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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森

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皇太子からの使者

 その日、ジノーファはユスフを伴い、贔屓の武器屋である工房モルガノを訪れていた。先日、ダンジョン攻略をしてきたので、使った武器の手入れを頼みに来たのだ。ちなみに店番をしていた娘さんは、近々結婚するという。三年と言う時間は、こんなところでも確かに流れている。


 ジノーファとユスフは手入れを頼む装備を、カウンターの上のトレイに載せていく。店主はその中から一角の双剣の一振りを手に取ってその刃を確かめ、そしてわずかに顔をしかめた。そしてジノーファにこう告げる。


「……そろそろ、新しいものが必要かもしれませんな」


「もう寿命だろうか?」


 ジノーファは少し残念そうにそう尋ねた。店主が仕立ててくれた一角の双剣は良い品物で、彼の手にも馴染んでいる。できることなら、使い慣れた道具を使い続けたいと思うのが、人情というものだろう。


「いえ、もう暫くは大丈夫でしょう」


 店主はそう答えた。彼の口元には小さな笑みが浮かんでいる。自分の作品を、一流と認めた客が惜しんでくれる。職人冥利に尽きるというものだ。それを誇らしく思うこともまた、人情であろう。


 だからと言って、「自分が手入れをしていればずっと使い続けられる」などと店主は言わない。そもそも武器は基本的に消耗品。しかもジノーファの主戦場は下層より下。過酷な使用環境であることは、想像に難くない。それを考えれば、一角の双剣も二年以上良くもったというべきだろう。それで店主はこう言葉を続けた。


「ですが、いざ壊れてから次を考えるというのも無用心でしょう。やはり備えはしておかなければ」


「そうだな。店主殿の言うとおりだ」


 そう言ってジノーファは頷いた。実際、かつてジノーファが使っていた双剣は、ダンジョンの中で砕けてしまった。一角の双剣もそうならないとは言い切れない。いやむしろ、そうなる可能性の方が高いだろう。


 もちろん予備の双剣はいくつか持っている。ただどれもメインで使うには少々物足りない。それで一角の双剣の代わりを用意するのであれば、予備ではなく、メインで使うことを想定する必要があった。


「店主殿、頼めるだろうか?」


「もちろん、やらせてもらいます。それで、素材はどうしますか。私のほうで見繕うこともできますが……」


 店主がそう尋ねたのは、ジノーファが下層より下を攻略していることを知っていたからだ。この辺りで手に入るドロップや鉱石の類は、武器の素材として優秀なものも多い。反面、流通数が少なく、入手が困難な場合も少なくない。


 素材のランクは武器の出来栄えに直結する。そういう意味では、良い武器を作れるか否かは、時の運も関わってくると言えた。それで、ダンジョンでよい素材を手に入れた場合、それを売らずに取っておき自分の武器のために使うというのは、比較的良くあることだった。


 実際、ジノーファもかつて素材の持込をしたことがある。シェリーの短剣を作ってもらったときのことだ。あの時は、廃墟エリアに出現したワイバーンの爪を素材にして作ってもらった。


 その、同じワイバーンがドロップした牙や爪が、まだシャドーホールの中に保管されている。ジノーファがそのことを店主に告げると、彼は大きく頷いてこう太鼓判を押した。


「アレはいい素材でした。同種のものを使えるなら、一角の双剣の代わりとして申し分ないでしょうな」


 一角の双剣に使った素材は下層でドロップしたもの。素材のランクで言えば、同等以上だろう。「申し分ない」というのは、正当な評価だ。


 しかしその一方で、ジノーファは若干の不満を覚えていた。せっかく深層まで進出しているというのに、そこの素材を使うことができなかった。とはいえドロップはそれこそ時の運。今から素材を集めるのは現実的ではない。今回は諦めるよりほかなかった。


「じゃあ、それで頼む。ただ今は現物がないから、次に来るときに持ってくるよ」


「分かりました。では、正式に請け負うのはその時ということで」


 店主はそう言って数字の書かれた木札をジノーファに手渡した。その時にふと、店主はジノーファの腰に目をやる。そこには双剣ではなく一本の長剣が吊るされていた。かつてジノーファがランヴィーア王国国王オーギュスタン二世から下賜された、オリハルコン製の長剣である。


 下賜された当時はサイズが大きかったものの、現在は成長したおかげでちょうどよくなっている。愛用していた双剣が砕けてしまったこともあり、ダンジョンの外ではこの長剣を腰にさしておくことが多かった。そしてその長剣を指差し、店主はジノーファにこう尋ねた。


「その腰のものはどうしますか?」


「……そうだな、これも一緒に頼む」


 この長剣も攻略で使っている。使用頻度はそれほど高くないが、手入れはしておいたほうがいいだろう。そう思い、ジノーファは剣帯から長剣を外してトレイの上に載せた。それから彼は振り返ってユスフにこうこう尋ねる。


「ユスフは、他に何かあるか?」


「そう、ですね……。そろそろ矢の補充が必要です」


「分かった。それじゃあ店主殿、それも頼む」


「了解しました」


 注文を済ませ、ジノーファとユスフは工房モルガノを後にする。それから二人は露店で買い食いをしつつダンジョンへ向かった。攻略のためではない。シャドーホールに保管してある素材を回収するためだ。ついでにドロップ肉も一つ取り出し、二人は屋敷へと戻った。


「ではジノーファ様、肉はわたしが厨房に持っていきますので」


「ああ、頼んだ」


 玄関でユスフと別れ、ジノーファはまず寝室へ向かった。そしてワイバーンの素材をテーブルの上においてから、手早く着替えを済ませる。彼が一階へ降りると、ヘレナがタイミング良くお茶の準備をしていた。


 ソファに座って彼女が淹れてくれたお茶を一口啜ると、ジノーファは「ふう」と息を吐いた。相変わらず、彼女が淹れてくれるお茶は美味しい。そうやって彼が寛いでいると、シェリーがラヴィーネを連れて彼のいる部屋へやってきた。


「お帰りなさいませ、ジノーファ様」


「ああ、ただいま、シェリー。ラヴィーネも、ただいま」


「クゥゥン」


 ジノーファが笑いかけると、ラヴィーネは小さくそう鳴いた。彼女はどこか悄然とした様子で、とことこと歩いてジノーファのところへやって来ると、ソファの上にあがった。そして彼のお腹のあたりに頭を擦りつけて「撫でろ」と催促する。


 ジノーファが頭を撫でてやると、ラヴィーネは大人しくなって、彼の膝の上に頭を載せる。さらに身体のほうも撫でてやると、彼女は気持ち良さそうに目を細めた。その様子に苦笑し、しかし撫でる手は止めないまま、ジノーファはシェリーのほうに視線を向けてこう尋ねた。


「また、お風呂に入れていたのか?」


「はい。綺麗にしておきませんと」


 シェリーはにこにこしながらそう答えた。妊娠したとはいえ、彼女のお腹はまだそれほど大きくはなっていない。着ているメイド服のデザインも関係しているのだろうが、はっきり言われなければ多くの人はそうとは気付かないだろう。


 そのせいもあってか、攻略をお休みするようになってからも、シェリーは精力的に働いていた。ジノーファやヴィクトールは安静にしているようにと言っているのだが、「攻略をしていない分、いつもより十分安静です」というのが彼女の言い分だった。


 少し心配になり、ジノーファは宮殿の医師に相談した。医師の言うことならシェリーも聞くだろうと思ったのだ。しかし医師の返答は彼にとって意外なものだった。


 曰く「成長限界に達しているわけですし、多少は身体を動かした方が、母子の健康には良いでしょう」


 こうしてシェリーは医師のお墨付きまで得てしまった。そんなわけで彼女は意欲的に働いている。意外とワーカーホリックだったのかもしれない。仕事内容については、ヘレナも気にかけてくれることになっている。それでジノーファはひとまずは見守ることにしたのだった。


 それに、シェリーでなければできない仕事もある。その一つが、ラヴィーネをお風呂に入れる事だ。


『お屋敷の中に入るなら、綺麗にしておかなくては』


 ラヴィーネがまだ子狼であったころ、最初にそう言い出したのはシェリーである。ヴィクトールやヘレナもそれに同意したので、ラヴィーネは定期的にお風呂に入る事になった。ただ元来獣であるせいか、彼女はお風呂が好きではない。それでシェリー以外がお風呂に入れようとすると、スルリと逃げ出してしまうのだ。


 ラヴィーネは普段、屋敷の使用人たちにもよく懐いている。だがお風呂の気配を感じると、さっぱり寄り付かなくなるのだ。見つけて捕まえようとしても、魔獣である彼女を捕まえるのは、ユスフであっても難しい。


 もちろんジノーファなら、ラヴィーネも大人しくお風呂に入る。ただ使用人の立場からすれば、彼にそんなことをさせるわけにはいかない。そして彼以外となると、シェリーしかラヴィーネをお風呂に入れられる者がいないのだ。多分、彼女が成長限界に達しているからと言うよりは、子狼のころから刷り込まれた上下意識のためだろう。


 そんなわけで。ラヴィーネをお風呂に入れるのはシェリーの仕事になっている。おかげでラヴィーネの毛並みは今日もフサフサでツヤツヤだ。その雪のように白い毛並みを撫でながら、ジノーファはシェリーにこう告げた。


「ご苦労様。シェリーも少し休んだらどうだ?」


「はい。ではそうさせてもらいますね」


 そう言ってシェリーはジノーファの隣、ラヴィーネの反対側に座った。そして寄りかかるようにして彼の肩に頭を預ける。幸せそうに微笑む彼女に、ジノーファはこう言った。


「そういえば、ドロップ肉を持ってきたんだ。さっきユスフが厨房に持って行ったから、ボロネスが夕食に出してくれるんじゃないかな」


「まあ。楽しみです」


「ワンッ」


 ラヴィーネも同意するように一つ吼える。さっきまで悄然としていたのに、今はすっかり元気だ。肉の話をしたからかもしれない。そんな彼女の様子を見て、ジノーファとシェリーは揃って小さく笑った。


 さて、その翌日。宮殿から使者が来た。使者を差し向けたのはダンダリオンではなく、皇太子のジェラルド。彼が持ってきた手紙には、「力を借りたいので、明日執務室まで来て欲しい」ということが書かれていた。


「返事をいただいてくるようにと、仰せつかっています」


「了解しました。お伺いいたします、とお伝えください」


 ジノーファがそう答えると、使者は恭しく一礼してから屋敷を後にした。使者が帰ってから、ジノーファはシェリーを呼ぶ。そして事情を説明し、彼女に意見を求める。数秒考え込んでから、シェリーは少々申し訳なさそうにしつつこう答えた。


「その、最近は宮殿に行くことも少なくなって、あまり事情には通じていないんです……」


 それは、彼女が妊娠したことと関係している。彼女が宮殿へ赴くのは、多くの場合ダンダリオンへ報告書を提出するためだ。これはジノーファを逃がさないために監視する業務の一環で、口頭での報告も合わせ、シェリーの大切な仕事の一つだった。


 ただ彼女が妊娠したことで、ジノーファを監視する必要性は大きく低下した。彼が妻子を捨ててまで帝国から出奔することはないだろう、という判断だ。またこの世界の社会通念上、妊婦をあちこち出歩かせるのはあまりよろしくない。


 それで報告書は書いているものの、シェリーが直接ダンダリオンへ報告することは少なくなっていた。そのため、宮殿での情報には疎くなってしまっていたのである。


「申し訳ありません」


「いや、いいんだ。話なら明日聞けるだろうしね」


「ただ、いくつか推測できることならございます」


 呼び出しがジェラルドからと言う事は、この一件はダンダリオンではなく彼が主導していると考えられる。そして「ジノーファの力を借りたい」というのだから、ダンジョン絡みの案件であろう。


「なるほど。でもなんだか、唐突な気もするなぁ」


 シェリーの推測に頷きつつ、ジノーファはそう呟いて苦笑した。彼は皇太子ジェラルドと、ほとんど面識がない。何かを頼まれたことも、一緒に仕事をしたこともないのだ。加えて、ジノーファがダンダリオンに気に入られているのは周知の事実。その彼を呼び出すのであれば、事前にそれとなく報せがあってもいいような気がする。


「……今回は関わる気はないという、陛下なりの意思表示なのかもしれません」


 また少し考えてから、シェリーはそう自分の考えを語った。それを聞いてジノーファは一つ頷く。ダンダリオンを介してジェラルドと仕事をするとなると、ジェラルドは父親に頭を抑えられた格好になる。確かにそれでは、仕事もやりにくいだろう。


「困っても泣きついてくるな、ということかな?」


「そういうわけでは、ないと思いますけど……」


「分かっている。冗談さ」


 そう言ってジノーファは小さく笑った。だがダンダリオンに関わる気がないのであれば、当然彼に泣きつくこともできない。シェリーもそのことは認め、思案気な顔で呟くようにこう言った。


「もしかしたら、陛下は帝位継承のことも、考え始めておられるのかもしれません」


 ダンダリオンは今年で五十歳になる。いまだ若々しく衰えは見られないが、しかし年齢は確実に重ねているのだ。そうである以上、次代のことを考えるのは当然だろう。そして次期皇帝は現状、皇太子ジェラルドでほぼ決まりだ。


「年齢的なことを考えれば、ジノーファ様はむしろジェラルド殿下との付き合いの方が長くなります。あるいはそれを見越してのことかも……」


「ああ、それはありそうだ」


 ジノーファはシェリーの推測を肯定した。彼はもう、帝国に骨を埋める覚悟でいる。そうであるなら、ダンダリオンの次に皇帝となるジェラルドとの関係は、良好であるに越したことはない。


 それに、シェリーの懐妊や結婚のことを報告した途端にこれだ。今回の一件はそのあたりの事情も絡んでいるのかもしれないな、とジノーファは思った。


「まあ何にしても、役に立つってところを見せないとだね」


 ジノーファは冗談めかしてそう言った。とはいえ彼の本心でもある。次期皇帝と良好な関係を築きたいのなら、面識がほぼない以上、有用であることを証明するのが一番だ。いかに聖痕(スティグマ)持ちといえども、ジェラルドとて無能者を使う気はないだろう。無能者が聖痕(スティグマ)持ちになれるのかは、この際置いておくとして。


「ジノーファ様なら、大丈夫ですわ」


「ありがとう。シェリーにそう言ってもらえると、嬉しいよ」


 ジノーファはそう言って微笑むと、そっとシェリーを抱き寄せた。



重要:今回のクライアントは皇太子。

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