敵地潜入1
ロストク軍がダンジョンの攻略を開始してから、およそ二週間が経過した。相変わらずランヴィーア軍とイブライン軍は小競り合いを繰り返している。だが布陣した場所の位置関係もあって、ロストク軍がそれに巻き込まれることはなく、彼らは粛々と攻略を進めていた。
その中にはもちろん、ジノーファの姿もある。彼はダンダリオンの客将という立場で、そのため誰かから命令されると言うことはない。一応ルドガーには命令権があるのだが、彼がジノーファに何かを頼むときは全て丁寧な「要請」であり、しかもその回数もさほど多くはない。どうやらあまり頼ってはならないと思っているらしく、それでジノーファはずいぶんと自由に動き回っていた。
とはいえそれは、決して好き勝手していると言う意味ではない。むしろ彼は真面目に、そして精力的にロストク軍の派兵目的を遂行していた。すなわち再びのスタンピードを未然に防ぐための、ダンジョン攻略である。
ダンジョンの中では、ジノーファたちは荷物の類を、全てシャドーホールに収納している。そのおかげで彼らはたいへん身軽であり、そのため普通なら敬遠されがちなルートでも難無く進むことができた。
ただ逆を言えば、それは司令部の意図していない場所を攻略しているという意味でもある。そういう意味で自由に動き回っているのだ。そしてそれができるのは、前述したとおり司令官たるルドガーが積極的に黙認しているおかげだった。
とはいえ、競合他者がいない場所で攻略を行っているのだから、こちらのほうが効率はいい。攻略全体のことを考えてもプラスになるのは自明であり、だからこそ積極的黙認が容認されているのだ。もしマイナスになるのなら、さすがに苦言の一つや二つはあっただろう。
それに、司令部の中にはジノーファの気分を損ねたくないと言う空気もあった。それは彼がダンダリオンに気に入られているから、というわけではない。彼が肉を、ドロップ肉を食わせてくれるからだ。
戦場の食糧事情とは、えてして良くないものだ。つまり陣中で食べる食事はお世辞にも美味しいとはいえない。これがロストク帝国国内であればもう少しマシになるのだが、ここは他国だし、しかも補給はランヴィーア軍に頼っている。文句は言えない。
そんな中でジノーファがいつぞやと同じく、ドロップ肉を提供してくれたのだ。彼が帝都で暮らすようになっておよそ一年。ダンジョン攻略に勤しんでため込んだ、大量のドロップ肉である。
『このまま保管していても増えるだけなので、皆さんでどうぞ』
そう言ってジノーファはドロップ肉を提供してくれた。しかも一度ならず、これまでに三度も。どれだけ溜め込んでいたのだと呆れもしたが、しかし肉を食えて嬉しくないはずがない。それは末端の兵たちに至るまで同じだ。いや、むしろ彼らの方がその思いは強いかもしれない。ともかくジノーファは期せずして、ロストク軍将兵の心と胃袋を鷲掴みにしていたのである。肉の力は偉大だった。
さらに、今はダンジョン攻略の真っ最中でもある。そして攻略を行えば新たなドロップ肉が手に入る。また十分な量が溜まれば提供するとジノーファは約束していて、ロストク軍の将兵たちはその時を楽しみにしていた。
『ジノーファ殿には、ぜひとも攻略を頑張っていただきたいですな!』
厳つい顔をした参謀でさえ、そう言って相好を崩す。率直過ぎるその物言いに、ルドガーは苦笑していたが、しかし彼とて内心では同じ事を思っている。これこそが積極的黙認の真意、というのは少々短絡的過ぎるか。いずれにしても、ジノーファの行動を掣肘しようとする者は一人もいなかった。
それをいいことに、と言うわけではないが、ジノーファは前述どおり比較的自由に攻略を進めていた。そしてジノーファのその行動が、膠着した状況に新たな局面をもたらすことになる。
少し話は逸れるが、ここで彼らが行っている攻略は、帝都での攻略とは少し方針がことなる。ここでは中層は目指さず、上層の攻略範囲を広げることに主眼が置かれていた。スタンピードを起こしたダンジョンを鎮めるためには、エリアボスの討伐が有効であると知られているからだ。
ただ、中層へ行けばエリアボスも強力になるので、比較的討伐が容易な上層のエリアボスを狙うのがセオリーだった。攻略範囲を広げるのは、それだけ多くのエリアボスを見つけるためである。
ジノーファもまた全体の方針に従い、上層のエリアボスに狙いを定めていた。もっとも、実際に見つけられるかは別問題だ。これまでにジノーファたちが見つけた、エリアボスが出現する大広間は二つ。倒したエリアボスは合計で七体。彼としては、少し不満を覚える内容だった。
『たった三人で、二週間に七体のエリアボスですよ? 全体で考えても、類稀な戦果ですわ』
シェリーはそう言って、呆れた顔をしながらジノーファを窘めた。実際、この二週間で三体以上のエリアボスを討伐したパーティーは、彼ら以外には皆無だ。単純に数字を見比べるだけも、ジノーファたちの戦果は際立っている。
また彼らが見つけた大広間は、他の者たちが近づかない場所にある。彼らが攻略しなければ手付かずのままだったろう。攻略全体の進捗の上でも、彼らの働きは大きいといえた。
それでもジノーファが不満を覚えるのは、前回のダンダリオンやルドガーらと行った攻略と比較しているからだ。ただ、あの時は状況が違う。あの時はエリアボスの討伐を専門に行っていたのだから、討伐数が増えるのは当然である。
今回は探索も行っているから、同じように考えることはできない。シェリーにそう諭され、ジノーファはようやく納得したのだった。
ちなみに魔獣についてだが、ジノーファたちはあのイノシシ以来、魔獣には遭遇していない。他の場所では遭遇したり、あるいは糞や足跡などの痕跡を発見したりしているようだが、その報告数は決して多くはなかった。
また実際に遭遇したとしても、通常のモンスターと同じように討伐が可能だ。今のところ、手に負えないような魔獣は見つかっておらず、油断はしないものの一時ほどは警戒しなくなっていた。
閑話休題。その日もまた、ジノーファはダンジョン攻略を行っていた。いつも通り上層で、それも他に人が近づかないような場所だ。モンスターを倒しながら細い通路を進むと、奥のほうから戦闘の喧騒が聞こえてきた。
「だれか戦っているのだろうか?」
「そうですね……。なかなか激しい戦いのようです。もしかしたら、エリアボスと戦っているのかもしれません」
耳を澄ましながら、シェリーはそう答えた。それを聞いてジノーファは一つ頷く。彼が狙っているのは、他に人が近づかない場所で出現するエリアボス。先客がいるなら、割って入ろうとは思わないし、そこは候補から外れる。
ただ、もしかしたら苦戦しているかもしれず、それを見捨てるのも目覚めが悪い。それで一応様子を見ておこうと思い、ジノーファはシェリーとユスフに合図して音の聞こえてくる方へ向かった。
三人は足早に通路のさらに奥へ進む。すると、すぐに開けた場所へと繋がった。戦闘の音も大きく、そして激しくなっている。やはりこの先が、エリアボスの出現した大広間で間違いないだろう。戦っている者たちの気を散らさないよう、ジノーファはそっと大広間の様子を窺った。
「これは……」
「ジノーファ様?」
少し驚いた様子を見せるジノーファに、シェリーが訝しげに声をかけた。そんな彼女にジノーファは直接答えることはせず、手招きして自分と同じように大広間の様子を窺わせる。ユスフもやって来て大広間を覗き込んだので、少し狭くなってしまったのはご愛嬌だ。
細い通路の出口は大広間の高さが二メートルほどの場所に繋がっていて、一段高くなったその場所からは大広間の様子がよく見える。そこから三人が揃って大広間を覗き込む。シェリーとユスフが小さく息を飲むのが、ジノーファにも聞こえた。
大広間では、思ったとおりエリアボスとの戦闘が行われていた。エリアボスは巨大なスケルトンで、心臓部に納まった大きな魔石が怪しく光っている。何体か取り巻きのスケルトンがいるが、次から次へと出現してくることはないので、キングではないらしい。スケルトン・ジェネラルだ。
そしてスケルトン・ジェネラルに挑んでいるのは、全部で六人のパーティーだった。いわゆる前衛が五人。残りの一人が杖を持っているので、メイジかヒーラーだと思われる。彼らの連携は見事なもので、スケルトン・ジェネラルを封じつつ、まずは着実に取り巻きを減らしていく。なかなかの手練れのようだ。
ただジノーファたちが注目していたのは、彼らの戦いぶりではなかった。彼らが注目して小さくではあるが驚いていたこと、それは彼らの装備だ。彼らの装備はバラバラで、統一されていない。それぞれが自前で用意したようもののように見えた。
「傭兵、でしょうか……? 少なくとも正規兵ではないようですが……」
怪訝そうな顔をしながら、ユスフが小声でそう呟く。彼の言うとおり、スケルトン・ジェネラルと戦っている六人は正規兵には見えなかった。装備が統一されていないと言うのもあるが、彼らの雰囲気それ自体が訓練された正規兵のようではなく、むしろアウトローのように感じられたのだ。
「うん、そうだろうと思う。だとすると、ランヴィーア軍かな……?」
ジノーファは一つ頷いてそう答えた。今回、ロストク軍は傭兵を連れて来ていない。となると、可能性があるのはランヴィーア軍か。彼らのダンジョン攻略は、イブライン軍との対陣のために停滞している。そのテコ入れのために傭兵を雇うというのは、十分にありえる話だ。
そして、違う出入り口からダンジョンの中に入った者同士が、中で鉢合わせすると言うのも、決してなくはない。なにより現在、ロストク軍のほかにこのダンジョンを攻略しているのはランヴィーア軍のみ。だからジノーファは彼らがランヴィーア軍の関係者だと考えたのだ。しかしシェリーが小さく首を振ってそれを否定する。
「いえ、ランヴィーア軍が傭兵を雇ったと言う話は聞いておりません。彼らは恐らく、イブライン軍に雇われた傭兵たちでしょう」
どうやらシェリーは攻略の傍ら、ランヴィーア軍の事情についても、情報収集を行っていたらしい。ジノーファはこの専属メイドの働きに感心した。
イブライン軍が傭兵をよく使う、と言う話はジノーファも聞いたことがあった。それに前述したとおり、イブライン軍はランヴィーア軍と対陣して睨み合っている。つまりダンジョンの近くにいるわけで、可能性が皆無と言うわけではない。実際、彼らがランヴィーア軍の関係者でないとしたら、残る候補はイブライン軍だけだ。
ただ、もし彼らが本当にイブライン軍に雇われた傭兵だとしたら、事態は少々面倒なことになる。イブライン軍もまた、最低一つはダンジョンの出入り口を、確保していることになるからだ。すでに権益に食い込んできているわけで、ここが国内であることも含めれば、彼らはこのダンジョンの確保をそう簡単には諦めないだろう。
「引き返して、ルドガー将軍に報告しますか?」
「……いや、もう少し様子を見よう」
ジノーファはユスフにそう答えた。幸いスケルトン・ジェネラルはもとより、六人の傭兵たちにも、ジノーファたちのことが気付かれた様子はない。それぞれ、お互いを倒すことに集中している。それで、もう少し情報が得られないかと思ったのだ。
「分かりました。じゃあ、僕は後ろを警戒しています」
「うん、任せた。ユスフ」
そう言ってユスフに後方の警戒を任せると、ジノーファとシェリーは眼下で行われる戦闘に注意を集中した。すでに取り巻きのスケルトンは全滅していて、これからいよいよエリアボスであるスケルトン・ジェネラルに取り掛かろうというところだ。
「……ったく、骨のくせしてよく動く! さっさとその心臓をよこしやがれ!」
スケルトン・ジェネラルの振り下ろした剣を両手で構えたバスターソードで弾きながら、無精髭を生やした男がそう叫ぶ。防戦一方だが、彼に焦った様子はない。実際、彼はスケルトン・ジェネラルの攻撃を全て防いでいた。
「それにしても、ようやくエリアボスにありつけて良かったっスね!」
喜色もあらわにそう言ったのは、頭にバンダナを巻いた男だった。彼は左手にダガーを構えているが、それを使うつもりはないらしい。姿勢を低くしてスケルトン・ジェネラルの側面や背後に回り込み、手ごろな石を拾っては投げつけている。どうやらそうやって牽制に徹するつもりらしい。
「まったくだぜ! せっかくメイジを呼びよせたってのに、肝心のエリアボスが出てきやしねぇ!」
「こっちの出入り口はハズレかとも思ったが、ようやく俺たちにも運が向いてきたな!」
バンダナを巻いた男の言葉に反応して、仲間たちが次々に声を上げる。軽口をたたきあっているが、それでも彼らの動きに乱れはない。それどころか良くなっているようにすら見えて、ジノーファには少し新鮮に思えた。
まあそれはそれとして。傭兵たちの雑談に、ジノーファとシェリーは注意深く耳を傾ける。彼らはまず「メイジを呼びよせた」と言っていた。メイジが必要になるのは、戦争ではなく、ダンジョン攻略に限られる。つまり当初彼らは、そして彼らの雇用主も、ダンジョンの攻略を想定していなかったのだ。
さらに「こっちの出入り口はハズレかとも思った」とも言っていた。ということは、二つ以上出入り口を確保していると思われる。ただ、「ようやくエリアボスにありつけた」とも言っていた。確保している出入り口の数は、傭兵全体の数と比べて十分とは言えないのだろう。
ジノーファとシェリーが密かに見守る中、傭兵たちは徐々にスケルトン・ジェネラルを追い詰めていく。その間中、彼らは色々と喋っていた。騒がしくもあるそのスタイルに、シェリーなどは少々眉をひそめている。ただ、こうして彼らが良く喋ってくれているおかげで、いろいろと情報を得られているのも事実だった。
「……にしても、今回の仕事はアタリだな!」
「ああ。何もしないでランヴィーア軍と睨み合ってるのは暇で死にそうだったが、こうしてダンジョン攻略もできるってんだから、さらに稼げて、悪い話じゃない!」
「あとは、女でも用意してくんねぇかなぁ……」
「お前、セシリアちゃんはいいのかよ?」
「バッカ、それはそれ、これはこれだよ!」
「女を買うならもう少し稼がないとだぞ? もともとの契約金に手を付けたら、団長に殺されっちまう!」
「了解でさあ! ならさっさとこの骨を倒しっちまいましょうぜ!」
傭兵たちが「おお!」と声を上げる。その少々下品な士気の上げ方が気に食わなかったのか、シェリーは顔をしかめていた。それを見てジノーファは苦笑する。ただ彼も男だし、傭兵たちも気持ちは分からないでもなかった。彼自身、ここ最近はごぶさたであるし。
それはともかく、彼らは「ランヴィーア軍と睨み合って」いたと言っていた。現在、ランヴィーア軍と睨み合っているのはイブライン軍だけだ。「仕事」や「契約金」という言葉も使っていたし、やはり彼らはイブライン軍に雇われた傭兵なのだろう。
「……魔法の準備が完了したぞ。射線をあけろ!」
力を練っていたメイジが、後方からそう声を上げる。すると他の五人はすぐに飛び退いて、言われたとおり射線をあけた。そして次の瞬間、メイジが魔法を放つ。
「エア・ブラスター!」
それは強烈な突風だった。魔力を混ぜた風の塊を、そのまま敵にぶつけたのである。妖精眼を使っていたジノーファには、その様子がはっきりと見えた。そしてその風の塊はスケルトン・ジェネラルを吹き飛ばし、そのまま壁に叩き付けた。
「ガァアアアアアア!?」
スケルトン・ジェネラルが絶叫する。かなりの衝撃だったようで、壁と、そしてスケルトン・ジェネラルの骨にもヒビが入っている。そして動きの鈍ったスケルトン・ジェネラルに傭兵たちが殺到した。この調子なら、すぐにカタがつくだろう。
「……撤退いたしますか?」
シェリーがジノーファにそう尋ねる。ジノーファは少し考え込み、そして首を横に振った。彼らが持ち帰った情報を、ルドガーは信じてくれるだろう。しかしルドガーから報告された事柄を、アルガムが信じてくれるとは限らない。何かしらの証拠を持ち帰りたかった。
「彼らと接触してみよう。彼らに、イブライン軍の陣地まで案内してもらうんだ」
ジノーファはそう決めた。そして傭兵たちに疑われないための設定を手早く考える。そうこうしている内に、彼らがスケルトン・ジェネラルを討伐したらしく、大きな歓声が聞こえてきた。
「臨機応変にやって欲しい。それじゃあ、作戦開始だ」
こうしてジノーファの大胆な作戦が始まった。
シェリーの一言報告書「情報収集もメイドの嗜み」
ダンダリオン「役に立てよ」




