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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
番外編 メフライル物語

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西方にて1


 ヴァンガルを脱出したベルノルトら四人は、百国連合域の北部を横断するように西へ移動してマデバト山を目指した。味方が来るまでの間、そこに身を隠すためである。


 マデバト山には山守と呼ばれる人々が暮らしている。彼らもまたアースルガム解放軍の一員だ。それで、ヴァンガルの大使館が用意してくれた紹介状があったこともあり、ベルノルトらは彼らに受け入れて貰うことができた。


 マデバト山は辺境の街のさらにその向こうに位置している。マドハヴァディティアの目もここまでは届くまい。四人はようやく、安全と思える場所にたどり着いたのだった。


「これで、あとは本国に連絡がつけば……」


「山守衆も解放軍の一員です。情報は伝わるはずです。その内、動きがありますよ」


 山守衆の砦で一息ついて、ベルノルトとメフライルはそう話し合う。実際、それからあまり時を置かずに一人の男が山守衆を尋ねてきた。イスパルタ朝の使者である。彼はハシムと名乗った。


「ところで皆様、ご家族などに手紙を書かれてはいかがですかな。小官がお預かりいたしますが」


 ルルグンス法国や西方の、そしてイスパルタ軍の情勢を一通り説明した後、ハシムはベルノルトらにそう言った。彼は「皆様」と言ったが、実際にはベルノルトの手紙を預かることが最大の目的だろう。それでメフライルはすぐにこう答えた。


「ぜひお願いします」


 さて、そう答えたからには、メフライルも手紙を書かねばならない。とはいえ実家の、特に叔父や母に手紙を書く気にはなれなかった。近衛軍の上官宛に近況報告でもしようかと考えていたとき、ふと彼の頭に妹の顔が浮かんだ。


 家を出て以来これまでずっと、メフライルは叔父や母とは連絡を取り合っていない。何度か手紙は来たのだが、返事を書くことはなかった。ただ妹からも手紙がきていて、たどたどしい字で書かれたその手紙を読むと、まったく無視してしまうのは心苦しい。それで妹の手紙にだけは、彼も返事を書いていた。


 近頃では、叔父も母もメフライルに手紙を送ってくることはなくなっていた。その一方で妹との手紙のやり取りは続いている。きっと二人はその手紙を介して、メフライルとやり取りをしているつもりなのだろう。実際、妹の手紙には彼女自身のことだけでなく、家のことも毎回かなりの分量が書かれている。


 実家と、そして家族と完全に縁を切ることのできない自分を、メフライルは自虐的に眺めている。家を出たとき、彼は確かにもうエヴェレン子爵家とは関わらないつもりだった。しかしこうして細いながらもまだ縁は繋がっている。徐々に綺麗な字を書くようになっていく妹からの手紙を見る度に、その縁を断ち切るための覚悟をなかなか定められずにいるのだった。


 まあそれはそれとして。どのみち、手紙は書かねばならないのだ。そして妹とは以前から手紙のやり取りをしている。それにしばらくはクルシェヒルに戻れそうもないことを知らせておかなければなるまい。そんな、言い訳じみたことを心の中で呟きつつ、メフライルはペンを取るのだった。


 四人から手紙を預かりハシムがマデバト山を去ると、メフライルはベルノルトの様子がおかしいことに気付いた。「心ここにあらず」というか、少々憂鬱そうにすることが増えたのだ。それでメフライルはベルノルトにこう尋ねた。


「ベル。何かあったのか?」


「ライル……」


 ベルノルトは小さく彼の名前を呟くと、さっと左右に視線を走らせ、それから彼の腕を掴んで人目に付かない物陰に移動した。そしてまるで懺悔するかのように、こう告白する。


「実は、エマが妊娠したらしい」


「それは……、おめでとうございます」


 エマとは、ジノーファの古い家臣であるカイブとリーサの娘だ。ベルノルトとは小さな頃からの付き合いで、すでに男女の仲になって久しい。いつかはそう言うことになるだろうとメフライルも思っていた。


 それで思わず敬語になりつつも、メフライルはベルノルトを祝福した。しかし当の本人はと言えば、あまり嬉しそうには見えない。そのことを訝しみ、メフライルはさらにこう尋ねる。


「ベル、まさか嬉しくないのか?」


「嬉しいさっ! だけど、なんて言うか……」


 そこまで言って、ベルノルトはメフライルから視線を逸らした。彼の顔には苦悩が浮かんでいる。言葉を探しているのか、彼は一度口を開いたが、何も言わずに口を閉じた。そして何度か同じ事を繰り返す。二人の間には沈黙が流れたが、メフライルは辛抱強く待った。やがてベルノルトはこう呟いた。


「……なんで、わたしはこんな所にいるんだろうな」


 それを聞いて、メフライルはベルノルトが憂鬱になっている理由が分かった気がした。ジノーファの古い家臣の娘とは言え、エマは貴族の血筋ではない。またベルノルトと正式に婚姻関係にあるわけでもなく、つまり彼女の立場は弱くお腹の子供は私生児だ。


 それでもベルノルトがクルシェヒルにいれば、彼女を守ることができただろう。各方面に働きかけ、エマの立場を少しでも良くできたはずだ。しかし今彼はクルシェヒルから遠く離れてマデバト山にいる。エマのためにできることは、ほとんど何もない。そのことが彼には辛かった。


「シェリー様もいらっしゃる。きっと大丈夫だ」


「分かってるんだけどな……。ああ、クソ……」


 小さく悪態をついてから、ベルノルトは力なく笑った。彼の悩みが解決したわけではない。だがメフライルに話したことで、少しは気が楽になったようだ。悩んでいても仕方がないし、シェリーなら確かに諸々上手に取り計らってくれるだろう。彼もそれは分かっているのだ。


「死ねない理由が増えたな。エマさんの子供を、生まれる前から父無し子になんてしてやるなよ」


「ああ、もちろんだ」


 メフライルが肩を叩くと、ベルノルトは大きく頷いた。目には力が戻っていて、メフライルは内心で胸をなで下ろした。同時に彼は胸中でこう呟く。


(父無し子、か……)


 それはメフライル自身のことである。彼の実父は彼が物心つく前に死んでしまった。叔父が義父となったが、メフライルは彼を父と認めることができていない。実父が生きていたら自分はどうしていたのだろうかと考え、それこそ考えても仕方がないと思い彼は頭を振るのだった。


 さて、山守衆の里での暮らしは、まずます平穏と言えるものだった。基本的に客人という立場であり、果たすべき義務はない。いささか遠巻きにされている感はあるが、マデバト山という閉鎖的な環境を考えればそれも致し方ないだろう。


 もっともそれも、ダンジョンに潜っていれば気にならない。四人は密談のためや、もっと単純に食料確保のため、頻繁にダンジョンに潜っていた。さすがに少しは働いているところを見せないと、お客様とはいえ肩身が狭いのだ。


 もちろんモンスターと戦う以上、命の危険はつきまとう。だがクルシェヒルでも攻略は行っていたのだ。そもそも、この先何があるのか分からないのだから、鍛えておいて損はない。それで護衛のアッバスもこの方針には賛成していた。


 しかし平穏な時間は、長くは続かなかった。マハヴィラ盗賊団というならず者たちが、マデバト山を攻めてきたのだ。敵が攻めてくる以上は戦わなければならない。山守衆の戦士たちは武器を手に取った。そしてその中にはベルノルトらの姿もあった。


「お前たちはわたしの隊だ」


 ベルノルトとサラとメフライルの三人は、リリィという女性の隊長の部隊に入ることになった。彼女は山守衆の頭領ユブラジの孫娘にして、三人いる組頭の一人ルドラの一人娘だ。彼女の勝ち気な性格は容貌にも現われていて、誤解を恐れずに形容するならば、さしずめ「山賊の姫」と言ったところか。


 もっとも、山守衆は「山賊」と呼ばれることを嫌う。実際、彼らが山賊行為を働くことはほとんどない。まあ、山賊行為で生計が成り立つほどの人の往来がない、というのが大きな理由なのだが。とはいえそんなわけで「山賊の姫」と呼ばれればリリィが盛大に嫌がることは想像に難くなく、メフライルも思っただけで口にはしなかった。


 このルドラとリリィだが、初めて二人を見たとき、サラは内心で驚愕した。二人が父と姉にそっくりだったからである。その意味についてサラは色々考えたのだが、答えはまだ出ていなかった。


 まあそれはともかくとして。言ってみれば、マデバト山は山守衆の庭も同じ。さらに軍事の専門家たるアッバスもいる。彼らは地の利を存分にいかしてマハヴィラ盗賊団を撃退したのだった。


 その日、山守衆の里は歓喜に包まれた。羊が潰され、酒が振る舞われる。他にも貴重な食材が饗された。メフライルも収納魔法の中にストックしてあったドロップ肉を大量放出した。ベルノルトが勇んでステーキを焼いたのは言うまでもない。


「よう、お客人! 大活躍だったそうじゃないか!」


 そう言ってメフライルの肩に手を回した男は、すでに強か酔っている。「お客人」と言いながらも、その口調は親しげだ。一緒に戦いマハヴィラ盗賊団を撃退したことで、メフライルらは山守衆の仲間として認められたのだ。


「一時はどうなることかと思いましたが、大きな被害がなくて幸いでした。これで何とか、イスパルタ軍が来るまで潜伏していられそうです」


「ああ。山守衆にも受け入れてもらえたし、終わってみれば悪くない結果だ。少し、備蓄を大盤振る舞いしすぎのような気もするが……」


「喜ばずにはいられない、ってヤツですよ」


 音楽に合わせて人々が踊るのを眺めながら、メフライルとベルノルトはそう言葉を交わした。外敵という脅威は取り除かれた。戦友となったことで彼らは山守衆に受け入れられ、つまり裏切られる可能性がさらに低くなった。確かに悪くない結果である。あとは味方が来るまで何事もなければ言うことはない。二人はそう思っていた。


 だがしかし。事はこれだけでは終わらなかった。なんと、マハヴィラ盗賊団を山守衆に嗾けたのは、カリカットの代官だというのだ。他でもない、マハヴィラ本人の証言である。この証言を受けて、山守衆は対応を迫られることになった。


 そして山守衆はカリカットの代官を排除することを決めた。代官が山守衆を武力制圧するつもりでいるのなら、先手を取って彼を討つ以外に山守衆が生き残る道はない。そう考えての決起だった。


 代官所を強襲して代官を討つ作戦は、主にルドラ隊が中心となって決行することになった。その中にはリリィもいて、ベルノルトら三人も頭数に数えられていた。アッバスも志願してそこへ加わっている。


「今更だが、良かったのか?」


 作戦を翌日に控えたリリィは、潜伏先の民家でメフライルにそう尋ねた。マハヴィラ盗賊団と戦った際の編成がそのまま用いられたので、メフライルら三人もそのまま組み込んでしまったが、彼らは本来客人である。防衛戦ならともかく、普通に考えて攻勢をしかける今回のような作戦にまで協力する筋合いはない。だがメフライルは肩をすくめてこう答えた。


「作戦が失敗したら、マデバト山のほうまで危ういんだ。知らん振りできないだろ」


 強襲作戦の決行が決まった以上、カリカットの代官が何をどう考えているかは問題ではない。作戦が失敗すれば、代官は必ずやマデバト山を攻める。ならば作戦の成功率を上げるために、できることはするべきだろう。客人だからといって、傍観者でいられるわけではないのだ。


「そう、か」


 そう言って、リリィは小さく頷いた。メフライルたちにも、彼らなりに戦う理由がある。ならいい、と彼女は思った。彼らが戦えることは分かっているのだ。そもそも戦力が多いに越したことはない。戦う理由があり、その能力があるなら、それで十分だった。


 そして作戦の決行当日。街の外で陽動が始まると、ルドラ隊は行動を開始した。目立たないように分散し、それぞれが代官所を目指す。ベルノルトらも四人で行動し、彼らは代官所の裏手に回った。


「よし、壁を越えるぞ」


 そう言ってベルノルトが取り出したのは鉤縄だった。彼は慣れた手つきで鉤縄を投げると、スルスルと代官所の防壁を上っていく。大国の第一王子にはまったく必要ないはずのその技能を目の当たりにして、アッバスは遠い目をしていた。


(分かる)


 その様子を見て、メフライルは思わず胸中でそう呟く。本当に、シェリーは何を思って息子にこんな技能を仕込んだのか。しかもそれがこうして役に立っているのだから、文句を言うことさえできない。だがそれでも、何かが間違っている。それだけは間違いないはずだった。


 さて、代官所の強襲作戦はおおよそ順調に進んでいた。代官側は奇襲に浮き足立ち、代官所はほぼ制圧された。だがしかし、代官その人の首はまだ取れていない。彼は幾人かの護衛と共に代官所の一画に立て籠もり、抵抗を続けていた。このままでは街の主力部隊が戻ってきてしまう。それまでに代官の首を取れなければ、作戦は失敗なのだ。


「……っ」


「で、ベル!」


 攻めあぐねる味方の様子を見かねて、ベルノルトは代官所の屋上へ向かった。メフライルも慌ててその背中を追う。彼は「一人で良い」と言ったが、良いわけがない。


 屋上へ上がると、ベルノルトは身を乗り出して下の階を窺っていた。ちょうど彼のいる真下が、代官が立て籠もっている部屋だ。この時点で彼が何をするつもりなのか、メフライルはだいたい察しが付いた。


「……殿下、本当にやるんですか?」


「やる」


 メフライルは自重を促したが、しかし効果はない。彼は盛大にため息を吐いた。説得は無駄であろう。何より、そのための時間もない。彼は素早く周囲の警戒に移った。そしてベルノルトは鉤縄を使い、代官が立て籠もる下の部屋へ殴り込む。


「……! ……!!」


 下から響く怒号を聞きながら、メフライルは風に揺れる鉤縄の縄を素早く回収する。証拠を残さないため、ではない。こうして主君であるベルノルトが突撃してしまった以上、従者たる彼も行かないわけにはいかないのだ。


「恨みますよ……」


 それは一体誰に向けた言葉だったのか。メフライルは震える足を叱咤し、縄を掴んで空中へ身を躍らせた。地に足が付かない状態に、彼は頬を引きつらせる。彼は縄をしがみつくように握りしめ、そのまま振り子のようになって下の階へ突撃した。


「わ、わわっ……!」


 少々情けない声を出しながら、メフライルは代官らの立て籠もる部屋に転がり込んだ。ベルノルトの剣はすでに血で濡れていて、メフライルは安堵の息を吐く間もなくすぐ彼に加勢した。


 二人が部屋の中に殴り込んだことが、外で戦う者たちにも伝わったのだろう。味方は奮起し、敵は気もそぞろになったらしい。ややあってルドラ率いる味方が部屋の中へ押し入り、そして代官を討ち取ったのだった。


シェリー「恨まれちゃった」

メフライル「違うんです、そうじゃないんです!?」

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― 新着の感想 ―
[一言] 改めて第3者の目からベルの行動を見てると魅力的だな、やっぱり。次代の主人公にふさわしい。
[一言] イスパルタ王家に連綿と受け継がれていく技術……細作技能とステーキ!
[一言] >シェリーは何を思って息子にこんな技能を仕込んだのか。 隠密衆の頭にするつもりだったのかな?
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