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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
幕間Ⅱ

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舞踏会が始まるまでに 2

 ランヴィーア王国とロストク帝国が同盟を結んだのは、およそ十年前のことである。同盟に至った理由は利害の一致。つまり両国とも貿易港を欲しており、それを手に入れるための同盟だった。


 さて、同盟を結んだ当初、ランヴィーア王国の国土は六一州で、対するロストク帝国は七三州だった。両国の国力はほぼ拮抗していたと言っていい。つまり同盟は対等な関係であった。


 しかし四年前、状況が変化する。アンタルヤ王国がフレゼシア公国へ侵攻したのだ。この事態に際し、公国はロストク帝国へ救援を要請。最終的に公国は帝国へ併合された。そしてこの併合により、ロストク帝国の国土は八八州へと増えたのである。


 これにより、ロストク帝国はランヴィーア王国と比べ、頭一つ分秀でた国力を持つことになった。そしてそれはすなわち、今まで対等であった力関係に不均衡が生じたことを意味している。


 さらにロストク帝国は昨年、旧フレゼシア公国領へ再侵攻したアンタルヤ軍を撃退した。それはすなわち、旧公国領がより強固に帝国の一部となったことを意味している。ランヴィーア王国から見ると、国力の差はもはや覆し難い。


 しかしながら皮肉なことに、ロストク帝国が国力を高めたからこそ、ランヴィーア王国としてはより一層同盟関係を維持しなければならなくなった。ランヴィーア王国が欲しいのは貿易港や塩田であって、そのためにはロストク帝国に後方を脅かされるわけにはいかないのだ。


 ロストク帝国がアンタルヤ王国と心置きなく戦えたのは、ランヴィーア王国に後方を扼される心配がなかったから。ランヴィーア王国もイブライン協商国と戦う際には同様の条件を整えておかなければならぬ。そのためには同盟関係はどうしても維持されなければならないのだ。


 もちろん現在のところ、ロストク帝国はランヴィーア王国に対し、友好的な同盟国という立場を崩していない。フレイミース第三皇子の留学は、その象徴と言っていいだろう。しかしそれがいつまで続くのか、オーギュスタン二世には疑問だった。


(同盟国の実質が侵略者であった例など、歴史上、枚挙に暇がない。国力で、発言力で劣れば、いずれそういうことになる……)


 つまり、同盟国とは名ばかりの、実質的な属国にされてしまうのではないか。オーギュスタン二世はそれを懸念していた。国と国の関係など、所詮は喰うか喰われるか。付け入る隙を与えれば、あっという間に飲み込まれてしまうだろう。


 ただオーギュスタン二世とて、ロストク帝国がすぐさま高圧的な態度を取ってくるとは思っていない。なぜなら、帝国は確かに国土を増やしてその支配を確実なものとしたが、その一方で念願の貿易港はまだ手に入れていないからだ。


 少なくとも貿易港を手に入れるその日まで、帝国は友好的な同盟国という立場を崩さないだろう。しかしながら、ロストク帝国の念願がかなうのはそう遠い未来ではない。昨今の情勢を鑑み、オーギュスタン二世はそう考えていた。


 ランヴィーア王国に残されている時間は、決してそう多くはない。ではその間に何をすればよいのか。答えは明白である。すなわち、ロストク帝国よりも先に貿易港を手に入れるのだ。


 交易によって国力を高めれば、同盟関係はおのずと対等なものになるだろう。またロストク帝国は北海と大洋を交易ルートの構築を目指している。その半分をランヴィーア王国が担ってやれば、発言力はあるいは逆転するかもしれない。


(いずれにしても……)


 いずれにしても、貿易港を手に入れることが、ランヴィーア王国の最重要命題だった。そう考えていたからこそ、オーギュスタン二世はダンジョンを奪取するための援軍を派遣しなかったのだ。


 敵国のダンジョンを奪取し、管理し、そこから利益を得るためには、多大な手間と費用と時間がかかる。貿易港を手に入れる余力はなくなるだろう。それを嫌っての判断だ。そしてさらに彼は、もっと悪辣なことも考えていた。


 これから先、イブライン協商国は新たなダンジョンに多大な投資を行うだろう。そこへランヴィーア王国が侵攻して見せたらどうか。イブライン協商国は商人達の国。彼らは投資が無駄になることを嫌う。きっと大軍を投入してダンジョンを防衛するだろう。ということは逆に、沿岸部は手薄になる。そこを狙うのだ。


 ただ、その際にもう一手欲しいとオーギュスタン二世は思っている。彼の頭に浮かんだのは、炎帝ダンダリオン一世のこと。聖痕(スティグマ)持ちたる彼が陣頭に立つと、兵たちは意気軒昂として獅子奮迅の働きを見せるという。


 兵たちの士気を当てにして戦争を始めるのは愚かなことだ。しかし兵たちの士気を無視して戦う事はできない。それでダンダリオン一世のように、ランヴィーア軍の旗頭となり、兵士達の士気を高めることのできる将がいれば言うことはない。


 そこでオーギュスタン二世が目を付けたのが、ダンダリオン一世と同じ聖痕(スティグマ)持ちたるジノーファだった。彼をランヴィーア王家に引き入れ、来るべきイブライン協商国への侵攻の際には旗頭とする。それがオーギュスタン二世の計画だった。


 幸い、彼にはジノーファと年の近い娘がいる。シルフィエラのことだ。フレイミースと婚約させようかと思っていたが、しかしロストク帝国側とも正式に話を進めたわけではなく、彼女にはまだ婚約者がいない。そこへジノーファを押し込むつもりだった。


「ですが、ジノーファ卿は現在、帝国騎士の身分を与えられ、ダンダリオン一世の庇護下にあります。強引に引き抜いた場合、ロストク帝国との関係が悪化する怖れはないでしょうか?」


 オーギュスタン二世の話を聞くと、ジョゼフィーネ王妃はそう懸念を示した。ただ彼はそれほど心配していない。引き抜かれて困る人材なら、領地にしろ爵位にしろ官職にしろ、もっとちゃんとしたものを与えているはずだ。


 ダンダリオン一世はジノーファを飼い殺しにするつもりだ、と、オーギュスタン二世も聞いたことがある。確かに敵に回られるのは困るだろう。だが同盟国の、それも王家に入るのであれば、それほど反対はするまい。オーギュスタン二世はそう考えていた。


 しかしながら、曲がりなりにも王家に招こうというのだ。滅多な人物では困る。それでオーギュスタン二世はジノーファを晩餐会に招いた。彼の人柄を見極めるためだ。そしてそのために、その席で少々小細工を弄した。


 ラプゼン子爵という小物を使い、その場で聖痕(スティグマ)を見せてくれるようにと話を振らせたのだ。ジノーファの聖痕(スティグマ)は背中にあり、それを見せるためには服を脱がなければならない。つまり相当に失礼なお願いをさせたのだ。


 普通であれば、激怒してもおかしくはない。しかしジノーファはいきり立つこともなく、むしろ穏やかに、そして巧みにその場を切り抜けた。オーギュスタン二世はそれを見てたいへん満足し、ジノーファをシルフィエラと婚約させることを本格的に決めたのである。


 計画自体は単純だ。舞踏会でジノーファにシルフィエラとの婚約の話を持ちかける。ただそれだけ。ただしその話をするのは、ランヴィーア王国国王オーギュスタン二世本人。さらに幾人かの貴族に根回しをしておき、率先してその話を成就させる方向へ会場の雰囲気をもって行かせる。


 オーギュスタン二世直々の申し出であり、さらに会場の雰囲気までも決まってしまえば、ジノーファの立場では断りきれないに違いない。強引なやり口だが、時間をかければ余計な横槍を入れる輩が出てこないとも限らぬ。この際、速攻で話を決めてしまうことこそ、肝要であろう。


 断られないように外堀を埋めるようなまねはしたが、その一方でオーギュスタン二世はジノーファがこの話を断るとは露ほども思っていなかった。一国の姫を娶り、王家に入る。これこそまさに男児の本懐であろう。これほど良い話なのだから、受けて当然。彼はそう考えていた。


 実際、彼はジノーファを哀れみ、自分の手元で栄達させてやろうとさえ思っていた。アンタルヤ王国の王太子として育てられながら廃嫡されて見捨てられ、敵国の皇帝に拾われても飼い殺しにされて無聊を託っている。


 高い教育を受け、聖痕(スティグマ)を得た男が、満足できるような境遇ではない。そこへ、栄達の機会が差し伸べられたのだ。野心が薄いとはいえ、それを鷲掴みにせずして、なにが男児か。


 しかしながら、彼の計画は頓挫することになる。よりにもよって、シルフィエラがフレイミースと「愛し合っている」と宣言してしまったのだ。


「シルフィエラ! 自分が何をしたのか、分かっているのですか!?」


 ジョゼフィーネは怒りを顔に滲ませ、厳しい声で娘を詰問する。そしてさらにこう言葉を続けた。


「ジノーファ卿とのことは、しかと伝えたはず。なぜこのような真似をしたのです!?」


「わたしがお慕い申し上げているのはフレイミース様です! あの方も『愛している』と言ってくださいました! 愛し合ってもいない方と結婚するなんて、わたしは嫌ですっ!」


 そう言って、シルフィエラはドレスの裾をつかみながら、目じりに涙を溜めつつ母親を見返した。その反抗的な眼を見て、ジョゼフィーネは思わず手を振り上げる。しかしその手が振り下ろされることはなかった。


「ジョゼフィーネ、もうよい」


 シルフィエラが反射的に顔を背けて目を瞑ると、頬を叩かれるより前に父王の声が響いた。彼女が目を開けて声のしたほうを見てみると、彼は疲れきった様子で頭を抱えている。そして鋭い視線で娘を見据えてこう言った。


「お前には失望した。ここまで愚かであるとは思わなかったぞ」


「ッ!」


 シルフィエラは唇を噛み締めた。父王の意向に逆らうと決めたのは自分自身。しかしはっきりと「失望した」と言われれば、その言葉は彼女の胸を深くえぐる。そんな娘の心情など斟酌しないまま、オーギュスタンはさらにこう言葉を続けた。


「だが事ここに至れば、お前のわがままに付き合ってやるよりほかあるまい」


 それを聞いて、シルフィエラはパッと顔を輝かせた。その一方で、ジョゼフィーネは顔を曇らせる。


「陛下、よろしいのですか?」


「仕方あるまい」


 オーギュスタンは短くそう答えた。それを聞いてジョゼフィーネも引き下がる。この場合、相手も悪かった。フレイミースを押し退けてジノーファを選べば、ダンダリオン一世は面白くあるまい。最悪、同盟が割れる。それだけは絶対に避けねばならなかった。


 はあ、とオーギュスタンはため息を吐いた。計画が滅茶苦茶である。もっとも、これは彼の側にも非がある。時間がなかったこともあるが、どうせジノーファは断らないと油断していた。まさか娘に阻まれるとは。


 ただ、その油断が彼を救いもした。綿密な根回しをしていなかったおかげで、「ジノーファをシルフィエラと婚約させる」という計画を知っているのは、彼の腹心に限られている。この状況であれば、計画を破棄したとしても、王家の体面は傷つかない。


「二人が結ばれれば同盟の強化には繋がる。そう考えることにしよう」


 ため息を吐いて、オーギュスタンはそう呟いた。確かに、ロストク帝国の影響力が強まるのは考えものだ。しかし逆の見方をすれば、帝国に対するランヴィーア王国の影響力も強まる。それを上手く用いれば、属国化を回避することもできるだろう。


 そう、これは致命的な失敗ではないのだ。そもそもシルフィエラとフレイミースの婚約はもともと考えていた策の一つ。であれば、ここから先はオーギュスタンの手腕次第。そう考え、彼は気を引き締めた。そして威勢を正してから、彼は娘の名前を呼んだ。


「シルフィエラ」


「はい」


「これだけのことを仕出かしたのだ。後で嫌だと言っても、もはや話は覆らぬ。ダンダリオン一世が否やを唱えればその限りでもないが、自身の息子も当事者なのだ。腹の内はどうであれ賛成するだろう。お前にはどうしてもフレイミース殿と婚約してもらわねばならぬ」


「望むところでございます」


「うむ。事と次第によっては、お前には帝国に行ってもらうことになるかも知れん。どこへ出しても恥ずかしくないよう、再教育と花嫁修業は厳しいものと思え。ジョゼフィーネ、頼んだぞ」


「御意にございます」


 ジョゼフィーネはまるでお手本のように美しく一礼した。そんな母の様子を見て、シルフィエラは悲壮な顔をする。やらかしたことは自覚しているだけに、「厳しい」と言われて慄いているのだ。そんな娘の顔を見て、オーギュスタンはようやく少しだけ溜飲を下げた。


 話と方針が決まったところで、オーギュスタンはジョゼフィーネとシルフィエラを伴って舞踏会の会場へ戻った。フレイミースらのほうはまだ話し合いの最中であったようなので、人をやって呼びに行かせる。


 個室から出てきたフレイミースは、少々やつれているように見えた。恐らくだが、ルドガーに絞られたのだろう。オーギュスタンはそう思った。恥ずかしい秘密を暴露されて悄然としているなど、彼の想像の範疇を超えていた。


 ともかく、オーギュスタン二世はシルフィエラとフレイミースを並んで立たせ、そして身振りで二人の方を示して見せる。群集の注目を十分に引き付けてから、彼はこう述べ始めた。


「……まず、先ほど娘が仕出かした騒ぎについて、諸君とロストク軍の方々に父として謝罪する。ただそれも二人の強い愛ゆえのこと。若さと余の顔に免じ、どうか許してやって欲しい」


「ははっ」


 そう言って、ルドガーは真っ先に片膝を付いた。代表して彼が謝罪を受け入れた格好である。それを見てオーギュスタン二世は一つ頷く。そしてこう言葉を続けた。


「さて、皆も知ってのとおり、我が娘シルフィエラにはいまだ婚約者がおらぬ。そしてフレイミース殿下も同じで、さらに二人はこれほど強く愛し合っている。であるならば、祝福してやりたいと思うのが親心。


 しかしながらフレイミース殿下はロストク帝国の皇子。その婚約となれば、余の一存では決められぬ。この件について、ダンダリオン陛下はどのようにお考えかな、ルドガー殿?」


「はっ、なにぶん唐突なお話なれば、私ごときでは陛下の御心は計り知れませぬ。されどお二人は強く想い合っておられるご様子。さすればこのルドガー、お二人の仲の睦まじきことを陛下にご説明し、必ずやご納得いただけるよう、粉骨砕身して働く所存にございます」


「それは心強い。余も一筆書くゆえ、くれぐれもダンダリオン陛下によろしく頼む」


「ははっ」


 ルドガーはそう言って頭を垂れた。流れるように話が決まっていく。まるであらかじめ打合せをしていたかのようだ。即興とは思えない。互いの利害が一致し、着地点を共有しているからこその芸当である。それが、主役に祭り上げた二人の尻拭いであるというのが、なんとも皮肉っぽい。


 オーギュスタン二世はルドガーと話をつけると、次にジノーファのほうに視線を向けた。彼はフレイミースから大方の事情を聞いているはずで、これを放置しておく事はできない。


「ジノーファ卿。卿にも迷惑をかけた。晩餐会のあとでジョゼフィーネとそなたのことを話していたのだが、それがどう伝わったのか、シルフィエラは婚約するものと勘違いしたらしい。全ては娘の早とちりだ。許してやってくれ」


「ジノーファ様、その、申し訳ありませんでした」


 実のところ勘違いではないのだが、そういうことにしておかなければ話がまとまらぬ。ジノーファもそれは弁えているので、にこやかに頷きこう答えた。


「許すも何も、わたしはなにも迷惑しておりませぬ。シルフィエラ殿下、どうぞフレイミース殿下とお幸せに」


「すまんな。だがなにもなしでは、ランヴィーア王家は恥知らずのそしりを免れぬ。後で詫びの品を用意するゆえ、受け取ってくれるか」


「ありがたく頂戴いたします」


 そう言ってジノーファは頭を垂れた。それを見てオーギュスタン二世は満足げに頷いた。そして喜ばしげな声を張り上げてこう宣言する。


「さあ、少し遅くなってしまったが、舞踏会を始めよう! フレイミース殿下、シルフィエラをエスコートしていただけるかな?」


「喜んで」


 フレイミースはそう言って貴公子然とした笑みを浮かべ、シルフィエラに手を差し出した。シルフィエラもはにかみながらその手を取る。二人が進み出ると、人垣が自然と割れた。


 二人がホールの真ん中に到着すると、音楽の演奏が始める。その音楽に合わせて、二人は優雅に踊り始めた。美男と美女の組み合わせということもあり、非常に絵になる光景だ。ジノーファはそれを見て、やれやれと小さく肩をすくめた。


「お疲れ様でした、ジノーファ様」


「本当にね。舞踏会はまだ始まったばかりだと言うのに」


 いたわりの言葉をかけてくれるシェリーに、ジノーファはそう冗談っぽく応じた。ただこの騒動のおかげで、彼にとって面倒な事態になる事は避けられた。その点については、フレイミースとシルフィエラの浅慮に感謝するべきなのかもしれない。


 やがて、音楽が終わる。フレイミースとシルフィエラが一礼すると、万雷の拍手が起こった。ジノーファもそれに倣って拍手する。二人が場所を譲ると、代わりに何組かの男女がダンスのために進み出る。それを見て、ジノーファは隣に佇むシェリーに視線を移した。そして、こう誘う。


「シェリー。一曲、いかがですか?」


「はい。喜んで」


 シェリーはそう言って微笑むとジノーファの手を取った。



シェリーの一言報告書「舞踏会は普通でした」

ダンダリオン「この上さらに問題が起こっては、オーギュスタン二世もたまらんだろうよ」


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