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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
番外編 メフライル物語

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長男1


 ――――マドハヴァディティア軍がシークリーに迫る。


 その一報を受け、アースルガム解放軍はにわかに騒然とした。ベルノルトは「シークリーの陥落はやむなし」と覚悟を決めたのだが、サラはそれに反発。二人は決裂寸前にまでなった。


 しかしシェマルが合流したことで状況は一変。さらにベルノルトがバラットを説き伏せて、彼らを味方に引き込むことに成功する。これでベルノルトらの戦力は五〇〇〇に迫る数となった。シークリーを救援する態勢が整ったのである。


 その上で、ベルノルトは一計を案じた。もともとはバラットを裏切らせないための策だが、これが上手く行って敵は戦力を分散。数的優位を得て彼らは緒戦に勝利を収めた。この時点でシークリーは陥落しておらず、不利を悟ったマドハヴァディティア軍の別働隊はもう一戦することなく兵を退いたのだった。


「親父殿!」


 シークリーにてルドラと再会すると、リリィは人目を憚らず彼に抱きついた。彼女が涙を流しているところを、メフライルは初めて見た。二人の間には強い親子の絆が存在する。かつては自分にもそれがあったのだろうかと考え、彼は寂寞とした感情を覚えるのだった。


 そのせいもあったのかもしれない。エクレム将軍率いるイスパルタ軍が合流して、本隊からの指示が来るまでの比較的平穏な時間に、メフライルは妹へ手紙を書いた。他の家族が読むことを承知の上で書いた手紙であり、返信ではなく自分から書いたという点で、彼にとっては画期的なことだった。


 その手紙と入れ違いになる形で、シークリーにまたクルシェヒルからの手紙が届いた。メフライルのもとにも妹からの手紙が届けられる。その中には彼女の婚約が決まったことが書かれていた。


「そうか……。もうそんな歳か……」


 メフライルは小さくそう呟いた。実際には少し遅いくらいだろう。「結婚式にはお兄様も来てください」とも書かれていて、メフライルは「気が早いな」と苦笑した。


 ただ、彼女の結婚式に出席するとして、どういう立場で出席するのか。つまりそれまでに家督の問題に決着をつけなければなるまい。


 実家のほうでは、今でもメフライルを世子としているという。だが今となっても、彼にエヴェレン子爵家を継ぐつもりはなかった。意地を張っているつもりはない。だが彼はかなり身勝手な形で家を飛び出した。その責任は取らなければならないだろう。


 それに子爵家を継ぐとなれば、ベルノルトの傍で仕えることはできなくなる。メフライルは今の主のことが結構気に入っていた。心酔している、というのとは少し違う。ただ彼の隣は当初思っていた以上に居心地の良い場所だった。


 もっとも、同時に想定外の苦労もさせられたが。しかしそれを含めても、子爵家当主の座よりも今の立場のほうが彼にとっては魅力的だった。


(問題は……)


 問題は叔父と母がそれで納得するのか、ということだろう。さてどう説得したものかと考え、しかしメフライルは肩をすくめた。今のところは先が読めなさすぎる。まずはこの戦争を生き残ることが最優先であろう。


 手紙はベルノルトのところにも来ていた。メフライルは彼が執務室で手紙を受け取っているところを見ている。ただ彼はその手紙を掲げて眺めるだけで、いつまでたってもそれを読もうとしない。不思議に思って、メフライルはこう尋ねた。


「殿下、お読みにならないのですか?」


「うん、何というのかな……」


 掲げた手紙を眺めたまま、ベルノルトはそう呟いた。彼はどこか泣き出しそうな顔をして言葉を探し、メフライルは次の言葉を静かに待った。数十秒か経ったころ、ベルノルトはポツリとこう呟いた。


「何だか、読むのが少し怖くて……」


「怖い?」


 メフライルは思わず聞き返す。ベルノルトの言葉の真意を、彼は咄嗟には理解できなかった。そして顔に困惑を浮かべながらさらにこう尋ねる。


「怖いって……、まさか罵詈雑言や恨み節が書き連ねられているわけでもないでしょう?」


「それはまあ、分かっているさ」


 ベルノルトは苦笑を浮かべてそう答える。実際この状況で、エマが彼を意気消沈させるような手紙を書くことはあり得ない。母親のシェリーや妹のエスターリアからの手紙にはお小言が多少は並んでいるかも知れないが、その程度のことで彼の心が折れることはない。彼が恐れていたのは、むしろ手紙を読んだ後の自分の心の動きだった。


「全部放り出してしまいたくなるんじゃないかと……」


 ベルノルトは小声でそう呟いた。手紙を読めば、それを書いた人のことを考えずにはいられない。その結果、自分は何もかも投げ出したくなってしまうのではないか。しかしそんなことになったら、アースルガムは、イスパルタ軍はどうなるのか。


 ベルノルトの苦悩の滲む呟きに、メフライルは「はあ」と気の抜けた返事をしそうになって、慌てて口をつぐんだ。彼はベルノルトが口にした懸念が現実のものになるとは、まったく思っていない。だがそれはそれとしても、ベルノルトがこの状況下で大きなプレッシャーを感じていることははっきりと分かった。


 それでもメフライルはベルノルトを「惰弱」とこき下ろす気にはなれなかった。もちろんベルノルトが全てを背負わなければならないわけではない。だが彼の肩にはかつてない責任がのし掛かっている。それもまた事実だ。


 ベルノルトの判断一つで、アースルガムとイスパルタ軍は窮地に立たされるかも知れないのだ。まして敵はマドハヴァディティア。隙を見せれば、あっという間に喉元へ食い付かれるだろう。彼は幾つもの重要な判断を、的確にそして迅速に下さなければならない。そのプレッシャーはいかほどか。


 そのような状況であるから、ベルノルトのいわば心の均衡を保つことは、重要な前提条件と言える。彼の言う「怖さ」とは、つまり無意識に心のバランスを取ろうとしての事ではないのか。メフライルはそんなふうに理解した。


「まあ、殿下のプライベートなことですからね。とやかく言うつもりはありません」


 手紙を読まないことでベルノルトの心のバランスが保たれるのなら、喜んでそれを容認する。それがメフライルの立場だ。実際問題として、「手紙を読め」と強要することなど彼にはできない。彼にできるのは可能な限りベルノルトが的確な判断ができるよう手助けすること、それだけである。ともかく彼もまた、自分のできることをするしかないのだ。


(後々、話がこじれなければ良いけれど)


 やや無責任に胸中でそう呟き、メフライルは肩をすくめた。ベルノルトが手紙を読んでいないことがバレたら、エマは、そしてシェリーはどう反応するだろうか。お尻ペンペンくらいはあるかも知れない。とはいえ現状を破綻させるくらいなら、主が将来被るかもしれない恥辱は許容する。それがメフライルの立場だ。


 さてイスパルタ西征軍総司令官アルアシャンから命令が下されると、ベルノルトはアースルガム方面軍を率いて行動を開始した。メフライルは彼の傍らに侍り、ルドラとリリィはサラと一緒にシークリーに残る。彼らと別行動になるのは久々である。


 アースルガム方面軍の軍事行動は、おおよそ想定通りに進んだ。流民や補給線関係の問題は常にベルノルトらの頭を悩ませたが、これは当初から予想されたことでもある。彼らは何とか現実との折り合いをつけて南下を進めた。


 そしてアースルガム方面軍はラーカイド城に迫った。この城は交通の要衝に建てられており、現在はミールワイス率いるルルグンス人部隊によって占拠されている。補給線を伸ばすことを考えると、この城を放置するわけにはいかない。


 よってラーカイド城を攻略する必要があったのだが、ルルグンス人部隊は半ば自壊するかのように崩れた。その理由は、ミールワイスの抱く「教皇」という幻想が、いよいよ現実との矛盾に耐えきれなくなったため、と言えるかも知れない。


「現実を見ないヤツが権力を握ると、こういう事になるのか……」


 ラーカイド城落城の顛末については、ベルノルトもいろいろと思うところがあるようだった。もしもミールワイスが真面目に籠城戦をしていれば、アースルガム方面軍は苦戦を余儀なくされただろう。だが彼が現実を直視しなかったために、籠城側は自壊した。幻想と現実が対立したとき、崩れ去るのはいつも幻想の側なのだ。


「今回のは、かなり特殊なケースだと思いますが……」


 メフライルが苦笑を浮かべながらそう言うと、ベルノルトは小さく頷いた。ただ彼の顔には真剣な表情が浮かんだままだ。ある意味でミールワイスはマドハヴァディティア以上の反面教師と言えるだろう。


 ベルノルトとしては神妙に受け止めるべき教訓だ。とはいえそれこそ彼には優先するべき現実がある。彼はひとまず戦後処理のほうへ意識を割り振るのだった。


 さて、ラーカイド城を落としたことで、メフライルはパッと視界が開けたように感じた。これは彼だけではなく、アースルガム方面軍の幕僚らに共通の認識だ。つまり彼らは行動の自由を得た、もしくは行動の自由度が大幅に増したのである。


 また東からはイスパルタ西征軍の本隊も、順調に進軍して支配領域を増やしている。そしてそれは相対的に、マドハヴァディティア軍の活動範囲が狭まっていることを意味している。そのことを地図上で確認し、ベルノルトとメフライルは頷き合った。


「決戦が近いな」


「はい。このまま戦力を分散させていては、マドハヴァディティアは絞め殺されるだけです。そもそも彼はこのあたりの土地を支配しようとは思っていないはず。奪うだけ奪った訳ですし、そろそろ帰り支度を始めるでしょうね」


「その背中を、後ろから蹴り飛ばす」


 そう言ってベルノルトはニヤリと笑った。無論、口で言うほど簡単ではないだろう。それは彼も分かっている。だがようやく終わりが見えてきて、しかも敵の背後を狙える位置につけたのだ。口角が上がってしまうのも仕方がない。


「殿下、焦りは禁物ですよ」


「分かっている」


 メフライルのお小言に、ベルノルトはややふて腐れた様子で返事を返す。マドハヴァディティア相手に焦りが禁物なことは彼も重々承知している。だがそれはそれとしても、見通しが立てばどうしてもその先のことまで考えてしまう。クルシェヒルに帰るころには、エマはすでに赤子を腕に抱いているに違いない。


(いや、もしかしたら……)


 もしかしたら、すでに子供は生まれているかも知れない。読まずにしまってある手紙を紐解けば、それも分かるのだろう。だがそれでも、ベルノルトはなかなか踏ん切りがつかなかった。


 一方でメフライルである。彼もこの戦争の後の事を考えないわけではない。実際、「本国に戻ったら実家の問題にケリをつけなきゃだな」くらいのことは考えている。ただ戦後のベルノルトの立ち位置如何によって流動的な部分も大きい。戦争が終わらないことには話が進まないと思っているから、そういう意味ではベルノルトよりも焦りはずっと小さかった。


 補給物資を受け取ると、アースルガム方面軍はラーカイド城より出撃し、南下を開始した。目指すのはジャムシェド平原。そこがマドハヴァディティア軍との決戦の舞台である。


 その途中で、アースルガム方面軍はシンドルグ城を接収する。つい最近までマドハヴァディティアが根城としていた城だが、彼が出陣した際に火を放ったらしく、今は焼け落ちてしまっている。


「もはや退路はない、ということか」


「敵兵は必死になって戦うでしょうね」


 焼け落ちたシンドルグ城を眺めながら、ベルノルトとメフライルはそう言葉を交わした。この城が燃え上がり黒煙を上げる様は、マドハヴァディティア兵たちに大きな衝撃を与えたことだろう。


 戦に負けたとしても、逃げ帰る場所はもうない。彼らはそれをいやでも理解したはずだ。彼らはもう前に進むしかない。マドハヴァディティアはその覚悟を兵士たちにさせたのである。


 敵軍の士気は高いものと覚悟せねばなるまい。アースルガム方面軍は改めて気を引き締め、ジャムシェド平原へ向かった。ただその際、シンドルグ城をどう扱うのかという問題が浮上した。


 ベルノルトはこの城を放置することも考えたが、その結果今度は盗賊の根城にされては補給線に影響が出かねない。またこの城が要衝に建てられていることも事実。それで彼は少数の兵を残し、補給物資を入れた上で流民の一時的な収容所として使うことにした。


 さて、マドハヴァディティア軍の主たる目的はガーバードへの帰還であり、シンドルグ城を焼いたことを考えれば、彼らが行軍を急いでいたとしてもおかしくはない。イスパルタ軍としては彼らを逃す訳にはいかないから、必然的にベルノルトらも行軍を急ぐ必要が出てくる。


 だがシンドルグ城からジャムシェド平原へ向かう途中、ベルノルトは最短ルートではなく迂回ルートを指示した。本隊を率いるアルアシャンより先に戦場に到着し、あまつさえ撃退してしまうわけにはいかない、という政治的な判断による指示だった。


 もっともそれだけが理由ではない。アースルガム方面軍が最短ルートで追撃してくることは、マドハヴァディティアも予測しているだろう。であるならば何かしらの手を打っているはず。迂回ルートを進めば、そういう相手の思惑を外すことができる。ベルノルトはそれら二つの理由でエクレムを説得したのだった。


「少し、意外でした」


 迂回ルートを進むその馬上で、メフライルはポツリとそう呟いた。そんな彼にベルノルトはこう聞き返す。


「何がだ?」


「いえ、こういう状況で殿下が政治判断を交えるのが、少々」


「そうか?」


「今までは、あまり気にされていなかったように思いましたので」


「そりゃ、気にする必要がなかっただけだ」


 ベルノルトは苦笑してそう答える。アースルガムを支援し再興させることは、イスパルタ朝にとってはすでに既定路線となっている。よって支援するか否かで悩む必要はなかった。そして支援するからには、現場でもっとも発言力が大きいのは言うまでもなくベルノルトだ。それで彼が政治判断で誰かに遠慮する必要というのは今までなかったのだ。


 だが現在は違う。アースルガム方面軍司令官として大きな裁量と、比較的大きな行動の自由を与えられているとは言え、ベルノルトはアルアシャンの部下としてここにいる。なによりこの戦争それ自体に、「王太子アルアシャンの箔付け」という意味合いがあるのだ。そういう部分まで加味して考えれば、ベルノルトが政治的な部分を考慮して判断を下すのはむしろ当然と言える。


「それに……」


「それに?」


 ベルノルトがこぼした呟きに反応し、メフライルがそう聞き返す。ベルノルトは少し黙り込んでから、真剣な表情でこう言葉を続けた。


「……たぶん、アルは今、マドハヴァディティアを討つことしか考えていない。アルはそれで良いんだろうけど、先々のことを考えると少し、な」


 そこまで言うと、ベルノルトは表情を緩めて苦笑を浮かべる。そしてさらにこう続けた。


「王位継承権がなくても、わたしが第一王子であることに変わりはない。少しはフォローしてやらないとな」


「むしろ、殿下の方があれこれと迷惑をかけてきたような気もしますが……」


「それはそれ、これはこれ、だ。それに、わたしの側に少しぐらいは瑕疵がないと、アルもやりにくいだろう?」


 ベルノルトがそう嘯くと、メフライルは「本当に少しですか?」と茶化して混ぜっ返す。そして二人は楽しげに笑い合った。


 笑い合いながら、メフライルは同時に納得もしていた。ベルノルトがクルシェヒルからの手紙を読もうとしない件について、である。彼はそれを「心のバランスを取るため」だと思っていた。


 そしてそれは間違っていないだろう。ただそうまでしていた理由は、どうやらアルアシャンの、それも将来のことを考えてのことらしい。そしてアルアシャンの将来は、イスパルタ朝の未来に大きく関わってくる。


(王位継承権がなくても第一王子であることに変わりはない、か……)


 国や弟妹たちのことを考えないわけにはいかない、ということなのだろう。メフライルはそう理解した。王家に生まれた理由に悩んでいた少年が、ずいぶんと大人になったものである。


 一方でメフライルは我が身を振り返らざるを得ない。例え家督を放棄しても、彼もまたエヴェレン子爵家の長子であることに変わりはない。そして彼にも弟妹がいる。果たして自分は家や弟妹のために、何か兄らしいことをしてきただろうか。


(耳が痛いなぁ……)


 メフライルは内心でそう自嘲する。だが子爵家と弟妹に何かできることが、今の自分にあるだろうか。むしろ下手に手を出したら、それこそ混乱の原因になりはしないだろうか。敵に追いつくまでの行軍中、メフライルはそんなことを考え続けるのだった。


メフライル「立場はともかく、生まれた順番はどうしようもないですからねぇ」

ベルノルト「それな」

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― 新着の感想 ―
[一言] 長子と言えばベルの第一子は娘だけど、アースルガムの共同統治者になるなら自分の時と同じような不満を抱えるのでは? サラは女王で、なのに私はその跡を継げない。自分と似た出自の父上は王の片割れに成…
[一言] 個人的にベルノルトの評価は、亡国から独立したお馬鹿王太子並みに王族として評価が低く、作中屈指のクズ男扱いだな。
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