魔の森1
「よく来てくれた。待っていたぞ、ルドガー」
ルドガー率いる騎兵隊が本隊に合流すると、ジェラルドが彼らを出迎えた。本隊は馬を連れて来ておらず、ジェラルドも自分の足で歩いている。ルドガーはすぐに馬から下りると、彼の前で片膝を付いた。
「麾下一〇〇〇騎、参上いたしました。これより皇太子殿下の指揮下に入ります」
「うむ、大儀である」
そう応じるジェラルドの表情は明るい。それを見て、どうやら作戦の進捗状況は順調であるらしい、とルドガーは察した。働いている兵士達の様子も、活気があって鬱屈とした感じがない。ひとまず出だしで躓くことはなかったようだ。
「それで、ジノーファはいるか?」
「ここに」
ジェラルドに呼ばれ、ジノーファは前に出た。そしてルドガーの斜め後ろで、彼と同じように片膝を付く。その様子を見てジェラルドは一つ頷くと、彼にこう告げた。
「到着早々で悪いが、現場に石材を出してやってくれ。そろそろ足りなくなる」
「はっ。了解しました」
「うむ。……おい、案内しろ」
「畏まりました。ジノーファ様、こちらです」
案内を命じられたジェラルドの部下に先導され、ジノーファは土木工事をやっている現場へ向かった。ユスフとラヴィーネもそのあとに続く。彼らの背中を見送ると、ジェラルドはルドガーを連れて歩き出す。そして歩きながら彼に諸々の状況を説明した。
「我々がここへ到着したのは五日前だ。そしてこの場所だが、見て分かるとおり、小高い丘になっている」
そのことは、ルドガーもここへ来るまでに確認済みだった。ロストク軍が陣を張っているのは小高い丘。東側は海に面し、西側には幅一キロほどの平原と、さらにその奥には森が広がっている。そんな小高い丘に、壕を掘ったり塁を盛り上げたりして拠点化が進んでいる。彼が廃墟エリアから回収してきた石材も、役に立っているようだった。
「はい、良い場所かと。……それにしても、仕事が早い」
歩きつつ辺りを見渡して、ルドガーはそう感嘆する。造っているのは五〇〇〇名もの兵士が篭る堅牢な野戦陣地。彼の見立てでは、それがすでに半分以上出来上がっている。こちらに到着してすぐに作業を始めたとしても、たったの五日だ。実際にはもっと短いと予想され、それを考えると呆れるほどの進捗状況だった。
「魔法の力だな。比較的単純な作業が多いし、ある程度検証も行っていたとはいえ、これほどの偉力を発揮するとは予想外だった」
ジェラルドも呆れ混じりの様子でそう応じた。彼の言うとおり、土木工事では土魔法を使うメイジが大活躍していた。本来なら数十人が数時間かけて行うような作業を、たった一人のメイジがものの数分でやってしまうのだ。作業もはかどるというものである。
ただ魔法が使えるからこその、つまり表層域であるからこその問題もある。ルドガーは次にその事を尋ねた。
「モンスターの様子はどうですか?」
「襲撃は散発的に続いている。ただ、今のところ大きな被害は出ていない」
ジェラルドがそう答えるのとほぼ同時に、拠点の西側で轟音が響いた。どうも何かしらの魔法をぶっ放したようだ。続けて逼迫した喧騒が響く。どうやら戦闘が始まったらしい。ジェラルドとルドガーは見晴らしの良い場所へ急いだ。
攻撃を仕掛けてきたのは、やはりというかモンスターだった。目算であるが、数は五十体ほど。先ほど魔法を放っていたので、最初はもっと多かったのかもしれない。その中には巨人タイプの大型モンスターの姿も見えた。そのモンスターの一団を相手に、三〇〇名ほどの兵士たちが戦っている。
彼らの戦い方は堅実だ。まず塁の内側からメイジが魔法を放つ。モンスターの側には遠距離の攻撃手段がほとんどないので、一方的な攻撃だ。モンスターは次々に倒れ、さらに混乱の様相を呈した。
「ゴォォォオオオオ!!」
その時、巨人タイプの大型モンスターが雄叫びを上げた。巨人の身体はすでに傷だらけだが、しかしその眼にはまだ力がある。そして巨人は直径が一メートルほどもある大きな岩石を両手で持ち上げると、それを人間たちが篭る塁目掛けて投げつけた。
ズゥゥン、と重苦しい音を立てて塁の一部が崩れる。しかしジェラルドもルドガーも慌てなかった。兵士たちが無事に逃れているのを見ていたからだ。そしてその投石がモンスターどもの唯一の反撃だった。
巨人の喉に鉄製の矢が突き刺さる。その一瞬のち、巨人は膝から崩れ落ちた。それを合図にして、兵士たちが打って出る。モンスターの一団は魔法によってさんざん打ちのめされて数を減らし、残った個体もダメージを蓄積している。抵抗らしい抵抗もなく、モンスターの一団は殲滅された。
終わってみれば圧勝である。人的被害は皆無。塁の一部が破損したが、それもすぐに修復できるだろう。ルドガーは感心した様子で何度も頷いた。そしてジェラルドにこう尋ねる。
「なかなかの手際。指揮官は誰ですか?」
「今指揮していたのは、イーサンだろう」
「ああ、なるほど」
その名前を聞いて、ルドガーは納得の表情を浮かべた。イーサンは彼よりも年下だが、有能な指揮官だ。成長限界に達した武人でもある。弓を得意としていて、巨人の喉に矢を射ち込んだのも彼だろう。
ちなみに、イーサンは剣や槍を苦手としているわけでは決してなく、そちらも並以上の水準で使う。というか、ルドガーだって剣や槍を使うことが多いものの、弓にだって自信はあるのだ。
まあそれはそれとして。モンスターを殲滅し終えると、兵士たちは魔石やドロップアイテムを拾い始めた。それを遠目に眺めながら、ジェラルドはモンスターの襲撃状況についてさらにこう説明する。
「モンスターは主に、森のほうから現れる。襲撃に規則性はなく、散発的だ。数は今のところ、多くても一〇〇体前後。おかげで数的優位を維持しつつ、対処することができている」
一〇〇体のモンスターと言えば、普通ならば十分すぎるほどの脅威である。しかしここにはおよそ四〇〇〇人の兵士がいるのだ。交代要員や土木作業中の兵士を除いたとしても、常に一〇〇〇人以上の兵士が臨戦態勢を整えている。ジェラルドの言うとおり、数的な優位は揺るがない。むしろそれを維持するために、一〇〇〇人以上の兵士を待機させていると言ったほうがいい。
加えて、これだけ広くて見晴らしのいい場所だ。モンスターの群れが近づいてくればすぐに分かる。魔法や弓矢による先制攻撃もし放題だ。そうやって数を減らしつつダメージを蓄積させれば、いざ近接戦闘になったとしても敵を退けることは容易い。
ただし、それはロストク軍の側に被害が出ないという意味ではない。むしろ被害は常に出ている。先ほどジェラルドは「今のところ大きな被害は出ていない」と言ったが、それはつまり「全体として、戦力を削ぐほどの被害は出ていない」と言う意味だ。
そしてそれを可能にしているのが、ヒーラーの回復魔法だった。骨折や腕が千切れかけただの、普通ならば戦線離脱を避けられないような大怪我も、ここではヒーラーが治してくれる。
また潤沢なポーションの備蓄もある。そのおかげで、ここでは怪我人の戦線復帰が異様に早かった。また戦死はしなかったものの、後に怪我が原因で死亡してしまう兵士もほとんどいない。ヒーラーによる治療が間に合うからだ。
極端なことを言えば、死んでさえいなければなんとかなる。表層域は魔境であるはずなのだが、しかしその特性が兵士達の生存率を高めているのだ。それは案外皮肉なことかもしれないな、とルドガーは思った。
「……なるほど。では、モンスターとの戦闘については問題ないのですね?」
「今のところは、な」
ジェラルドはそう答えた。モンスターを誘引して討伐する、本格的な作戦はまだ始まっていない。誘引が上手くいき、襲来するモンスターの数が増えれば、今までのようには行かないだろう。それは彼も覚悟していた。
ルドガーもいささか緊張した面持ちで頷く。騎兵隊の戦力は、まさにその時のためのものだ。ジノーファが到着したことで、石材の量も足りるだろう。つまり誘引作戦が始まる時は近い。
「……そういえば火を使っていますが、薪にしているのは不要になった木箱などですか?」
辺りを見渡し、食事の準備なのだろうか、火を使っているのを見つけ、ルドガーはそう尋ねた。通常、燃料となる薪は森などから調達される。ただ今回、森へ入るにはかなりの危険が付きまとう。
それで、今回の作戦では煮炊き用の魔道具が使われる予定だった。ただ魔道具自体がそれなりに高価だし、使うには魔石が必要になる。魔石はここでモンスターを倒せば手に入るが、しかし十分な量を得られるかは未知数だ。
薪や魔石の持ち込みは可能だが、やはり量とコストがかさむ。それ以外にも必要な物資はたくさんあるのだ。燃料ばかりを持ってくるわけにもいかない。それで不要になった資材を燃料として使っているのかとルドガーは考えたのだ。ただ、ジェラルドの返答は少しだけ意外なものだった。
「それもある。あとは、流木だな」
「流木、ですか?」
「そうだ。海岸に大量の流木が漂着していてな。良く燃えるぞ」
それを聞いて、ルドガーは「なるほど」と思った。この辺りは長らく無人だった。使う人間もおらず、流木はたまり続けていたに違いない。それを回収し、薪として使っているのだ。
「正直、魔石を節約できるのはありがたい。その分を別のことに回せるからな」
「確かに」
ジェラルドの言葉にルドガーは一つ頷いて同意した。魔石が余ればそれを換金することができる。戦費を一部であっても自分たちで賄えれば、その分だけ国庫への負担は軽くなる。国として考えれば、結構なことだ。
ただ、当たり前のことだが、薪は使えばなくなる。これまで四〇〇〇人分の煮炊きを五日間に渡って行ってきたために、近場の流木はほとんど使い切ってしまったという。幸い、少し足を伸ばせば、流木はまだ十分にある。それでジェラルドはこう言った。
「流木の回収は、また収納魔法の使い手たちにやらせるつもりだ。騎兵隊から人員を出して、連れて行ってやってくれ」
「了解しました」
「ああ、それと水もだな」
そう言ってジェラルドは北を指差した。ルドガーがそちらへ視線を向けると、川が流れているのが見える。現在ロストク軍が使用している水は、あの川から汲んできているのだという。
それを聞いて、ルドガーは少し意外に思った。当初の計画では、水は井戸を掘ることになっていたからだ。しかしジェラルドによると、井戸は掘ったものの、海が近いせいか、塩辛くて飲めたものではなかったという。
それなら川の水を使うのも仕方がないだろう。むしろ近くに水場があって幸運だったともいえる。ただルドガーは怪訝な顔をしつつ、気がかりな点をこう尋ねた。
「飲めるのですか?」
「魔道具でチェックして、飲めることを確認してある。水汲みにも収納魔法を使っているから人手はあまり必要ないのだが、ただやはり少し遠くてな。こちらも馬を借りたい」
「構いませんが、それなら新たに水路を造った方が早いのでは?」
「そういう手もあるな。まあ、いずれにしても拠点が完成してからだ」
ジェラルドの言葉にルドガーは頷いた。恐らく水路についてはジェラルドも考えてはいたのだろう。その上で、まずは拠点の完成を優先させたのだ。それが作戦指揮官の判断であるのなら、ルドガーに否やはない。
「それはそうと、ルドガー。ここまで強行軍だったと思うが、疲労の具合はどうだ?」
「私も部下も、この程度でへばるような、軟な鍛え方はしておりません」
「ほう、さすがだな。だが、夜はどうしていたのだ?」
そう問われ、ルドガーはジェラルドの意図を察した。表層域では、どこであってもモンスターが出現する可能性がある。つまり寝ている間、突然枕元にモンスターが現れる可能性だってあるのだ。
それが大きなリスクであることは言うまでもない。しかしいつどこでモンスターが出現するのか、人間には分からない。そのような状況では気が休まらず、十分に身体を休めることもできないだろう。
加えて強行軍であったことも考えれば、騎兵隊は疲労を蓄積しているに違いない。ジェラルドはそう思ったのだ。ただ実のところ、それは少し違う。ルドガーはその事をこう説明した。
「無論、不寝番を立てました。ただ恥ずかしながら、それ以上に役に立ったのはラヴィーネです」
「ラヴィーネと言うと、ジノーファの?」
「はい。ジノーファ殿が連れている、あの白い狼です」
ラヴィーネの何が優れているのか。それは探知能力である。暗がりの中でも、彼女はモンスターの襲来を事前に察知し、周囲の兵士たちにそれを知らせた。その後の対処が容易だったのは言うまでもない。
それだけではない。ラヴィーネはさらに、モンスターの出現兆候までも、探知することができた。つまりモンスターがどこに出現するのか、彼女は嗅ぎ分けることができるのだ。もちろん完全ではないが、モンスターに対処するうえで、この能力は大きかった。
しかもラヴィーネの探知能力は、寝ていても衰えない。実際、寝ていた彼女の方が不寝番の兵士よりも先に、モンスターの襲来を探知することが多々あった。そのおかげで不意を突かれることはほぼなく、騎兵隊は大きな被害を出さずに済んだ。同時に、神経を張り詰めさせる必要がなくなり、兵士たちは夜十分な休養をとることができたのである。
『魔獣としての野生本能みたいなものが、魔法で強化されているのかも知れませんね』
ラヴィーネの活躍を、ジノーファはそんなふうに考察した。「恐らくそういうことなのだろう」とルドガーも思っている。いずれにしても、兵士達のコンディションを整える上で、ラヴィーネの存在が大きかったのは事実だ。
「なるほどな……。ではその能力、ここでも発揮してもらいたいものだ」
「はい。ですが、あまりアテにするわけにもいかないでしょう」
「当たり前だ。獣一匹に作戦の命運など握られてたまるか」
ジェラルドは苦笑しつつ、冗談っぽくそう応える。そしてルドガーを促し、彼に海のほうを見せる。そこには何隻かの船が停泊していた。それらの船を指差しながら、彼はさらにこう言った。
「海は表層域にのまれていないようなのでな。夜は兵たちを船に戻して休ませている。もっとも全員は無理なので交代しつつ、だがな」
「なるほど」
「騎兵隊は疲れているだろうから、優先して休ませてやろうかと思ったのだが……」
「ではお言葉に甘えて今夜はゆっくりと休ませていただきます」
ジェラルドの言葉を遮り、ルドガーは早口でそう言った。その様子にジェラルドは苦笑する。そして肩をすくめてから「ではそうしよう」と応えた。
「あとは……」
その後、ジェラルドはさらに細々とした状況の説明を続けた。今のところ作戦が順調に進んでいることもあり、彼の表情は明るいしまた楽しげだ。執務室で机に向かっているときはいかにも能吏といった風だったが、こうしていると豪放磊落なダンダリオンとよく似ている。
やはり親子だけあって、戦場に出てくると血が騒ぐのかもしれない。ルドガーはそれを頼もしく思うのだった。
重要:野生のカン、恐るべし!




