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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森

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魔の森0


 石材の回収作戦が終わってから二週間後。ジノーファは馬を駆って、北海の海岸沿いを南西へ向かっていた。北海は北東方向に向かって口を開けた、U字形の海だ。そしてここは旧フレゼシア大公領であり、もう少しすれば北海の湾の部分に差し掛かる。そこから今度は、対岸を海岸沿いに北東へ向かい、魔の森(表層域)へ入る予定だった。


 もちろんジノーファ一人ではない。ユスフがいるし、ラヴィーネもいる。加えてルドガー率いる一〇〇〇騎が一緒だった。というより、彼らにジノーファらが混じっていると言った方が正しい。繰り返しになるが、彼らの目的地は魔の森(表層域)である。


 当初の計画では、兵や物資の移動には船を使うはずだった。ただ、戦力として騎兵は捨て難い。しかしながら船で馬を移送するのは諸々の関係で難しく、こうして騎兵隊だけ別行動しているのである。


 ジェラルド率いる本隊、及び多量の物資を積載した船団は、すでに魔の森に到着しているか、そろそろ到着する頃合であろう。本隊の戦力は歩兵四〇〇〇。この中にはメイジとヒーラーも含まれている。フォルカーをはじめ、収納魔法の使い手六人も同様に本隊の配属だ。


 そして、ジノーファが騎兵隊と一緒にいる理由も、実はこの六人だった。危機管理の観点から、大量の物資の輸送を担う収納魔法の使い手たちは二手に分けることになったのだが、この六名はこれまでダンジョン内での任務がメインで、つまり馬を駆けさせることに慣れていない。本職の騎兵について行くことは不可能と判断され、そのためジノーファが騎兵隊のほうへ回されたのである。


『本隊に遅れることは折込済みだが、しかし遅れすぎるわけにはいかん。強行軍になると思うが、各自日頃の訓練の成果を発揮することを期待する』


 出発前、ルドガーは騎兵隊をそう訓令した。彼の言うとおり、計画では本隊の方が先に魔の森に到着することになっている。移動速度や移動距離を考えれば、それは当然のことだ。ただやはり彼の言うとおり、遅れすぎるわけにはいかない。


 そこで騎兵隊の方が先に出発することで、日数の差を縮めることになった。また移動ルート上に食糧などの物資が、およそ一日間隔で配置された。これにより騎兵隊は重い荷物を抱える必要がなくなり、彼らの移動速度は上がった。ただ、ここから先はそういうわけにもいかない。


「さて諸君。ここから先は未開の地だ。さらに知ってのとおり、魔の森が活性化している。モンスター等の襲撃もありえるだろう。心するように」


 旧フレゼシア大公領の国境近く。そこで最後の補給物資を受け取ると、出発前、ルドガーは隷下の騎兵隊にそう告げた。それを聞く兵士達の表情は、みな真剣である。


 ここから先は、魔の森との間にある緩衝地帯。どこの国にも属さない、というよりモンスターが頻繁に入り込んでくるのでどの国も欲しがらない、そんな場所だ。そんな場所を抜け、さらに魔の森へ向かわなければならない。騎兵隊にとってここからが作戦の本番だった。


 兵士たちはみな気を引き締めたが、幸いにも行軍はおおよそ順調に進んだ。何度かモンスターや魔獣と思しき動物の襲撃はあったものの、数が少なかったおかげでいずれも圧倒することができた。騎兵隊の損害は皆無。せいぜい武器が少し駄目になったくらいで、人も馬も無事だった。


 ただ一度、被害を出しかけたことがある。モンスターの群れ(あとで魔石を数えたら六つあった)から夜襲されたのだ。もちろん歩哨は立っていたのだが、モンスターどもは暗がりに潜んで忍び寄り、あわや馬に喰らい付こうというところまで近づいていた。


 それに気付いたのが、ラヴィーネだった。彼女はたった一匹でモンスターどもに立ち向かったのである。同時に、彼女はうるさく吼え声を上げて襲撃を人間たちに知らせた。そして慌てて駆け寄ってきた兵士たちによって、モンスターは片付けられたのである。


『優秀な番犬だな』


『ええ。頼もしい仲間です』


 ルドガーとジノーファはそう言葉を交わしたとか。この一件でラヴィーネは騎兵隊に受け入れられた。騎兵隊の大多数は、ダンジョンでの彼女の働きを知らない。それまではジノーファのペットくらいにしか思われていなかったし、実際その通りなのだが、しかしその一方できちんと戦力になる存在だと認められたのだ。


 さて、そんなことがありつつも、騎兵隊は北海沿いを北東へ向かっていた。その途中、ジノーファが馬上で不意に「あっ」と呟く。その呟きは、すぐ近くにいたルドガーの耳にも届いた。


「どうした、ジノーファ殿」


「今さっき、表層域に入りました」


「なに、本当か?」


 ルドガーはそう聞き返した。そして辺りを見渡す。これと分かる境はない。それどころか、表層域に入っても彼は何も感じなかった。


「はい。妖精眼が使えるようになりました。まず間違いないかと思います」


 だがジノーファは確信を込めてそう答えた。それを聞いて一つ頷くと、ルドガーは一度部隊を止める。そしてもう一度、改めて周囲を見渡した。


 表層域に入ったと言うことは、つまりここはもう魔の森だ。とはいえ彼らが今いるこの場所は、沿岸であるためなのか、森というほど木々は生い茂っていない。むしろ、どちらかと言うと平原である。


(魔の森とはいえ、やはり全域が森になっているわけではない、か……)


 ルドガーは胸中でそう呟く。これはロストク軍にとって都合が良かった。第一に馬を駆けさせるのに都合が良く、第二に野戦陣地を築くのに都合がいい。そして第三に見晴らしがいいのでモンスターと戦う上で都合が良く、第四に木々に紛れるモンスター、トレントを見分けやすくなる。


 幸先の良い情報に頷きつつ、彼は次に日の傾きを確認した。日はすでに西へ傾き、もう少ししたら野営の準備をしなければならないだろう。少し考えてから、彼は部隊を表層域の外まで引き返させることにした。今日は早めに休み、明日、万全の状態で表層域へ臨むことにしたのだ。


 騎兵隊が表層域から撤退し、さらに一キロほど距離を取ると、ルドガーは野営の準備をするよう指示を出した。それから数十分ほどして、数十騎がジノーファと一緒に戻ってくる。彼らは表層域に残り、シャドーホールから物資を取り出していたのだ。


 物資を運ぶために荷馬車を使っているが、これもシャドーホールに収納して持ち込んだもの。相変わらず桁外れの収納能力である。


 物資の多くは食糧だった。今回の行軍のために、帝都ガルガンドーであらかじめ収納しておいたものだ。そのため、質の良い食糧が揃っている。明日からの行軍に向け、美味しいものを食べて英気を養うのだ。少量ではあるが、全員にワインが配られ、兵士たちを喜ばせた。


 さらにポーションが一人に一本ずつ配られた。これからモンスターとの戦闘が増えると予想されるので、それに備えてのことだ。ポーションの備蓄はまだあるので、「必要と思ったら遠慮なく使うように」とルドガーは通達していた。


 さて、その日の夜、ジノーファはルドガーと夕食を共にしていた。前述したようにこの日の夕食はいつもより豪華だ。押し固めたイチジクの菓子も付いている。最後にそれを食べてから、ルドガーは緊張の滲む声でこう言った。


「いよいよ表層域、だな」


「そうですね、緊張します」


「ジノーファ殿が、か?」


 ジノーファの受け答えを聞いて、ルドガーは苦笑しつつ思わずそう聞き返した。彼が緊張するというのは、どうも想像しにくい。三年前、捕虜となってダンダリオンと謁見したその時でさえ、あれほど堂々としていたではないか。するとジノーファはいささか不服そうな顔をしてこう言った。


「魔の森がいかに恐ろしい場所かは、よくよく言い聞かせられています。そこへ踏み込もうというのですから、緊張もしますよ」


 アンタルヤ王国はこれまでずっと、魔の森の脅威にさらされていた。その国の王太子として育てられたジノーファが、魔の森の恐ろしさについて教えられていないはずがない。教えてくれたのは教師たちで、恐らくは誇張されていたのだろうが、しかしだからこそ徹底的に教え込まれている。幼少期から繰り返しその恐ろしさを刷り込まれているのだ。


「三つ子の魂、百まで」というが、子供の頃に教えられた物事は大人になっても大きな影響を与える。それを考えれば、緊張で済んでいることそれ自体、あるいは彼の胆の太さを物語っているのかもしれない。


 緊張していると強弁するジノーファの様子を見ていると、なんだかおかしくなってルドガーは小さく笑いを漏らした。そうしていると、彼もなんだか歳相応の青年に見える。そう考えてから、ルドガーは自分の思い違いに気付いた。


 少々特殊な事情を抱えているとはいえ、ジノーファは最初から歳相応の青年である。その彼を「聖痕(スティグマ)持ち」として一種神聖視さえしていたのは、むしろルドガーの方だ。いや、彼だけではない。ジノーファの力を知る多くの者が、彼のことを「聖痕(スティグマ)持ち」と考えているだろう。


 それは決して嘘ではないし、ジノーファも仮面を被っているわけではない。だがそれでも肩書きしか見ていなかったようで、ルドガーはなんだか申し訳なさを感じた。ジノーファがこれまで気にしてこなかったのは、きっと王太子として見られることに慣れていたからだろう。だがそれは言い訳でしかない。


「分かった、分かった。聖痕(スティグマ)持ちとはいえ人間だ。人外魔境を前にすれば緊張もするか」


「そういうことです」


 ようやく話が通じた、と言わんばかりにジノーファが満足そうに頷く。それを見てルドガーはもう一度苦笑した。先程は歳相応と言ったが、前言撤回だ。こうしていると実年齢より幼く見える。だがその方がよほど親しみやすいようにルドガーには思えた。


「では、明日からその人外魔境だ。気を引き締めていくとしよう」


「了解です」


 そして翌日、騎兵隊は予定通り表層域に足を踏み入れた。昨晩、ジノーファとルドガーはそれぞれ「緊張する」と話していたが、緊張していたのは二人だけではない。むしろエカルトやアーベルをはじめ、騎兵隊のほとんど全員が緊張に表情を固くしていた。


 ほとんど魔界か地獄へ赴くような心境であったろう。ルドガー以下ほとんど全員が激戦を予想していたが、しかしその予想はいい意味で外れた。騎兵隊が苦戦するような戦闘は皆無だったのである。


 もちろんそれまでと比べ、モンスターの襲撃は頻度を増した。モンスターが出現するまさにその瞬間に出くわしたこともあり、「やはりここは表層なのだ」と兵士たちは気を引き締めたものだ。


 しかしその一方で、量・質ともに騎兵隊の敵となるようなモンスターは現れなかった。単独で現れるモンスターは文字通り鎧袖一触に蹴散らされる。たまに群れが現れても、騎兵隊の連携の前になすすべなく討伐された。


 モンスターというのは、基本的にダンジョンの深い位置で生まれたものほど強い。一方、表層は上層よりもさらに浅い。であれば、そこで生まれたモンスターが弱いというのは、ある意味で当然かもしれない。そんな要因もあってか、行軍は思っていた以上に順調で、どこか拍子抜けなようにさえ感じられた。


「こう言うのもなんだが、平穏だな」


 何度目かの休憩の際、ルドガーはふとそう呟いた。人外魔境と覚悟していたが、目の前に広がるのはどこにでもありそうなのどかな平原である。モンスターの大群の中を突っ切るような事態まで想定していたのだが、そんなことは少しもなかった。


「ここは魔の森の、表層域の外縁部です。それも関係しているのでしょう」


 副官の一人である、エカルトがそう応える。その言葉にルドガーも頷く。魔の森は活性化していると聞いていたが、この辺りに限って言えば、その兆候は見られない。いや、あるいはこれでも活性化しているのかもしれないが、脅威は感じられない。戦場と呼ぶには、あまりにも静かだった。


 もちろん魔の森の中心部、それこそトレント・キングの姿が見えるような場所まで行けば、こことは全く違う状況なのだろう。だがこの辺りにはダンジョンの入り口も見当たらない。表層域の拡大に伴いのみこまれただけで、魔の森の影響はそれほど強くないように思われた。


 正直、作戦を決行する必要があったのかと思ってしまうくらいだ。だがもう一人の副官であるアーベルはまた少し違う意見を持っていた。


「自分は、スタンピードの小康期間であると考えます。一度スタンピードが起こりモンスターがあふれ出せば、その質と量はこんなものではないでしょう」


 魔の森でなくとも、スタンピードによってモンスターがあふれ出す事態は起こりえる。ロストク帝国でも三年前にあったし、その後はイブライン協商国でもスタンピードが起こった。そしてその際のモンスターの質と量は、確かにこんなものではなかった。


 加えて、魔の森の脅威がこの程度であるのなら、アンタルヤ王国の特に北部が、その対処に苦慮することはなかっただろう。しかしその地域は現在、モンスターの襲来のために疲弊し始めているという。その事実は決して無視するべきではない。


「それもまた一理ある、か。ジノーファ殿はどう考える?」


 ルドガーから意見を求められ、ジノーファは「そうですね……」と呟いて少し考え込んだ。そしてこう答える。


「この辺りは長らく無人でした。街や村があるわけでもなければ、頻繁に人が行き来していたわけでもない。言ってみれば、モンスターにとって魅力がなかった。そのために寄り付かなかったのではありませんか?」


 モンスターに人間、というか動物を襲う習性があるのは周知の事実だ。逆を言えば、獲物がいなければ寄り付かない。それを考えれば、モンスターの分布に粗密があってもおかしくはないだろう。つまり、モンスターは獲物のいる場所へ集まるのだ。例えばアンタルヤ王国の北部とかへ。


「なるほど……。では拠点を築き、そこへ五〇〇〇もの兵が篭れば、モンスターどもはやって来るかな?」


「むしろやって来なければ困るでしょう。誘引できなければ、これまでの準備の全てが無駄になります」


 ジノーファは肩をすくめてそう答えた。ルドガーも一つ頷く。確かに彼の言う通りである。彼らはここへモンスターと戦うために来たのだ。拠点は、言ってみればそのための道具。断じて拠点を築くことが目的なのではない。モンスターの数が少ないのは、今は好都合だが、しかしこのままでは困る。


「まあ、その辺りはジェラルド殿下が考えておられるだろう。差し当たり、我々はこの戦力を無事に殿下へお届けせねばならん。それも一騎として欠けることなく、だ。動きやすいうちに動くとしよう」


「「はっ」」


 エカルトとアーベルが声を揃えてそう応える。休憩を終えることが告げられ、兵士たちは続々と馬上へ戻った。


 そして騎兵隊はまた、海沿いを北東へと駆ける。彼らがジェラルド率いる本隊と合流したのはさらにその二日後のことだった。



ルドガー「嵐の前の静けさ、か……?」

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