石材回収作戦、完了
ダンジョンへ赴いてから五日後、ルドガー率いる石材回収部隊は無事に帰還を果たした。作戦は無事に成功したと言っていい。ジノーファを除く収納魔法の使い手六人、その全員が容量いっぱいに石材を回収した。もちろんジノーファも大量の石材を回収している。恐らくだが、十分な量の石材を確保できたはずだ。
『集めた石材の量を、大よそでしか把握できないのが、収納魔法の欠点だな』
作業中、ルドガーはそう言って、苦笑しつつ肩をすくめた。実際問題、量を正確に把握しようと思えばやりようはある。ただそうしようとすると、その分手間と時間が余計にかかる。今回は作業の速度を優先したので、記録をつける事はしなかったのだ。
それにはダンジョン内での、それも下層での作業であったことが、大きく関係している。いくら防衛陣地を用意したとはいえ、そこが過酷で気の休まらない環境であることに変わりはない。それでルドガーは巧遅ではなく拙速を尊んだのである。
そのおかげで戦死者はゼロ。負傷者は出たが、全て回復魔法とポーションで治療が可能だった。魔の森での作戦の前に兵を損なうことなく、逆に経験を積ませることができた。これも今回の作戦の成果と言っていいだろう。
「そうか。良くやってくれた」
ルドガーから作戦の報告を受けると、ジェラルドはそう言って一つ頷いた。兵の損耗がなかった事は彼にとっても喜ばしい。回収した石材の量を数字で確認できないのは多少気がかりだが、ルドガーに任せた仕事だ。手抜かりはないだろう。それよりも彼が気になるのは別のことだった。
「それにしても、またジノーファの力を大きく借りることになったか」
「はい。私の目算ですが、今回回収した石材のおよそ四割は、ジノーファ殿のシャドーホールに収められています。少なくとも、最も多くの石材を収めている事は間違いありません」
「その上、まだ余裕あり、か。恐れ入る」
ジェラルドはそう言って、半ば呆れたように嘆息する。これでジノーファは今回の作戦上、決して欠くことのできない人材になってしまった。彼がいなければ、石材が足らなくなる。結果的に見積もりの甘さが露呈した格好だ。要するに、ジェラルドのミスである。
ただ、ミスはあったものの、十分な石材は確保できた。そもそもダンダリオンに言われたこととはいえ、ジノーファを作戦に加えると最終的な判断を下したのはジェラルドだ。それを考えれば、必ずしもミスとは言えないだろう。
(まあ、いい)
ジェラルドはそう考え、無意味に落ち込むことを避けた。実際、まだ魔の森に行ってすらいないのだ。作戦の本番はこれからで、やるべきことはまだたくさんある。そちらに意識を向けたほうが建設的だろう。
「ご苦労だった、ルドガー。今日はもう帰って休め」
「いえ、ですがまだ仕事が……」
「良い。あまり働かせすぎると、私が奥方に恨まれる」
ジェラルドはそう言うのだが、あまりに淡々としていたので、それが冗談だと気付くまでにルドガーは数秒を要した。それから、ジェラルドの不器用なユーモアに小さく苦笑しつつ、彼はこう応じる。
「そういうことなら、私よりむしろ殿下の方が、仕事を早目に切り上げるべきではありませんか?」
ルドガーの家庭の問題は、所詮一家族の問題でしかない。だが皇家は違う。国の頂点に立っている以上、皇家の問題は国内外に波及する。よってダンダリオンやジェラルドには家庭を良く治めることが求められており、そのためには日頃からのコミュニケーションが欠かせない。
欠かせないのだが、十分なコミュニケーションには相応の時間が必要だ。そしてジェラルドは普段から激務に追われている上、今は魔の森に関わる作戦まで進めている。時間はいくらあっても足りない状況だ。そのせいでジェラルドは執務室に詰めっ放しになっていると聞く。実際、痛いところを突かれたのか、彼はわずかに視線を彷徨わせた。
「……夕食は、なるべく一緒に取るようにしている」
「なるべく、ですか」
「なるべく、だ」
ルドガーは苦笑を浮かべて一つ頷くと、それ以上は深入りしなかった。彼自身、家庭よりも仕事を優先してきたクチだ。延焼してはたまらない。痛いところがある者同士、この辺りが落し所だった。
「では、殿下の仕事が滞るといけませんので、ご好意に甘えて、私はおいとまさせていただきます」
「ああ、そうしろ」
ぞんざいにそう言って、ジェラルドはルドガーを執務室から追い払った。それから積み上げられている書類の山を見てため息を漏らす。だがこれらはやらなければならない仕事だ。特に、魔の森へはジェラルド自身も赴く。その間の仕事はなるべく終わらせておく必要があるし、引継ぎも必要だ。
(父上なら、上手くやるのだがな……)
内心でそう嘆息する。ダンダリオンはああ見えて、仕事と家庭のバランスを取るのが上手い。仕事が速いのではなく、キリのいいところで止めるのが上手いのだ。ジェラルドは仕事は早いのだがそれが下手で、目の前に書類があるとつい手に取ってしまう。
『お前は少し、手を抜くことを覚えたほうがいいな。仕事など永遠になくならん』
ジェラルドはかつて、ダンダリオンからそう言われたことがある。その時は「父上は手を抜きすぎなのです」と反論したが、彼は今になってその真意が分かるような気がした。確かに仕事はなくならない。それはもう、身にしみて分かっている。
ジェラルドは「ふう」とため息を吐いた。こうなればもう、「仕事が終わらない」というのは言い訳だろう。そう思い、彼は机の上のベルを鳴らして侍従を呼んだ。
「お呼びでしょうか?」
「今日の夕食は妻と一緒にとる。時間が来たら教えてくれ」
「畏まりました。そのようにいたします」
ジェラルドが「うむ」と言って一つ頷くと、侍従は一礼してから部屋を出る。それを見送ってから、ジェラルドはまた書類に向かった。
□ ■ □ ■
「お帰りなさいませ、ジノーファ様!」
ルドガーがジェラルドに作戦の報告を行っていた頃、ジノーファは一足先に屋敷に帰宅していた。帰ってきたジノーファの胸に、シェリーが飛び込む。そしてジノーファの背中に手を回し、シェリーは彼の胸に顔をうずめた。
「ただいま、シェリー」
ジノーファも彼女を優しく抱きしめてそう告げる。彼の腕の中でシェリーは幸せそうに微笑んだ。そして彼女の暖かな体温を感じて、ジノーファも「我が家に帰ってきた」と実感する。作戦に参加した多くの者たちが、今ごろ同じ感慨を抱いていることだろう。
シェリーはかいがいしくジノーファの世話を焼いた。鬱憤を溜め込んでいたのか、かまいたくて仕方ない様子だ。ジノーファとしては気恥ずかしいのだが、彼女があまりにも楽しそうな笑顔を浮かべるので、結局好きにさせることにした。
彼女に手伝ってもらいながら装備を解き、軽く身体を拭いてから着替えを済ませる。最後に肩口まである灰色の髪を無造作に纏めようとしたら、笑顔の彼女が櫛を手に待機していたので、ジノーファは苦笑してイスに座った。
「はい、できましたわ。ジノーファ様」
髪を梳いて編みこみ、シェリーは満足げにそう告げた。鏡で確認すると、なかなか凝った編みこみだ。
「ありがとう。……それにしても、自分ではやらないのかい?」
礼を言ってから、ジノーファはシェリーの濡羽色の髪に視線を向けてそう尋ねた。その長くて美しい髪は、しかし何もせずにただ後ろに流されている。以前に彼が贈った銀細工の髪留めが唯一の飾りだ。
編みこみをするなら、ジノーファよりシェリーの髪の方が見栄えがするだろうに。しかし彼女はこう答えた。
「自分の髪をいじるよりも、ジノーファ様の髪を触っていた方が楽しいですから」
こそばゆいやら、気恥ずかしいやら。ジノーファは口元が緩むのを抑えられなかった。
「そ、そうか……。でも、シェリーが髪を編んだところも、見てみたい気がするよ。ほら、以前にドレスを着たときは髪を結い上げていたけど、あれもよく似合っていた」
「まあ。では今度、いろいろと試してみますね。上手くできたら、ぜひ褒めてくださいまし」
「ああ、楽しみにしている」
そんな約束をしてから、ジノーファとシェリーは一階へ降りた。すると、まるで見計ったかのようにヘレナがお茶の準備をしていて、二人はソファに並んで座り淹れたてのお茶で唇を湿らせた。
「作戦は、いかがでしたか?」
「大体、上手く行ったはずだ」
ジノーファはシェリーにそう答えた。そして作戦の様子を話して聞かせる。彼女は廃墟エリアもそこまでのルートも良く知っているので、どこで何があったのかを伝えるのは簡単だった。
「まあ、巨大ワームですか? 廃墟エリアでそのモンスターが出るのは、初めてですね」
「ああ、それでちょっと驚いた。まあ、死人が出なくて良かったよ。一角の双剣は、駄目になってしまったけど……」
そう言ってジノーファは苦笑した。魔法攻撃に巻き込まれてボロボロになった一角の双剣は、一応回収して持ち帰ってきている。明日にでも工房モルガノに持ち込んでみるつもりだ。まあ、あまり期待はしていないが。
それにしてもこうなると、新しい双剣をすでに頼んでおいたのは正解だった。とはいえ、もう一組頼んでおいた方がいいだろう。ただ、今から頼んで次の作戦に間に合うかは微妙だ。オーダーメイドではなく、既製品を買うことも視野に入れておかなければなるまい。
「ワームを倒したあとは、どうされたのですか?」
「その後すぐにルドガー殿の第二班が合流してね。それから……」
シェリーにせがまれ、ジノーファは話を続けた。土属性の魔法で防衛陣地を構築したことを話すと、彼女は目を丸くして驚いた。その後、石材を回収し帰路についたのだが、その時先陣を切ることになったのは、やはりジノーファのいる第一班だった。それはもちろん、エリアボスを警戒してのことである。
「では、帰りはエリアボスを二体も討伐されたのですか?」
シェリーは不満そうだったが、それはルドガーとも相談して決めたことだった。人的な被害を出さないためには、やはりそれが最善だと考えたのだ。
余談だが、作戦が全部で五日間になったのも、エリアボスのことが関係している。つまり再出現が確実になってから撤収を始めたのだ。変なタイミングで復活されるより、その方が対策は立てやすいという判断だった。
「全てジノーファ様に押し付けてしまったのなら、それは対策でも何でもないと思います」
シェリーの指摘は辛辣だった。実際、ルドガーもそのことを悩んでいたが、ジノーファが率先して引き受けたのだ。一角の双剣は駄目になってしまったが、予備の双剣は何組か用意してある。オリハルコンの長剣もあるし「やれる」と判断したのだ。
そして実際、ジノーファは見事に二体のエリアボスを討伐した。ただ双剣を三組も駄目にしてしまったのは、彼にとっても予想外だった。エリアボスが強いのは当たり前としても、武器の方が彼についてこられなかったのだ。伸閃を放った瞬間に砕けてしまったのには、さすがの彼も焦ったものである。
ただ、帰路でのハプニングはそれくらいのもの。予想外に強力なモンスターが出現することもなく、第一班は無事にダンジョンから帰還した。その後、他の班も続々と戻ってくる。最後にルドガー率いる第二班が帰還し、作戦は無事に終了したのである。
ちなみに一括管理していた魔石やドロップアイテムなどの戦利品は、すべて直轄軍に納品済みだった。後日換金され、作戦に参加した兵士たちに分配されることになっている。もちろんジノーファとユスフの分も含まれている。
「……なんにしても、ご無事で何よりでした。あ、いえ、決してジノーファ様の実力を疑っていたわけではありませんよ?」
「分かっている。心配してくれてありがとう」
ジノーファがそう礼を言うと、シェリーは嬉しそうに微笑んで、彼の肩にそっと頭を預けた。ジノーファもティーカップをソーサーに戻し、彼女を優しく抱き寄せる。そして二人は五日ぶりのキスをした。
さて、ダンジョンから帰ってきたその翌日。ジノーファはユスフを連れて工房モルガノへ来ていた。一角の双剣の惨状を見て、店主もさすがに顔をしかめる。武器など所詮は消耗品と弁えてはいるが、それでも自分の作品がボロボロになった姿は、やはり見ていて気持ちのいいものではない。
「それで店主殿、どうだろうか?」
「……無理ですな。ここまでくると、鋳潰して再利用することも難しい」
「そう、か」
ジノーファはそう言って、少しだけ気落ちした様子を見せた。とはいえ、予想していたことでもある。それで彼は一つ頷くと、気を取り直して話題を変えた。
「それで店主殿、頼んでおいた新しい双剣の方はどうなっただろうか?」
「ああ、それなら完成しています。……こちらです」
そう言って店主が取り出した二振りの剣を見て、ジノーファは「おや」という顔をした。サイズは一角の双剣より少し長め。ただ、それらの剣はわずかに反っていた。鞘から抜いてみると、刃は鋭い片刃。ソードではなくサーベルと言うべきか。今まで使っていた両刃の直剣と比べると、かなり性格の異なる剣だ。
「素材として使った飛竜の牙の形状を、そのまま生かしてみました」
「なるほど」
「それと、伸閃を多用すると聞きましてな。斬撃主体なら、こちらの形状の方がよろしかろう、と」
つまり斬りやすい形状の剣、ということだ。ジノーファは「ふむ」と頷くと、右手に持った剣を少し振り回してみる。確かに感触は悪くない。これならすぐに慣れることができるだろう。
「いかがですかな?」
「悪くない。貰うよ」
ジノーファがそう答えると、店主はホッとした様子で「ありがとうございます」と言い頭を下げた。ジノーファが満足するのか、彼も緊張していたのかもしれない。
実際、それまでとは異なるモデルを渡すわけだから、賭けではあったのだろう。とはいえ、職人としての知識と技術を駆使しての提案である。的外れではないし、出来上がった品も一級品だ。
そもそもジノーファとしても、これまで両刃の直剣を使ってきたのは、単純に「初めて使った剣がそれだったから」という理由で、いわば惰性だ。自分のスタイルや得意とするものに合わせて道具を変えていくのはむしろ当然で、そういう意味でこの新しい双剣は彼にとってもいい機会だった。
ジノーファは新しい双剣を受け取り、それを剣帯に吊るした。それから注文しておいた矢の束も受け取り、こちらはユスフに渡す。さらに予備の双剣をもう二組購入した。こちらは両刃の直剣である。先日の作戦で駄目になった分の穴埋めだ。
本当はもう少し質のいいモノが欲しいのだが、いつ魔の森に向けて出発することになるか分からない。今は数を揃えておくことを優先した。質を追いつかせるのは、また今度でいいだろう。
支払いは合計で銀貨一八六枚。少々、高い買い物になった。支払いを終えて工房モルガノを後にすると、ジノーファとユスフはそのまま真っ直ぐに屋敷へと向かう。荷物が多く、寄り道をするのも億劫だったのだ。
二人や屋敷へ帰ると、ジェラルドから連絡が来ていた。内容はもちろん、魔の森の作戦に関する事柄。いよいよ本格的に作戦が始まるのだ。
シェリーの一言報告書「ジノーファ様の御髪はサラサラ」
ダンダリオン「大きな怪我もなかったようで何よりだ」




