魔の森4
ジノーファはオリハルコンの長剣を構えつつ、五メートルほどの距離を取ってドラゴンライダー・ジェネラルと相対している。周辺にはまだモンスターが多数いるが、味方が対処してくれているので、近づいてくることはない。そのおかげで彼はこの強敵にだけ意識を集中していればよかった。
じりじりと小さく立ち位置を変えながら、彼らは互いの出方を窺う。先に仕掛けたのはドラゴンライダー・ジェネラル。黒いマナが渦巻くランスを構え、まるで体当たりするかのように突っ込んでくる。
ジノーファはそれを大きく避けた。先ほど地面が爆ぜる様子を彼も見ている。あのランスと直接打ち合うのはさけたかった。それで間合いを取りつつ、伸閃を放ってランスを弾く。しばらくの間、追いかけっこのような戦いが続いた。
「ギィイ!」
膠着状態を崩したのは、またしてもドラゴンライダー・ジェネラルのほうだった。兜の奥で苛立ったように声を上げ、ランスに込める魔力の量を一気に増やす。ランスの周囲で黒いマナが激しく渦を巻いた。そしてそれをジノーファに向けて放つ。
黒い破壊の風が、ジノーファに襲い掛かる。広範囲に拡散したそれを回避するのは難しい。それでジノーファも回避する素振りを見せなかった。
代わりに彼はオリハルコンの長剣を大上段に振りかぶる。そして妖精眼でタイミングを計り、鋭く振り下ろして伸閃を放つ。ただの伸閃ではない。聖痕持ちが全力で放った伸閃である。その一撃は黒い破壊の風を切り裂き、そして散らした。
「ギィィィイイ!」
くぐもった雄叫びを上げながら、ドラゴンライダー・ジェネラルがランスを構えて突貫してくる。ただ、ランスに黒いマナは渦巻いていない。それを見てジノーファはランスの穂先を避けつつ、踏み込んで間合いを詰めた。
風を引き千切るようにしてランスの切っ先が迫る。それを長剣の腹で外側にずらし、そのままさらに間合いを詰めて懐へ潜り込む。そして身体を捻りつつ、ジノーファはドラゴンライダー・ジェネラルのみぞおち付近に掌底打ちを叩き込んだ。
同時に放つのは、「透し」の技。すなわち浸透勁だ。ただ技の完成度は高くない。それでも多量の魔力を叩き付けたことで威力は十分。大柄なドラゴンライダー・ジェネラルはしかし勢い良く吹き飛び、受身も取れずに地面に叩きつけられ、そのままゴロゴロと転がった。
「ギィ……」
ようやくドラゴンライダー・ジェネラルが立ち上がろうとすると、そこにはすでにジノーファがいた。そして彼は中途半端な姿勢のドラゴンライダー・ジェネラルへ長剣を振り下ろす。その刃は高い防御力を誇るはずの甲冑を、しかし容易く切り裂いた。
一瞬の静寂の後、ドラゴンライダー・ジェネラルはまるで糸の切れた操り人形のように、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。そして灰のようになって風に飛ばされていく。手に持っていたランスも同様だ。ドロップアイテムは残らなかったらしく、大きな魔石がただ一つだけ残っていた。
ジノーファはオリハルコンの長剣を片付けてから、その大きな魔石を拾い上げる。すると周囲から歓声が上がった。辺りを見渡すと、他のモンスターの姿はすでにない。どうやらドラゴンライダー・ジェネラルが最後だったようだ。見た限り、大きな被害は受けていない。ジノーファは小さく安堵の息を吐いた。
それからジノーファはドラゴンライダー・ジェネラルの魔石をジェラルドに献上するべく歩き出す。こうして、二度目の誘引作戦は幕を閉じたのである。
□ ■ □ ■
「ジノーファ様!」
魔の森、表層域に築かれたロストク軍の野戦陣地。そこで名前を呼ばれ、ジノーファは振り返った。手を振りつつ駆け寄ってくるのは、石材回収作戦のおりに行動を共にした収納魔法の使い手、フォルカーだ。彼は一度本国へ戻り休養を取っていたはずなのだが、それを終えてこちらへ戻ってきたらしい。
「やあ、フォルカー。お帰り、でいいのかな?」
「はっ、ただいま戻りました!」
フォルカーが大仰な様子で敬礼するので、ジノーファは思わず笑ってしまった。つられてフォルカーも笑う。ひとしきり笑ってからジノーファは彼にこう尋ねた。
「それで、ガルガンドーはどうだった? 良く休めた?」
「自分は地方の出身なのでガルガンドーのことは良く分からないんですが、でもまあ、いい雰囲気だったと思います。皇太子殿下の戦いぶりも評判になっていて、街の人たちは良く話しているみたいです」
それを聞いてジノーファは微笑を浮かべつつ一つ頷いた。ロストク軍がここで誘引作戦を始めてから、およそ一ヶ月が経過している。これまでに回収された魔石は、合計で三万三五八四個。そのうち十九個がエリアボスクラスの魔石だ。上々の戦果といえ、そのことはガルガンドーでも評判になっているらしい。
そのおかげで、交代要員の兵士たちも表情は明るいという。魔の森といえば人外魔境。そのイメージがあるから、第一陣の兵士たちはもとより、交代要員に選ばれた兵士たちも、大げさに言えば「生きては帰れない」と覚悟を決めていたそうだ。
それが、蓋を開けてみれば上々の戦果。同僚の活躍を聞き、「ならば自分も」と奮い立ち、交代要員に志願する兵士もいるという。おかげでこちらへ送られてくる兵士達の士気は高い。士気の低い兵が戦えば戦線はあっという間に崩壊しかねないので、これは重要だった。
「それと、休めたかは正直微妙です。……水汲みに駆り出されたので」
「おやおや」
苦笑するフォルカーに、ジノーファも苦笑を返す。一般の兵士なら任務から外れてゆっくり休めたのだろうが、しかし収納魔法の使い手は希少だ。休みもそこそこにダンジョンへ放り込まれたという。
ただ、仕方のない面もある。魔の森の作戦ではヒーラーだけでは手が足りず、大量のポーションを消費している。それを補充するためには、ダンジョンから水を汲んでくる必要があるのだ。
加えてフォルカーが言うには、最近はポーションの輸出も行っているという。売り先は北海の対岸に位置する国々。そのために需要が増えているのだ。そしてそれに応え供給量を増やすためにはダンジョンの水が必要、というわけである。
「正直、行き帰りの船の中が、一番休めたかも知れません」
そう言ってフォルカーが肩をすくめる。ガルガンドーでも働いていたなら、確かにそうなるだろう。ただ、この発言は少々迂闊だったかも知れない。二人が話しているところへ、三人目がこう口を挟んだ。
「ほう、では十分に休めたということだな?」
そう言って割り込んできたのは、ルドガー配下である騎兵隊の部隊長だった。彼はまるで獲物を見つけた肉食獣のようにニヤリと笑い、フォルカーにこう告げる。
「ではフォルカー。早速水汲みだ。……ジノーファ様、コイツはお借りしますので」
そう言って部隊長はフォルカーを引きずるようにして連れて行った。ジノーファは苦笑しながらそれを見送る。収納魔法の使い手はどこへ行っても引く手数多だ。過労死しないよう、もう少し数が増えて欲しいと彼は思った。
それにしても、フォルカーは「ガルガンドーで皇太子殿下の戦いぶりが評判になっている」と話していた。情報統制はされていないようだから、この作戦の話が他国へ伝わっていてもおかしくはない。
(アンタルヤ王国にも、なにか影響はあったのだろうか……?)
ジノーファはふと、そんなことを考えた。実際に話が伝わっているかはともかく、かなりの数のモンスターを討伐したのだ。その分の影響は多少なりとも出ているだろう。ただその影響が自分に及び、しかも枕元に現れるとは、この時はまだ彼も想像すらできなかった。
その日の夜のことである。全身黒ずくめの人影が、するりとロストク軍の野戦陣地に忍び込んだ。野戦陣地にはかがり火が焚かれているし、歩哨も立っている。しかし誰もその人影には気付かない。
息を殺し、足音を立てずに、人影は野戦陣地の中を進む。ある時はテントの影に隠れ、ある時は資材の間に身を隠す。幸いというか、船で休んでいる者たちもいるので人数は昼間より少ないし、不審者の侵入は想定していないのか、歩哨も緊張感に欠けている。人影は焦らずにゆっくりと、しかし着実に陣地の奥へと進んだ。
そして人影はついにあるテントを見つけ、そこへ忍び込んだ。テントの中には、一人が毛布に頭まで包まって横になっている。人影はそこへ近づき手を伸ばし……。
「そこまでだ」
突然、声をかけられ人影は手を止めた。同時に、顔の横に剣の刃を認めて身体を強張らせる。さらにすかさず、寝ていたはずの人物が起き上がり、人影の手首を掴んで捻りあげ、そのまま押し倒して拘束した。
「ぐっ……」
人影がくぐもった悲鳴を上げる。それを聞いてジノーファは「おや?」と思ったが、しかしそれを顔には出さない。そして不審者にオリハルコンの長剣の切っ先を向けたまま、まずはユスフにこう声をかけた。
「ユスフ、良くやった。しばらくそのまま拘束していてくれ」
「はっ」
「……っ、……どう、して……?」
「優秀な番犬のおかげでね」
あっという間に拘束され、思わずといったふうにもらした不審者の疑問に、ジノーファはそう答えた。彼の言うとおり、真っ先に不審者の侵入と接近を察知したのはラヴィーネだ。相手はどうやら魔法で気配を消していたらしいが、しかしだからこそ逆にマナを探知されたのである。ただ、それを妖精眼で確認し、狙いを洞察し、こうして罠を張ったのはジノーファだった。
「さて不審者殿。こんなところまでご苦労なことだ。用件を聞こうか。何のようだ?」
そう尋ねはしたものの、ジノーファは答えを期待してはいなかった。こんなところまで侵入してきたと言うことは、相手はプロの隠密だろう。この手の輩は拷問されても決して口をわらないと言う。それでだんまりを決め込むか、あるいは舌を噛み切るかすると思ったのだが、意外にも相手はこう答えた。
「……我が主、ネヴィーシェル辺境伯ダーマード様より、ジノーファ様に宛てた書状をお届けに参りました」
覆面のせいでくぐもっているが、答えるその声は女のものだ。改めてよく見てみれば、なるほど成人男性にしては小柄な体型である。ただジノーファはユスフに拘束を解くようにとは言わなかった。代わりにこう聞き返す。
「ネヴィーシェル辺境伯から書状を?」
彼の声には戸惑いが混じっている。声には出さないが、ユスフも驚いた様子だ。彼女が名前を出したネヴィーシェル辺境伯ダーマードとは、アンタルヤ王国の大貴族の一人である。そんな人物がロストク軍の陣中にいるジノーファに一体何の用があると言うのか。
「それで、書状は?」
「懐に」
それを聞いてジノーファは僅かに顔をしかめた。大切な書状を懐にしまっておくのは何も間違っていない。だが拘束したままその書状を取り出そうと思えば、相手の懐をまさぐらなければならない。男なら特に気にはしないのだが、しかし今回相手は女だ。気まずさと戸惑いが彼の顔に浮かんだ。
「んんっ……!」
さてどうしようかとジノーファが悩んでいる間に、組み伏せられた女が少々艶っぽい声を上げた。彼がぎょっとして視線を向けると、ユスフが彼女の胸元に手を突っ込んで懐をまさぐっている。
「ユスフ、お前な……」
「まあ、仰りたいことは分かりますが。かといって拘束を解くわけにはいきませんし」
ユスフはそう言ってなにくわぬ顔で手を動かし続ける。相手の女は身をよじって声を漏らした。
「あっ……、そこ、ヤぁ……!?」
「変な声を出すな。……っと、ジノーファ様、ありました」
そう言ってユスフが女の懐から取り出した書状を、ジノーファはなんだか居た堪れない気分で受け取った。組み伏せられたままの女は、息も絶え絶えな様子である。
「くっ……、お、覚えていなさい……!」
女はそう言って眼に怒りを宿したが、ユスフはどこ吹く風だ。その様子にジノーファは苦笑する。彼女のことは隠密だと思っていたが、それにしては何だか感じが違う。もしかしたら本当は隠密ではないのかもしれない。
そんなことを考えつつ、ジノーファは手紙を確かめた。確かにネヴィーシェル辺境伯ダーマードの名前が書かれている。押印も王太子時代に見た辺境伯家のものだ。
それを認めると、一瞬ジノーファの顔から表情が抜け落ちた。いや、わずかに唇を噛んでいる。しかし暗がりの中であったため、ユスフも女もそのことには気付かない。そしてジノーファもすぐにいつもの調子に戻り、それから女にこう言った。ただし、書状の封を切って中を検めることはしていない。
「書状は確かに受け取った。辺境伯にはこうお伝えしてくれ。『そちらの意向には添えない』と」
「……っ、書状を、書状をお読みください! そうすれば……!」
「例えどんな内容であっても、わたしの意志は変わらない」
ジノーファははっきりとそう言った。それを聞いて女は絶句する。例え「王として迎えたい」と書かれているとしても、ジノーファにそれを請けるつもりはない。書状を読もうとしないのは、その意志表示のつもりだった。
「ユスフ、放してやれ」
「よろしいのですか?」
「ああ。返事のために、わざわざ別の者を送る必要はないだろう」
ジノーファがそう答えると、ユスフはそれ以上何も言わず女の拘束を解いた。彼女は縋るような目をジノーファに向けるが、彼は取り合わない。長剣を鞘に収めると、ただ一言こう命じた。
「行け」
「……っ」
女は何も言わずにテントを飛び出した。しばらく待っても、外から喧騒は聞こえてこない。どうやら上手く脱出したようだ。ジノーファは一つ頷くと、次にユスフのほうを向いてこう言った。
「さて、と。これからジェラルド殿下のところへ行く。一緒に来てくれ」
「これからですか? いえ、そもそも必要ないように思いますが……。妙な疑いを持たれるかもしれません」
「黙っていて、露見した時の方が問題だよ」
そう言ってジノーファはユスフを伴い、ジェラルドのテントへ向かった。彼が船で休む頻度は、一般の兵士と変わらない。今日はルドガーが船で休んでいるので、彼がこちらに残ったのだ。指揮系統上の都合が大きいとはいえ、彼のこういうところは兵士たちの信頼を勝ち得るのに一役買っていた。
警備に当っている兵士に取次ぎを頼むと、数十秒ほどしてからジノーファとユスフは中へ通された。寝ていたはずなのだが、二人を出迎えるジェラルドの眼差しははっきりしている。そして彼は少し視線を鋭くしてこう尋ねた。
「こんな時間にどうした?」
「実は今さっき、ラブレターをいただきまして」
ジノーファがそう答えると、ジェラルドはいぶかしげに眉をひそめた。そしてこう聞き返す。
「ラブレター?」
「はい。それで殿下に読んでいただけないかと、参上した次第です」
「……私が読んでも良いのか?」
「ぜひ」
そう言ってジノーファは先ほどの書状をジェラルドに差し出した。ジェラルドはいぶかしげにそれを受け取り、名前と押印を確認して目を見開く。そして表情を険しくすると、改めてジノーファにこう尋ねた。
「封が切られておらぬが、本当に私が読んでしまってよいのか?」
「はい。ぜひお願いします」
ジノーファがそう答えたので、ジェラルドは封を切り中身を検めた。そしてよくよく読んでから、それをジノーファに返す。ジェラルドに促され、ジノーファもその書状を確かめる。
要約すると、「魔の森が活性化して困っている。ついては力を貸して欲しい」という内容だ。「力を貸してもらえるなら、領地の半分でも差し上げる」ともある。これはつまり、自分にできることなら何でも願ってくれてかまわない、と言う意味だ。冗談でこんなことは書かないだろうから、かなり本気であることが窺える。
「それで、どうするつもりだ?」
「すでに、書状を持参した使者を通じ、『意向には添えぬ』と返事をしてあります」
「書状の中身も検めずに、か?」
「はい」
「……分かった。明日以降も卿のことは頼りにしている。下がって休め」
「はっ」
そう返事をして、ジノーファはジェラルドのテントを辞した。彼を見送ってから、ジェラルドは難しい顔をして思案する。
(間者にここまで入り込まれたか……)
もしこの間者が暗殺者で、標的がジェラルドであったら、彼はもうこの世にいなかったかも知れない。警備を強化する必要があるだろう。ダンダリオンから細作を借りることも検討するべきかもしれない。
もっともそう考える一方で、少なくともネヴィーシェル辺境伯が自身の暗殺を画策するとは、ジェラルドは考えていなかった。彼が魔の森の脅威に苦心しているというのであれば、ここでモンスターを間引いているロストク軍の存在はかえってありがたいはず。わざわざそれを邪魔しようとは思わないだろう。
(まあ、それでも対策は講じるがな)
ジェラルドは胸中でそう呟き小さく肩をすくめた。余計な仕事が増えた、と思わなくもない。しかしそれも些末なことだ。そう思えるくらい、彼にとってこの騒動の成果は大きかった。
ジノーファはロストク帝国に骨を埋める覚悟を完全に決めた。書状の封を切らず、しかもすぐさまジェラルドのところへ持ってきたことで、彼はそのことを確信することができた。
もちろん、事情や状況は変化するものだ。あまりに冷遇すれば愛想を尽かされるだろう。だが逆を言えば、ジェラルドがジノーファを正当に評価する限り、彼はロストク帝国に残るだろう。今夜の一件で、ジェラルドはそれを確信した。
だから、それでももしジノーファがロストク帝国を離れるというのであれば、それはきっと天命によるものなのだ。
ユスフ「名乗りもしないくせに、覚えていろと言われてもねぇ」
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というわけで。
キリがいいので、ここで一旦章を区切らせていただきます。
この続きはまた次の章で。
どうぞお楽しみに。




