の動きは確かな技術に裏打ちされていて、ラグナは徐々にその動きを追えなくなっていった。
「ぬう……!」
ラグナがうめき声を上げる。ジノーファの動きを追えなくなるにつれ、彼が攻撃を受ける回数も増えていく。もちろん彼の身体は一辺不倒に守られていて、どれも大したダメージではない。しかしこうして追い詰められること自体、彼にとって御印(聖痕)を得て以降初めての事。精神的な劣勢を覚え、彼はまた距離を取った。
しかしラグナが退くのに合わせて、ジノーファは前に出た。彼にまたあの迅雷という技を使うための、距離と時間を与えないためだ。ラグナは彼を振り払おうとするが、しかし膂力はともかく技量はジノーファの方が上だ。ぴったりと張り付き、離れない。そしてラグナが大剣を大振りしたその瞬間、ジノーファはその一撃をかいくぐって彼の懐に潜り込んだ。
「はあああああっ」
ジノーファが裂帛の声を上げる。彼は左手に持った剣を投げ捨てると、空になった左手で掌底打ちを放つ。もちろんただの掌底打ちではない。シェリー直伝の浸透勁だ。狙いはラグナの胸の中心、つまり心臓。
ジノーファの浸透勁はほぼ完璧な形で決まった。一辺不倒のためにある程度減衰したのだろうが、しかし確かに届いた。返ってきた手応えから、彼はそれを確信した。そして実際、ラグナの反応は劇的だった。
「ぐうぅ!?」
「ラグナ!?」
彼は胸を押さえながら、苦しげにうめき声をもらす。その様子に、彼の仲間たちはついに驚愕の声を上げた。壁際で見守っていたユスフたちはこれで決まったと思ったし、それはジノーファも同じだ。しかし次の瞬間、さらに驚くべきことが起こった。
「ぐぅぅ……、かぁあああ!!」
苦しそうにしていたラグナが、大声を出しながら全身を力ませた。同時に大量の魔力を一気に放出する。すると何と言うことか、浸透勁によって乱れていた彼の魔力が落ち着きを取り戻したではないか!
「まさか透しの技を使うとはな……。効いたぞ!」
いくぶん青い顔をしながら、しかし力強い声で、ラグナはそう言った。その顔には賞賛が浮かんでいるが、ジノーファはそれどころではない。
先ほどの浸透勁はほとんど殺すつもりで放った一撃だった。なにしろ聖痕持ちが全力で、しかも心臓を狙って放ったのだ。普通なら死んでいなければおかしい。実際、ラグナの心臓は止まりかけていたはずだ。それを、ほとんど気合だけでひっくり返された。もはや呆れるのを通り越して、慄然とさえさせられる。
「さあ、やるぞ。続きだ!」
獰猛な笑みを浮かべながらそう言うと、ラグナはまた大剣を担ぐようにして構えた。迅雷の構えだ。対するジノーファは、右手に残った剣を、半身になって構える。シャドーホールの中に予備の武器はたくさん入っているが、今それを取り出す余裕はない。来るべき雷光の一撃をかわすべく、ジノーファは集中力を高めた。
にらみ合うこと数秒。二人はほぼ同時に動いた。少なくともユスフにはそう見えた。迅雷の一撃をかわしたジノーファは、そのまま身体をひねるようにしてラグナの側面に回りこみ、同時に横なぎの伸閃を放つ。狙いは彼の首。その一撃は確かにそこを捉えたが、しかしやはり一辺不倒に阻まれダメージはほぼ皆無。それを確かめるまでもなく、ジノーファは次の行動に移る。
「ッ!」
無理やり踏み込み、間合いを詰める。左手は掌底打ちの構えだ。半瞬遅れてラグナも動いた。彼は浸透勁を警戒し、咄嗟に大剣を盾のようにして身体の前に構える。ジノーファは構わず左手を突き出し、ラグナの大剣に浸透勁を放った。
――――ギリィィィイイ!!
その瞬間、何かがきしむような大きな音が響いた。そしてラグナの大剣にヒビが入り、そしてヒビが広がる。「あっ」と言う間もあればこそ。彼の無骨な大剣はバラバラに割れて、砕け散った。
イゼルの一言報告書「レベルが違いすぎて……!」
ダーマード「仕方あるまい」




