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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森の民

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不倒の男


(三人目の、聖痕(スティグマ)持ち……!)


 ジノーファは知らずしらずの内に、手を強く握りしめていた。この世に現れた三番目の聖痕(スティグマ)は、まるで獅子のたてがみのように堂々とした紋様をしている。その紋様は巨漢の男の分厚い胸で黄金色に輝いていた。


 三人目の聖痕(スティグマ)持ちの出現という、考えても見なかった展開に、ジノーファたちはみな一様に息を飲んだ。いろいろ考えるべきことはあるのだろう。ただ今は、黄金色に輝く聖痕(スティグマ)に彼らは釘付けになっていた。


 そしてそうしている間にも、激しい戦闘は続いていく。聖痕(スティグマ)を発動させると、男はメイジ風の仲間を背中に庇う。彼が一つ頷くと、その仲間は魔法の準備を始める。高まる魔力に気付いたのか、四枚羽のデーモンはメイジ目掛けて多数の火炎弾を放った。


「……ォォォォオオオ!!」


 聖痕(スティグマ)を発動させた男が吠える。彼は大剣を片手で振り回して、迫り来る火炎弾を迎え撃った。大量の魔力を込められた無骨な大剣が、まるで引き千切るようにして火炎弾をかき消していく。


 そうやって稼いだ時間を使い、メイジは魔法の準備を終えた。そして一声かけてから、四枚羽のデーモン目掛けてその魔法を放つ。放たれたのは風魔法。大きなつむじ風が、宙を飛ぶデーモンの身体を激しく揺さぶった。


 メイジはデーモンの機動性を考慮し、回避されないことを最優先にしてこの魔法を選んだのだろう。下に落としさえすれば、後は仲間が何とかしてくれる。恐らくはそう考えたに違いない。


 ただ彼はデーモンの飛行能力を見くびっていた。デーモンは四枚羽を器用に使い、むしろ風を捉えて加速し、そのまま急降下したのである。デーモンの飛ぶ範囲を狭めたという点では、魔法には意味があった。しかしながら利用されてしまったのは、戦う五人にとって痛手だろう。


 さて、急降下したデーモンは床すれすれの位置を猛スピードで飛んだ。その身体には紫電を纏っている。火炎弾とは別の特殊攻撃だ。そしてデーモンが狙っているのは魔法を放ったメイジだった。


 他のメンバーも、それぞれの手段で四枚羽のデーモンを牽制する。しかし相手が速すぎて、どれも当らない。そしてデーモンはついに、メイジを背中に庇って立ち塞がる、半裸の大男へと肉薄した。彼は大剣を床に突き刺し、無手の状態でデーモンを迎え撃つ。


「ジャァァアア!」


「ォォォオオオ!」


 裂帛の咆哮が重なる。次の瞬間、幾つかのことが同時に起こった。その全てを把握できたのは、当事者である彼ら二人と、あとは妖精眼を使って見守っていたジノーファだけだろう。


 まず仕掛けたのは、紫電を纏った四枚羽のデーモンだった。デーモンが繰り出したのは手刀。狙いは男の顔面だ。直線的な一撃だったとは言え、十分に加速されたその攻撃は、普通なら視認することさえ難しいだろう。


 その一撃を、半裸の大男は首を捻ってかわした。ただし避けられたのは手刀だけで、デーモンの纏っていた紫電が彼の身体を焦す。だがそれと同時に、彼はデーモンのもう片方の腕を捕まえていた。そしてデーモンを捕まえると、彼はお返しとばかりにその顔面へ鉄拳を叩き込んだのである。


 結果として、吹き飛んだのは攻撃を仕掛けたはずのデーモンだった。きりもみしながら吹っ飛ばされ、そのまま壁に激突する。首がおかしな方向に曲がっていて、ジノーファは思わず「うわ」とこぼしてしまった。


 一方、半裸の大男は拳を振りぬいた姿勢のまま制止していた。全身の隆々とした筋肉には焦げた痕が残っているが、妖精眼で見る限り、体内のマナは力強く安定している。命に別状はなさそうだ。


 そして振りぬいたのと別の手には、千切れたデーモンの片腕が握られている。どうやら殴り飛ばしたさいに引き千切ったらしい。千切られた腕は、数秒の間をおいてから灰のようになって崩れ落ちた。


 引き千切った腕がなくなると、半裸の大男はゆっくりと身体を動かし、床に突き立てていた無骨な大剣を引き抜いた。同時に、デーモンも動き始める。首を力ずくで元に戻すのを見て、ジノーファがまた「うわ」とこぼす。ただ片腕を失っているし、ダメージも相当だ。


 四枚羽のデーモンもそれは自覚しているのだろう。半裸の男が聖痕(スティグマ)を輝かせながら近づくと、慌てた様子で羽根を羽ばたかせて上へ逃げた。そして安全圏に退避すると、残った片腕を掲げ、巨大な火炎弾を生み出す。


 それを見て半裸の大男は顔を歪めた。直撃すれば、彼はともかく、他のメンバーは危ういだろう。メイジもすでに魔法の準備に入っているが、間に合うかは微妙だ。しかしデーモンの火炎弾が放たれることはなかった。横槍が入ったのだ。入れたのはジノーファである。


 デーモンは火炎弾に力を注ぐために動きを止めていたのだが、その際ちょうど背中をジノーファの方に向けていた。その無防備な背中目掛けて、ジノーファは伸閃を放ったのである。


「ギャ……!?」


 デーモンが短い悲鳴を上げる。四枚あった羽根は、今は半分の二枚になっている。ジノーファの伸閃に切り落とされたのだ。そして二枚羽になったデーモンはもう宙を飛ぶことはできず、一瞬の停滞の後に墜落した。


 縦穴広場の床に叩きつけられたデーモンは、しかしまだ死んではいなかった。とはいえすでに瀕死である。なんとか身体を起こそうとしているが、デーモンが立ち上がる前に半裸の大男の大剣が振り下ろされた。


 デーモンが崩れ落ちる。そして一瞬の後、その身体は灰色の粒子になって舞い散った。後に残ったのは、大きな魔石が一つだけ。どうやらドロップアイテムは残らなかったらしい。


 エリアボスを倒しても、半裸の大男は聖痕(スティグマ)を消さなかった。他のメンバーもそれぞれ得物を構えて警戒を続けている。彼らはみな一様に上を見上げていて、その視線の先にいるのは横槍を入れた存在、つまりジノーファだ。


「行きましょうか」


 下からの鋭い視線を集めつつ、ジノーファは固唾を飲んで見守っていた他のメンバーにそう告げた。そして右手に握っていた剣を鞘に納めると、そのまま一人でさっさと歩いていってしまう。ラヴィーネがすぐにその後に続き、さらにその後を他のメンバーが慌てた様子で追った。


「怪しい奴。一体何者であるか。名を名乗れ!」


 ジノーファたちが下の広場へ降りると、胸に聖痕(スティグマ)を浮かべたまま半裸の大男がそう詰問する。少々古風な言い回しにも聞こえるが、ともかく言葉は通じる。加えて大剣の切っ先を向けられることもなく、ジノーファはひとまず安堵した。


「わたしはジノーファと言います。森の外から来ました」


 ジノーファがそう応えると、男たちはざわめき出した。半裸の大男も、取り乱すことはなかったものの、「ぬう」と唸り声を上げる。ただ自己紹介をしただけなのに、ずいぶん大げさな反応であるようにジノーファは思った。


 まさか「ジノーファ」という名前に心当りがあるわけではないだろう。そうであれば「森の外から来た」という部分に反応したのか。もしそうなら、彼らの正体は……。


「わたしもお尋ねしたい。あなた方は何者なのですか?」


「我が名はラグナ。アヤロンの守人にして、御印を持つ使徒である」


 半裸の大男はそう名乗った。それにしても耳慣れない単語がいくつも出てきた。アヤロン、守人、御印、使徒。それぞれ、一体何を指す言葉なのだろうか。しかしジノーファがそれを考えるより前に、ラグナが彼にさらにこう尋ねた。


「先ほど、お主はこの森の外より来たと言ったな。ではこの魔窟は森の外へ通じておるのか?」


「直接外へは通じていません。ただ、かなり近い場所へは通じています」


 ジノーファがそう答えると、男たちはまたざわめいた。ラグナも思案げに顔をゆがめている。どうやらジノーファがもたらした情報は、彼らにとってかなり悩ましいモノであるらしい。


「……あなた方は、この森から出たいのですか?」


「それを願わぬ者がはたしていようか! アヤロンはこの呪われし森に残されし民。この森より逃れ出ることは、我らの悲願である」


 ラグナのその返答を聞いて、ジノーファは内心で息を飲みつつ、小さく頷いた。アヤロンというのは、どうやら部族や民族の名前らしい。


 ラグナはアヤロンの民について、「森に残されし民」と言った。そして「森から逃れ出ることが悲願」であるということは、これまでは逃れ出られなかったということ。つまりアヤロンの民は、この魔の森で暮らしているのだ。


 とはいえ逃れ出ることを悲願としているのだから、彼らの暮らし向きは決して豊かなものではないのだろう。実際、ラグナたちの装備を見ても、文明水準は低いように思えた。もっとも、魔の森で高度な文明を築けるとしたら、その方が驚きだ。


「でしたら、詳しく事情を聞かせてもらえませんか? 力になれるかもしれません」


 ジノーファのその提案は、決して善意だけによるものではなかった。彼には彼なりの思惑があったのである。ただそれを抜きにしても、アヤロンの民の悲願をかなえるべく協力するのは、決してやぶさかではない。しかし返ってきた反応は芳しいものではなかった。


「ふははははは! 力になれる、だと? よそ者の不審者に、一体どれほどの力があるというのだ。いや、口にするにはおよばぬぞ。何を口にしたところで、所詮は証なき戯言に過ぎん」


 ラグナはそう嘲笑した。それを聞いて、ユスフなどははっきりと憤りを顔に出している。今にも弓を引きそうな様子だ。当然だが、ジノーファもいい気はしない。しかし彼はそれをぐっと堪えた。


 確かに初対面の「不審者」が「力になる」と言っても、そう簡単には信じられないだろう。加えて、ラグナの態度に、妙に芝居がかったものを感じたのだ。それでジノーファは彼にこう尋ねた。


「では、どうすれば力になれると、信じてもらえるのですか?」


「知れたこと。お前も魔窟で戦う戦士なれば、武を持って己の証を立てよ。言葉は偽れようとも、武を偽ることはできぬ。貴様の性根、この御印を持って見極めてくれるわ!」


 そう言って、ラグナは大剣の切っ先をジノーファに向けた。彼の言動からは、芝居じみたものが消えている。どうやらこの展開に持っていくため、わざと嘲笑の言葉を吐いたらしい。


 見たところ、ラグナはパーティーのリーダーであるようだし、もしかしたらアヤロンの民の中でも中心的な存在なのかもしれない。「御印」とは恐らく聖痕(スティグマ)のことであろうから、それは十分に考えられることだ。


 そうであるなら、彼を納得させることができれば、この後の話し合いはスムーズに進むだろう。ジノーファはそう考え、一つ頷いてこう応えた。


「いいでしょう。わたしとしても、あなた方を見極める必要がある。こう見えて、眼には自信があります」


「ふははははは、言いおるわ!」


 先ほどとは異なり、ラグナは愉快そうに笑った。話がまとまったところで、二人以外の者たちは二手に分かれ、それぞれ壁際まで下がる。ジノーファとラグナはそれぞれ自分の仲間に余分な荷物を預けた。


「ジノーファ様……」


「大丈夫だ」


 心配そうなノーラに、ジノーファは笑顔を見せながらそう答えた。それから二人は大広間の真ん中で向かい合う。


 彼我の間合いは、およそ五メートルといったところであろうか。視線を合わせてはいるものの、不思議と睨み合って火花がちることはない。お互いにこれが一種の儀式であることを認識しているのだ。もっとも、だからと言って手を抜くつもりなどない。それもまた両者共に通じ合っていた。


「誰か、合図を」


「では、わたしが」


 そう応えたのはユスフだった。彼は足元に落ちていた石を拾う。そしてジノーファとラグナにこう尋ねた。


「この石が床に落ちたら開始です。それでいいですか?」


 二人は互いに視線を外さずに頷いた。ユスフはそれを見て、一つ頷いてから手に持った石を放り投げる。ジノーファもラグナも、その石のことは少しも見ていない。お互い、相手のことだけを注視している。そして石が床に落ち、「カツッ」と音を立てる。その音は思いのほか大きく響いた。


「……!」


 その瞬間、まず動いたのはジノーファだった。彼は目にも止まらぬ速さで竜牙の双剣を引き抜き、そして振り抜き様に伸閃を放つ。挨拶代わりのその一撃は、ラグナを驚愕させるのに十分だった。


「何という技の冴えであるか! いや、それよりもこのプレッシャーは……!?」


 困惑した様子を見せるラグナに、ジノーファは何も答えなかった。彼はただ間合いをはかりつつ、双剣を無尽に振るって伸閃を放つ。それら不可視の斬撃を、ラグナは大剣で弾いて対処した。


 それからしばらくの間は、一方的な展開が続いた。ジノーファは素早く動きつつ伸閃を放つ。ラグナは彼を正面に捉えるよう身体の向きを変えつつ、不可視の斬撃を大剣で防ぐ。二人にしてみればまだ様子見の段階だったのだろうが、激しく鳴り響く剣戟の音に、壁際で見守っている者たちは冷や汗を流した。


「なるほど……、確かに速い。だが、軽い!」


 そう吼えると同時に、それまで受けに徹していたラグナが攻勢に転じた。しかしジノーファはまだ彼の間合いの外。ジノーファは容赦なくラグナに伸閃を叩き込む。その不可視の斬撃を、しかし彼は回避することも防御することもしなかった。彼は大剣を構えたまま、真っ直ぐ突っ込んできたのである。


「はああ!!」


「……ッ!」


 その暴挙を見て、ジノーファは顔を歪めた。そして振り下ろされる大剣を避けて大きく後方へ跳躍し、一旦距離を取る。距離を取ってもジノーファは顔を歪めたままで、ラグナはそれを見てにやりと笑みを浮かべた。


 ジノーファが渋い顔をしているのは、もちろんラグナの暴挙が関係している。ただ、それを咎めているわけではない。実際、回避も防御もせず突っ込んできたにも関わらず、ラグナは無傷だ。ジノーファの放った伸閃は、確かに彼の身体を捉えていたというのに。


(まさか……)


 ジノーファは妖精眼を発動させる。すると思ったとおり、ラグナの身体には魔法がかかっていた。恐らくは防御力を上げる魔法だろう。そしてジノーファの顔色から彼が魔法に気付いたことを察して、ラグナは笑みを深くした。


「気付いたか。これこそ我が秘術、《一辺不倒》である!」


 そう叫びながらラグナは大剣を振るう。無骨な大剣の素材はドロップアイテムの骨か牙であろうと思われ、そのためなのか魔力と相性がいい。その一撃一撃はまさに必殺で、ジノーファは受けるのではなく、回避に重きを置いた。


 幸い、動きはジノーファの方が速い。まるで暴風のように振り回される大剣を避けつつ、ジノーファはラグナの身体に伸閃を叩き込む。しかしその手応えと堪えた様子のないラグナの姿に、彼は顔をしかめた。


 ラグナの戦法は、回避も防御もしない、まさに捨て身そのもの。それで攻撃は簡単に当るのだが、しかしダメージが入らないのだ。


 いや正確に言えば、ラグナはちゃんと攻撃を防御している。ただその防御方法が魔法頼みであるという、一辺倒なものであるだけだ。だがそれでも彼は倒れない。恐らくだが四枚羽のデーモンの雷撃も、この防御魔法で防いだのだろう。


 つまり彼の防御魔法は、物理攻撃だけでなく魔法などの特殊攻撃も防ぐことができるのだ。だからこそ彼は、防御をまったくこの魔法に任せてしまっているに違いない。無敵の鎧を纏っているのだから、他は必要ないのだ。


 一辺倒、しかし不倒。ゆえに《一辺不倒》。さてどうしたものか、とジノーファは思った。



ノーラの一言報告書「三人目の聖痕持ちが半裸でマッチョでジノーファ様が『うわ』って……!」

ジェラルド「落ち着け」

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