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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森のダンジョン

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71/364

一時帰還


「おおおおおおおおっ!」


「ジャギャァアアアアア!」


 雄叫びと雄叫びが重なる。前者は人間のもので、後者はモンスターのものだ。彼らは死力を尽くしてぶつかり合う。それは戦闘と言うよりは闘争であり、生存競争そのものだった。


 ロストク軍が魔の森に野戦陣地を築き、モンスターの誘引作戦を始めてから、およそ一ヶ月が経過した。この間に戦闘を繰り返したおかげで、兵士たちは良い意味でこの戦場に慣れ、また戦術も洗練されてきている。もちろん犠牲はゼロにならないが、それでも当初の予想をはるかに下回る損耗率だった。


 そして今日もまた、ロストク軍の野戦陣地ではモンスターとの戦闘が繰り広げられていた。モンスターの数はおよそ三〇〇〇。ただしその中に王種(キング・タイプ)が混じっていたようで、なかなか数が減らない。ジノーファは丘の頂上から全体を俯瞰しているのだが、そのおかげで新たなモンスターが次から次へと出現しているのが良く分かった。


 この度襲来した王種は、巨大な狒々のモンスターだった。腕が四本あり、立派な髭と鬣を持っている。赤褐色の毛はまるで針金のように硬く、ただの弓矢などは簡単に弾き返してしまう。それどころかバリスタの矢まで掴み取っていた。当然のようにエリアボスクラスの強敵だ。


 王種のモンスターが出現した場合、まず真っ先にこれを討伐することがセオリーだ。ただ、この戦場には王種以外のモンスターも多くいる。王種にのみかまけていては、他が破られるかも知れぬ。それでジェラルドは王種に対し、精鋭をぶつけることにした。


 その精鋭とは、ジノーファのことではない。彼は待機を命じられ、後方で戦況を見守っている。


 今、王種と戦っているのは、ボルストという一人の兵士だった。二メートル近い背丈と分厚い胸板を誇る巨漢である。彼は平民出身の叩き上げなのだが、忠誠心が篤く、また成長限界にも達しているため、今回の作戦ではジェラルドが自身の護衛役として傍においていた。


「はあああああああっ!」


 ボルストは雄叫びを上げながら手に持った巨大なバルディッシュを振り回す。石材回収作戦の折に、ジノーファが倒したケンタウロスがドロップしたあのバルディッシュだ。ジノーファが自分では使わないので派遣軍の予備の武器の中に混ぜておいたのだが、それをジェラルドが見つけて彼に与えたのである。


 ボルストが力任せに振るったバルディッシュを、しかし四つ腕の狒々は捕まえてみせる。そして力比べになると、やはり狒々のほうに分があった。ボルストは顔を真っ赤にして力を込めるが、しかしバルディッシュはぴくりとも動かない。


「ジャギャ、ギャ!」


 四つ腕の狒々が牙を見せながら嗜虐的に嗤う。そして空いている腕を振りかぶって拳を固める。その拳がボルストに叩き付けられようとしたまさにその時、彼の背後から別の人影が飛び出した。その人影は素早く狒々の脇をすり抜け、すれ違い様にその太ももを切りつける。


「ジャジャァア!?」


 その不意打ちに、四つ腕の狒々は悲鳴を上げた。同時にバルディッシュを掴んでいた腕の力が弱まる。その隙を見逃さず、ボルストはバルディッシュを振りぬき、狒々を地面に倒した。そしてこう叫ぶ。


「殿下! あまり前に出んでくださいっ!」


「分かっている。……メイジ隊、放て!」


 飛び出した人影、つまりジェラルドはボルストの苦言に頷きつつ、剣の切っ先を四つ腕の狒々に向けてそう命じた。たちまち魔法の集中砲火が狒々に浴びせられる。配下の狒々も巻き込み、爆音と悲鳴が重なって響いた。しかしこれで倒せたと思うほど、ジェラルドは楽観的ではない。


「行け、ボルスト!」


「はっ!!」


 ジェラルドに命じられ、ボルストは飛び出した。爆煙が晴れ、四つ腕の狒々がのそりと身を起こす。体勢も整わぬその瞬間に、彼は仕掛けた。バルディッシュを高々と振り上げ、そして猛然と振り下ろす。狒々は防御することもできずにその刃を受け、左側の腕二本を失った。


「ジャシャァァアアアア!?」


 今度こそ、狒々の悲鳴が響いた。しかしボルストは手を緩めない。振り下ろしたバルディッシュを、今度は力任せに切り返す。刃を向けることはできなかったものの、太い柄が狒々の脇腹を直撃し、その身体をわずかに浮かせた。体勢の整っていなかった狒々はまたバランスを崩し、反射的に残った二本の腕を地面について身体を支えた。


 その、ちょうど良く低くなった狒々の背中へ、剣の切っ先が突きたてられる。背後へ回りこんだジェラルドの仕業だ。彼は剣を捻ってから引き抜き、さらに二度三度と剣を突き立てる。狒々は身体を仰け反らせて絶叫した。


「ジャァァアアアアア!?」


 狒々が残った腕を振り回す。ジェラルドはすぐさま後方へ跳んで距離を取った。そして狂乱状態の狒々へ、再びメイジ隊の集中砲火が叩き込まれる。今度は、悲鳴は上がらなかった。


 爆煙が晴れると、全身黒コゲになった狒々が姿を表す。息も絶え絶えの様子だが、しかしまだ討伐しきれてはいない。そしてこの瀕死の状態でも、エリアボスクラスは十分に危険であることを、ジェラルドは承知していた。


「殿下、お下がりください!?」


 ボルストの制止を無視して、ジェラルドはそれでも前に出た。危険は百も承知。しかしこれは彼がやらなければならないことなのだ。


 この戦闘の後、ジノーファは休養のため、本国へ一度戻ることになっている。これまでの彼の戦果は、エリアボスクラスが八体と、一緒に蹴散らしたザコが一〇〇体ほど。個人としてみれば華々しいが、同じ期間普通にダンジョン攻略した場合と比べてみれば、決して突出した戦果というわけではない。


 ただしこれは、ジェラルドが意図的にジノーファを使わなかったためだ。しかし後方に控えていてなお、彼の影響力は大きい。「いざという時には聖痕(スティグマ)持ちがいる」。その安心感が兵士達の士気を高め、一時的な逆境にあっても粘り強く戦わせているのだ。


 そのジノーファが、この後戦場を離れる。さすがに表立って浮き足立ちはしないものの、それを心配している兵士が多いという話は、ジェラルドの耳にも入っている。ゆえに彼はここでもう一度示さなければならないのだ。ジノーファがいなくても自分たちは戦えるのだ、と。


(非合理なことだ……!)


 ジェラルドは内心でそう悪態をつく。そして飛び掛ってきた配下の狒々を三匹、立て続けに切り捨てる。こういうパフォーマンスじみたことをするのは、彼の好むところではない。しかしこれは必要なことだった。


 戦場と言う極限状態、しかも魔の森という人外魔境にあっては、どれだけ「大丈夫だ」と言葉を尽くしても、兵士達の心を納得させることは難しい。であれば、こうして証拠を示して見せるほかないのだ。


「ジャアアアアア!」


 二つ腕になった狒々が、牙をむいて腕を振り回す。ジェラルドは姿勢を低くしてそれをかわすと、そのまま狒々の背中へ回りこんだ。しかし狒々は身体を回転させ、死角にいるジェラルドを狙う。彼はさらに姿勢を低くした。


「っ!」


 ジェラルドの頭の上ぎりぎりの位置を、狒々の拳がうなるようにして通り過ぎていく。ジェラルドは背中が粟立つのを感じながら、しかしそれを無視して身体を動かした。狙うのは狒々の軸足。そこを切りつけると、狒々はバランスを崩して倒れた。


 そこへ、ジェラルドは一気に間合いを詰める。そして剣を一閃して狒々の首をはねた。一瞬の制止の後、狒々の身体は灰のようになって崩れ落ちる。それを見てロストク軍の将兵は大きな歓声を上げた。彼らの大将がエリアボスクラスの強敵を打ち倒したのだ。これで士気が上がらないはずがない。


「残敵を掃討しろ!」


 ジェラルドが叩き付けるように命令を下す。もう一度歓声が上がり、ロストク軍は勢いをましてモンスターの駆逐にかかった。ジェラルドは最後まで前線で指揮を執り続けた。



 □ ■ □ ■



 大統暦六三八年六月の初め。ジノーファはロストク帝国帝都ガルガンドーの港に降り立った。作戦のために帝都を出発した時から見ると、およそ二ヶ月ぶりの帰還である。


 ガルガンドーに到着すると、ジノーファはまず直轄軍の庁舎に向かった。帰還の点呼を取るためである。同時に作戦に従事した将兵に支給される、一時報奨金を受け取る。ジノーファは金貨で三五枚を受け取り、その内十枚をユスフに渡した。


「お帰りなさいませ、ジノーファ様!」


「ああ。ただいま、シェリー」


 ジノーファが屋敷に帰ると、シェリーが満面の笑みを浮かべて彼を出迎えた。彼女はお腹が少し目立ち始めてきている。ジノーファはその姿を見て、二ヶ月と言う時間が思っていた以上に長かったことを実感した。


 ジノーファは屋敷の中に入り、シェリーに世話を焼かれつつ旅装を解く。鏡の前に座ったとき、「髪が伸びたな」と彼は思った。それからヘレナの淹れてくれたお茶を飲みながら、彼はヴィクトールから留守にしていた間の報告を受ける。


「大きなトラブルはなし。財務状況も健全。うん、さすがだ」


 ジノーファはそう言って満足げに頷いた。手元にある会計報告の明細を見ても、不自然な支出はない。結婚式の準備のために幾分お金がかかっているようだが、それも許容範囲内だ。


「少ししたら、わたしはまた魔の森へ戻ることになる。またしばらく留守にするけれど、家のことは頼んだぞ、ヴィクトール」


「はっ。お任せください」


 そう言って、ヴィクトールは折り目正しく一礼した。その後、ジノーファは書庫へ向かい、そこで夕食までの時間を過ごした。


『こら、ラヴィーネ! 綺麗にしないとダメですよっ』


『クゥゥゥン』


 ジノーファが本を開くと、そんなやり取りが外から聞こえてきて、彼はそっと苦笑を浮かべた。シェリーには安静にしていて欲しいのだが、ラヴィーネも暴れてはいないようだし、まあたぶん大丈夫だろう。


 ボロネスが気合を入れて腕を振るったらしく、夕食は豪勢だった。久しぶりの手の込んだ料理に、ジノーファも舌鼓を打つ。作戦中の食事は、遠征中であることを考えればかなり上等なものだったが、それでも腹を満たすことが最優先のもの。料理人の技が随所に感じられるディナーをジノーファは楽しんだ。


 夕食後、ジノーファはシェリーとソファーに並んで座り、結婚式の準備についての話をした。大抵のことはジノーファが留守にしていた間にシェリーが纏めていて、彼は一つずつ説明を受けては頷く。するとシェリーはその度に、嬉しそうにはにかむのだった。


「……それと、ドレスなのですが、どうしましょう?」


 シェリーはそう言って、服飾店から借りてきたのだろう、何枚かのデザイン画をテーブルの上に広げた。ジノーファが目を通してみると、それぞれに違ったデザインのドレスが描かれている。中にはアンタルヤ風のデザインもあって、彼を驚かせた。


「いろいろあるんだなぁ。それで、シェリーはどれが良いのだ?」


「ジノーファ様が決めてくださいまし」


「……良いのかい?」


「はい。わたしはジノーファ様が選んでくださったドレスを纏いたいです」


 シェリーは蕩けそうな笑みを浮かべてそう言うと、ジノーファの肩に身体を預けた。そう言われては、ジノーファも疎かにはできない。デザイン画を何度も見比べて真剣に悩む。その様子をシェリーは嬉しそうに微笑みながら見ていた。


「これなんて、どうだろうか?」


 結局、ジノーファが選んだのは最もシンプルなデザインだった。それを見て、シェリーは微笑を浮かべる。彼女にとって大切なのは、デザイン云々よりも、ジノーファが真剣に悩んで選んでくれたこと。それで彼女はこう答えた。


「素敵ですわ」


「良かった。でもこのままだと少し味気ないから……」


 そう言ってジノーファは思いついたアイディアを幾つか話した。それを聞いてシェリーは目を輝かせる。全部は無理だろうが、面白そうなアイディアが幾つも混じっている。


「今度お店の方と打合せをする時にお話して、デザイン画を描いてもらいます。ジノーファ様もまたご覧になって、ご意見聞かせてくださいね?」


「ああ、もちろん。でも、もしもわたしがいなかったら、シェリーが決めてしまっていいから」


 ジノーファがそう言うと、シェリーは少し寂しそうに目を伏せた。そして彼の胸元に顔をうずめながらこう尋ねる。


「作戦はお忙しいのでしょうか……?」


「そうだね……。特に、収納魔法の使い手は少ないから……」


 ジノーファはシェリーの頭を優しく撫でながらそう答えた。通常、交替した兵士には一ヶ月以上の休養が与えられている。中には魔の森には戻らない兵士も多い。ただ彼の言うとおり、収納魔法の使い手は数が少ないので、そういうわけにはいかなかった。


 実際、ジノーファも十日程度休んだら、また魔の森へ戻る事になっている。これはフォルカーや他の使い手たちとほぼ同じ条件だ。その上、フォルカーも言っていたが、この休養期間中でさえ、水汲みなどの仕事を頼まれる可能性が高い。そう言うと、シェリーはますます寂しげな顔をして、彼の服をぎゅっとつかんだ。


 彼女のその様子に、ジノーファは少し困ったような笑みを浮かべた。そして彼女を抱き上げ、膝の上に乗せる。それから彼女の背中をあやすように撫でる。シェリーの体から力が抜けると、ジノーファは彼女にこう告げた。


「言い忘れていたけれど、ドレスの色はやっぱり白がいいな。きっとシェリーの髪にも良く似合うと思う」


「……はい。そう、伝えておきますね」


「うん、お願い。……それはそうと、留守の間に何かあった?」


「そうですね……」


 そうしてまるで離れていた時間を埋めるかのように、二人は夜遅くまでそうやって語り合った。腕の中に感じるシェリーの温かさが、安住の地に帰ってきたことを、彼に強く意識させた。


 さて、その次の日。ジノーファは贔屓の武器屋である工房モルガノを訪れていた。武器の手入れをお願いするためである。ちなみにユスフには休暇を与えたので、今日はカイブが従者を務めていた。


「……ところでジノーファ様。新しい双剣の具合はどうでしたかな?」


「悪くない。伸閃を放つときに少しコツがいるけど、それももう掴んだと思う。慣れてしまえば、確かにこっちのほうがいいな」


 ジノーファがそう答えると、店主は安堵したようで胸を撫で下ろした。良かれと思ってのこととはいえ、ほぼ独断で双剣のデザインを変えてしまったものだから、少し心配していたのだ。ただジノーファも満足してくれているようで、店主としてはこれでようやく肩の荷が下りた想いだった。


「それはそうと店主殿。もう一組、双剣を依頼したい。今度は、ダンジョンの外でも使うことを想定したヤツだ」


 それを聞いて、後ろに控えていたカイブは隻眼の眉をわずかにひそめた。ただ店主もジノーファも、そのことには気付かない。そのまま話を続けた。


「分かりました。デザインはどうしましょうか?」


「今度のは直剣にしてくれ。長さはこの前と同じでいい。予算は銀貨で二〇〇」


「了解です。ただ、前金で半分いただきたいのですが……」


 店主がそう言うと、ジノーファは一つ頷いてから金貨を一枚カウンターの上に置いた。店主はそれを恭しく受け取る。


 その後、さらに幾つかのやり取りをしてから、ジノーファは店を後にした。帰りの道すがら、彼は露店を冷やかしたり、買い食いを楽しんだりする。それからふと思い出したように、彼はカイブにこう頼んだ。


「そうだ、カイブ。もしこの休暇中に新しい双剣が完成しなかったら、わたしの代わりに受け取っておいてくれないか」


「畏まりました、旦那様」


「うん、頼んだ。……それで、リーサとは上手くやっているのか?」


「はは、まあ、ボチボチってところです」


 カイブは少し照れた様子でそう答える。ジノーファも楽しそうに笑った。休日らしい、穏やかな時間だった。



シェリーの一言報告書「ジノーファ様は結婚式の準備でお忙しいのです。余計なスケジュールは入れないでくださいまし」

ダンダリオン「報告ではなく要請になっているぞ」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 60話石材回収作戦より。バルディッシュについて。 〉ケンタウロスの巨躯が、灰のようになって崩れ落ちる。あとにはエリアボスの巨大な魔石と、ケンタウロスが使っていたバルディッシュが残った。…
[気になる点] ここまで読ませていただいて、全体的に見て"閑話休題"の使用頻度が多い気がします。 "閑話休題"を使用せず"さて、話は戻るが"や、"とは言え、実際"など、言い回しを変えた方が良いと思われ…
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