魔の森2
ルドガー率いる騎兵隊が本隊に合流してから三日後。ついにロストク軍の拠点が完成した。石造りの防壁を備えた、堅牢な拠点だ。そして拠点が完成したことで、いよいよモンスターの誘引殲滅作戦が始まろうとしていた。
「各隊、配置に付きました」
報告を受け、ジェラルドは一つ頷いた。彼の表情は、まるで研ぎ澄まされた剣のようである。これがダンダリオンなら、不敵な笑みの一つでも浮かべていただろう。そこは親子とはいえ違うらしい。
ただそれは所詮、個人差でしかない。ダンダリオンは何よりそのカリスマによって味方の士気を高める。一方ジェラルドは作戦の目的を明確にすることで、兵士たちに誇りを持たせて集中力を高める。どちらかがより優れている、というわけではないのだ。
(わたしなら……)
ジノーファは彼の客将として、そんなジェラルドの姿をすぐ近くで見ていた。そして内心でふと考える。こんな時、自分ならどう振舞うのだろうか、と。そしてすぐに、首を小さく左右に振った。
(埒もない……)
そう、埒もないことだ。この先、ジノーファが一軍の指揮官となるなど考えられない。せいぜい、一部隊の隊長がいいところだろう。彼は自分のことをそう思っている。ジノーファの観点からして、彼に指揮官の心構えを学ぶ必要など皆無だった。
まあそれはそれとして。ジェラルドは傍にいた兵士に命じてラッパを吹かせる。作戦開始を知らせるラッパの音が響き渡ると、配置についた兵士たちはいよいよ緊張感と集中力を高めた。
「始めろ」
ラッパが鳴り止むと同時に、ジェラルドはそう命じた。その命令が伝達されると、拠点の中ほどで火にかけられていた大鍋の蓋が開けられる。大鍋は全部で十二個あるのだが、その内六つの大鍋の蓋が開けられた。するとたちまち、辺りに甘く芳しい香りが広がった。
十二個の大鍋に煮られているのは、「香り大根」という野菜だ。生のままだとほとんど無臭なのだが、煮てやるとこうして甘く芳しい香りを放つ。ただ、この香りに誘われて煮た香り大根を食べた者は、そのあまりのエグさに悶絶するという。ちなみに荒地でも育ち、生であれば食べられないこともないので、香り大根は家畜の餌として栽培されていた。
閑話休題。甘く芳しい香りが立ちこめると、ジェラルドはさらに次の命令を下す。風魔法を使い、その香りを森のほうへ流させたのである。この香りによってモンスターを拠点へ誘引するというのが、今回の作戦の要だった。
この方法は、過去のスタンピードの際に、ある将軍が用いたことで知られている。彼はその際、香り大根を用いてモンスターの進路を逸らし、街を救ったという。モンスターの誘引に成功した事例はこれ以外にほとんどなく、ジェラルドもまたこれを参考にして今回の作戦を立案していた。
正直なところ、本当に香り大根の香りによってモンスターが誘引できるのか、それは未知数である。「香りよりむしろ、その場にいた人間に引き寄せられたのではないか?」と主張する学者も多い。
ジェラルドもそのことは承知している。だが、それでもいいのだ。香りだろうが人間だろうが、最終的にモンスターをこの拠点へ誘引できれば問題はない。またこの拠点以外、周囲に多数の人間がいる場所はなく、どうあってもモンスターはこの場所を狙うはずだ。よって誘引それ自体は成功するだろう、と彼は考えていた。
(問題は……)
問題は、誘引されるモンスターの数だ。これまで通り多くても一〇〇体前後であれば、数が少なすぎてモンスターを間引く効果は期待できないだろう。一方、一度に数万の大群が釣れてしまったら、今度は数が多すぎて対処しきれない可能性が高い。
多くても一万。できるなら三〇〇〇から五〇〇〇程度が理想的な数だと、ジェラルドは考えている。もっとも考えているだけで、数をコントロールするために具体的な方策を考えているわけではない。強いて言うなら、全ての大鍋の蓋を開けなかったくらいだ。その程度の小細工で上手くいくと考えるほど、彼は楽観的にはなれなかった。
(果してどう出る……!?)
内心の焦燥を押し殺しながら、ジェラルドは森を睨みつける。しかしなかなか状況は動かない。心臓の音だけがうるさく響く。触れれば切れそうな緊張感の中、香り大根の匂いが場違いに甘く感じた。
ジェラルドにとって、軍勢を指揮して戦うのはこれが初めてではない。しかしながら、ここまで結果が読めないのは初めてだ。確かに準備はした。だが天に任せる部分があまりにも大きい。
一秒一秒が長く感じる。じりじり、じりじりと、焦りだけが募った。しかしそれでも、ジェラルドは泰然とした立ち姿を崩さない。ここで彼が不安を表に出してしまえば、それは瞬く間に全軍へ伝染する。指揮官たるもの、どれだけ背中に冷や汗をかいていようとも、それを悟られるわけにはいかないのだ。
(父上も……)
ダンダリオンもこんなふうに冷や汗を隠したことがあるのだろか。ジェラルドはふと頭の片すみでそんなことを考えた。そしてその次の瞬間、ジノーファの足元でラヴィーネがうなり声を上げ始めた。
「ウゥゥゥゥ……!」
「……ッ、来ます!」
ラヴィーネに遅れること数秒、今度はジノーファが警戒の声を上げた。それとほぼ同時に、森から一〇〇羽以上の鳥が一斉に飛び立つ。その意味するところは明らかだ。
「来るぞ、戦闘準備!」
内心の安堵は押し隠し、ジェラルドは努めて厳しい声でそう命じる。兵士たちは武器を構える中、ついに森からモンスターの大群が現れた。
「グゥァアアアア!!」
「ギィ! ギィ! ギギィイ!」
「ガルゥゥゥルルル!」
雄叫びを上げながら、モンスターが次々と森から飛び出してくる。一〇〇や二〇〇という数ではない。最低でも三〇〇〇はいるだろう。そして妖精眼を使うジノーファは、さらに後続がいることを見て取っていた。
ジノーファがそのことをジェラルドに告げると、彼は何も言わず一度だけ頷いた。あれこれと命令を下すことはしない。極端な話、彼の仕事はもう終わっているのだ。実際に兵を率いて戦うのは、ルドガーやイーサンなど前線指揮官の仕事。そしてジェラルドは彼らのことを信頼していた。
「メイジ隊、魔法……、放てぇえ!」
そしてついに戦闘が始まった。まず放たれたのは、メイジによる魔法の一斉攻撃。かつてない規模で放たれたその攻撃は、モンスターをまとめて薙ぎ払い、余波で大地を振るわせる。
しかしモンスターは大群だ。それだけで駆逐できるはずもない。土埃が舞い上がる中、モンスターが次々と姿を現し、ロストク軍の野戦陣地へとひた走る。それはまさに狂乱と呼ぶべき様相だった。
気の弱い人間であれば、失神してもおかしくはない。しかしロストク軍の兵士たちは冷静だった。命令に従い、次々に矢が射掛けられる。銀色の豪雨が降りそそぎ、モンスターたちは次々に倒れた。
しかしそれをものともしないモンスターもいる。固い皮膚や甲殻、鱗などを持つモンスターだ。加えて、身体に矢が刺さっても倒れずに襲い来るモンスターもいる。特に大型のモンスターは弓矢だけではなかなか倒せない。
そういうモンスターは、まずメイジが魔法で優先的に狙った。そしてさらにこの野戦陣地には、そういうモンスターに対処するために、ある兵器が取り付けられていた。
それはバリスタと呼ばれる、据え置き式の大型弩砲である。まるで杭のような鉄製の矢を打ち出す兵器で、他国ではこれを用いて戦象部隊を壊滅させたという。使い捨ての魔道具を放つこともでき、その場合威力はさらに上がる。この強力な兵器が全部で二四機、拠点の各所に配置された。
そのバリスタが、早速力を発揮した。放たれた巨大な矢は、次々とモンスターの身体を貫き屠っていく。一度矢を放つと、次の矢を装填するまで少し時間がかかるが、操作する兵士たちはバリスタの扱いに練達している。作業を分担しながら手際よく矢を装填し、そして次の獲物を狙った。
「来るぞッ、槍と盾を構えろ!」
しかしながらモンスターの数は多く、遠距離攻撃だけで倒しきれるものではない。ついに先頭のモンスターが野戦陣地に到達した。とはいえそれも想定内。兵士たちはそれぞれ武器を構えてモンスターを迎え撃った。
飛び掛ってくるモンスターを盾で壕に突き落とし、長槍で突いてしとめる。兵士たちは高低差を生かしつつ上手に戦った。さらにここは表層。つまり魔法だけでなく、魔力を利用した特殊な武技も使える。それもまた兵士たちに有利に働いた。だがそれは、決してロストク軍だけに有利に働くわけではない。
「ッ、敵メイジタイプ、魔法、来ます!」
「防御しろ!」
次の瞬間、モンスターの魔法が放たれる。拡散タイプの魔力弾だ。狙われたのは塁の一つで、そこはたちまち土埃に飲み込まれた。
「グワクワグワ、グァ!?」
魔法を放ったモンスターは派手な土煙に歓声を上げていたようだが、魔法を使う危険なモンスターを放置しておくはずもない。バリスタの矢に貫かれて討伐された。
一方被害だが、塁は土嚢を積み上げて土魔法で固め、さらに石材を用いた堅牢な造りになっている。多少傷ついたものの、戦闘に支障はない。ただ、人間のほうには少なからず被害が出た。
「う、うぅ……」
「おい、負傷者を後方へ移送しろ!」
すぐさま、怪我人が後方へ運ばれる。後方にはヒーラーたちが待機しているので、すぐに治療されるはずだ。そして回復した兵士はまた前線へ復帰する。ロストク軍は表層という性質を徹底的に利用し、その点でモンスターどもより優位に立っていた。
「よし、騎兵隊を突撃させろ」
戦況を見守っていたジェラルドがそう指示を出す。すぐさまルドガー率いる騎兵隊が動き出した。彼らはモンスターの大群の側面に回り込み、そして峻烈に突撃を開始する。ロストク軍の誇る騎兵隊は、モンスターの大群を切り裂いて突き進んだ。
戦闘は、おおよそロストク軍優勢で進んでいる。ロストク軍は魔法を組織的かつ効果的に運用しており、それがモンスターを圧倒していた。しかしモンスターにはモンスターの強みがある。それは個体差が大きいことだ。つまり弱いモンスターも多いが、飛び抜けて強いモンスターもいるのだ。
そのモンスターが現れたのは、戦いの趨勢がほぼ決したかに見えた頃だった。森の奥から、ひときわ大きなモンスターが現れたのである。トカゲに似ているが、後ろ足だけの二足歩行で、前足はかなり小さい。目算だが体高は三メートル、全長は七メートル程度か。身体は鱗で覆われているのか、生々しい光沢がある。巨大な頭部を少し重そうに揺らしながら歩くそれは、獣脚竜と呼ばれるタイプのモンスターだ。
「ググゥルガガァァアアオオ!!」
雄叫びを上げると、口の中に鋭い牙がぎっしりと生えているのが見えた。そして獣脚竜は地響きを立てながら、猛然と人間の陣地目掛けて突進する。
すぐさま、魔法の集中砲火が浴びせられた。さらにそこへバリスタも放たれる。たちまち、モンスターの姿は爆煙に隠れた。「やったか!?」と誰かが口にする。しかしジノーファの妖精眼は、その向こうでモンスターが健在なことを捉えていた。しかも獣脚竜の魔力が高まっている。
「攻撃、来ます!」
「伏せろッ!!」
ジノーファが警告すると、ジェラルドは間髪入れずにそう命令する。兵士たちはその命令に従い、塁の内側で身を屈めた。そして次の瞬間、爆煙を吹き飛ばすようにして魔力弾が放たれた。一発ではない。全部で十数発の魔力弾が立て続けに放たれ、野戦陣地のあちこちに着弾して爆ぜた。
あの二足歩行するトカゲのようなモンスターは、恐らくエリアボスクラスであろう。実際、魔法の集中砲火を浴びたにもかかわらずこうして健在で、あまつさえ手痛い反撃までしてきたのだ。
もちろん魔法によるダメージは負っている。しかし致命傷には程遠い。バリスタの矢に至っては、刺さってすらいなかった。ともすればあの一体だけで戦況をひっくり返してしまうかもしれない。ジノーファはそんな懸念さえ覚えた。
「ジェラルド殿下、ここはわたしが……」
「待て。卿は待機だ」
動こうとしたジノーファは、しかしジェラルドが留める。不可解なその指示に、ジノーファは眉をひそめた。自分がここにいるのは、このような時のためではなかったのか。
「ロストク軍の精鋭をなめるな。卿の力を借りずとも、あの程度のトカゲ一匹、討伐は可能だ。黙ってみていろ」
強い口調でそう言われ、ジノーファは押し黙った。ただジェラルドはそう言うものの、状況は決して良くない。
ロストク軍は先ほどの攻撃の影響で、動きが鈍かった。そんな彼らを尻目に、獣脚竜は再び口元に魔力を集めている。それもさっきの数倍はあろうかという量だ。集束された魔力は可視化して、白い輝きを放っている。
それを見て、ジノーファは背中に冷たいものを感じた。アレが直撃すれば、塁の一つや二つ、簡単に吹き飛ぶだろう。しかもジェラルドが制止したために、彼は動くタイミングを逸している。
(間に合わない!?)
「グルァ!?」
ジノーファが身構えたのとほぼ同時に、獣脚竜は魔力砲を放った。ただし悲鳴と共に、あさっての方向へ。それを見たとき、ジノーファは一瞬何が起こったのか分からなかった。
「さすがだな、ルドガー」
ジェラルドがそう呟いたのが聞こえて、ジノーファはようやく気付く。獣脚竜の背に人影がある。ルドガーだ。どうやら獣脚竜が動きを止めているのを見て、背中に飛び乗ったらしい。彼は槍を逆手に構え、その穂先を獣脚竜の背中に突き刺していた。
ただ硬い鱗に阻まれ、彼の槍はほんの数センチしか刺さっていない。獣脚竜にとっては些末なダメージだろう。しかし獣脚竜は激烈に反応した。ということはそれ相応のダメージがあったことになる。
「千鎧抜き……」
ジノーファは唖然としつつそう呟いた。それは浸透勁と同じく、硬い甲殻や鱗を持つ相手に対しその内側を直接攻撃するための武技だ。一般には「透し」と呼ばれる技術で、高等技術として知られる。しかも剣や槍を介した場合、素手の場合よりもさらに難易度が上がるといわれていた。
ルドガーはその高等技術を、この土壇場で決めて見せた。しかも獣脚竜が仰け反り、魔力砲が野戦陣地から大きくそれるほどの威力で。練達の技と言っていい。少なくともジノーファには真似できる気がしなかった。
衝撃を受けるジノーファの前で、獣脚竜が暴れてルドガーを振り落とす。彼は両足で着地すると、そのまま振り返らずにモンスターから距離を取る。獣脚竜は彼を追おうとしたが、多数の魔法攻撃が撃ち込まれて動きを止めた。
「さて、どう仕留めたものかな……」
そう呟いてジェラルドは思案する。ジノーファの見るところ、状況はあまり良くない。ロストク軍にはあのモンスターに対し、決定的なダメージを与える手段が欠けている。ルドガーの千鎧抜きには驚いたが、しかし次からは獣脚竜も警戒するに違いない。
だがそれでも、ジェラルドはジノーファの力を借りる気はないらしい。ほんの数秒考え込むと、彼は各所に対して指示を出し始めた。
「メイジ隊に通達。『魔法を途切れさせるな。ダメージより、足を止めることを優先せよ』。それから……」
ジェラルドが指示を出すと、ロストク軍の動きが変わったようにジノーファには見えた。メイジ隊の魔法攻撃で獣脚竜の足を止めつつ、まずは他のモンスターを掃討していく。ジェラルドの言うとおり、ロストク兵は精強だ。魔法の援護がなくとも、残存するモンスターを次々に減らしていった。
「グゥガアアアアア!」
獣脚竜がまたひときわ大きな雄叫びを上げた。そして攻撃魔法を浴びつつ、しかしそれを無視して、再び口元に魔力を集めはじめる。それを見てジノーファは反射的にルドガーの姿を探した。しかし彼は間に合いそうにない。命令無視を承知で飛び出そうかと思ったその瞬間、ジェラルドが小さくこう呟いた。
「チェックメイトだ」
彼が呟くのとほぼ同時に、バリスタの矢が獣脚竜の口の中に突き刺さった。そして次の瞬間、大爆発を引き起こす。その爆発で獣脚竜の頭は吹き飛び、その巨体は音を立てて崩れ落ちた。
「一体、何が……?」
灰のようになって消えていく獣脚竜の身体を見ながら、ジノーファは思わずそう呟いた。その呟きが聞こえたのか、ジェラルドがこう説明する。
「爆裂槍という、使い捨ての魔道具だ。それをバリスタで放った」
爆裂槍というのは槍のように細長い、使い捨ての魔道具だ。ある程度の衝撃が加わると爆発する魔道具で、投擲したり今回のようにバリスタで撃ち出したりして使う。攻城戦に使われるのが一般的だ。
ただジェラルドに言わせると、爆裂槍は高価なわりに威力が微妙で、使いどころがあまりない。今回はバリスタを使うということで、一応五十本ほど持ち込んだのだが、正直使うとは思っていなかった。だが、それが役に立った。
「魔法で足を止め、魔力砲以外の攻撃手段を封じる。あとは魔力を溜めたところへ爆裂槍を放り込み誘爆させる。……上手くいったな。イーサンも、やはりいい腕をしている」
そう言ってジェラルドは満足げに頷いた。どうやら全て彼の思い描いたとおりになったようだ。
「もし、獣脚竜が魔力砲を使わなかったら……?」
「また別の手を打つ。それだけだ」
事もなさげに、ジェラルドはそう答えた。それから彼は兵たちを鼓舞し、残敵掃討の命令を出す。ジノーファにはその姿がさっきまでよりずっと大きく見えた。
そして、およそ十五分後。全てのモンスターが倒され、戦闘は終わった。ロストク軍の大勝利である。
獣脚竜は恐竜の獣脚類から。
ようするにティラノサウルスみたいなヤツです。




