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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森のダンジョン

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辺境伯の憂鬱


「そう、か。『そちらの意向には添えない』とな……。しかも書状を開くことすらせずに、とはなぁ……」


 密偵からジノーファの返答を聞き、ネヴィーシェル辺境伯ダーマードは嘆息気味にそう呟いた。最初からそう大きく期待していたわけではない。しかし実際に断られてみると、思った以上に落胆してしまい、ダーマード自身そのことに少なからず驚いた。


「……ともあれご苦労だった、イゼル」


「いえ。何もできず、申し訳ありません」


「そんなことはない。お前でなければ、ジノーファ様に書状を渡すことすらできなかっただろう。今回は確かにお招きすることはできなかったが、しかし細くとも糸は繋いだのだ。それだけでも上出来だ」


 ダーマードはそう言って女の密偵、イゼルのことを労った。便宜上、彼女のことは密偵と呼んでいるが、しかしその実情は少々異なる。彼女は他国や国内の政敵の情報を探るための密偵ではない。彼女が常日頃探っているのは魔の森の様子であり、その意味では密偵と言うより、むしろレンジャーと呼ぶべきだろう。


 イゼルが人外魔境たる魔の森を探ってこられるのにはもちろん理由がある。彼女は魔法で気配を隠すことができるのだ。その魔法のおかげで、彼女はモンスターや魔獣に気付かれずに魔の森で活動できるのである。


 そしてこの魔法を駆使することで、イゼルはロストク軍の陣中に忍び込み、ついにはジノーファのテントにまで入り込んだのだ。ただそこで気付かれてしまうとは、彼女にとっても予想外だった。その上、従者と思しき男に身体中をまさぐられた。二重の意味で屈辱的である。


 ユスフとかいうあの男には後できっちり思い知らせてやるとして、ひとまず問題なのは魔法を見破られてしまったことだ。ジノーファは「優秀な番犬がいる」と言っていたが、魔獣の中には気配探知に優れた個体もいるのかもしれない。だとしたら、今後魔の森で活動する上では、さらに慎重を期さなければならないだろう。


 さてイゼルがそんなことを考えていると、ダーマードは不意に話題を変えた。彼女に与えられた最大の任務はジノーファに書状を手渡すことだったが、他にも彼女には任務が与えられていた。そのことについてダーマードは彼女に尋ねた。


「……それはそうと、イゼル。ロストク軍の戦いぶりはどうだった?」


「端的に申し上げれば、我々よりも安定しているように思えました」


「ふむ。その理由をどう考える?」


「兵の練度は高いように見えましたが、それだけが理由ではないでしょう。メイジやヒーラーの比率も、我々とそう大きくは変わりません。つまり防衛形態の差であると考えます」


 イゼルの考えはこうだ。つまりダーマードらが戦線を維持しなければならないのに対し、ロストク軍は拠点一つだけを維持すればよい。前者は線だが、後者は点だ。支える労力は段違いだろう。それが安定性の差となって現れているのだ。


「我々は防衛線を破られるわけにはいきません。破られれば、内側へ浸透され、村や町に被害が出る。一方ロストク軍は、背後に守るべきものを背負っていません。内側へ浸透されることはありえず、最終的にはすべてのモンスターを拠点に誘引可能です。極端なことを言えば、モンスターが逃げてしまっても、彼らにとっては何の問題もない。我々に比べ、はるかに戦いやすい状況が揃っています」


「戦場を選べる強みと言うヤツだな。羨ましいことだ。しかし、それでは参考にはならんな……」


 ダーマードは苦笑しつつ、そう言って嘆息した。イゼルの言うとおり、自分たちは戦線を死守しなければならず、現状それで精一杯だ。ロストク軍を参考にするなら、戦線の外側に出城を築くような形になるのだろうが、そんな余力はない。仮に出城を造ったとしても、補給線を維持できないだろう。それなら最初からやらない方がましだ。


「まあ、働き者のロストク軍がわざわざ出張ってきて、数万単位のモンスターを引き受けてくれているのだ。今はそれで良しとしよう」


 ダーマードはそう呟いて自分を納得させた。そしてイゼルに「下がって休め」と命じる。彼女が退出すると、彼は椅子の背もたれに身体を預け、「ふう」と大きく息を吐いた。ジノーファとの間に、細いとはいえ繋がりができたのは確かに成果だ。


 しかしそれで状況が好転するわけではない。しばらくは今の苦しい状況が続くだろう。ダーマードにとっては頭の痛い問題だった。


 ネヴィーシェル辺境伯領は、アンタルヤ王国の北東に位置している。魔の森と境を接していることからも分かるように、まさしく辺境の地だ。ただ少なくともこれまでは、この領地の立地はそう悪いものではなかった。


 辺境伯領のさらに東には、表層域にはまだのまれていないものの、住む人のいないノーマンズランドが広がっている。さらにその東は北海だ。北は魔の森であり、西と南は天領や他の貴族の領地。つまり辺境伯領は他国と境を接していないのだ。


 その立地を利用して、ネヴィーシェル辺境伯家は代々力を蓄えてきた。対外遠征の際に戦力を出すように求められても、「魔の森への警戒」を理由に断るか、あるいは申し訳程度の戦力しか出さない。魔の森も小康状態であり、大きく兵を動かしたり、また失ったりすることがなかったので、その分の余力を全て内政に回すことができていたのだ。


 しかし魔の森が活性化したことで状況は一変する。モンスター襲来の規模と頻度が増し、戦線を維持するためのコストは跳ね上がった。人的被害も増える一方で、今後は領内の生産活動にまで影響が及ぶだろう。


 今はまだ、溜め込んでいた余力のおかげで何とかなっている。派閥の支援もあり、すぐさま危機的な状況に陥ることはないだろう。しかしこの状況があと三年続いたらどうなるかは分からない。そして現状、その三年の間に魔の森が沈静化する見込みはないのだ。ジリ貧だった。


(新たな暗黒期の幕開け、か……)


 事態への対応について相談した際、叔父が語っていた言葉をダーマードは思い出す。それが本当なら、時代が変わったことになる。いや、そのつもりで対処しなければならないのだ。このとき時代が変わったことに後になって気付いたら、きっとその時にはもう取り返しのつかない状態になっているだろうから。


 そういう意味では、ロストク軍の存在はまことにありがたい援軍であるといえる。今のところモンスターの数が明らかに減るなど、目に見えて恩恵があるわけではない。だが状況が悪くもならないのは、もしかしたら彼らのおかげなのかもしれない。


 実際、彼らの戦いぶりは、国をまたいでアンタルヤ王国にまで伝わってきている。その噂には「遠征軍にジノーファが皇太子ジェラルドの客将として加わっている」という話もあった。それを聞き、ダーマードはイゼルを遣わしたのである。表層域なら彼女の魔法が偉力を発揮するだろうと計算してのことだ。


 結果的にジノーファの招聘は叶わなかったが、ロストク軍の戦いぶりを知れたのは一つの成果だ。当初、ダーマードは噂をプロパガンダの一種だと考え、戦果は誇張されたものだろうと思っていた。だがイゼルの報告を聞く限り、どうやらそうでもないらしい。アテにできる、頼もしい戦いぶりである。


 何にしてもモンスターの狙いが分散すれば、そのぶん辺境伯領の負担は軽くなる。頑張ってもらいたいものだと考え、それから自分の思考が他力本願になっていることに気付き、ダーマードは嘆息した。


(みっともないことだ……)


 それは決して、他力本願な思考そのもののことではない。助けを求めなければどうにもならない、この状況がみっともないのだ。そしてそれは辺境伯領だけの話ではない。ダーマードに見るところ、アンタルヤ王国全体がゆるやかな滅亡の途にあるように思えてならなかった。


 その危機感を抱かせる直接の原因は、もちろん魔の森の活性化だ。しかし最近目に余ると感じるのは、王太子イスファードとエルビスタン公爵カルカヴァンの専横である。この二人が防衛線への支援を名目に、各地の貴族から多量の物資や人員を徴発しているのは周知の事実だ。


 徴発自体は必要なことだろう。防衛線は国全体で支えなければならない。だが彼らのやり方は度を越している。自分たちが肥えるために、他を貪り食うかのようなやり方だ。実際、公爵家の派閥は力を回復させているが、徴発を受ける貴族たちは急速に力を失い、やせ細り始めている。


(不気味なのは……)


 不気味なのは、あれだけ公爵家の派閥の力を殺いだガーレルラーン二世が、しかしこの事態を黙認していることだ。彼の、というより王家の目的は貴族の力を殺ぐことであるはず。だがこのままでは公爵家の力が強くなりすぎる。


 実際、瓦解寸前であった公爵家の派閥は、しかしここへ来て急速に結束を強めている。モンスターという外敵と分配される富が、彼らの心を一つにしているのだ。そして同時に、イスファードの名誉挽回も進んでいた。


 派閥内におけるイスファードの評価は、実のところこれまで最低だった。その原因は三年前の敗戦と、それに続く仕置きの実務責任者であったためだ。


 しかし魔の森の活性化に際し、彼は近衛軍三〇〇〇を引き連れて救援し、まずはその軍事的手腕を発揮した。初陣で炎帝ダンダリオン一世に敗北したものの、その才覚自体は非凡であることを証明したのだ。


 さらにその後、全国の貴族たちから物資を徴発するに際しては、集めた物資を派閥内で分配した。それによって派閥内の貴族たちは、没収された領地こそ戻っていないものの、例の仕置きによって負わされたダメージからことごとく回復し、さらには富を蓄えるにまでになった。


 これにより、派閥内におけるイスファードの名誉は回復され、その評価は大いに高まった。誰だって、自分たちに利益誘導してくれるリーダーは大好きなのだ。派閥は一丸となって彼の王位継承を後押ししており、「もしも邪魔するもの在らば、一戦交えることも厭わぬぞ」という構えだった。


 そのような状況であるから、王宮や他の貴族達の中には、彼らのことを「まるで独立国のようだ」と揶揄する声まである。実際ダーマードも、独立国とまでは思わないが、派閥の内々で固まりすぎているように思う。ガーレルラーン二世はそれを問題視していないのだろうか。


(やはりファティマ王太子妃の存在か……)


 ダーマードの脳裏に、一人の女性の姿が浮かぶ。王太子イスファードとファティマ公女が結婚したのは去年のことである。その頃はまだ魔の森も活性化しておらず、王家と公爵家の威信をかけた盛大な式典が催された。


 ちなみにダーマードも式には参列した。カルカヴァンとも薄ら寒い会話を楽しんだものである。


 まあそれはそれとして。現在、王太子妃となったファティマは、王都クルシェヒルの王宮で暮らしている。姻戚関係を結んだことで、ガーレルラーン二世は公爵家が王家に盾突くことはないと考え、他の貴族の力を殺ぐことを優先したのかも知れない。


 ダーマードはそう考えたが、しかし確証はない。ガーレルラーン二世は腹のうちで一体何を考えているのか。それがどうにも見通せなくて、彼は言い知れぬ不気味さを覚える。そしてその不気味さが、亡国の危機感へと繋がっているのだ。


(敵は、モンスターだけではないと言うのに……)


 今年は、ロストク帝国との間に結ばれた休戦協定の三年目。つまりあと二年で、条約の効力が切れる。いざ侵攻が始まったそのとき、アンタルヤ王国にロストク帝国を退けるだけの力が残っているだろうか。ダーマードははなはだ疑問だった。


(ロストク帝国との連携を模索するべきか……?)


 そんな選択肢が頭をよぎる。それは魔の森へ対処だけでなく、いざ侵攻が始まったときには寝返ることも含めた連携だ。ただ同時にそれが難しいことも分かってしまう。帝国が欲しているのは、大洋に面した貿易港。それがあるのは、辺境伯領から見て、国の反対側だ。


 侵略されれば、まだマシなほうかもしれない。魔の森からの防衛を、ロストク軍が担ってくれるということなのだから。最悪なのはまったく無視されること。防衛線の維持だけ押し付けられて、ジリ貧のまますり潰されていく。その未来を想像した時、ダーマードはさすがに背筋が寒くなったものだ。


(どこかで……)


 どこかで博打を打つことも、しなければならないかもしれない。つまり、魔の森に軍勢を派遣し、ダンジョンを攻略させるのだ。ダーマードの中で初めて、その選択肢が現実味を増した。


 実のところ、この博打は他の者が考えるほど無謀ではない。ネヴィーシェル辺境伯家はこれまでずっと、イゼルのような密偵(レンジャー)を使って魔の森を探ってきた。その成果として領地(表層域との境)から比較的近い場所に、ダンジョンの出入り口が一つ存在することが判明しているのだ。


 イゼルの報告によれば、このダンジョンはスタンピードを起こした直後のような状態、つまりマナ濃度の高い状態だと言う。であれば攻略を進めることで、ダンジョンを鎮めることは可能なはずだ。そしてそれが叶えば、少なくともその周辺の魔の森は、小康状態を取り戻すかもしれない。それがダーマードの抱く一縷の希望だった。


 ただ、一箇所だけでは十分な兵員を送り込めない。それでイゼルらに他の出入り口も探させているのが現状だ。せめて三箇所見つかってからと思っていたのだが、もしかしたらその余裕はないかもしれない。


(やはり……)


 やはり、ジノーファを招聘したい。ダーマードはその想いを強くした。そもそも彼の招聘を志したのは、決して防衛線に投入するためではない。魔の森のダンジョンを攻略してもらうためだった。


 もちろん、ジノーファ一人の力でダンジョンを鎮めることができるとは考えていない。だが彼には一人で攻略を行っていたという実績がある。それでダンジョン内部の様子を探り、マッピングをしてもらえれば、いざ本隊を送り込んだ時には効率的な攻略が行えるだろう。


 もっとも、前述したとおりこれは博打である。兵を送り込み、効率的に攻略を行ったとしても、一日でダンジョンを鎮められるわけではない。数ヶ月におよぶ息の長い攻略が必要だろう。その間ずっと、魔の森で活動するのだ。最初の数日で全滅してしまうことすら考えられる。


 ゆえに、今すぐ兵を送り込むつもりなど、毛頭ない。ないが、いずれそのババを引かねばならないのだろう、という予感はある。ならば、それまでの間にダーマードがやらなければならないことは二つ。


 一つは領地と派閥の疲弊を最小限に抑えること。いざ博打を打とうとした時に、それに耐えうる体力がなくては話にならない。


 そして二つ目は魔の森の情報をさらに集めること。特に二つ目のダンジョンの出入り口は、ぜひとも見つけておきたい。もとより分の悪い博打だが、準備次第で勝率が上がるのなら、やっておかなければならない。


「はあ……」


 ダーマードはため息を吐いた。一つ目も二つ目も、どちらも至難である。そもそも疲弊を抑えられないから苦しんでいるのだ。簡単に疲弊を抑えられるなら、博打を打つ必要など最初からない。


 そして二つ目のダンジョンの出入り口だが、あるという前提で探索させているものの、しかしあるという保証はない。ないかも知れず、その場合は探索の努力は全て徒労に終わる。あったとしても、領地から遠すぎれば、利用できないのと同じだ。


 新たな暗黒期の幕開けに立ち会ってしまった不運を歎けばいいのか、それとも希望が残っていることを喜べばいいのか。ダーマードはしばし悩んだ。


イゼルの一言報告書「ぜったいに責任を取らせるわ」

ダーマード「何があった?」

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ネヴィーシェル辺境伯ダーマード なかなかに魅力的な人物
[一言] 楽しく読まさせていただいております。 こちらの小説は地図を公開しておりますか? 州で例えておりますが、国の規模や形や大陸の形が把握しにくく… 「ヴィーシェル辺境伯領は、アンタルヤ王国の北東…
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