下見2
中層のエリアボスを撃破した後、先遣隊はさらに奥へと進んだ。一箇所、断崖を降りなければならない場所があり、兵士たちは「やっぱりロープは必須だ……」と呟いていた。その後、仮眠のための休憩を一度取ってから、彼らはさらに奥を目指し、そしてついに廃墟エリアへ到着した。
「ここが、廃墟エリア……」
辺りを見渡しながら、兵士の一人がそう呟く。ここは今までとは大きく雰囲気が異なる。その変化に戸惑っているようだ。
「本当に、ただの廃墟にしか見えない……」
「ああ……。空がないから、ダンジョン内だと分かるが……」
「だが、石材の回収と言う意味では、確かにうってつけの場所かも知れん」
「整形済みの石がこれだけあるんだからな。石工は廃業じゃないのか、これ」
言葉を交わしているうちにいつもの調子が戻ってきたのだろう。強張っていた兵士達の表情が、徐々に柔らかくなっていく。その頃合を見計らい、ジノーファはリーダーであるエカルトにこう声をかけた。
「それで、これからどうしますか?」
「……少し、ここの様子も確認しておきます。水場があると聞いているので、そこまで案内してもらえますか?」
「分かりました。こっちです」
そう言って、ジノーファはまた一行を先導して歩き始めた。この廃墟エリアには、ほぼ全域に石畳が敷かれている。そのおかげで先ほどまでよりも格段に歩きやすい。兵士たちもそれに感心した様子だった。
「立派な石畳だ。引っ剝がせば、これも石材に……」
仕事熱心なことである。ただ、彼らものん気に道を歩いていたわけではない。ここはダンジョン、しかも下層だ。モンスターに襲われる可能性は常にある。
狭い通路であればおおよそ前後からの襲撃だけを警戒していればいいが、しかしここは四方が開けている。しかも廃墟だけあって隠れる場所はたくさんある。それでジノーファたちは四方から襲ってくるゴブリンやスケルトンに対処しながら、水場を目指して進んだ。
「あそこです」
そう言ってジノーファが指差したのは、広場の真ん中にある噴水だった。それを見て兵士たちは苦笑を浮かべた。彼らの常識からすると、水場としてはかなりの変り種だ。ただ、廃墟エリアの水場としては真っ当であるとも言える。
「本当に、あけっぴろげな場所ですね……。これでは、モンスターも入って来放題では?」
「そうですね。よく入ってきますよ。もっとも、入ってくるだけじゃなくて……」
ジノーファはそこで不自然に言葉を切ると、素早く腕を動かし、高速で飛来するなにかを空中で何かを掴んだ。手を開いてみると、それはクロスボウの矢。それを見て、ジノーファと話をしていたエカルトは顔を青くする。そんな彼に、ジノーファは小さく頷いた。
「こんなふうに、狙撃されることもあります。……ユスフ」
「はっ」
ジノーファが名前を呼ぶと、ユスフが弓を引いてライトアローを放つ。そして噴水の広場に面した場所に建つ、廃墟の二階に潜んでいたゴブリンを見事に射抜いた。妖精眼でそのゴブリンを確実にしとめたことを確認すると、ジノーファはラヴィーネの頭を撫でてこう命令する。
「魔石を取っておいで。マナは吸収してしまっていいから」
「ワンッ」
一つ吼え声を上げて、ラヴィーネは飛び出した。その後姿を、ジノーファは満足そうに見送る。だが彼の隣に立つエカルトは険しい表情のまま。この廃墟エリアが思った以上に、いや下層なのだからそれ相応に危険な場所なのだと、改めて思い知らされたのだ。彼は思いつめたように黙り込むと、難しい顔をしたままジノーファにこう尋ねた。
「その、狙撃は、ここでは良くあるんですか?」
「そうですね……。わたしの体感ですが、ここのモンスターの大体一割が、何かしらの遠距離攻撃の手段を持っています」
「一割……」
「はい。そして、これもわたしの体感ですが、さらにその一割がメイジタイプです」
それを聞いて、エカルトは難しい顔をした。およそ一〇〇体につき一体がメイジということになる。しかもモンスターはほぼ無限に出現し続けるのだ。弓や石投げ器を使うモンスターも含め、その火力は侮り難い。
そのうえ、こうして不意打ちの危険もある。今回はジノーファが対処してくれたから良かったものの、本番では二〇〇名以上の兵士がこの廃墟エリアで活動するのだ。彼一人でお守りをすることなど不可能で、その対処も考えておかなければならないだろう。
「これは……、かなり難しい作戦になりそうですね……」
エカルトは改めて頭を抱えた。今回の下見は、移動ルートとその難所を確認するのが目的だった。しかしこうしてみると、一番大変なのは廃墟エリアでの石材の回収かもしれない。なにしろここは下層で、モンスターの襲撃に対処しながら、石材回収の任務を遂行しなければならないのだから。
エカルトは難しい顔のまましばらく考え込むと、やがて意を決したように顔を上げる。ここでの任務が難しいものになると思われるのなら、彼らが今ここにいるのはむしろ僥倖。できる限りのことをしておくべきだろう。そして彼はジノーファにこう頼んだ。
「ジノーファ様、もう少しここの様子を見て回りたいんですが、いいですか?」
「了解です。ラヴィーネも戻って来ましたし、行きましょうか」
ラヴィーネから受け取った魔石をシャドーホールに放り込むと、ジノーファはまたエカルトたちを案内して回った。モンスターの襲撃にも対処しつつ、彼らは時間の許す限り、廃墟エリアの様子をつぶさに観察した。
兵士たちは真剣だった。ここでの情報収集が作戦の成否に直結してくると直感しているのだ。そして石材の回収で躓けば、魔の森での作戦にも差し障る。ここで手を抜くわけにはいかなかった。
「お、これは銀食器か」
「こっちはペンダントだな。チェーンは切れてるけど、トップには石も付いてる」
「金貨見っけ!」
「貴様ら! 宝探しに来たわけじゃないぞ!?」
魔石を含めた多くの戦果は、手を抜かなかったゆえの褒賞といったところか。ともかく十分な成果を得て、先遣隊による下見の任務は完了したのだった。
□ ■ □ ■
ジノーファたちが廃墟エリアと、そこまでの移動ルートの下見を終えて帰還してから七日後。ついにルドガー率いる部隊が準備を終え、石材回収のためにダンジョンへ赴くことになった。
下見から少し日数が空いてしまったのは、先遣隊が持ち帰った情報を作戦に生かすための、調整や準備に時間がかかってしまったからだ。ただそのおかげで、かなり周到な準備ができたと、ルドガーは自負している。作戦成功の確信も高まっていた。
出陣式に集まった皇帝直轄軍兵士の数は二一六。これにジノーファとユスフ、そしてラヴィーネを加えたメンバーが今回の作戦に参加することになる。ちなみに二一六と言う数は、六人パーティーを六つで一班とし、六班編成で合計二一六だ。ダンジョン内での作戦なので、六人パーティーを最小単位としているのだ。
それら二一六名の兵士たちは、ルドガーが今回の作戦のために選りすぐった精鋭たち。その練度の高さを証明するかのように、彼らは皆一様に研ぎ澄まされた面持ちをしている。班ごとに分かれた彼らは、整然と整列しルドガーの下知を待っている。彼が登壇すると、空気が一気に引き締まった。
「諸君。本作戦の目的と意義は、諸君らも十分に理解しているものと思う。日頃の訓練の成果を存分に発揮し、作戦の成功に貢献して欲しい。ただし、本作戦はあくまでも前準備。主戦場は魔の森だ。そこへ到着するまでに死ぬ事は許さん。以上だ」
ルドガーの訓示が終わると、続いて副官のエカルトが作戦のスケジュールを説明する。もっとも、詳細なスケジュールは事前に説明してあるので、ここでの説明はいわば確認だ。それで今更質問がでることもなく、説明はスムーズに終わった。
「……説明は以上です。ルドガー将軍、最後に何かございますか?」
「うむ。今回の作戦では、ジノーファ殿が肉を提供してくれることになっている!」
「おお!」
ルドガーの言葉を聞いて、兵士たちは待ってましたとばかりに歓声を上げた。ジノーファが提供してくれる肉といえば、つまりドロップ肉だ。大変に美味いそれを食えると知り、兵士たちは目を輝かせた。兵士たちの士気はもともと高かったが、ここへ来て最高潮に達している。
一方、ジノーファは苦笑気味だった。ドロップ肉の提供は別に構わない。事前に話は聞いていたし、シャドーホールの中には食べきれない量が保管されている。ただ最近、直轄軍兵士たちの間で、「ジノーファ=ドロップ肉」の方程式が定着してしまっているような気がするのだ。その内「ドロップ肉の人」とか呼ばれそうで、ちょっと心配だった。
「諸君、下層廃墟エリアでまた会おう! 出陣!」
「おおっ!」
ルドガーの命令に合わせ、兵士たちが鬨の声を上げる。いよいよ作戦が始まった。ただ、全員がすぐにダンジョンへ向かうわけではない。まずダンジョンへ入るのは、第一班三六名。ここへさらに、案内役としてジノーファとラヴィーネが加わる。ダンジョンへ向かおうとする彼を、ルドガーが呼び止めた。
「ジノーファ殿。負担をかけてしまって申し訳ないが、第一班のこと、よろしく頼む」
「はい。全力を尽くします」
「それは心強い。……それと、すでに説明したが、二パーティーを先行させてある。上層のエリアボスは、彼らが討伐してくれているはずだ」
それは、ジノーファの負担を軽くするための方策だった。第一班はエリアボスとの戦闘を避けられない。そしてそれはジノーファの仕事。というより、エリアボスとの戦闘を想定して、聖痕持ちの彼が第一班に回されているのだ。
ただ彼にばかり負担を押し付けては直轄軍の名折れ。そこで作戦の本隊とは別に二パーティーを先行させ、上層のエリアボスを討伐させることにしたのだ。これでジノーファの負担は幾分軽減されるはずだった。
「それと、フォルカーのことも、お願いしたい」
ルドガーは少し申し訳なさそうにそう頼んだ。フォルカーというのは、第一班に配属された収納魔法の使い手である。彼が第一班に配属されたのには、いやジノーファと組むことになったのには、実は理由があった。それは、彼の収納魔法の容量が十分ではなかったからである。
今回の作戦で、各班はそれぞれ必要とされる物資を持っていくことになっている。武器、防具、食糧、ポーションなどの医療品、野営のための道具などで、それを三六人分だ。これだけでも結構な量になるのだが、さらにこれに加えて石材を回収するためのスペースが必要になる。
つまりフォルカーの収納魔法では、持っていく物資でさえ、全てを収めることができなかったのである。それで収納できなかった分をジノーファのシャドーホールに収めているのだが、これはルドガーやジェラルドそしてフォルカー本人にとっても、晴天の霹靂であった。
『これは、我々もジノーファに毒されていたかも知れんな』
『は……。本来は、やはりこれが普通なのでしょう』
ジェラルドとルドガーはそう言葉を交わしたとか。彼らにとって収納魔法の基準とは、すなわちジノーファのシャドーホールだったのだ。シャドーホールが溢れたところを、彼らは見たことがない。それで、「収納魔法とはそういうものだ」と、勝手に思い込んでいたのだ。
だがフォルカーによって、収納魔法にも限界があることが示された。いや、彼だけではない。呼集された他の五人も、程度の差こそあれ、収納できる容量には限りがある。ジノーファのように馬鹿げた容量を誇る収納魔法の使い手は一人もいなかった。
誤解のないように記しておくが、普通ならそれでも十分なのだ。六人パーティーの荷物を放り込み、その上で水汲みをしたとして、その程度ならフォルカーの収納魔法でも十分すぎる。今までは「こんなにいらないな」とさえ思っていたのだから。
要するに今回の作戦で要求される収納容量が桁違いだったのだ。しかしだからと言って、石材の回収で妥協することはできない。魔の森に築く防衛陣地。それをどれだけ堅牢にできるかは、ここで回収できる石材の量にかかっていると言っても過言ではないのだ。
それで当然、ジノーファにも石材回収で活躍することが期待されていた。ただやはり、彼にだけ負担を負わせるわけにはいかない。なにより彼ばかりアテにしていては時間がかかる。作戦をスピーディーに終えるには、他の六人にも活躍してもらわなければならない。というより、そもそもは彼らこそが活躍するべきなのだ。
ところで一般的に言って、経験値を溜め込んでレベルアップするほどに、魔法は強力になっていく。これは収納魔法にも当てはまる。レベルアップさせれば、その収納容量は増えるのだ。
それでルドガーの言う「お願いしたい」とは、つまりマナを優先的に回してやってくれ、と言う意味だった。いわばパワーレベリングすることで、収納容量を少しでも増やそうというわけだ。
あまり褒められたことではないのだが、今回の作戦のためには必要なことだった。それはジノーファも承知している。それで彼はこう応えた。
「分かっています」
「すまないな。私も第二班を率いて後に続く。何か不測の事態が起きた場合には、遠慮なく頼ってくれ」
「はい。アテにしています」
ジノーファがそう言うと、ルドガーは小さく笑った。全六班のうち、最も危険と思われるのは、先頭を行く第一班だ。ただ、ジノーファとルドガーが同じ班になると、戦力が偏りすぎる。
それで二人は分かれて、ルドガーは第二班を率いることになった。これは、第一班に万が一のことが起こった場合、第二班と合流してこれをルドガーが率い、問題の解決に当るためだった。その問題が特に強力なモンスターであった場合、彼は兵を率いてジノーファの支援に当ることになるだろう。
ちなみにユスフは第五班を案内することになっている。これは彼の経験を買ってのことだ。つまり第三班に何か問題が起こった場合には誰かを走らせて第二班のルドガーに知らせるが、第四班と第六班の場合はまずユスフのところに報せがくることになる。重要な役回りだった。
ルドガーとの話を終えると、ジノーファは第一班のメンバーと一緒に早速ダンジョンへ向かった。この第一班を率いるリーダーはアーベルといい、エカルトと同じくルドガーの副官である。
先日の下見には来なかったが、ジノーファとは作戦を一緒にこなしたこともあり、知らない仲ではない。彼ならジノーファとの間に余計な問題は起こさないだろう、というルドガーの采配だった。なお、エカルトはユスフのいる第五班を率いることになっている。
「それじゃあ、行くぞ。ジノーファ様も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
短くそう言葉を交わしてから、アーベル率いる第一班はダンジョンへ足を踏み入れた。石材回収作戦、開始である。
重要:ダンジョン+ジノーファ=ドロップ肉




