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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
番外編 メフライル物語

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長男2


 アースルガム方面軍はシンドルグ城から南下してジャムシェド平原を目指した。その際、迂回ルートを選んだアースルガム方面軍は、思惑通りマドハヴァディティア軍に気取られることなくその背後へ近づいた。彼らは今、南下を妨げるクリシュナ軍への攻撃に夢中になっている。


 しかも都合の良いことに、彼らの目と鼻の先に兵糧等の物資が山積みされている。どうやらマドハヴァディティアは彼らが迂回してくるとは思っていなかったようだ。


 ただし、全てが思った通りになったわけではない。アースルガム方面軍がジャムシェド平原に到着したとき、そこにイスパルタ西征軍本隊の姿はなかったのである。そのことを確認してベルノルトは盛大に顔をしかめた。


「……っ、攻撃開始!」


 しかしベルノルトは麾下の軍に攻撃を命じた。この期に及んで行動を遅らせても、それは害悪にしかならない。彼はそのことを弁えていた。そしてその判断は正しかったと言える。アースルガム方面軍が行動を開始してすぐ、一隊が敵物資の奪取に成功したのだ。これによりマドハヴァディティア軍の戦闘継続能力は失われたと言って良い。


「勝ったな」


「はい」


 ベルノルトとメフライルはそう言葉を交わした。仮に敵が物資を奪還しようとしても、味方が火をかけて始末する方が早い。そもそもそれ以前の問題として、敵軍は挟撃されているのだ。将兵の心は折れるだろう。


 いかにマドハヴァディティアといえども、ここから戦況をひっくり返すことはできない。ベルノルトとメフライルはそう思ったのだが、しかし二人が思うほど彼の諦めは良くなかった。二人の目の前でマドハヴァディティア軍が猛然と、ともすれば狂ったかのように、クリシュナ軍への攻勢を強めたのだ。


「……動くぞ」


 思わしくない戦況に眉をひそめ、ベルノルトは自身が率いる予備戦力の投入を決めた。ここで動かなければ、マドハヴァディティアを逃がしてしまう。そうなればこの戦争はまたずるずると長引くことになりかねない。


「マドハヴァディティアの、首を、獲れっ!」


 ベルノルトはそう叫んで兵を敵軍へ突撃させる。兵たちの士気は高く、また背後からの攻撃ということもあって、彼らは敵陣を切り裂くようにして突き進んだ。そしてついにマドハヴァディティアの姿を捉える。


「マドハヴァディティアァァァァアアアア!」


「小僧! お前か!」


 ベルノルトの姿を見たマドハヴァディティアは、そう言って楽しげに破顔した。二人は槍をぶつけ合い、唾がかかるほどの距離で叫び合ったが、結局決着は付かずマドハヴァディティアはその場を離脱した。


「小僧! 生き延びたならばな、せいぜい精進するが良いぞ! ふはははははははは!」


 捨て台詞を残し、マドハヴァディティアが遠ざかる。その背中をベルノルトは苦々しげに見送った。全体の趨勢はともかく、彼個人としては軽くあしらわれてしまった格好だ。今にも飛び出しそうな彼のもとへ、メフライルが慌てて駆けつける。


「殿下!」


 メフライルとしては、内心冷や汗ものである。戦場に立つ以上、完全な安全など望むべくもない。それは彼も分かっている。だがそれでも。敵大将との一騎打ちなどしないで欲しかった。


 幸いにして、ベルノルトは遮二無二にマドハヴァディティアを追ったりはしなかった。味方が追いつくのを待ち、それから改めて突撃を命じる。だが彼が再びマドハヴァディティアを捉えることはなかった。マドハヴァディティア軍はクリシュナ軍の防衛陣地を突破し、そのまま南へ逃げ去ってしまったのである。


「くそっ!」


 意気軒昂に南へ去るマドハヴァディティア軍の背中を、ベルノルトは悔しげに悪態をついて見送った。客観的に見てアースルガム方面軍は勝利を得たと言って良い。だが彼はとてもではないが勝利を喜ぶ気にはなれなかった。


 だがそのマドハヴァディティアも無事に逃げ切ることができたわけではなかった。クリシュナ軍を踏み潰し、アースルガム方面軍の手を逃れたマドハヴァディティア軍は、しかしイスパルタ西征軍本隊によって止めをさされたのである。


「兄上!」


「王太子殿下。武運長久をお喜び申し上げます」


 そしてアルアシャンとベルノルトはジャムシェド平原で再会を果たした。ただマドハヴァディティア軍は壊滅したとはいえ、マドハヴァディティア自身は遁走を成功させている。それで二人は再会を喜ぶのもそこそこにすぐに軍議を開く。そして軍議の結果、アルアシャンは本隊を率いてガーバードへ向かい、ベルノルトはアースルガム方面軍を率いてこの場に残り戦後処理を行うことになった。


「本当はガーバードの攻略に加わりたかったのではありませんか?」


「まあ、そっちの方が楽しそうではあるな」


 ガーバードへ向かって出陣するイスパルタ西征軍本隊を見送りながら、メフライルとベルノルトはそう言葉を交わした。いよいよ敵の本拠地を落として戦争を終わらせようというのだ。しかも敵主力はすでに撃破していて、勝利はほぼ確定している。選べるのであれば、面倒な戦後処理よりもガーバードの攻略に加わりたいというのが人情だろう。


 ただだからこそ、表舞台の派手な活躍はアルアシャンに任せ、ベルノルトは裏方に徹しようと思っていた。そうやって分かりやすい功績を残せば、王太子としての彼の地位は盤石になるだろう。そしてベルノルトが第一王子であり続けるべき理由も小さくなる。


(潮時、か)


 ベルノルトは胸中でそう呟いた。もちろん戦争が終わってすぐに臣籍に下る、というわけにはいかないだろう。何よりアースルガム関連では色々と無茶をした。その後始末のためには方々を走り回る必要があるだろうし、その際には「第一王子」の肩書きがあったほうが何かと便利だ。


 ただこの時、ベルノルトの中で「王家を出る」という選択肢が極めて現実的なものになった。もともと将来的にはそうなるだろうと思ってはいた。だがあやふやだったそれは、今はっきりと彼の将来の予定に書き込まれたのである。


 それからベルノルトは大量の捕虜を統率しながら、戦後処理に奔走した。ジャムシェド平原以北でアースルガム以南の地域は、マドハヴァディティア軍によって蹂躙され荒廃している。しかもまだマドハヴァディティア軍の残党がいるのだ。成すべき事は文字通り山のようにあった。


 しかも拠点として選んだシンドルグ城が、マドハヴァディティアに焼かれたせいで、妙に使い勝手が悪い。そのせいでやりにくさを覚えつつも、ベルノルトは問題を処理しつつ方々へ指示を出し続けた。


「捕虜を戦力化できたのは大きいですね。殿下の名演説のおかげです」


「茶化すな」


 ベルノルトはそう言って、恥ずかしそうに顔をしかめた。アースルガム方面軍に大量の捕虜を抱えながら戦後処理をする力はない。それでベルノルトは捕虜たちを味方に引き込むことを画策したのだが、その際に行ったのがメフライルの言う「名演説」だった。とはいえベルノルト自身はアレが洗練された演説だとは思っていないし、むしろ二度とやりたくないというのが本音である。


 ただその一方で、演説をしただけの成果はあった。捕虜を管理する手間がなくなり、逆に使える人手が増えたのだ。そのおかげで復興を含む戦後処理は、当初の想定を上回るスピードで進んでいた。


 ただしそのためにベルノルトの仕事量が増えているという側面もあるのだが。まあ、人手が足りなければ足りないで彼の仕事は増えていたはずで、それと比べれば現状が相当前向きであることは間違いない。


「とはいえこの仕事、いつになったら終わるのかね……?」


「本当に、いつになったら帰れるんでしょうね……?」


 終わりの見えない仕事に、ベルノルトとメフライルは揃って嘆息する。これは年単位の時間が必要になるのではないか。二人は半ばそう諦めていたのだが、彼らが思うよりずっと早く、ベルノルトとメフライルはそれらの仕事から解放された。ガーバードに来るよう、アルアシャンから呼び出されたのである。


「ベル、久しぶりね!」


「ああ、久しぶりだな、サラ」


 ベルノルトはシンドルグ城でサラと合流したのだが、その際彼女は全身に充実感を溢れさせていた。表情も明るく、笑顔ははじけんばかりだ。それを見てベルノルトは内心で感慨深く感じた。


 クルシェヒルにいた頃、サラの表情は曇りがちだった。ヴァンガルを脱出して山守衆の里にたどり着いた後も、彼女の心の少なくとも一部は、ずっと張り詰めた状態が続いていた。けれども今はそれがなくなっている。


 もちろん全ての問題が解決したわけではない。それどころか新たに生まれた問題もあるだろう。だがそれでも。サラは本懐を遂げたのだ。ベルノルトはそれが自分のことのように嬉しかった。


 さて、二人は揃ってガーバードへ向かった。そしてアルアシャンと諸々を話し合う。そこまでは良かったのだが、最後に話は(ベルノルトにとって)思ってもみなかった展開を迎える。なんと父王ジノーファから召喚令状が出ているという。あっという間に逃げ道を塞がれ、ベルノルトはヴァンガルへ強制連行されることになったのである。


「召喚令状……! 王子としては、イスパルタ史上初めてじゃないんですか?」


「当たり前だ!」


 肩をふるわせ笑いを堪えきれていないメフライルの尻を、ベルノルトは腹たち紛れに蹴り飛ばす。イスパルタ朝は建国されてからまだ二十年も経っておらず、王家の子供としてはベルノルトらが第一世代だ。召喚令状を出されるのが初めてで当然である。アンタルヤ王国時代からカウントしてどうだとか、第二例目がいつになるのかなどは、この際考えないことにする。


「とりあえず土産だ。土産ぐらいは買わせてくれ!」


「殿下……。物見遊山に来たんじゃないんですから……」


「エマの分だよ!」


 メフライルが慇懃にたしなめると、ベルノルトは噛みつくようにそう答えた。それを聞いてメフライルは、そして護衛兼監視を任されたアッバスとシェマルも、やや遠い目をして「あ~」と声をもらす。事情を知っている彼らとすると、その名前を出されると頭ごなしに「ダメ」とは言い辛いのだ。


 それで結局、スケジュールに支障の出ない範囲で何とか時間を捻出し、ベルノルトは土産を買うことができた。買ったのは絹のストールで、この地方の伝統的な紋様が織り込まれている。異国情緒が感じられ、さらに普段使いもできるだろうということで、このチョイスとなった。


 エマへの土産を買うと、ベルノルトらは慌ただしくガーバードを出立した。向かうのは南にある貿易港で、彼らはそこで船に乗り、海路で旧ルルグンス法国の貿易港ヘラベートを目指した。ヘラベートに到着すると、そこにはすでに迎えの部隊が寄越されており、彼らはそのままヴァンガルへと向かった。そしてジノーファとの再会を果たすのだった。


 ジノーファから説教をくらった後、ベルノルトらは再び海路で東へ向かった。今度の目的地はクルシェヒルである。クルシェヒルの王宮に到着すると、ベルノルトはすぐさまシェリーに捕獲された。エマが彼女のシンパになっていたのは、予想通りと言って良い。


 再び強制連行されるベルノルトを笑顔で見送り、メフライルは近衛軍の隊舎へ向かった。彼の部屋はあの日、ヴァンガルへ向けて出発した日のままで、机の上には埃が積もっている。彼は苦笑を浮かべると、まずは窓を開けて部屋の掃除から始めることにした。


 部屋を掃除しながらメフライルがつらつらと考えるのは家族のことだ。叔父、母、妹、そして弟。家を飛び出してから今までずっと、自分はもうエヴェレン子爵家とは縁の切れた人間だと思っていた。しかしいい加減認めなければならない。向こうはそうは思っていないのだ、と。そしてそのことを認めてしまったとき、彼はこそばゆくって仕方がなかった。


 この日、掃除を終えた後、メフライルはペンを取って手紙を書いた。妹に宛てた手紙、ではない。エヴェレン子爵家の叔父と母に宛てた手紙である。彼が二人に手紙を書くのはこれが初めてだ。彼はその手紙の中でまずこれまで非礼を詫びた。


『……妹からの手紙の中で、私がまだ子爵家の世子であることは聞き及んでいます。こちらが落ち着いたら一度父上の墓参りをしようと思っています。家督のことはその時に話し合わせて下さい。ただ、私がベルノルト殿下のお側でお仕えしたいと思っていることは、ここに書き記しておきたいと思います。……』


 メフライルは上のように実家に書き送った。ただベルノルトの周囲はしばらく落ち着かなかった。アースルガム関連のあれこれを、彼が中心となって定めなければならなかったからだ。それでメフライルも彼と一緒に忙しく動き回らなければならなかった。


 諸般のあれこれが一段落したとき、ベルノルトとサラの婚約が発表された。将来的にベルノルトはサラの共同支配者としてアースルガムを治めることになる。それはつまり彼がイスパルタ朝を離れることを意味していた。


「ライル。その……」


「当然、ご一緒させていただきます」


 ベルノルトが言葉を言い終える前に、メフライルはハッキリとそう答えた。それを聞いてベルノルトは最初に驚き、それから嬉しそうにはにかんだ。それでも彼はさらにこう尋ねる。


「本当にそれで良いのか? アースルガムは一州と少ししかない。経済的にもそんなに豊かな国ではないし、ハッキリ言ってエヴェレン子爵家より劣るぞ」


「些末なことです」


 メフライルが短くそう答えると、ベルノルトは苦笑を浮かべた。そして「じゃあ、今後ともよろしく」と言って右手を差し出す。メフライルはその手を硬く握り返した。


 ちなみに二人の結婚式はクルシェヒルで挙げられた。その際、ベルノルトの結納の品が公表されたのだが、その内容は人々の度肝を抜いた。なんとジノーファは彼に西方三〇州を与えたのである。その中には何とガーバードとその南の貿易港まで含まれていた。


 結納の品が公表されると、ベルノルトを見る人々の目は大きく変わった。彼がアースルガムに婿入りすることが発表された時、多くの人は彼を「終わった人」扱いした。しかし彼が大領を与えられた事を知ると、人々は手のひらを返して彼にすり寄ったのだ。


 ただベルノルトはそういう者たちには冷ややかだった。むしろ婚約の発表後も態度を変えなかった者たちのことを彼は信頼した。ジノーファは西へ赴く彼におよそ五〇〇人からなる官僚団をつけたが、その中にはそう言う者たちが多数含まれていた。


 さて、ベルノルトと一緒にアースルガムへ行くことを決めた後、メフライルはいよいよ実家へ向かった。事の次第を説明し、正式に家督を放棄するためである。叔父と母はメフライルの話を真剣に聞き、彼が決して逃げるためにその選択をしたのではないことを納得すると、二人とも彼の決定を支持したのだった。


「良い主君に巡り会えたのだな」


「はい」


「では誠心誠意、お仕えしなさい」


「はい。叔父上、いえ義父上、母上、これまでのわがままを、許して下さい」


 メフライルがそう言って頭を下げると、母は涙を流しながら彼を抱きしめた。幼い頃から彼の中にあったわだかまりが、スッと消えた瞬間だった。


 それからメフライルは屋敷の敷地内にある実父の墓へ赴き花を捧げた。そしてこれまでのことを実父に報告する。最後にアースルガムでもベルノルトを支えていくことを誓って立ち上がった。


 彼が身を翻すと、そこには小柄な人影が彼を待っていた。メフライルの異父弟である。彼は緊張した面持ちで異父兄のことを待っていた。


「あ、あの、兄上……。あ、兄上が家督を放棄したのは、その、わたしの……」


 どうやら彼は、いじらしくも自分のせいで兄が家を出て行くことになったのだと思っているらしい。その的外れな考えを思い詰めている異父弟の姿が、逃げるようにして家を飛び出したあの日の自分と重なる。いや、弟のほうが立派だろう。彼はこうして自分と向かい合おうとしているのだから。


「……くだらない……」


 メフライルが小さくそう呟くと、弟はびくりと身体を震わせる。メフライルはそんな彼の肩をポンと叩いてこう告げた。


「くだらないことをくよくよと考え続けるのは、エヴェレン子爵家の血筋なのかもしれないな」


 思わず振り返る異父弟に肩をすくめて見せ、それからメフライルは実父の墓所を後にした。その後、彼は二度と子爵家の敷居をまたがなかった。しかし両者の間に隔意がなかったことは、残された資料が証明している。


 ー 完 ー


メフライル「黒歴史は、くだらないと笑い飛ばすことで過去になる」

ベルノルト「経験談か?」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 完結おめでとうごさいます。 [気になる点] 次は、3、40年後、アースルガムが債務を払い終わってイスパルタの軛が外れるあたりからのお話でしょうか? [一言] また次回作を楽しみにしておりま…
[良い点] 長きにわたる執筆お疲れ様でした。 完結済と表示されるのはとても寂しい気持ちでした。 ジノーファの出生の秘密は明かされませんでしたが、それはそれで良かったのかもしれません。 [一言] 完結お…
[一言] 最後にメフライルの妹さんも登場させて欲しかった
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