要請と段取り
ネヴィーシェル辺境伯ダーマードの密偵であるイゼルは、その日もまた、魔の森の探索を行っていた。目的は主に二つ。スタンピードなどの兆候がないか調べること。そしてダンジョンの出入り口を見つけることである。
(モンスターは前より確実に多くなっている……。でも、これくらいなら防衛線が破られることはなさそうね……)
不意打ちで倒したモンスターの魔石を回収しつつ、イゼルは魔の森の様子をそう判断した。要するに、「いつも通り、異常なし」だ。今日探索した範囲でダンジョンの出入り口は見つかっていないが、それも「いつも通り」である。
魔の森の探索は、緊張感のある危険な任務だ。だが何度も繰り返してきたその任務は、今日も代わり映えせず「いつも通り」だった。異常が見つかって欲しいわけではない。むしろ辺境伯領としては、何もない状態が続いてくれた方がありがたいだろう。ただ成果のでない探索を続けていると、果して自分の仕事に意味はあるのだろうかと思えてくる。
(いけない……。そんなことを考えている場合じゃないわ……)
イゼルは小さく頭を振って任務に集中し直した。彼女の仕事の意味は、彼女自身ではなくダーマードが決めることだ。そして彼はイゼルの仕事には意味があると評価してくれている。ならばイゼルとしては、求められた仕事をこなすだけだ。
イゼルは回収した魔石からマナを吸収すると、輝きを失った魔石を懐に仕舞う。こうして手に入れた魔石は、後で換金していい事になっている。ドロップアイテムもあったのだが、そちらは荷物になるので放置だ。
そうして立ち上がり、探索を再開しようとしたイゼルは、この日いつもと決定的に違うものを見つけた。それを見つけた瞬間、彼女は不覚にも絶句して立ち尽くす。それくらい衝撃的で、思っても見ないものだったのだ。
一筋の煙が、木々の間から空へ立ち昇っている。
モンスター同士が争い、その余波で何かが燃えたのかとも思ったが、しかしそれにしては様子が違う。やはりアレは焚き火の煙だ。誰かがこの魔の森で、焚き火をたいているのである。
(一体誰が……!?)
ロストク軍、という単語がイゼルの脳裏に浮かぶ。しかし彼女はすぐにそれを否定した。彼らが陣を敷いている場所から、ここはあまりにも遠すぎる。
煙の規模からして、焚き火をしているのは恐らくほんの数人。そんな少人数だけをここへ送り込んでくる意味はないだろうし、ロストク軍全体の軍事行動であるとするなら上がる煙はもっと大規模なはずだ。
ともかく何者がこんな場所まで来たのか、それを確かめなければならない。そう思い、イゼルは立ち上る煙を目指して駆け出した。そこで彼女は考えてもいなかった人物と、そして捜し求めた二つ目のダンジョンの出入り口を見つけることになる。
後に彼女は語る。「あの日は運命の日だった」と。
□ ■ □ ■
「おい、不審者! お前もうふた切れも食べたじゃないか! ちょっとは遠慮しろ!」
「何ですか、男のくせにみみっちい。早い者勝ちです!」
そう言い合いながら、ユスフと女の密偵が、切り分けられたドロップ肉のステーキを取り合う。ノーラはそんな二人を少々蔑みの視線で眺めつつ、それでいて自分の分だけはしっかりと確保している。そんな彼らにジノーファは笑いながらこう告げた。
「ははは、まだ焼くから大丈夫だよ」
ジノーファはそう言って、分厚くきったドロップ肉を再びフライパンで焼き始める。肉の焼けるいい匂いが漂うと、他の者たちはごくりと生唾を飲み込んだ。そして肉が焼けるまでの合間に、ジノーファは女の密偵にこう尋ねた。
「さて、不審者殿。まずは名前を教えてもらえるだろうか?」
「っ、失礼いたしました。わたしはイゼルと申します、ジノーファ様」
「うん。ではよろしく、イゼル殿」
ジノーファは微笑を浮かべながらそう言い、それからユスフとノーラとラヴィーネをイゼルに紹介した。ユスフを紹介した時にイゼルが視線を鋭くしていたのは、間違いなく例の一件が原因であろう。賢明にもジノーファは関わらないことにした。
「お互いの自己紹介も済んだことだし、情報交換といこうか。もちろん、お互い喋れる範囲でいいよ」
「……了解です」
そう言ってイゼルは神妙に頷いた。もっとも、彼女もジノーファたちも命令を受けて動く実働部隊。さほど重要な情報は持っていない。途中で肉が焼けたこともあり、情報交換は低調に終わった。だからと言うわけではないが、イゼルは肉を食べながらジノーファにこう提案する。
「ジノーファ様。ダーマード様とお会いになられませんか? わたしがお屋敷までご案内しますが……」
それを聞き、ジノーファは思案げに「ふむ」と呟いた。ダーマードから話を聞ければ、重要な情報も手に入るかもしれない。ただ彼はアンタルヤ王国の重要人物だ。そのような人物と勝手に会うのは、一度招聘されたこともあるわけだし、今のジノーファの立場からすると差し障りがあるようにも思う。
「ノーラ、どう思う?」
「わたしはジノーファ様のサポート役です。政治的な判断はいたしかねます。ただ、お会いになられるのでしたら、その事を含め、報告させていただくことにはなります」
ノーラの返答を聞き、ジノーファはもう一度「ふむ」と呟いた。そして彼は少し考え込み、そしてイゼルにこう返答した。
「辺境伯の屋敷に伺うのはやめておこう。国外追放された身なのでね。捕まえられたら大変だ」
「閣下はそのようなことはなさいませんっ!」
「はは、分かってる、冗談だ。でも屋敷に行くつもりはないよ。やはり勝手に会うのはまずいだろうからな」
「そこをなんとか、なんとかお願いいたします! 一度でいいので、ダーマード様とお会いになられてみてください!」
イゼルはそう必死に懇願する。ここでジノーファに出会えたのは望外の幸運。この機会を逃すわけにはいかないのだ。その想いが通じたのか、ジノーファは苦笑してこう応えた。
「では、こうしよう。わたしは一度、遠征軍の本陣に帰参し、このことをジェラルド殿下にお伝えする。もし許可がいただけるようなら、もう一度ここへ来よう。だが十日を過ぎて音沙汰がない場合は諦めてほしい」
「……分かりました。ですが、わたしもここでずっとお待ちしていることはできません。せめて防衛線までいらしていただけませんか?」
「防衛線か……。分かった、いいだろう。辺境伯とも、そこでお会いできないかな?」
「そこまでは何とも……。ですがジノーファ様の希望としてお伝えしておきます」
「ありがとう。……それはそうと、ここは魔の森のどの辺りなのだ? 夜を待って天測するつもりだったのだが、教えてもらえると助かる」
そう尋ねられ、イゼルは答えに窮した。もちろん彼女はここが魔の森のどの辺りなのか、把握している。彼女がこの辺りを探索していたことからも分かるように、ここは辺境伯領のかなり近くだ。
だがそれをジノーファに教えれば、その情報はロストク軍にも伝わるだろう。さらに彼らは、ダンジョンを介してとはいえ、ここまで来るルートを確立している。であれば次に現れるのはジノーファではなく、ロストク軍の兵士かもしれない。
そこまで考え、イゼルは内心で小さくため息を吐いた。大軍がダンジョン内を通って侵攻してくる、というのはどう考えても現実的ではない。そして少数部隊なら、防衛線の戦力で対処可能だ。なによりジノーファたちは「天測を行う」と言っている。ここで変に隠し立てをしても無意味だろう。
イゼルはそう考え、地図を取り出して現在地をジノーファたちに教えた。彼女が教えた場所は、遠征軍の防衛陣地からかなり遠い位置だ。ジノーファはそれを見て目を丸くした。この距離を移動してしまったのだから、まことにダンジョンは不思議な場所である。
それから彼らはさらに細かい事柄を話し合った。ジノーファはさすがに本名を名乗るわけにはいかないので、「ニルヴァ」という偽名を使うことにする。さらにダーマードからの書状がシャドーホールに保管されていることを知ると、それを手形代わりに使えることになった。これで防衛線の兵士たちに不審者として拘束されることはない。
「さて、こんなところかな」
最後に取り決めた事柄を確認し、ジノーファはそう呟いた。イゼルもメモしたその内容を確認して小さく頷く。これでともかく段取りは整った。
「さて、と。それじゃあ、わたし達は行くとするよ」
そう言ってジノーファはやおら立ち上がる。夜を待って天測を行う予定だったが、その必要もなくなった。遠征軍の防衛陣地からは離れすぎているから、この周辺を探索する意味はない。このまま来た道を戻るつもりだった。
「またお会いできる事を願っています」
イゼルはそう言って一礼し、ダンジョンに入っていくジノーファたちを見送った。彼らの背中が見えなくなると、彼女もまたすぐに動き出す。ダーマードに報告しなければならないことがたくさんあった。
新たなダンジョンの出入り口を見つけることは、辺境伯家にとって悲願だった。それが今日、ついに叶ったのだ。出入り口が二つであれば、ダンジョンの沈静化は一気に現実味を増す。魔の森の活性化という絶望的とも言える状況にあって、確かな光明がついに差し込んだのだ。
しかしそれにもまして重要なのは、ジノーファとの邂逅である。これについては全くの想定外だった。しかも諸々の段取りについて、イゼルが勝手に決めてしまった。これについてダーマードから了解を得なければならない。急ぐ必要があった。
イゼルは魔法で気配を隠しながら、木々の間を縫うように魔の森を駆け抜ける。何かが起こりそうな予感を覚えながら。そしてその予感は確かに的中することになる。
□ ■ □ ■
「まったく、お前の報告にはいつも驚かされる」
ジノーファの報告を聞き、ジェラルドはそう言って苦笑を浮かべた。ダンジョンの探索を命じたはずが、なぜかネヴィーシェル辺境伯への伝手を作って帰ってきた。予想外にもほどがある。
「わたしとて、このようなことになると思っていたわけではありません」
「分かっている。ともあれご苦労だった」
「は……。それで、いかがいたしましょうか?」
「そうだな……」
ジェラルドは顎に手を添えて思案する。今回ジノーファが見つけた新たなダンジョンの出入り口については、放置でかまわないだろう。というより、防衛陣地から遠すぎて利用する術がない。
ネヴィーシェル辺境伯領に近いというのは魅力的だが、まさかダンジョンを使って大軍を移動させられるわけでもなし。加えてジノーファたちが通ったルートは、かなり尖っているというか独特で、万人向けのものではない。身軽な少数のパーティーでしか使えないだろう。
同じ理由で、アンタルヤ軍の侵攻を警戒する必要もない。というか、彼らの場合そもそも侵攻する理由からしてないのだが。遠征軍を追い払って新たな土地が得られるわけでもない。狙うとすればジェラルドの身柄だが、それにしてもリスクが大きすぎる。
要するに今回見つかったダンジョンの出入り口は、今の遠征軍にとっては何ら利用価値がない。将来的に兵を送り込むことがあるとしても、それはロストク帝国が辺境伯領を占領した後のこと。そしてそれさえも、現時点ではどうなるかわからない。
(まあ、我々には利用価値がなくとも、ネヴィーシェル辺境伯にとっては違うのだろうな)
ジェラルドは少々意地悪げに胸中でそう呟いた。辺境伯は活性化した魔の森の対処に苦慮している。そこへ比較的近い位置にあるダンジョンの出入り口の情報がもたらされるのだ。攻略してダンジョンを沈静化させることを、考えないはずがない。仮に別の出入り口を把握しているとしたら、なおさらそれを考えるであろう。
上手くいくならば、それでよし。アンタルヤ王国へ侵攻する際に、辺境伯領も狙うことになるだろう。また彼らが上手くやって魔の森の脅威を減じれば、同じように防衛線を維持している王太子イスファードやエルビスタン公爵は面白くないだろう。両者の亀裂が深まれば、それは付け入る隙になる。
逆に上手くいかなくても、それはそれでいい。ダンジョンの攻略と沈静化に失敗すれば、辺境伯は少なからずダメージを負うだろう。アンタルヤ王国の大貴族が力を失えば、それはロストク帝国の利となる。
どちらに転がっても良いのだから、当面は様子見だ。ただジノーファはダーマードと会談する算段も取り付けてきた。アンタルヤ王国の大貴族から直接話を聞けるかもしれないのだ。これを逃す手はないだろう。ただ、ジェラルドはまずジノーファにこう尋ねた。
「……そもそも、お前はどうしたいのだ?」
「わたしは…………、直接お会いして、話を聞いてみたいと思っています」
少し迷う様子を見せつつも、ジノーファははっきりとそう答えた。それを聞いてジェラルドも頷く。
「では、行ってくるといい」
「ありがとうございます」
ジェラルドが許可を出すと、ジノーファはホッとした様子で一礼した。幸いと言うか、ダンジョンへの道はすでに完成しており、攻略部隊の投入も始まっている。彼らのパーティーが一つ抜けても、攻略に大きな支障はないだろう。
そもそもダンジョンの中を通っていくのだから、それ自体が攻略だ。スタンピードの抑制には、十分寄与していると言っていい。
(まあ、できることなら……)
できることなら、本職の外交官を送り込みたいところだ。とはいえそんな人材は遠征軍の中にはいない。交渉事に長けた幕僚はいるものの、この会談は相手がジノーファだからこそ成立するもの。ダーマードも彼しか相手にはしないだろう。
そうなると、ジノーファの手腕に期待するほかないわけだが、これまでその手の仕事をしたことがない彼に多くを期待するのは酷だろう。交渉術や話術は一朝一夕に身に付くものではないし、彼の手札を増やしておくのがこの場合最も有効に思えた。
「よし、ジノーファ。会談に向けて、幾つか手土産になるような情報を教えてやる。私から聞いた話だといえば、相手も喜ぶだろう」
ジェラルドはそう言った。何しろロストク帝国皇太子からの情報だ。目の色を変えて食いつくに違いない。
「よろしいのですか?」
「ああ。知られてもかまわない情報だ。まずはランヴィーア王国のことだが……」
ジノーファが少し怪訝そうな顔をするが、ジェラルドは軽く頷いてから会談で手札となる情報を伝え始める。機密とまではいえないが、宮殿や政治中枢に近い場所でなければ知りえないような情報を選んで、ジェラルドはジノーファに教えた。
同時に、できればダーマードから聞きだして欲しい事柄も、ジノーファに伝えておく。エルビスタン公爵が担当している防衛線の様子や、辺境伯家が把握している他のダンジョンの出入り口の位置や数などだ。
できればアンタルヤ王国の内情も知りたいところだが、ダーマードも重要な情報はそう簡単に明かすまい。腹の探りあいでジノーファが彼に勝てるとは思えない以上、最初から意識させないで置いた方がいいだろう。もしかしたら、油断したダーマードがポロリと情報をこぼしてくれるかもしれない。
「よし、こんなところか。まあ、聞き出せなければそれはそれでいい。気負いなくやってくれ。……それはそうと、どれくらいで戻ってこられる?」
「正直、分かりません。ダーマード殿がすぐに来てくれるとも限りませんから……」
「十日か、それ以上かかるかも知れんか……。まあ、いらぬ心配とは思うが、気をつけていって来い。報告を楽しみにしている」
ジェラルドは最後にそう告げて、会談に向けた打合せを終えた。ジノーファが彼のテントを出ると、辺りはすっかり暗くなっている。月明かりの下を歩きながら、ジノーファの脳裏にふと懐かしい人の面影が浮かぶ。
(姉上の近況も、聞くことができるだろうか……?)
決してそれを聞きに行くわけではない。だがそれでも、叶うことなら是非知りたいものだ、とジノーファは思った。
イゼルの一言報告書「二つ目の出入り口にて、ジノーファ様と遭遇」
ダーマード「……!? …………!!?」




