招待
ランヴィーア‐ロストク両軍がイブライン協商国のダンジョンから引き上げ、ヘングー砦へ帰還したその日の晩、砦では慰労のための酒宴が催された。戦勝を記念してのものではなかったが、決して負けたわけでもないし、「二度目のスタンピードを起こさない」という最大の命題は達成している。何より久しぶりにご馳走が食べられるのだから嬉しくないはずがなく、兵士たちはみな笑顔を浮かべていた。
ヘングー砦には、ランヴィーア王国の王都フォルメトから、国王オーギュスタン二世の勅使も派遣されていた。第二王子のアルバレスで、年の頃はシュナイダーと同じ位に見える。ダンダリオン一世とオーギュスタン二世が同年代だから、子供も似たような年齢になるのだ。
アルバレスは兵士たちを前にオーギュスタン二世からの詔を読み上げ、彼らの働きを讃えて労わった。本来ならわざわざ第二王子を派遣してやらせるようなことでもないのだが、今回は同盟国の援軍もいるので、両国の強い結びつきを内外に示し、その上で面子を保つにはこれくらいする必要があったのだ。
さて、詔を読み上げてアルバレスの仕事は終わったのだが、実は彼にはもう一つ、父王から命じられていたことがあった。それで、彼は一般の兵たちとは別にアルガムやルドガーと一緒に飲んでいたのだが、その席でルドガーにこう言った。
「ルドガー将軍。此度のロストク軍の働きは、まことに見事であったと聞き及んでいる。ランヴィーア王国を代表して礼を言うぞ」
「恐縮です、殿下」
「うむ。それでな、父上が将軍ら主だった者たちをフォルメトに招きたいと仰っている。この招待、受けていただけるだろうか?」
そう尋ねられ、束の間、ルドガーは逡巡した。このオーギュスタン二世の招待が純粋な好意であるとは彼も思っていない。それで本音を言えば、さっさと本国へ帰ってしまいたかった。しかし第二王子が国王の名代として申し出た招待を、やむを得ない理由もなしに断るわけにはいかない。それで彼としてはこう答えるしかなかった。
「……大変光栄なことでございます。謹んでお受けしたいと思います」
「それは良かった」
ルドガーの返答を聞くと、アルバレスはそう言って満面の笑みを浮かべた。そして機嫌良さげにワインを呷る。それから、いかにもふと思い出したといわんばかりに、こう言葉を付け足した。
「そういえば、ロストク軍にはかのジノーファ殿も客将として加わっているとか。魔獣退治の際には世話になったと聞くし、父上も一度会ってみたいと仰せであった。良い機会であるから、彼にもフォルメトに来てもらうことはできないだろうか。無論、歓待させていただくぞ?」
「畏まりました。では、後で本人にそのように話しておきましょう」
「おお、では本人をここへ呼ぼうではないか。私としても、ぜひ一度話を聞いてみたいと思っていたところなのだ」
そう言うと早速、アルバレスは人をやってジノーファを呼びに行かせた。ルドガーはやや唖然としつつ、それを見送るしかない。そして理解する。どうやら用があるのは、ルドガーではなくジノーファの方らしい。
ルドガーは納得すると同時に、内心で苦虫を噛み潰した。どうにも厄介なことになった。いや、厄介なことになると決まったわけではないが、しかしただ会って話がしたいというわけではあるまい。仮にそうだとしても、それはそれでなんだかジノーファを見世物にしているようであり、彼としては心苦しかった。
とはいえ、ここから話をひっくり返すにはあまりにも準備不足。やがてジノーファがやって来て席に着くと、ルドガーが口を挟む余地もなく、アルバレスは改めて彼にフォルメトへの招待の話をした。やはり断れるはずもなく、ジノーファはその話を承諾する。ルドガーはただそれを見ているしかなかった。
そして翌日。昼食を食べ終えると、アルバレスの一行はフォルメトへ向かうため、ヘングー砦の北門前に集まった。その中には無論、ルドガーとジノーファの姿もある。一緒にいるのは幕僚の中から数人と、あとは護衛として騎兵ばかりを三十騎ほど。さらにシェリーとユスフの姿もあった。
ちなみに残りのロストク軍は、副将が率いて本国への帰路に付くことになっている。ルドガーは責任感が強いので、こういうやり方は部隊を放り出したようで、実のところあまり好きではない。
だが、オーギュスタン二世の招待を断るわけにはいかないし、用が済んだのに部隊をいつまでも他国の砦に居座らせておくわけにもいかない。移動するのは同盟国の領内であるし、案内役も付く。滅多なことは起こらないだろうと判断し、指揮を副将に任せることにしたのだ。
加えてもう一つ。アルガムの進退について。彼がヘングー砦に赴任してきたのは、一言で言えば左遷されたからだ。それで王都フォルメトに戻り、要職について出世することを、彼は願っていた。
その願いは叶った。ただし、半分だけ。
『此度の働きを讃え、アルガム将軍には第一功労翠勲章を授与する。また将軍は引き続きヘングー砦の城砦司令官として留まり、イブライン協商国とダンジョンの動向を監視せよ。なお、砦に駐留する兵員は五〇〇〇名増加させ、一万名とする』
それがアルバレスを通じて伝えられたアルガムへの恩賞だった。これがスタンピードに対処した彼の手腕を見込んでのことなのか、それとも首尾よくダンジョンを奪取できなかったことへの不満の表れなのか、判断は難しい。
いずれにしても彼は、望み通り出世することはできたものの、王都へ帰還することはできなかったのである。なお、正式な辞令と勲章の授与は、後処理が終わった後に王都で行われることになる。
「さて、ではそろそろ行こうか」
一行に対し、アルバレスは馬上からそう声をかけた。驚いたことに彼は馬車を使わず、王都フォルメトからここまで自ら馬を駆って来たのだという。護衛もたった五十騎で、第二王子のそれとしては極端に少ないと言っていい。
『あまり仰々しいのは好まん』
というのがアルバレスの言い分で、その点についてはルドガーやジノーファも彼に好意を持っていた。あるいはそういう気性であるために、彼が今回の勅使に選ばれたのかもしれない。
閑話休題。そのようなわけで、一行は全員が騎乗していた。当然、その足は速い。それで彼らはヘングー砦から王都フォルメトまでを、わずか四日で駆け抜けた。
いや、「わずか四日」という表現には少々語弊がある。この数字は、歩いて移動した場合と比べれば確かに早いが、しかし本気で行軍を行えばさらに一日から二日程度縮める余地があった。
それをしなかったのは、王族のアルバレスや賓客として招いたルドガーらに、野宿をさせるわけにはいかなかったからだ。一日ごとに宿を取ったため、一日中目一杯移動するということが少なかったのである。特に三日目などはお昼過ぎにはもう宿に入ってしまい、結局半日ほどしか移動しなかった。
「今からではどれだけ急いでも、王都へ到着するのは夜遅くになってしまいますから」
アルバレスの護衛の一人がそう説明する。当然門は閉じているし、暗がりの中を移動するのは危険が多い。それで明日の夜明けを待ってから、王都フォルメトを目指すことになった。
三日目に彼らが宿を取った街はメルストという。王都に近いこともあって、要衝として栄えている街だ。アルバレスやルドガーは、この街を治める領主の屋敷に泊まることになっている。今ごろは歓待されているに違いない。
ただ、護衛を含めて百名近い者たちが、全員この屋敷に泊まるわけではない。むしろ大半は一般の宿に泊まる。ジノーファもそちらに紛れ込んだのだが、宿を取ってから日暮れまではまだ十分に時間があったので、彼はシェリーを連れて街へ繰り出してみることにした。
「ユスフも一緒にどう?」
「いえ、わたしは遠慮しておきます」
ジノーファはユスフも誘ったのだが、彼はそう言って誘いを断った。気を利かせてくれたのかもしれない。ジノーファが一人で留守番をさせて置くのも悪いと思っていると、周りにいた護衛役の兵士たちがその話を聞きつけたらしく、近づいて来てユスフの首に腕を回す。彼らとはここ数日の移動中に仲良くなったのだが、彼らはニヤニヤしながらユスフを強引に誘ってこう言った。
「なんだ、ユスフ。一人で留守番か? 健気だねぇ」
「ちょっと付き合えよ。俺たちがイイトコロに連れて行ってやるぜ」
「というわけでジノーファ様、ちょっとコイツお借りしますね~」
「え、わ、ちょ……!」
驚いた様子のユスフを半ば引きずるようにしながら、兵士たちはウキウキとした様子で宿を出て行く。ユスフも本気で嫌がっている様子ではないので、ジノーファは手を振って彼らを見送った。
それにしても彼らのいう「イイトコロ」とは一体どこなのだろうか。彼らもこのメルストの街は初めてのはずなのだが。もしかしたら同じく護衛のランヴィーア兵から、何か情報を仕入れていたのかもしれない。
「わたしたちも行こうか」
「はい、ジノーファ様」
ジノーファが声をかけると、シェリーは満面の笑みを浮かべてそう応えた。二人の外出には、一応目的がある。ラヴィーネ用の首輪やリードなどを、ここで買い揃えておこうと思ったのだ。
ちなみに当のラヴィーネはお留守番で、宿の馬小屋の端に繋いである。ジノーファは寂しくないかと少し心配していたのだが、当人(狼?)はケロリとした様子であくびをしていた。
「あ、シェリー。あそこで肉を焼いているよ。何の肉だろう?」
「この辺りですと、たぶん羊の肉ですわ。おいしそうですね」
シェリーもそう言うので、ジノーファは屋台で串焼きを二本購入した。その際、肉について聞いてみると、やはり羊の肉らしい。かぶりついてみると少し固いが、十分に美味しい肉だった。
その後も、二人はあっちへふらふら、こっちへふらふらしながら、メルストの街を見て回った。露店を冷やかし、大道芸人に小銭を投げてやる。要するに、ただのデートだ。ユスフが遠慮したくなるのも無理はないだろう。
とはいえ、当初の目的を忘れたわけではない。飲み物を買った際に、露店の店主から目的の品を扱っている店について聞き、さっそくそこへ向かうことにした。寄り道ばかりしていて、肝心の買い物の時間がなくなっては、さすがにちょっと間抜けだろう。
「ここかな」
紹介された店を見上げて、ジノーファはそう呟いた。彼のことを「いい所のお坊ちゃん」とでも思ったのか、露天の店主が教えてくれた雑貨屋は上品な佇まいでシックな雰囲気だった。窓から店内を覗き込むと、中は広々としていて、お茶を飲む休憩スペースまである。立地もそうだが、明らかに上流階級向けの店だ。
ジノーファが扉を開けると、ベルが鳴って客の来店を告げた。すぐに女性の店員がやって来て二人を案内する。「何をお探しでしょうか?」と尋ねる彼女に、ジノーファは所望の品を告げた。
「少々お待ちください」
休憩スペースでジノーファとシェリーに席を勧めてから、女性店員はそう言って店の奥へ向かった。彼女と入れ替わりに別の女性店員が二人にお茶を運んでくる。手馴れているというよりは、教育が行き届いているのだろう。いい店だった。
「お待たせいたしました」
最初の女性店員がそう言って戻ってきた。手には大きなトレイを持っていて、その上に幾つかの商品が乗っている。彼女がまず持ってきたのは、色とりどりの首輪だった。全て革製で、美しい光沢を誇っている。彼女はそれを二人の前に並べた。
「こちらなどいかがでしょうか?」
女性店員がまず勧めたのは、シンプルなデザインの首輪だった。ベルトタイプで、色は黒。ジノーファは気に入ったが、しかしラヴィーネの真っ白な毛並みに合わせるには、もっと鮮やかな色の方がいいような気がする。それで彼は店員が並べてくれた内の一つを手に取り、シェリーにこう尋ねた。
「これなんかどうだろう?」
ジノーファが選んだのは、澄んだ空色の首輪だった。一方でシェリーは「ラヴィーネにはこちらの方が似合うと思いますわ」と言って紅色の首輪を提案する。最終的に選んだ鮮やかな紫色の首輪は、決して折衷案というわけではない。
首輪を選んでから、ジノーファはリードも選んだ。こちらはあまり派手な色にはせず、オーソドックスにこげ茶色のものを選ぶ。さらに女性店員に勧められて、ブラッシング用のブラシも購入した。
「それにしても、いい革を使っているなぁ」
選んだ首輪を眺めながら、ジノーファは感心したようにそう呟いた。するとそれが聞こえたのか、女性店員が嬉しそうにこう応じる。
「この辺りの革製品は、品質がいい事で有名なんです」
どうぞ他の品もご覧になってみてください、と店員に勧められ二人は店内を見て回った。ちょうど目に入った手袋を手にとって見ると、「品質がいい」と豪語するだけあって、滑らかな手触りだ。実際にはめてみると、具合もいい。
「いいね。手袋も貰おうかな」
「ありがとうございます」
嬉しそうにそう言う女性店員に小さく頷いてから、ジノーファはシェリーに視線を向ける。そして彼女にこう尋ねた。
「シェリーは、どれがいい?」
「いえ、わたしは……」
「ユスフの分も買うつもりだし、屋敷のみんなの分も買って、お土産にしようかと思うんだ。だから、遠慮しないで欲しい」
ジノーファがそう言うと、シェリーは少し困ったように苦笑を浮かべ、それから真剣な表情で手袋を選び始めた。それから二人で使用人たちの分を選ぶ。全部で八組の手袋を購入し、さらにラヴィーネ用の分と合わせると、支払いは金貨で二枚程度になった。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
対応してくれた女性店員に見送られ、二人は雑貨店を後にした。二人はそのまま寄り道することなく宿へ帰る。そして部屋に一旦戻って荷物を置いてから、宿の裏手にある馬小屋へ向かった。
「ワンッ、ワンッ」
ジノーファとシェリーが姿を見せると、ラヴィーネは跳ね回って喜んだ。そんなラヴィーネに、ジノーファは早速、買ったばかりの首輪をつけてやる。それからブラッシングをしてやると、ラヴィーネはうっとりとした目になり、引っくり返ってお腹を見せた。
「まあ、ラヴィーネったら」
そんなラヴィーネの様子に、ジノーファとシェリーは揃って小さく笑う。ささやかだが、穏やかで幸せな時間だった。
シェリーの一言報告書「久しぶりのデート」
ダンダリオン「デートと言い切ったな」




