下見1
ルドガーと打合せをしてから二日後、彼の副官でエカルトと名乗る士官がジノーファの屋敷を訪ねてきた。先日、ルドガーと一緒にいた二人の内の一人だ。下層の廃墟エリアから石材を集める作戦について、具体的な内容を説明しに来たのである。
「……やっぱり、一度下見をしておくことにしたんですか?」
「はい。作戦の要となる収納魔法の使い手に被害を出すわけには行きませんし、確実性は上げておくべき、というのが将軍のお考えです」
エカルトのその言葉に、ジノーファも一つ頷いた。石材の回収は、本命の作戦の前準備でしかない。確かにその段階で希少な収納魔法の使い手を失うわけには行かないだろう。場所がダンジョンである以上、完全な安全は得られないが、それでも確実性を上げたいとルドガーが考えるのは当然だった。
作戦部隊は六つの班に分けられ、各班から一人ずつが下見に参加する。エカルト自身も加わるといい、彼がリーダーを務めるそうだ。これにジノーファとユスフとラヴィーネが加わるから、下見の人数は全部で八人と一匹。やっぱり少し多いな、とジノーファは声に出さず思った。
その後もエカルトの説明は続く。彼は廃墟エリアまでの地図を取り出すと、それをテーブルの上に広げた。そして重点的に確認しておきたい場所を幾つか挙げる。ジノーファも真剣に話を聞いた。
「……エリアボスとの戦闘は、申し訳ありませんが、ジノーファ様をアテにしています」
「ええ。任せてください」
ジノーファは気負いなくそう請け負った。それを見てエカルトは苦笑する。エリアボスを相手にこの自信。ジノーファが聖痕持ちであることを知らなければ、ホラ吹きの大言壮語としか思わなかっただろう。
例え上層であっても、エリアボスは強敵だ。モンスターとしてのランクもそうだが、何よりどんなエリアボスが出現するのか分からない、というのが討伐の難易度を押し上げている。
入念に準備をし、相性が悪いと思えば即座に撤退する。それがセオリーだ。そもそもエリアボスとはパーティー単位で挑むもの。それを迷いなく「任せろ」と言いきれるその自負は、彼にとって別世界のことのようにさえ思えた。
さて、作戦の打ち合わせは順調に進んだ。ジノーファは説明を聞きつつ、気になった点はその都度質問する。今回は本当に行って帰ってくるだけのようだ。廃墟エリアの様子も確認するそうだが、そちらはあくまでもついでだ。
「食糧を含め、物資は全てこちらで用意します。何か特に必要なものはありますか?」
「ユスフの使う矢を用意しておいてください。補充が間に合わなかったんです」
「分かりました。用意しておきます。……それと、作戦の実行日ですが、明後日でも大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ユスフにも伝えておきます」
「では、よろしくお願いします」
そう言ってエカルトは深々と頭を下げた。それから彼はテーブルの上に広げた諸々の資料を手早く片付ける。そのタイミングでヘレナがお茶と軽食を用意し持ってきたので、彼は恐縮し少し迷ってから結局ティーカップに口をつけた。一服してから戻ることにしたようだ。
お茶を飲みながら、二人は他愛もない雑談に興じた。例えば、エカルトの出身地はガルガンドーではなく、ランヴィーア王国に近い内陸の地方都市だという。ジノーファが「冬は寒そうだ」と言うと、彼は「川まで凍りつきます」と言ってジノーファを脅した。
「……それはそうと、ユスフ殿はどうしたんですか?」
「ああ、彼には昨日今日と、お休みをあげたんです。例の作戦が本格的に始まれば、休もうにも休めなくなりますから」
ジノーファがそう説明すると、エカルトはどこか羨ましそうな顔をする。そして紅茶を飲み干すと、「仕事が残っているのでそろそろ戻ります」と言って彼は屋敷を辞した。やはり直轄軍の仕事は激務らしい。
エカルトを見送ると、ジノーファは客間に戻った。そこにはシェリーがいて、彼のカップに新しいお茶を注いでいる。カップは二つあるので、どうやら自分も飲むつもりらしい。ジノーファは小さく笑うと、ソファに座ってシェリーが淹れてくれたお茶を一口啜った。
「美味しい。さすがシェリーだ」
顔をほころばせながら、ジノーファはそう言ってシェリーを褒めた。お世辞ではない。彼女のお茶を淹れる腕前は、今ではもうヘレナに比肩していて、つまり名人級だ。三年に及ぶ努力の賜物だった。
シェリーは「ありがとうございます」と笑顔で応えると、ジノーファの隣に腰を下ろした。そして自分で淹れたお茶を飲みながら、残っていたサンドイッチに手を伸ばす。ジノーファは小さく笑うと、彼女と同じようにサンドイッチをつまんだ。
「美味しいですね」
「ああ。さすがボロネスだ」
サンドイッチに挟んであるハムはボロネスのお手製で、しかもドロップ肉が使われている。コックの腕と素材の両方がいいのだから、美味しいのは当然だ。
ほとんど手はつけられていないが、スコーンとジャムも用意されていて、特にジャムはダンジョンから採取してきた果物を使っている。ジノーファがかぶりつくと、こちらも絶品だった。シェリーもジャムをたっぷりつけたスコーンを頬張り、明るい笑顔を浮かべている。
「ジノーファ様は、明後日からダンジョンなのですね……」
二人が軽食に舌鼓を打っていると、ティーカップをソーサーに戻し、シェリーが唐突にそう呟いた。先ほどの打合せを聞いていたのだろう。そして彼女はジノーファの腕を軽く抱くようにしながら、さらにこう呟いた。
「ご一緒できなくて、寂しいです……」
それからシェリーはジノーファの肩に額を押し付けた。彼の子供を身篭れた事は、シェリーにとってもちろん喜ばしい。ただその半面、妊娠したために彼と出歩く機会はずいぶん減ってしまった。
特にダンジョン攻略はこれまでずっと一緒にやってきた。それなのにしばらくは一緒に攻略する事はできない。しかもそれが成長限界のタイミングと重なったことで、シェリーは取り残されてしまったような想いをより強く覚えていた。
「すぐに帰ってくるとはいえないし、本命の作戦が始まればまた長く屋敷を空けることになると思う」
ジノーファは少し困ったように笑いつつ、しかし正直にそう告げた。ダンジョンでの作戦はともかく、魔の森まで赴けば短くとも数週間、長ければ数ヶ月にわたって作戦に従事することになるだろう。
それはシェリーも分かっている。そして彼女の立場では「行かないで」ということもできない。しかしだからこそ、寂しいという気持ちは強くなるばかり。シェリーはジノーファの腕をより強く抱いた。そんな彼女を優しく抱き寄せ、ジノーファはこう告げる。
「シェリーが待っていてくれれば、ここへ帰ってくるのが楽しみになる。だから、ここで待っていて欲しい」
「……はい」
そう言ってシェリーは小さく頷いた。そんな彼女が愛おしくて、ジノーファは唇を重ねる。彼女の唇は、甘いジャムの味がした。
□ ■ □ ■
エカルトと打合せをした、その二日後。予定通りジノーファたちはダンジョンにいた。廃墟エリアで石材を回収する作戦に先立ち、先遣隊を出して一度そこまでのルートを確認しておくためだ。
先遣隊の先頭を進むのはジノーファとラヴィーネ。殿はユスフが勤めている。ちなみに一昨日の夜に屋敷へ帰ってきたとき、彼は少々やつれていたのだが、一晩休んで体調は回復している。調子の方も普段以上に思え、休みを取らせて正解だったとジノーファも満足げだった。
さて、彼らは時おり足を止めつつも順調に進んだ。普段であれば近づかないような難所が多く、慣れないメンバーが頭を抱える場面が多々あったが、下見の目的を考えればむしろそれで良かったと言えるだろう。
それに身軽な状態であれば何とかなるもの。実際、難所を越えた彼らの顔には、興奮と自信が浮かんでいた。ただ、そこは直轄軍の精鋭。喜びつつも冷静な分析は忘れない。水場で休憩した際にはそれぞれ熱心に意見を交わしていた。
「場所によっては、ロープを張った方がいいかもしれないな」
「ああ。人数が多いんだ。手間を惜しむべきじゃない」
「装備も、全体的に見直すべきじゃないのか?」
「ああ。なるべく身動きしやすい装備にするべきだ」
「いや、だが、廃墟エリアでの任務を考えるとそれもどうかと思うが……」
「少なくとも、武器は環境に合わせるべきだ。槍も長剣も、あんなに狭くては振り回せない。邪魔になるだけだ」
「ショートソードか、短槍か……。盾も、なるべく小さくするべきかなぁ……」
「いっそ、ダガーのようなもので代用するのもありじゃないのか」
喧々諤々のその議論を、ジノーファとユスフは少し離れたところで聞いていた。このルートは二人にとって慣れたものだが、兵士たちにとってはそうではない。そして石材の回収作戦で、このルートを通る者たちの大部分はその不慣れな者たちだ。
であれば、彼らがどうするべきかを考えるのがやはり一番だろう。それに場所が違うとはいえ、彼らだって普段からダンジョン攻略をしているのだ。そう的外れな議論にはならず、ジノーファとユスフが口を挟む事はなかった。
「よし、そろそろ出発するぞ」
活発な議論は延々と続きそうだったが、頃合を見計ってリーダーを務めるエカルトがそう声をかける。兵士たちはそれぞれ短く返事をすると、すぐに立ち上がった。ジノーファとユスフもそれに倣う。隊列を組みなおすと、彼らはまた歩き始めた。
さて、目的地である下層の廃墟エリアへ赴くにあたり、避けて通ることのできない大広間は二つ。上層に一つ、そして中層に一つだ。よって今回の下見では、二体のエリアボスを倒す必要がある。そしてそれは、ジノーファの役目だった。
上層のエリアボスは、大した相手ではなかった。巨大な狒狒だったのだが、しかし巨大なだけ。森で戦うとなれば話は違ったのかもしれないが、しかしここは穴倉だ。さして素早くもなく、ジノーファは肩から上を袈裟切りにして斬り捨てた。
あまりにも簡単にエリアボスを倒してしまい、ユスフですら肩をすくめた。初めて見る他のメンバーが絶句するのも無理はない。ジノーファはそんな彼らに声をかけ、先へ進むよう促す。それで、彼らは気を取り直してさらに奥へ進んだ。
「それじゃあジノーファ様、またよろしくお願いします」
中層の大広間の前で、エカルトがジノーファにそう告げる。大広間へ入るのはジノーファとユスフとラヴィーネだけで、他のメンバーは外で待機していることになっている。それで彼は一つ頷くと、気負った様子もなく大広間へ足を踏み入れた。ユスフとラヴィーネがその後に続く。
「ゴォォォォオオオオ……!」
彼らが大広間の中へ入ると、くぐもった雄叫びが響いた。出現したエリアボスは、巨大なスケルトン・ドラゴン。翼はあるがやはり骨だけで皮膜はない。空を飛ぶ事はできないだろう。空っぽの眼窩には、赤く淀んだ光が不吉に輝いている。
骨だけになろうとも、ドラゴンタイプは強敵だ。ジノーファは集中力を高めて腰の双剣を抜くと、背中の聖痕を発動させた。その瞬間、凄まじいプレッシャーが放たれる。入り口のところで中を窺っていた兵士たちは、彼の身体が何倍にも膨れ上がったように錯覚した。
ジノーファの放つプレッシャーを感じ取ったのは、人間だけではなかった。スケルトン・ドラゴンも圧倒されたかのように首をすぼめている。それが矜持に触れたのか分からない。スケルトン・ドラゴンは大きな咆哮を上げるとジノーファに襲い掛かった。
「遅い!」
しかしその瞬間、ユスフがライトアローを放って機先を制する。彼が狙ったのはスケルトン・ドラゴンの、右前足の膝関節。しかも一歩踏み出した瞬間のタイミングを狙われ、スケルトン・ドラゴンはたまらず不恰好に動きを止めた。
「グゥゥゥウウ、ワンッ!」
間髪いれず、そこへラヴィーネが飛び込む。狙うのはユスフと同じ、右前足の膝関節。彼女の鋭い牙がその骨を噛み砕く。しかしスケルトン・ドラゴンは倒れなかった。本来なら自重に耐え切れず膝を折っていたのだろうが、骨だけなので軽いのだ。
「ラヴィーネ!」
ジノーファが声を上げると、彼女は素早くその場から離脱する。同時に彼も前に出て、鋭くスケルトン・ドラゴンとの間合いを詰めた。そして右前足を狙うと見せかけ、スケルトン・ドラゴンの噛み付きを回避しつつ、サイドステップで逆方向に回りこんだ。
「はっ!」
鋭く呼気を吐きながら、ジノーファは右手の剣を振い、伸閃の刃を放つ。狙いはスケルトン・ドラゴンの首。その一撃は確かな手応えを残しつつ、しかし首を落す事はできなかった。
スケルトン・ドラゴンが絶叫を上げる。同時に身体を捻り、尻尾の骨をムチのようにしならせてジノーファを襲う。その攻撃を、彼はバックステップで回避した。焦ったところは少しもない。余裕のある動きだ。
尻尾の一撃をかわすと、彼はまたすぐに前に出た。そして両手の双剣を縦横無尽に振るう。絶え間ない斬撃の嵐を浴びせられ、スケルトン・ドラゴンの身体はバラバラと崩れた。しかしまだ倒せてはいない。
「そう、っら!」
ジノーファの連撃が途切れるタイミングを見計らい、ユスフがまたライトアローを放つ。放たれた光の矢は、途中で幾筋もの閃光に分かれて、スケルトン・ドラゴンに降りそそぐ。ただ相手が骨であるせいか、半分以上は外れているように見えた。
だが動きを止める効果はあった。その隙にラヴィーネが飛び掛り、背中から生えた翼の骨の根元に喰らい付く。その骨にヒビが入った瞬間、スケルトン・ドラゴンはまた絶叫を上げた。そして彼女を振り落とそうとしてか、デタラメに身体をよじって暴れる。その反動でまた、骨がパラパラと崩れた。
「ゴォォォオオオ!」
スケルトン・ドラゴンが雄叫びを上げつつ、ひときわ大きく身体を捻った。そのせいでついにラヴィーネは振り落とされた。しかし彼女もただでは退き下がらない。喰らいついた骨は離さず、そのままもぎ取る。だがスケルトン・ドラゴンはもう、そんなことには頓着していなかった。
「ゴォォォオオオ!」
もう一度雄叫びを上げつつ、スケルトン・ドラゴンはジノーファに向かって突進した。勢いに任せた動きで、回避は難しくない。彼が軽やかに身をかわすと、スケルトン・ドラゴンはそのまま壁に激突した。
大きな音が響き、大広間が衝撃で揺れる。スケルトン・ドラゴンは動きを止めていた。壁に激突したために、スタン状態になっているのだ。その隙をジノーファは見逃さない。鋭く間合いを詰め、伸閃の連撃を浴びせた。狙いは右後ろ足。四、五回も斬撃を浴びせると、ついにその骨は砕けた。
「ギィィィイイイ!」
スケルトン・ドラゴンが悲鳴を上げるのと同時に、ジノーファはさらに伸閃で右前足を狙う。もともとダメージが蓄積していたそこは、たった一撃で容易く切断された。そして右側の前後の足を失ったことで、スケルトン・ドラゴンはバランスを崩し、横倒しになって倒れた。
しかしスケルトン・ドラゴンはまだ戦意を失ってはいない。その口元に黒い魔力を蓄え、そして放つ。ブレスだ。しかし使うタイミングを逸しているといわざるを得ない。まともに動けない状態で放ったブレスは容易く回避され、ただ大広間の床と壁を抉るだけ。しかもブレスを放った直後の硬直は、ジノーファにとって格好の隙だった。
彼は双剣を手放すと腰を屈めて影の中、シャドーホールの中へ手を突っ込む。そしてオリハルコンの剣を引き抜くと、両手で構えて大上段に振り上げた。
「はあああああ、はあっ!」
そして鋭く振り下ろし、伸閃を放つ。魔力を丁寧に練り上げたその一撃は、スケルトン・ドラゴンの首の太い骨を今度こそ切り飛ばした。
「ギィ……!」
短い断末魔の叫びを残し、次の瞬間、スケルトン・ドラゴンは灰になって崩れ落ちた。ドロップアイテムは骨やその欠片。ジノーファが回収したそれは、あとでラヴィーネのおやつにする予定だ。大きな魔石のマナはユスフに吸収させ、ジノーファは入り口から固唾を飲んで見守っていた他のメンバーに声をかける。
「じゃあ、進みましょうか」
彼らはぎこちなく頷いた。
~スケルトン・ドラゴンが出現した時のラヴィーネの反応~
ラ「……(じゅる)」




